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2024年1月

2024年1月17日 (水)

sources~10th Anniversary LIVE<後編>

 
sourcesの10周年を記念するコンサートのレポート<後編>。
まずは中盤の綾太郎くんのMCから。 
 
「さて、次はsourcesを10年やってきて、メンバー2人に『オマエ馬鹿だ!』って言われた曲です。
常に新しいことをやっていこうと大技のパフォーマンスを披露しようと思ってこの曲を書きました。
小さなことから大きなことまで心の葛藤を曲とパフォーマンスで表現したかったんです。
『表と裏』…『天使と悪魔』みたいなものを3人で表現しました。
誰が天使か、悪魔か、自由に感じて頂きたいと思います」410 曲は『sunset』のオープナー「coin」。
「Heads or Tails」…まさに表と裏ですな?500_co「天使と悪魔」…誰が悪魔かは曲の成り行きを見ていればすぐにわかるでしょう。
そう、綾太郎くんがこんな感じになっているから。
520v綾太郎くん扮する悪魔が溜まりに溜まった日頃の恨みをはらそうと(←ウソです)、メンバー2人に憑依するシーン。510vのっつの背後から手を出して勝手にキーを叩いちゃう。530隼人くんのヴァイオリンにも!
この写真には苦労した。
どこからどうやって撮っても2人の顔に弓がドッカリと被さってしまうのだ。
しかも照明が赤でしょ?
コレはムズカシイよ。
S41a0467 それでも何とか綾太郎くんの悪魔っぷりが撮れたかな?と思っています。
そして、綾太郎くんがMCで触れていた「もっとスゴいパフォーマンスを!」の思惑も十分に発揮されていた。
パフォーマンスが表なら音楽は裏、どっちがどっちでもいいんだけどまさにその2つが表裏一体となった1曲。540続いて10周年を記念した最新作『TEN₋SEI』に収録されている「隼-HAYABUSA-」。550_hbs「隼」というのはもちろん鳥の名前だけど、字そのものに「速く飛ぶ鳥」という意味がある。
その俊敏なイメージからバイクやら電車やらいろいろなモノに適用される名前だけど、私の世代だと太平洋戦争中の「一式戦闘機」だな。
もちろんsourcesの「隼」はオリジナルの意味の「鳥」ですわな。
 
