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2022年6月29日 (水)

I Remember The Town~私の銀座/日比谷/有楽町<その3>

 
引き続き日比谷の「東宝村」から。
ココにはかつて有楽座があった…と。

260その向かいに席数1,200の大劇場「日比谷スカラ座」があった。
270このビルの5階ぐらいだったかな?
ココもよく来た。
確か歌手になる前の研ナオコがココで切符のモギリ嬢をやっていたんじゃなかったかしら?261初めてスカラ座に入ったのは小学校6年生の時。
オバさんに連れられて観た『マイ・フェア・レディ』だった。
そのオバさんはとても私のことを可愛がってくれて、『ダーティ・ハリー2』を新宿のミラノ座へ観に連れて行ってくれた際、ロビーでやっていたMGMのモデルガンの即売会で「44マグナム6インチ」を買ってくれた。
想えばずいぶん気前の良いオバさんだった。
そういえば、そのオバさんは一時期、寅さんの「おばちゃん」の三崎千恵子に着ものの着付けを教わりに行っていたっけ。Mflとにかく『マイ・フェア・レディ』は一発で好きになっちゃった。
もちろんサントラ盤も買った。
1984年、大学の4年生の時には、栗原小巻がイライザを演じた舞台を家内と一緒に日生劇場へ観に行った。
ナゼなら家内の親友が「召使いB」ぐらいの役で出演していたのだ。
3人で「Poor Professor Higgins」を歌っていた。
そのヒギンズ教授が神山繁。
ピカリング教授が増田喜頓。
イライザのオヤジさん役が坂上二郎だった。
もうみんな死んじゃった。
さらに、数年前にはロンドンで新しいバージョンの舞台を観た。
何しろ劇場が『マイ・フェア・レディ』の舞台である「コヴェント・ガーデン」の隣の「ロイヤル・ドゥルーリー・レーン劇場」だったので喜びもひとしおだった。0r4a0038ヒギンズ教授の家がある「ウィンポール通り」にも行ってみた。
もちろん実際には家なんかないんだけどね。
アレはジョージ・バーナード・ショウのつくり話だから。Img_0320 あのイライザの衣装をデザインしてアカデミー賞の衣装デザイン賞を獲得した人はセシル・ビートンというフォトグラファーなのね。
ロイヤル・ファミリーの写真を撮っていた人。
ロンドンでこの人の写真展に行った時にもエラく感動したわ。5cb 次…。
中学1年生の時に観た『ウエストサイド物語』…感動したナァ。
当然コレもサントラ盤を買った。
今でも他のバージョンの演奏を聴くことはそう珍しくない。
何しろこのミュージカルに収録されている曲は、ポピュラー音楽において人類が作り得る最高のモノだと私は信じて疑わないからである。
当然、バーンスタイン好きです。でも、自作の交響曲はツライな。
最近スピルバーグがリメイクしたようだけど、全く興味なし。261f『サウンド・オブ・ミュージック』もスカラ座まで観に来たな。
映画自体にはそう感動しなかった。
普通は最後の「Climb Every Mountain」で泣くんでしょ?
一方、音楽にはメロメロになった。

262fそして、『トミー』。
コレも『大地震』同様「クインタフォニック・サウンドシステム」とかいう音響効果を導入して上映された。
劇場内に入るといつものスカラ座とは様子が異なり、四隅に大きなスピーカーが備え付けられていた。
映画が始まって音楽のシーンになると、それらのスピーカーが容赦ない爆音を炸裂させるのだ。
ま~、まだロックに夢中になる前の子供にはうるさいことこの上なかったワ。
オリバー・リードもジャック・ニコルソンも知っていたけど、まだThe Whoも、エリック・クラプトンもよく知らない頃だったからね。
ティナ・ターナーとエルトン・ジョンがカッコいいと思ったのと、今でもよく知らないポール・ニコラスという人が歌う「いとこのケヴィン(Cousin Kevin)」がとても気に入った。
コレもミュージック・テープを買ったナ。
スカラ座も好きな映画館のひとつだった。