綾太郎くんと…570隼人くんが1小節ずつ弾き分けるテーマがカッコいい!580vそして随所に現れるのっつのピック・アップ・ソロ。
生のベースとドラムスを加えたバンド形態で聴いてみたいナァ!560v「ありがとうございます!
さぁ、ココから最後までは一気にいきたいと思います。
ぜひ身体を動かして楽しんでください!」
次の曲でお客さんにご参加いただくパートを説明。
サビで3回ジャンプね。
590もちろんお客さんは総立ち!
曲は『sunset』から「JOY! JOY! JOY!」。Img_0038テーマにソロに…0r4a0243_2ステージを上下に行き交うヴァイオリンの2人。620vはい、サビです。Img_0028「♪JOY! JOY! JOY!」
790のっつのソロ!
640vまた「♪JOY! JOY! JOY!」。
630いいように盛り上がりますな!
コレさ、いくらインストゥルメンタルのバンドでも普通なら「ジョイ!ジョイ!ジョイ!」ぐらいお客さんに歌ってもらっちゃうところでしょう?
でも、それを敢えてしないのがsources流。
それもうイッチョ!665「♪JOY! JOY! JOY!」780v「ありがとうございます!
次はタオルを使います。
タオルをお持ちでない方はハンカチとか、ティッシュとかでもいいですよ。
回しちゃってください!」670_lf曲は『TEN-SEI』収録の「Let’s Fight!」!
730ひたすらストレートに突っ走るドライビング・チューンで客席の熱気が更に上がる!Img_0023 ハイ、タオル~!680v 700vお客さんも一心不乱にブルンブルン!710_2さらにみんなで歌うパートで盛り上がる。S41a0117 「♪Wow wow!」
ココで歌ったわ!S41a0576 客席の興奮度が最高潮に達したところでバコ~ン!
銀テープが華々しく宙を舞い、本編最後の曲「FIREBALL」がはじけ飛んだ。750本編17曲。
自らの10周年を記念するにふさわしいエキサイティングな演奏だった!770v 760v 690v「ありがとうございました!」800そしてアンコール。
「ご来場いただきました皆さんも、配信をご覧の皆さんも、本日は本当にありがとうございます。
本当に楽しかった!
アンコールにお応えして演奏させて頂きます。
『今日はどうなることかな?』と思ったんですが、こんなにたくさんの方に来て頂けてとてもうれしいです。
友達とかいろんな人を誘って頂いて、本日初めてボク達をご覧になったという方も中にはいらっしゃると思います。
そんな皆さんに『sourcesって結構オモシロイことやってんな』とチョットでも思ってもらえたらうれしいです」
000s41a0634「アンコールでお届けする曲なんですけど、コレでsourcesを好きになったって言う人も本当にたくさんいらっしゃって、この曲にはたくさんの恩があります。
コロナ禍で最近はお会いできないお客さんが増えてしまったのはとても悲しいことなんですが、こうやってズ~っと続けていればまた会いに来てくださるだろうと思ってこの曲を演り続けます」000s41a0338 曲はsourcesのキラー・チューンのひとつ「鍔迫-TSUBAZERI-」。820_tz確かに私もこの曲を初めて聴いた時にはとても印象に残った。825和風テイストがふんだんに盛り込まれたスリリングな1曲。826今日も迫力ある3人の鍔迫り合いが繰り広げられた!82710周年でのポーズもバッチリとキマった~!840「本日は『10周年記念ライブ』ということでもうプレゼントしたい曲をもうひとつアンコールに持って来ました。
今から演る曲はsourcesが結成された頃のライブで演っていた曲です。
その頃はライブハウスに来てくださるお客さんは4人とかだったんですね。
そのウチの2人はボクらの学校の同級生…だから実質、お客さんは2人だったんです。
どうすればいいのかもわからなくてただただガムシャラに演奏していました。
ボクたちが通っていた桐朋学園の近くにある『キック・バック・カフェ』に出ていたんですが、当時はお客さんの前で何をしゃべっていいもかもわかりませんでした。
その時の2人のお客さんはお母さんと4歳ぐらいのお譲さんで、ライブが終わった後に『コレをプレゼントします』と、お母さんがハート形に折った折り紙をそのお譲さんがボクに渡してくれたんです」
S41a0701「その折り紙には覚えたてのひらがなで『ありがとう』って書いてあったんです。
その時、演奏して『ありがとう』って初めて言われたんです。
クラシックを勉強する時は『ベートーベンらしく!シューベルトはこんなんじゃない!』と点数つけられましてね。
コンクールが終わったら先生から怒られたり、『まぁ~、キミにしては良くできたんじゃない}』とか言われるワケです。
だからその女の子の折り紙がうれしくてうれしくて…この曲を書きました」
その時のことを思い出して涙をこらえきれなくなってしまった綾太郎くん。
S41a0707本泣き。S41a0706「『ありがとう』…この言葉は本当にきれいな言葉だと思います。
10周年を迎えて皆さんに感謝の気持ちを込めて『ありがとう』という曲を演奏したいと思います。
そして、次は15周年、20周年と、皆さんに求めて頂ける限り演奏できるように感謝の気持ちを込めて演奏します。
本日は本当にありがとうございました!」S41a0711感動のMCに続いて「ありがとう」を演奏。8803人の心のこもった演奏。890それはお客さんたちの心にも「ありがとう」の気持ちを抱かせたに違いない。900v感動的なフィナーレで10周年を記念するコンサートは幕を降ろした。910v10周年おめでとうございます!
これからもsourcesならではの音楽を創り続けてください!920sourcesの詳しい情報はコチラ⇒sources Official site930<おしまい>

(一部敬称略 2023年11月12日 大手町三井ホールにて撮影)

2024年1月16日 (火)

sources~10th Anniversary LIVE<前編>

 
皇居の森を眼下にするこの景色…しばらくの間眺めていてようやく気がついた。0r4a0003 ココって三井物産の本社社屋があったところじゃん!
私、コレでも学校を出てから12年、三井系のお堅い会社に勤めていた時期がありましてね、三井物産との関係が深い会社だったので時折ココにお邪魔したのです。
当時は「ブッサン、ブッサン」なんて気安く呼んでいたけど、山崎豊子の『不毛地帯』なんかを読んでいると世界にその名を知られる大手商社ってのはスゴイものですよ。
こんな仕事、とても私には務まらんわ。
『不毛地帯』は伊藤忠時代の瀬島隆三をモデルにした小説だけど、「五井物産」という変名でちゃんとブッサンも登場する。