263fその隣り。
ココもガラっと変わっちゃったナァ。
中身は同じ「東京宝塚劇場」なんだけど。
終戦後は米軍に接収されて「アーニー・パイル劇場」として営業していたことはつとに有名だ。280ココには残念な思い出がある。
1978年にWeather Reportが来てココで演奏したのだが、それを見逃してしまったのだ。
『Heavy Weather』の頃の一番いい時のメンバーだったからね。
バンドや「ジャコ・パストリアス」の名前は知っていたんだけど、ロックに夢中だった私にはギタリストがいないバンドなどにとても興味を持つことができなかったんですわ。
今でも後悔している。
その「後悔」は絶頂期のWeather Reportを見逃しただけではなくて、宝塚歌劇など見る機会がない私には、その劇場に入る唯一のチャンスだったのだ!
それを逃してしまった。290vその向かいには「千代田劇場」という邦画専門の封切り館があった。
ココだけはキレイさっぱり一度も入ったことがなかった。
邦画専門だったからね。300しかし…ホントに全く変わってしまったナァ。310私の知っている日比谷の映画館街はこうだった。
上の写真と全く同じ場所だとはとても思えない。
そうだよね、突き当りの三信ビルだけでなく、その向こうのツイン・タワービルもなくなっちゃもんね。
5hby反対側は帝国ホテルのウラ。Ih2 帝国ホテルといえばコレだって言うんでしょ?
フランク・ロイド・ライトが設計したことは有名。
関東大震災の時、ライトはホテルが倒壊しなかったことを遠く離れた地で電話で聞いて大層よろこんだとか。
下が犬山の「明治村」に保存されているその旧帝国ホテル。
さすがにコレは日比谷にあった時に見たことがない…と思って調べてみると、1968年に解体しているではないか。
私が6歳の時だもん、見た記憶なんてあるワケがない。315千代田劇場の横の地下には「みゆき座」があった。
「みゆき通り」に面しているから「みゆき座」ね。
330「エマニエル夫人」が公開された時は凄まじい賑わいを見せていた…のを確かテレビで知った。335f多分、初めてみゆき座に入ったのはビリー・ワイルダーの『フロント・ページ』だろう。
武蔵小山の駅前のたい焼き屋のセガレと観に行った。
オモシロかった。Fp2『ピンク・パンサー2』もココで観た。
コレも期待していたよりオモシロくなかったように記憶している。
ピーター・セラーズはスキだけどね。331f『カッコーの巣の上で(One Flew Over the Cuckoo's Nest)』は1934年のキャプラの『或る夜出来事(It Happened One Night)』以来、41年ぶりにアカデミー賞の主要5部門(作品・監督・脚本・主演男優・主演女優)を獲得したことで大きな話題になっていた。
なんでもかんでも文句をつけてナンですけど、コレも特に感動した記憶がないんだよナァ。
『或る夜の出来事』はメチャクチャ良いです。
私、キャプラ好きだから。Ksuみゆき座のすぐ近く、高速道路の下の西銀座デパートの切れ目には昔、「カレーの王様」があった。
ここのカレーがすごく好きで、日比谷でのお昼はいつもココだった。
コレがあったので、日劇の横にあった「東宝カレー」にはあまり行かなかった…というワケ。
「カレーの王様」って昔の方がおいしかったように思うんだけど、今でも好きで見つけると食べたくなる。
でもお店ってまだあるのかな?
外苑前のお店もなくなっちゃったし…。
調べてみると、かつてはカレー粉のS&Bが経営していたけど、2012年に事業譲渡したのだそうな。350さて、日比谷エリアはコレぐらいにして、晴海通りを進み、歌舞伎町の前を通って東銀座方面へ移動しよう。Thumbnail_img_7779歌舞伎座は外国人を連れて一度だけ入ったことがあったな。
「切り売り」みたいなシステムがあって、部分的に一番上の階で見せてくれる…みたいな。
歌舞伎は観たいと思わないんだよナァ。
文化としては大変興味があるんだけど…。
Thumbnail_img_7780こんなのを演っていた。
『ふるあめりかに袖はぬらさじ』という有吉佐和子作の戯曲。
元は有吉自身の「喜遊の死」という、幕末の港崎遊郭(横浜遊郭)でアメリカ人に見初められた喜遊という女郎が、身請けされるよりも死を選んでしまうという悲しいお話。
玉三郎が歌舞伎で演じて人気演目となったようだ。

359v_2 その喜遊がいた「岩亀楼」という遊郭にあった灯篭が現在の横浜公園に残されている。120v 歌舞伎座を過ぎて築地方面へ向かって、中央通りと昭和通りの間にある橋が「三原橋」。
「橋」といっても川はない。
左手にはパチンコ屋があったような気がするな。
向かいには「ビックリ寿司」というのがあって、Marshallの社長他、外国人を何人か連れてきたことがあった。
Thumbnail_img_7835かつてこの橋の下を流れていた川は「三十間堀川」といった。
慶長年間(1612年)に江戸市中に船が入って来れるように作った掘割が三十間堀川で、その川にかかる橋のひとつが三原橋だった。
写真の下が三原橋。Mhb 終戦後三十間堀川は、GHQの指令により戦災の瓦礫の投棄場となり、1952年(昭和27年)に消滅した。
330kb1951年の成瀬己喜男の『銀座化粧』という作品でその当時の三原橋の様子をチラリと見ることができる。Gkココにもかつては「銀座名画座」と「銀座地球座」という映画館があったが私は入ったことはなかった。
この2つは後に「シネパトス」という名称になったらしい。
ココ、ちょっとした名店街みたいになっていたんだよね。
子供の私にはこんなところ用がなかったので1回ここまで降りて来たことがあったかな?…ぐらいの記憶しか残っていない。
そういえば銀座4丁目の裏通りにある「並木座」も入ったことはなかったな。

Mhbc 昭和通りを越えて、首都高を渡ると右手に現れるのが「松竹」の本社ビル。360vこのビルには「東劇」が入っている。
私がちょうど映画を観に銀座へ来るようになった頃にオープンしたんじゃなかったかな?370『新動く標的(The Drowing Pool)』を観に来たのが最初だったかな?365fジョン・シュレシンジャーの『イナゴの日(The Day of the Locust)』もココで観た。
好きな映画だった。
『エアポート'75』の時にカレン・ブラックのことをそう悪く書かなかったのはコレのせい。
ドナルド・サザーランドっていい役者だった。
『針の目』とかいう作品もメチャクチャよかった。
東劇も何回か来たけど他にナニを観たのかサッパリ記憶がない。
366fその向かい。
今はバカでかいオフィス・ビルになっちゃったけど…380ココには「松竹セントラル」という映画館があった。
アレ?ココっていくつか映画館が入っていたのか?
知らなかったのか、忘れていたのか…それさえわからない。
とにかく、入ったことがあったのは一番大きいヤツだけだったな。

382_2『タワーリングインフェルノ』はココで観た。
自由席がギッチギチで無理をして指定席で観たのを覚えている。
中学1年生だったのにネ。ナマイキね。374f何といってもコレか…中学2年生の時だった。
いよいよ「動くツェッペリンを見る」ことができる!と大喜びで観に行ったのはいいけど、ライブ以外の幻想のシーンがあまりにも退屈で呆れてしまった。
そして爆睡した。
すると「Black Dog」が流れて来ていっぺんに目が覚めたような記憶があるな。

375f今度は東銀座方面。
中央通りを神田方面に向かった銀座の一番ハジッコ。
ココには「テアトル東京」と「テアトル銀座」があった。
あ~、ココもこんなんなっちゃって!
悲しいナァ~。390脇の道を少し行ったところの地下にあったのが「テアトル銀座」。
東宝系のどちらかというとB級作品を上映することが多かった中劇場。
何回か入ったけどやっぱりナニを観たのか覚えていないナァ。
400そんな中で忘れられないのが中学校1年生の時に観た『ケープタウン(The Wilby Conspiracy)』というイギリス映画。
「誰が出ているか」以外にナンの予備知識もなく、はたまた観ようと思って行ったワケでもなく、本当にフラっと入って観た1本。
コレがヤケクソにオモシロかった!
まぁ、13歳の子供の感想だから今観たらどうかわからないけど、ひどく得した気分になったことは確か。
シドニー・ポワチエも死んじゃったもんネェ。
405fマイケル・ケインがイギリスでは超大スターだということはイギリスに行くようになってから知った。
「ロンドン博物館」という所に行くとマイケル・ケインの大きなタペストリーが飾ってあって、そこには「地元でエレファント・アンド・キャッスルなんて言うヤツはいない。キャッスルで十分だ」みたいなことが書いてあったのがカッコよくて「さすがスター!」だと思ったよ。
でも、マイケル・ケインの出身はエレファント&キャッスルではなくて、少し離れた「Rotherhithe(ロザーハイズ)」という所であることを知って裏切られた気分になった。Img_8352 一方、表の方。
テアトル東京はこうだった。
1981年10月末の閉館だというから、なくなってもう41年も経つらしい。
もっと大きい感じがしたけど今見るとさほどでもないことに驚く。
でも私の頭の中はいまだにこの景色だよ。
ココはシネラマが上映できる映画館でね、客席と舞台がなだらかなスロープでつながっているのが特徴だった。12j小学校6年生の時に『パピヨン』を観に行ったのが最初。
コレは親戚のオバさんと母と一緒に観たな。
脱獄を諦めて島に残ることを決意した「ドガ」という役を演じたダスティン・ホフマンを指して「ドガがかわいそうだ」と母が何回も言っていたのをよく覚えている。
訊けば多分今でも言うと思う。
私はパピヨンが虫を食べるところがとても印象に残った。
当時、「スティーブ・マックイーンは撮影の時に本当に虫を食べ」た…という話が広まっていたのでとても衝撃を受けた。
それが今では「近い将来、昆虫は貴重なタンパク源」なんてやってるじゃんか?
勘弁してくれよ。
ちなみにアメ横にある「食べる昆虫の缶詰」はタランチュラが最も高価だ。

Pp

ホラ…「ゼブラ・タランチュラ」が2,600円!
サソリもタガメも1,500円!
高いのか安いのかサッパリわからん!
1,100円の「Orthoptera mix」とは「直翅類ミックス」という意味。
豆じゃない!っつーの!
ちなみに「直翅類(ちょくいるい)」というのは、コオロギ、カマドウマ、キリギリス、バッタ…。
コレが日本人の常食になる日が来るかもしれないっていうんだからクワバラ、クワバラ。Tr翌1975年、中学1年生で初めてひとりでテアトル東京に観に行ったのは『ローラーボール』。
なんかボールペンの名前みたいだな。
この前の年ぐらいに「ローラー・ゲーム」というのが世界的に大流行していた。
「東京ボンバーズ」って言ってね、知ってる?
それにヒントを得て作ったのかどうかは知らないが、乱暴ながらとてもオモシロそうな映画だと思ったよ…予告編までは。
殺人OKのローラゲーム。
映画はローラーボールの試合のシーンはかなりの迫力で、鋼鉄の玉がゴールの磁石かなんかに吸い込まれて得点されるところがオモシロかった。
ところが、その試合のシーンのテンションの高さと他のシーンとの落差が大きすぎて映画自体は期待外れだったナ。
コレって確かノーマン・ジュイソンでしょ?失敗したな…。
ウワ!確認してみると、音楽はアンドレ・プレヴィンだわ!
この極悪の殺人スポーツ、舞台は2018年だって…もう過去じゃん!
それを言ったらシルベスター・スタローンの『デスレース2000年』なんかもっと前の設定だもんね。397f1966年公開の『天地創造(Bible)』のリバイバルを観に行ったのは1976年だった。
コレも見掛け倒しの印象だったナ。
ただ大画面を活かした映像はすごい迫力だった。
コレ、音楽が黛敏郎なんだよね。
ナント、この映画の音楽は、当初ストラヴィンスキーに依頼する予定だったらしい。
それがうまくいかず、有名な『涅槃交響曲』を聴いた監督のジョン・ヒューストンの抜擢で黛さんに決まったそうだ。
394f『ディア・ハンター』は1979年か…。
この映画はとても好きだったナァ。
数年前にベトナムへ行った時、猛烈にこの映画のことを思い出したわ。
まこの映画はタイで撮影したんだけどね。395fそして、テアトル東京で観た映画の中で最も思い出深い作品は何と言っても『七人の侍』だ。
1975年9月、豪雨の中父に連れられてテアトル東京へ向かったのだが、どういうワケか父が地下鉄の降車駅を勘違いして、ほんの少し開映に間に合わなかった。
場内に入ると、異常なまでの満員だった。
多分、久しぶりの映画館での上映だったんだと思う。
当時はビデオなんかなかったからね。
上に書いた通り、この劇場は舞台と客席がなだらかなスロープでつながっていたので、私は父が促すまま舞台に上がって、言い換えるるとスクリーンの真下&真横で観るハメになった。
しかし、3時間半、夢中になって観たのを覚えている。
それから一体何回観たかな~。
20回は軽く観ていると思う。
この映画を観ないで死んでいくことほど不幸なことはない…と今でも私は真剣に思っている。
そして、そうして死んでいく可能性が高い今の若い人たちが本当に憐れで仕方がない。
ま、いっくら言っても年寄の言うことなんか聞かないんだけどね。
 