して、今日お邪魔しているのは、この新しい三井物産本社ビル内にある「大手町三井ホール」。10出しものはsources。
10周年を記念するおめでたいライブなのだ!
05ロビーにズラリと並んだ祝い花。15もちろんヤッチンからのお花も届いています。20最近は個性的なデザインの祝い花も当たり前になったね。30sourcesの各メンバーに贈られた花々。
コレは野津賛江…
40加賀谷讃江…50そして、日高賛江。
きっとこの花の色がファンの皆さんが抱く3人それぞれのイメージの色なんだろうな。
60祝い花だけじゃない。
キットカットで作ったこんな記念オブジェも…。70既出のアルバムをモチーフにした記念アイテム。80_2メッセージもたくさん寄せて頂いた。90会場のようす。
開場した途端、みるみるうちに埋まっていく客席。100後は開演を待つのみ。
このsourcesのロゴはいつ見てもカッコいいね。110そして、開演。
3つのスポット・ライトに照らされてオープニングに奏でたのは「Galaxy Rose」。120綾太郎くんがsourcesを結成して初めて作った曲。
結成当初はメンバーにチェリストも在籍していた。
当時はドラムスやベースのパートがないアレンジで演奏することもあり、今回はその当時に戻ってヴァイオリンとピアノのみで演奏する「Galaxy Rose」を披露した。0r4a0034 ドンガラガッシャ~ン!
雷鳴の音に導かれてファースト・アルバムの収録曲「Beginning」へとつなげる。0r4a0054 日高隼人140v加賀谷綾太郎000s41a0357 野津永恒 000s41a0346 さらに続けて「Breakthrough」。190コレもファースト・アルバムからのチョイス。
10周年を振り返って原点に戻ろう…というところ。S41a0078 ただヴァイオリンやピアノを美しい音で弾くだけではなく、もっとこんなことも出来るんだ!と楽器の魅力を伝えたいと思い作った曲。
さっそくヴァイオリンの2人が背中合わせになるアクションを交えて絶妙のアンサンブルを奏でる。
170vジャ~ンプ!
初っ端からエキサイティング!185「皆さま、『のむシリカPRESENTS sources 10周年記念ライブ』にようこそお越しくださいました。
10周年にふさわしい曲達をたくさん持って来ておりますので、最後まで楽しんでいって頂きたいと思います」
と、綾太郎くんがごあいさつ。
200v下はかつてsourcesにチェリストがいた時代の写真。
2011年5月に仙川の「KICK BACK CAFE」で撮影した1枚。
この頃は全くsourcesを存じ上げず偶然にご一緒させて頂いた。
しかし、オモシロイもんですネェ。
10年以上の時を経てこんなにお近づきにさせて頂くなんて!
そんなこと、この時は全く想像していなかった。
アレ?…今レポ―トしている「10周年記念コンサート」の開催は2023年の11月。
2023-2011=12…ということは、この時から10年以上経っているのね?10_270v…と、不思議に思っていたら、そうか!
このデビュー・アルバムの『Sources』からちょうど10年なんですな?
改めまして10周年おめでとうございます!
 