父と2人で観た映画に関しては『七人の侍』が最も思い出深いのだが、他に錦糸町の江東リッツで観た『ポセイドンアドベンチャー』やナゼか新宿まで観に行った『燃えよドラゴン』も印象深い。
両方とも私が小学校4年生の時だった。
『ポセイドン』の時、シェリー・ウィンタースがあの役を得るために故意に太ったという話を父から聞いて驚いたし、映画を観た後、新宿通りを渡る時にブルース・リーのマネをして2人でフザけ合って楽しかった。
私の映画の師匠だった父が死んでから丸7年が経ったが、今でも、あるいは今だからこそ教えてもらいことや聞きたい話が山ほどあるのはナント皮肉なことか…。
396fそのテアトル東京の中央通りを挟んだハス向かい。
ココには「ラ・ボエーム」というチェーン店のレストランがあって、かつてはココでジム・マーシャルを囲んで関係者の夕食会を開いたことがあった。
そのレストランも大分前になくなってしまった。410以上、我が青春の街、有楽町、銀座、日比谷について3回にわたって思い出を綴らせて頂いた。
書いていて実に楽しかった!
 
しかし、残念ながら忘れてしまっていて、どうしても思い出せないことも少なくなかった。
また、書いてはみたものの思い違いをしている個所もたくさんあることだろう。
そうした状態を避けるために、極力インターネットで調べ正確を期したつもり。
何度も書いている通り、私は父の影響で10歳ぐらいの頃から外国の映画に興味を持ち、映画の雑誌を買い求めて夢中になって読み、父が薦めるテレビで放映される映画は間違いなく全部観て、中学に入って、それから映画館に頻繁に足を運ぶようになった。
ところが、今回この記事を書いて我ながらかなり驚いたのは、私が熱心に映画館に通っていた時期は、中学1年生だった「1975年」のほぼ1年限りだったということ。
おっかしいな~、もっと通っていたように思っていたんだけど…。
中学2年生になって、猛烈な速度と情熱でロックに夢中になって行ったんだな~。
そのロックもずいぶんノメリ込んだけど、せいぜい6年ぐらいの間だった。
それだけの期間で蓄えた知識だけで現在も勝負しているんですわ~。
 
とにかく言えることは「仕込みの早さ」ね。
ま、私の場合は全く大したことはないが、「三つ子の魂」で幼い時にいろんな経験をすることが後々どれほど役に立つかということを思い知る。
やっぱり年を取ってからではダメね。
もうひとつ、現在還暦付近の世代までは、映画にしてもロックにしても、TVアニメにしても、昭和までに育まれたエンターテイメントを存分に楽しむことができた最後の人たちだと思う。
「知らぬが仏」ということもあるが、今の若者は本当に気の毒で憐れだよ。
加えて東京生まれで東京育ちというのもかなりラッキーだった。
 
私の「人生交響曲」も「第4楽章」に入ったが、今までのところ後悔することも特にないし、やり直すのも面倒なので「昔に戻りたい」などとはツユほども思わないが、この抗うことのできない「町の変化」というモノに関してだけはどうにも寂しく、昔に戻してもらいたいという願望が募る。
デューク・エリントンに「昔はよかったね」というスタンダード曲があるが、アレの原題を「Things Ain't What They Used to Be」という。
「物事はかつてのモノではない」…「もうあの頃とは違うんだ」ということ。
やはり、歳を取るのは寂しいことなのね?
 
普通の人にとっては退屈極まりない拙文の羅列にすぎなかったと思うが、私個人としてはいつか今回のようなことを書いて、自分の過去を残しておきたいと思っていたのでキッカケを与えてくれたD_DriveのSeijiさんにはこの場をお借りして厚く御礼申し上げます。
 
キッカケとなったそのSeijiさん作のD_Driveの新曲はコチラ⇒I Remember The Town

Link <おしまい>

2022年6月25日 (土)

I Remember The Town~私の銀座/日比谷/有楽町<その2>

 
また晴海通りと外堀通りが交わる「数寄屋橋」交差点から。
「ソニービルのアソコ」と言った方が正確にロケーションを言い表すことができるか…?
でも、先日ココを訪れた時、その「ソニービル」はなかった。
もちろん、私が通っていた時代のオリジナル・ソニービルがもう大分前になくなっていることは先刻承知。
その後にできたヤツが「つなぎ」だったとは知らなんだ。
ココに通っていた理由は、とにかく地下にあった中古レコード店の「ハンター」に尽きる。
1階にはプレイガイドがあって、前回紹介した東京交通会館内の店を発見するまで何回かコンサートのチケットを買いに来たことがあった。
そのひとつがカラヤンとベルリン・フィルのチケット。
ある時、前回触れた新聞の三行広告でこのコンサートが開催されることを知った。
値段を見ると、ナント、1回の公演の値段がS席で2,500円!
チャイコフスキーとかブラームスとか、4回の公演すべてが「ベスト・ヒット交響楽」的な内容で矢も楯もたまらず4回の公演全て行くことに決心した。
だって全部行ったとしても10,000円だもん。
「クラシックのコンサートってずいぶん安いんだナァ」と大感激したわ。
しかもカラヤンだし。
それでも「音楽の勉強だから」とかナントカ言ってチョット親に助けてもらったのかな?
そして、チケットの発売日に意気揚々とそのソニービル1階のプレイガイドを訪ねた。
まんまとS席のチケットをゲットして1万円を支払おうとすると、プレイガイドのお姉さんがこう言った。
「どうもありがとうございます!全部で10万円頂きま~す!」
「ハ?1枚2,500円で合計1万円のハズなんだけど」…なんてことはとても恥ずかしくて言えるワケがない。
瞬間的に事情を飲み込むことができた。
例の三行広告の文字があまりにも小さくて「25,000円」を「2,500円」と見間違えたのだ。
赤面!
どうにも恥ずかしくてどうやってその場から逃げたのかは覚えていないのだが、マァ~、おかしいとは思ったんだよね。
一番安い席が5,000円ぐらいだったので、今となってはそれを買ってカラヤンを見ておけばヨカッタかな?とチョット後悔している。
 
とにかく就職して地方に赴任するまでココのハンターでロックとジャズのレコードをたくさん買った。
150同時に13歳の時から頻繁に通ったのが、高速道路の下の数寄屋橋ショッピングセンター(今は「銀座ファイブ」というらしい)の2階にあったハンターの「数寄屋橋」店。
いまだに何人かの店員さんの顔も声も覚えてるな。160インターネットでこんな写真を見つけたので拝借させて頂いた。
なつかしいナァ。
ハンターの数寄屋橋店。
こうしてお店がショッピングセンターの通路に面していて、ロックの中古レコードは写真の真ん中のエサ箱に入っていた。
後にすぐ近くに2号店ができて、そこで長年探していたトニー・ウィリアムスの『Emergency!』を見つけた時はメチャクチャうれしかった。
ココでもたくさん買ったな~。
ずいぶんと無駄な買い物もしたけど、「ああ、あの時買っておいてホントにヨカッタ!」という盤もたくさんウチのレコード棚に収まっている。
5hunこの店で初めて買ったレコードはELPの『Tarkus』だった。
「ミュージックライフ誌の人気投票で最近まで1位だったバンド」ということで聴いてみようと思ったのだ。
確か1,000円だったような気がするんだけど、今から46年前で「1,000円の中古レコード」ってベラボーに高かったような気がするな。
だから繰り返し繰り返し聴いた。Tar銀座ファイブの隣のビル。
コレも建て替わった。
ココには3階ぐらいに「ニュー東宝シネマ1」、地下に「シネマ2」という2つの映画館が入っていた。
170v
「シネマ1」は中型の映画館で比較的話題の作品が上映されていた。
あんまり来なかったけど、『明日に向かって撃て』と『ヤング・フランケンシュタイン』をココで観たのは覚えている。
ジーン・ワイルダーってちょっとニガテだったんだけど、コレはオモシロかったナァ。
監督のメル・ブルックスはコレで名を上げて、矢継ぎ早に『ブレージング・サドル』という作品が公開されたけど、コレはスベったように記憶している。173fそれと、今でも映画の情報を与えてくれる大学時代の友人と『赤ひげ』を観に来たのは1984年のこと。
3時間5分…アッという間だった。
その後、DVDを買って何回観たことか…。
原作より映画の方が出来の良い稀有な作品のひとつ。
杉村春子を大根で殴るシーンの度重なる撮り直しで、東宝の撮影所がある成城地区の八百屋の大根がすべてなくなってしまったのは有名な話。
スーパーの「成城石井」は元精肉店で、黒澤明の成城の自宅で毎夜開かれる宴会に納める肉の売り上げで成長したという記述を最近読んだ。

174f「シネマ2」では『レニーブルース』なんかを観に来たナァ。
印象に残っているのは小林正樹の『怪談』のリバイバル上映。
すでに何回か書いているように私は若い頃は邦画を全く観なかったが、コレを観たのは母のススメだったのかも知れない。
「恵子さんの『雪女』がすごくキレイよ」なんて言っていたような気がする。
岸恵子は、母の父方の従姉なので、映画好きの私にその美しい姿を見せたかったのかもしれない。
確かにとてもキレイだった。