この頃の写真を見て今のsourcesとは別の3人だと勘違いしてしまう人もいるらしい。
「10年」ってアッという間だけど、「時の流れ」としては決して短いモノではありませんからね。
私なんかうまくいってもあと2回しか「10年」を経験できないだろうナァ。1st 最初のMCの後は2枚目のアルバム『SUNRISE』から「Live a Little」。
220_lal路上ライブでよく演奏していたというだけあって…240vヴァイオリンの2人がステージ狭しと歩き回る。230途中でジャズ・ビートを交えたスリリングな展開といい、メロディといい、いかにもsources!250のっつのピアノに…260_sdヴァイオリンの2人がピチカートで重る「衝動-SHOUDOU-」。S41a0373 のっつのピアノの上をヴァイオリンの情熱的な旋律が走りぬける繊細にしてダイナミックなナンバー。280『SUNRISE』に続いて『sunset』からタイトル曲。290_ssアダルトなファンク・ビートのノリノリ・ナンバー。
「はい、のっつ」300vのっつは鍵盤ハーモニカに持ち替え。
この楽器は「ピ〇Xカ」でもはたまた「メロ△◆カ」という名前でもありませんからね。
「ブルース・ハープ」と同じで、それらの名前は商標です。
このハーモニカにように息を吹き込んで鍵盤を操作する楽器は「鍵盤ハーモニカ」といいます…ってそのままやんけ!310vヴァイオリン・チームと鍵盤ハーモニカ・チーム(1人)の掛け合いが楽しい!320のっつのカデンツァで曲は締めくくられた。330v「ありがとうございます!
今日は『のむシリカ presents』ということですが、コレ…とても美味しいです。
睡眠の質の向上にも効果があるということで、ボクもチョット寝つきが良くなったな?と感じております。
ゼヒ皆さん、これを機会に『のむシリカ』をご愛飲頂ければと思います」
340vさすがsourcesのスポークスマン!
スポンサーのPRもよどみなくこなして見せたところで、10周年を記念した最新アルバム『TEN-SEI』から「雨のちハレ」。
日本テレビ系の『News every』のお天気コーナーに採用されていたさわやかな1曲。
360_anhウ~ム、なるほど。
「さわやかな1曲」なんだけど、確かに雨が上がった後の「さわやか感」を感じるナ。
これは決して夏の日の早朝のさわやかさではない。
それならグリークだろう。
やっぱりキチっと音楽を勉強した人たちがやることは違う。
「西洋音楽」に関して言うと、誰がナニをやっても最終的にはクラシック音楽には敵わないのだ。
380続けて同じく『TEN-SEI』から「Lazulite」。390_lzlもの悲しいテーマ・メロディのヴァイオリンの音色がとても印象的なこの曲のイメージは「群青」。
「Lazulite(ラズライト)」というのは「天藍石(てんらんせき)」という青い色の鉱物のこと。
400ノリノリの曲が続いたが、ココで雰囲気を替えてジックリとsourcesの音楽を観賞するコーナー。
今回の『TEN-SEI』に収録された「秋」をイメージした「緋色の唄」で四季それぞれをテーマにした曲が完結した。
その4つの曲を披露しようというワケ。
普通「四季」というと「春夏秋冬」の春でスタートするのが相場だが、このコンサートが開催されたのは「秋」だったので、スクリーンに映し出された美しい紅葉と共に「秋」からスタート。
つまり「緋色の唄」から始まった。430ヴァイオリンとのっつの鍵盤ハーモニカのアンサンブルが冬の到来を感じさせる秋の静けさを表現する。S41a0339_2 「冬」は「颪-OROSHI-」。460雪山から吹き降ろす強く、冷たい風をイメージした曲。
この「颪」っていうのはオモシロイ漢字だよね。
でもコレは「国字」で、中国にはない日本のオリジナルの文字。
いわゆる「和製漢字」。
470「春」は「百花繚乱」。480タイトルからすると春が訪れたにぎやかな情景をイメージするが、曲は至って落ち着いていてsources流の「春」を奏でる。490そしてsourcesの四季を締めくくるのは「ひぐらし」。
主旋律と副旋律が緻密に絡み合うヴァイオリンが夏の一日の終わりを表出する。
とても美しい曲だ。
 
sourcesの詳しい情報はコチラ⇒sources Official site

0r4a0197<後編>につづく
 
(一部敬称略 2023年11月12日 大手町三井ホールにて撮影)

2024年1月11日 (木)