Kd
日比谷エリアから銀座方面を望む。
この景色もずいぶん変わったナァ。

175下は数寄屋橋の交差点で撮られた写真だけど、今となっては古い映画の中ぐらいでしかお目にかかれなくなってしまった。
昔はこの森永キャラメルの地球儀の広告がごく普通に目に入ったものだった。
コレは向こうの方に東劇(松竹の本社ビル)が写っているので1975年以降に撮られた写真。

0hstさて、今度は「日比谷」地区…「東宝村」ね。
もう、このエリアの変わりようたるや悲惨だよ。
180v私が通っていた頃はココから左に「日比谷映画」、右に三井銀行が見えた。
道が曲がっているので奥までは見通せない。
この風景、どこか他でも見たことがあるなと思ったら…190コレだ!
日本堤から吉原大門の方を見る風景。
写真の右側の茶色っぽいマンションにはかつて「松葉屋」という引手茶屋があって、1976年、そこにフランク・ザッパがやって来た。Img_4790帝国ホテルの方に向かって少し入った左側。
ここにはずいぶん立派なビルがあって、1階がゲームセンターになっていた。200_2その向かい…あ~あ~、こんなに変わり果ててしまった。
私はココにあったビルに本社を置く会社に勤めていた。
好きな日比谷に本社があるということで喜んでいたけど、入社してすぐに富山支店勤務を命ぜられ、東京に帰って来たのは11年後。
1年だけココに通勤したが、本社勤めの堅苦しさに耐えられなくて辞めちゃった。220ココには2007年まで「三信ビル」という、1929年(昭和29年)に竣工したこんな立派な建物があった。
せっかく空襲にも耐え、終戦直後にはGHQに接収された。
GHQの本部があった第一生命ビルもすぐ近くなので便がヨカッタのであろう。
でもなくなっちゃった。230そのハス向かい。
今は「日比谷シャンテ」なんてビールの出来損ないみたいな名前のビルがあるところ。
「シャンテ(chanter)」はフランス語で「歌う」という意味ですな。
だからフランス語で「歌」は「シャンソン(chanson)」。
イタリア語なら「カンツォーネ(canzone)」、動詞が「カンタ(canta)」だ。

240昔はこういう景色だった。
「日比谷映画」ね。
日比谷映画は本当によく来たな。
東宝系一番の洋画封切り館だったので話題作ばかりがかかったから。12d初めてココに入ったのは『ボルサリーノ2』だったのかな?
1975年の2月の公開というと…小学校6年生か。
間違いなく1人で観てるんだけど、親が例外的に許してくれたのかな?
しかも、映画の雰囲気を後で味わいたくて、ナショナルの「スタジオ・マック」というラジカセを持ち込んで全編音を録音したことを覚えている。
ん~、アレは小学校年生の時だったのか?
中学2年生ぐらいの時かとばっかり思っていた。
246fh_2コレも私のチラシ・コレクションから。
ね、「日比谷映画」でしょ?
247fh_2ウワ!調べてみるとスゴイわ!
1975年の正月興行だった『007/黄金銃を持つ男』に次いで『ボルサリーノ2』が2月から公開され、3月末には『ジャガーノート(Jagdernaut)』というイギリス映画が日比谷映画で上映された。
この映画はオモシロかったナァ。
リチャード・ハリスっていい役者だよナァ…サウス・ケンジントンのジミー・ペイジの家の前の所有者ね。
「赤の線を切るか、青の線を切るか」ってね。
ハラハラしたわ。
コレ、監督がビートルズ映画を撮ったリチャード・レスターだから映画の作り方が上手だったんだね。

5jn4月末になると、『ヤコペッティの大残酷』という映画になった。
コレは小学校の友達の野村くんと観た。
彼のリクエストだった。
私は自分からはこんなの絶対観ないもん。
「モンド映画」ってヤツ。
「ヤコペッティ」だか「ジャコペッティ」だか知らんけど、この手の映画が一時期ずいぶん出回った。
『グレート・ハンティング』なんてのもずいぶん話題になった。
ものスゴく「時代」を感じるナ。
原題を見ると『Mondo Candido』…「mondo」というのはイタリア語で「世界」という意味で、「Candido」は主人公の名前。
だからコレは「キャンディドの世界」ということになるそうで。
今では問答無用で観ないナ。
5dzk
当然、興行成績が振るわなかったんでしょう、ひと月でヤコペッティが打ち切りになって、鳴り物入りで上映されたのが『オリエント急行殺人事件』だった。
コレも観に行った。
ものスゴイ豪華キャストでずいぶん話題になっていたっけ。
だって、リチャード・ウィドマークにアンソニー・パーキンス、ジョン・ギールグッドにショーン・コネリー、ヴァネッサ・レッドグレーヴにローレン・バコール、イングリッド・バーグマンにジャクリーン・ビセット、マーチン・バルサムにアルバート・フィニーだもん。
「ノーマン・ベイツとアーボガスト」から「ジェイムス・ボンド」に「シェイクスピア俳優」まで出てるんだからスゴイ!
ところが、こうなると決まって映画はツマらなくなる。
名匠、シドニー・ルメットとて同じ。
でも、音楽はヨカッタ。
5oexそれから43年後、また現在の豪華なキャストでリメイクしやがった。
今度はケネス・ブラナー、ウィリアム・デフォー、ペネロペ・クルス、ジュディ・デンチ、ジョニ―・デップ、ミシェル・ファイファー…スケールちっさいナァ~。
コレも飛行機の中で観たのよ。
前にも書いたけど、この作品はプロットが陰惨でニガテなのに加えて、どうにも幼稚な感じがしてツラかった。
飛行機の中でなければ最後までとても観れなかったろうな…。
5oex2『オリエント急行』の次は『アラン・ドロンのゾロ』が来た。
1940年のタイロン・パワーの『快傑ゾロ』の焼き直しで、コレも「昔のゾロの方がヨカッタ…」と父が言っていたような気がする。
要するに今の私と同じよ。
新しいモノには何でも文句をつけちゃう。
でも、能天気でオモシロかったよ。
アラン・ドロンのいい時の終盤だったな。245f『ゾロ』の次には『フレンチ・コネクション2』がかかった。
コレも観に行った。
すごくオモシロくて「ジョン・フランケンハイマー」という監督の名前を一発で覚えた。
ところが…後追いで前作を観たらこの『2』のことはスッカリ忘れてしまったナ。
やっぱり「続編」というモノはムズカシイ。
248fその次もジーン・ハックマンで『弾丸を噛め(Bite the Bullet)』。
コレ、ジェイムズ・コバーンにキャンディス・バーゲンにベン・ジョンソン、ジャン・マイケル・ビンセントといい役者が出ていて、監督もリチャード・ブルックスだったのにちっともオモシロくなかったナァ。
あの薬莢を虫歯に被せるシーンしか印象に残っていない。5btbその次はまたイギリス映画の『怒りの日(The 5th of November)』がかかった。
コレは清々しいぐらい内容を覚えていない。
映画の存在すら忘れていたが、この女王のコインを見て記憶が一気に…蘇らない!
でも日比谷映画で観たことは思い出した。
ナニナニ…ロッド・スタイガーにリー・レミック、エリザベス女王暗殺計画の話?
今観たいじゃないか!
Ih…と、中学1年生のボウズが、1974年12月から1975年10月までの約1年の間に日比谷映画で上映された映画合計8本をすべて観た…というお話でした。