草津よいとこ…その後マイった!<その2>~衝撃!日本のアウシュビッツ

   
さて、ベルツ先生に別れを告げていよいよ「日本三名泉」のひとつとされる草津温泉へ。
家内は初めて、私は10歳ぐらいの時に父に連れられてスキーに来た時以来だから50年ぶりだわ。
370 草津といえばこの「湯畑(ゆばたけ)」。
硫黄のニオイがプンプン!
20_2それにしても50年前にこの光景を目にした記憶が全くないのはナゼだろう?
せっかちな父のこと、きっと温泉街には近寄りもせず町はずれの「サンバレー」というホテルに一泊してスキーを存分に楽しんだ後、サッサと私を連れて東京へ帰ってしまったのであろう。
10_2他にナニもすることがないので湯畑の周りをグルリと歩いてみる。
地面がなかなかイカしていてね、モルタルに瓦を埋め込んで模様を施してある。
60_2コレらの瓦は取り壊された古い旅館に使われていたモノなのか?
だとすればとてもステキなことだ。
50_3「♪草津よいとこ一度はおいで お湯の中にも 花が咲くよ」
「♪お医者様でも草津の湯でも~ ホレた病は治りゃせぬよ」
通路には「草津節」の歌詞が彫り込まれている。
ああ、草津の湯でも治らない「恋の病」をしてみたい…ウソ。
「老いらくの恋」なんてメンドくせえわ。
40_2草津温泉って湯の自然湧出量が日本一なんだってね。
1日にドラム缶約23万本分もの温泉が湧き出しているおかげで盛大に「源泉かけ流し」ができるんだって。
で、この「湯畑のシンボル」とでも呼べそうな7本の樋はナンのためのものか…。0r4a0045まずは、50度以上の源泉を空気に触れさせて温度を下げるため。
水で薄めると温泉の成分が薄まってしまうので、ココで冷やしてから各施設へお湯が送られて行くんだって。
「ぬめり」の反対だ。
70_2源泉は樋を通って、最後は「湯滝」から流れ落ち各浴場へと供給される。
80_3湯樋のもうひとつの役割は「湯の花」を採取することなのだそうだ。
樋に沈殿した湯の花を年に4回採取してお土産物店や一部の旅館で販売している。
子供の頃、湯治場として有名な新潟の「燕温泉」に毎年スキーをしに行っていた。
定宿だった「花文」という旅館の風呂のお湯がゴミだらけで子供ながらにすごくイヤだったのね。
もちろんそれは「ゴミ」などではなく、名湯が誇る「湯の花」だったワケ。
「湯の花」と聞くといつもあの旅館のことを思い出す。
30_3下の写真の右下に移っている木の枠があるでしょ?
八代将軍吉宗や十代将軍家治はこの枠の中のお湯を樽詰めにして江戸城へ運ばせたんだってよ。
この湯枠は八代将軍吉宗が汲み上げた際のオリジナルだそう。
それほどのお湯だけに、古来色んな人が草津を訪れている。0r4a0011_2周囲に設置された石柱にはそうして草津を訪れた著名人の名前がズラリと彫り込まれている。
コレは各宿の宿帳をヒックリ返して調べたのかしらん?
例えば、武満徹は1985年、東山魁夷は1988年に訪れている…らしい。90_2菊池寛は1933年、石川達三は1935年、そして林芙美子は1937年に来たんだって。0000r4a0015 今井正は1954年。
『ひめゆりの塔』や『にごりえ』を撮った翌年。
下は3年前にその『ひめゆりの塔』を観に行った時に舞台あいさつでご登壇された主演の香川京子さんの著書に頂いたサイン。
私は香川さんのファンなのでとてもうれしかった。
大事な宝物のひとつ。
香川さんは今井正、小津安二郎、黒澤明、溝口健二、成瀬巳喜男といった世界に名だたる日本の映画監督とお仕事をされた大女優のひとりなのです。
10_hy 一方、木下恵介と田中絹代は1945年。
この前の年に2人は『陸軍』というプロパガンダ映画で一緒に仕事をしている。
それの打ち上げかな?…と思いたくもなるが、1945年といえば敗戦の年だからね~。
そんなことができる余裕はなかったであろう。00000r4a0021 この『陸軍』という映画はとてもいいですよ。
赤紙が来たらお国のためにスムーズに応召してくださいよ…という戦意高揚のための映画なんだけど、木下さんはクライマックスのシーンで息子を戦地に送り出す母親役の絹代さんの姿をジ~ックリ撮って結果的に反戦映画に仕立て上げてしまった。
「日本映画史上最高の女優」と言われているだけあって、絹代さんの完璧以上の演技に心を打たれない者はいないであろう。Rg先日、新藤さんが絹代さんの伝記を書いていることを知り即刻アマゾンにオーダーして一気に読んだ。
やっぱりスゴイ人の人生はスゴイね。
絹代さんは1909年の生まれ…明治42年。
生誕地の下関には「田中絹代ぶんか館」という施設があるので、いつか下関を訪れてみたいと思っている。
ところで、私が子供の頃は「明治生まれの人」って珍しくも何ともなかったんだよね。
明治の末年に生まれた人は、私が生まれた時にはまだ52歳だったんだから当然だ。
そもそも祖父や祖母が普通に「明治の人」だったし…。
今年は昭和の元年に生まれた人が99歳だからね。
結果…自分の古さにビックリしてしまう。
来年は昭和100年か!
Tk石柱の人物もグッと古くなって…
良寛和尚は1627年。
シーボルトの高弟だった高野長英は1830年だそうだ。
ホンマかいな。00000r4a0058高野長英は何度もMarshall Blogにご登場頂いているが、長崎の「鳴滝塾」でシーボルトの薫陶を受けた岩手の水沢出身の天才蘭方医。
下はその鳴滝塾があったところ。
コレが見たくて長崎までワザワザ行って来た。
ご覧の通りナニもないに等しかった。0r4a0534 長英は『夢物語』という開国政策を支持する本を書き、水野忠邦の幕政下、鳥居耀蔵という強力な攘夷論者の幕臣が実行した「蛮社の獄」という粛清により小伝馬町の牢屋敷に入れられた。
医学の知識と道徳的な行動により牢名主にまでなったが、悪列な環境と鳥居の監視の下では命がもたないと考え、火事の「切り放し」を画策して脱獄。
「切り放し」というのは、火災により止む無く一時的に囚人を開放し、「3日の後に規定の場所に戻ってくれば減刑、戻ってこなければ問答無用で死罪」という非常時の囚人の救難策だった。
長英は牢に出入りする者に頼んで外部から火をつけさせ、切り放された後そのまま逃避行に入った。
幕府の追跡は厳しく、長英はまずは向島の小梅町(スカイツリーの近く)にしばらく潜伏した後、直江津、愛媛、広島、名古屋等、その6年にわたって逃避行を続けた。
その道程を綴ったのが吉村昭先生の『長英逃亡』。
へへへ、今またコレを読み返してるんだ。
「吉村先生の旅」…長崎の次は宇和島へ行ってみようかと思って。
で、長英がその逃避行のはじめの頃に訪れたのが草津の沢渡(さわたり)という所だった。
前回のシゲブログではベルツ先生を取り上げたけど、草津はそのはるか昔から湯治でその名が知られていたことより近隣に医者がたくさん住んでいた。
その中に長英の同僚や教え子がいて、それらを頼って草津に逃げたワケ。
だから高野長英の場合、石柱に名前が彫られていても他の人とは事情が異なり、ノンビリ温泉に浸かりに来たワケでは決してなく、幕府の捕吏の接近にビクビクしながら身を隠すためだった。Ct下は大正末期から昭和初期の草津温泉の絵はがき。
マジでこんなにいっぺんに大勢の人が湯船に浸かっていたのかな?
コレはイヤだな~。「イモ洗い」もいいとこだ。
まるで昔の後楽園プールだわ。
それとも絵はがき用に仕込んだのかな?Jkyコレは「時間湯」とかいう江戸期に始った入浴法で、「湯もみ」→「かけ湯」→「入湯」のストロークを3分で行い、それを日に4度繰り返すというもの。
現在は実施していないそうだ。
で、「湯もみ」とくれば「湯もみショウ」。
下の写真の中ほどの施設で日に何度か催されているがウチはパス。0r4a0007町を散策。130_3射的屋が目についた。
ま、「温泉」といえば「射的」と相場がキマっているけど、湯河原なんかには全くないよ。140_2このイボイボは天ぷら屋だって。
モダンだネェ。145セブンイレブンも…150ローソンも茶色基調。155近くの「白根神社」を参詣する。0r4a0050草津と言えば「白根山」。
その名の通り活火山の「白根山」を祀った神社。
かつては白根山のテッペンにあったが、明治6年に現在に場所に奉遷したそうだ。
階段が結構キツかった。160_3もうひとつ。