しばらく間を空けて1976年に『ファミリー・プロット』で日比谷映画を訪れた。
初めてロードショウ公開で観たヒッチコック。
まだこの頃はヒッチコックも、ビリー・ワイルダーも黒澤明もまだピンピンしていた。Fp同じ年の暮れ『カサンドラ・クロス(The Cassandra Crossing)』という作品を観た。
ナゼか父と母と3人で観たんだよね。
4歳だった妹はその時一体どうしていたんだろうか?
自由席が混んでいたので、2階の指定席で観たことを覚えている。
幼い頃は父や母が別々に映画によく連れて行ってくれたが、3人一緒に観たのはコレ意外に記憶がない。
そして、どうしてコレを観に行くことになったのかが今でもわからない。
日比谷映画は1984年、数軒先の千代田劇場がその名を継ぐことによって閉館した。
Cc日比谷映画のとなり…あ~あ~、こんなんなっちゃって!250ココには有楽座があった。
有楽座も好きな映画館だったナァ。
写真の左側…地下に映画関連のグッズを売っているお店があって1度だけ入ったけど、ナニも買うモノがなかった。12e有楽座も70mmが上映できる大劇場で、初めてココで観た映画はその70mm作品の『大地震』だった。
1974年の暮れの公開なので、私は小学校6年生だったが、1人で来たのかな?
チョット記憶にない。
下のチラシにあるように「センサラウンド・サウンド・システム」とかいう音響装置が据え付けられていて、地震のシーンでは身体が振動を感じるような仕組みになっていた。
コレも映画自体はあんまりピンと来なかったナァ。
今は大地震がマジでコワくて映画どころじゃないわ。
ホント、地震はイヤだ。255f1974~1975年に大規模な「チャップリン・ブーム」があった。
『モダンタイムス』から、『ライムライト』から、片っ端からリバイバル上映しちゃう。
私はほとんど興味がなかったんだけど、『キッド』だけは有楽座で観た。
ものスゴイ満員だったのを覚えている。

259fそして、1975年の8月、初めて黒澤作品を有楽座で観た。
『デルス・ウザーラ』だった。
今はどうか知らないが、昔は日曜日の一番最初の上映は全席を自由席として開放していたので、遠慮なく2階の一番前の特等席で観せてもらった。
撮影中の逸話が多い黒澤監督。
この作品でも色んな逸話が残っているが、最近知ったのはサーカスのトラでは真実味がないと野生のトラを探して捕獲し、撮影に使ったという。
しかし、そのトラが野生なモノだからゼンゼン言うことを聞かなくて、黒澤さんはトラを相手に怒鳴って真剣に演技指導をしたそうだ。
トラは素直に言うことを聞いたかどうかは知らない。
このチラシもいい加減スゴイ。
役者じゃなくて写真が監督だもんね。
でも、感動したな~。
「カピタ~ン」って言ってね。
それで、家内が「観たことがない」というのでつい最近DVDを借りて来て47年ぶりに観てみた。
家内は涙を流していたが、私は相変わらずオモシロかったものの、感動することはなかった。
コレが歳を取るということなのか…。256f『デルス・ウザーラ』の次にかかった『マンディンゴ』も観に行った。
ジェイムス・メイスン、いいんだよね~。
イヤイヤ、それよりもスーザン・ジョージか!
男子はサム・ペキンパーの『わらの犬』なんて夢中になって観たでしょ?
スーザン・ジョージってイギリスのサーリー(クラプトンやジェフ・ベックの地元)出身だってことをつい最近知って驚いた。
てっきりアメリカ人だと思っていた。
しかも私よりたったひと回り上で思っていたよりずっと若かった。
モハメッド・アリのアゴを砕いてボクシング・ヘヴィ級の世界王者になったケン・ノートンが出演していたことも大きな話題になった。
私はこの映画が結構好きだった。
ところが…これまた最近読んだんだけど、大好きな中村とうよう先生が当時書いたエッセイでこの作品をクッソミソに酷評しているのを知った。
監督は巨匠リチャード・フライシャーなんだけど、劇中の黒人の歴史的な取り扱いがいい加減であるという理由だった。
ま、でも映画としてはオモシロいと思う。