コチラは「光泉寺」という名刹。0r4a0060湯畑を見下ろすロケーションが素晴らしい。0r4a0063階段を上って本堂に至る。180_3コレだけですごく疲れてしまった。
190v香川の金毘羅様だってヘッチャラだったのに、こんなに疲れるのはどうもおかしいナァ。
この後、マズイうどんを食べて、宿にもどって早速お風呂。
170_3「ライトアップされた湯畑が美しい」というので夕食後に出かけてみた。200_2なるほど、昼間とは全く異なる風情で…210とても幻想的だ。220_2温泉はコレで終わり。
さすがベルツ先生おススメの「日本の三大名泉」のひとつだけあって、とてもいいお湯でございました。
チョット心配なのは家内の体調。
夕食も残しがちで、朝食はほとんど口にしなかった。
かくいう私も、温泉に来れば5回は入るようにしているのだが、そんな元気はなく今回は3回しか入らなかった。230_2翌日…。
前の日に町をブラブラして時間ツブシに寄ったこの草津町図書館で発見したある設備が気になって寄ってみることにした。K2tそれはコレ。
「重監房資料館」という国が運営している設備。Jkp町の中心から車で15分ぐらい行くと、公団住宅のような同じ住居が立ち並んでいるエリアに出くわす。
410その奥に「重監房資料館」があった。240_3それがコレ。
まだ新しい施設のようだ。250_2コレはナニかというと、かつてこの近所にあった「重監房」というハンセン病患者を監視するための施設を再現している設備。
昔、草津にはそうした隔離施設がある、と父が話していたことを思い出した。
ところが「重監房」というのはそのような通常の隔離施設ではなく、「日本のアウシュビッツ」の異名を取った非人道的な懲罰施設だったのだ。260_2コレが資料館で展示されている「重監房」のレプリカ。2jk2この施設には施設の対応に反抗的な隔離患者が強制的に収容された。
「戒めのための施設」ということになるが、収監者は不幸な病人であり、決して囚人じゃありませんからね。
何しろスキー場があるような自然環境だからして、厳冬期には気温がマイナス15度になるにもかかわらず暖房設備は一切なかった。
部屋には明かりを取るためのごく小さな窓があるだけ。
食事はサツマイモや大根を混ぜて炊いた米に梅干し1ケという粗末なモノで、そのような過酷な待遇が93人の収容者のウチ、22人に衰弱死か凍死をもたらした。
そうした非人道的な待遇からは「特別病室」とは名ばかりの「日本のアウシュビッツ」という異名を取らせているのだそうだ。2_9そこで、実際の「重監房」があった場所を公開しているというので訪ねてみた。
それは現在も稼働している「栗生楽泉園」という「日本ロマンティック街道」に面した施設の入り口からすぐのところにあった。
さっきの「公団住宅のような」と書いた施設はこの療養所の一部だったのだ。
265これがその入り口。280向かって右の門柱には「国立療養所」…300v反対側には「栗生楽泉園」とある。290v_2中に入ってみる。310_2昭和57年(1982年)に取り壊されたかつて門の側にあった門衛所の跡。
320_3そのすぐ近くの石仏。
恐る恐る見て歩いているものだから少々怖い。310v_2案内板に従って門から入ったところをすぐに右に曲がり坂を上って行く。330あたりは熊笹が生い茂っている。
重監房は今入って来た入り口のあたりからは全く見えず、その存在を知らない療養所の職員もいたらしい。335その小道をしばらく行くと「重監房跡」のモニュメントが現れる。340_2施設の見取り図。
「医務室」や「宿直室」の表示が見られるが、使われた形跡はなく、「病棟」を見せかける名前だけのモノだったそうだ。350_2重監房は昭和13年12月の竣工。
ココに8部屋分の施設があった。
「施設」というのは上で説明した監房だ。360_2この設備は厚生大臣の命により昭和22年10月に廃止された。
廃止決定後、証拠隠滅を目的に速やかに設備は取り壊されたのだそうだ。380_2楽泉園のすぐ近くにある「草津カトリック教会」。
映画『ベン・ハー』を思い出す。390現在は40名のハンセン病患者が楽泉園で療養されている。420<最終回>につづく