Mdg飛んで1981年。
6月に有楽座に来たのは『エレファント・マン』を観るためだった。
家内との初デートだった…こんなのに連れて来てしまって申し訳ない。
でも、どうしても観たかったのよ。
残念ながらあんまりオモシロくなかったナ。

257f同じ年、もう一度家内とのデートで有楽座へ来た。
『レイダース 失われたアーク』を観た。
コレは文句なしで、家内と夢中になって楽しんだ。
この時が私の最後の有楽座だった。
有楽座がなくなったのは1984年のことだったそうだ。

258f<つづく>

2022年6月23日 (木)

I Remember The Town~私の銀座/日比谷/有楽町<その1>

 
タイトルの「I Remember The Town」とはD_Driveの新しい曲のタイトルのこと。
今となってはスッカリ変わってしまった昔慣れ親しんだ町にSeijiさんが郷愁を募らせて作った曲だ。
そこに人が暮らしている以上、「町」は変貌を避けることができない。
その曲を聴いていて、「しからば私が郷愁を寄せる町はどこか…」などと考えてみた。
東京で生まれて東京で育った私が郷愁を寄せる町といえば、必然的に「東京」ということになる。
それも「映画」か「音楽」に因んだ場所になることは必定なのだが、ココは「映画」だろうナァ。
「映画の町」こそが私が郷愁を募らせる場所。
 
私は映画狂の父の影響を受けて10歳になる前から海外の映画に慣れ親しんだ。
と言っても、まだ小学生の時分には1人で自由に映画館へ行くことは許されなかった。
それでも、小学校6年生の時にタマタマ応募した試写会の抽選が当たって、親に許しを乞うて行かせてもらったことがあった。
会場は内幸町の飯野海運ビルの中の「イイノホール」。
昔のイイノホールね。
今にして思うに、後年舞鶴の飯野海運の直系子会社と仕事をしたのはこの時のことが縁だったのか?
ココは当時よく映画の試写会で使われていたホールで、この後何度足を運んだかわからない。
よくトイレで福田一郎さんにお会いした。
とにかく、よくも小学校6年生の子供を夜にひとりで出かけさせてくれたと思うわ。
その試写会の映画とはトニー・カーティス主演の『暗黒街の顔役(Lepke)』だった。
「Lepke(レプケ)」というのは、1930年代、ニューヨークで「Murder Inc(殺人株式会社)」という組織を率いて、アメリカの大物ギャングで最初で最後に死刑になったルイス・バカルターという物騒なヤツのニックネーム。
「試写会」がどういうモノか全く知らなかったのでドキドキしながら観たが、コレのおかげでメナヘム・ゴーランという監督やアンジャネット・カマ―という女優の名前を覚えた。
先日『刑事コロンボ』を観ていたらアンジャネット・カマ―が出て来て、この試写会のことを即座に思い出してしまった。
一方、トニー・カーティスは『お熱いのがお好き』や『グレート・レース』、『空中ぶらんこ』なんかでこの時にはもうすでに知っていた。
だから映画に関しては、仕込みが早かった方だと思う。

Lpk_2 中学生になって電車で通学するようになると、堰を切ったように映画館に足を運ぶようになった。
行き先は有楽町、あるいは日比谷、あるいは銀座。
当時はまだ土曜日に学校があったので、日曜日が来るたびにそれらの町に出かけ、1日に2軒ハシゴをすることも珍しくなかった。
全部ロードショウ。
名画座に行くことはほとんどなかった…おぼっちゃんだったから。
…というのはウソで、お小遣いを全て映画に費やしたのだ。
中学の2年生ともなるとロックに夢中になり、日比谷や銀座へ行く目的が映画から中古レコードに替わって行った。
「ハンター」と「Lo-Dプラザ」である。
だから考えてみると、そう長いこと映画を観るためだけに日比谷や有楽町に通っていたワケではないのだが、何度も入った映画館が片っ端から姿を消すか、移転するかして町の様子がスッカリ変わってしまったことについてはとても寂しい思いがするのだ。
そんな映画と映画館の思い出を綴って私の「I Remember The Town」をいくつか編んでみたいと思う。
何しろもう40年も前のことなので、記憶違いの記述も多くなるかも知れないが、インターネットの協力を得てできるだけ事実に忠実に書いたつもり。
また、どう調べても情報が得られなかったことは極力「当たらずとも遠からず」となるよう努めた。
 
まずはJR有楽町の駅。
私が映画を観に通っていた頃は当然「国鉄」の時代。
写真の左、線路沿いに行くと、そこにはまだ東京都庁舎があって、今のビックカメラはデパートの「そごう」だった。
ところで、有楽町の駅って駅舎がないんだよね。
御徒町や神田なんかもそうだわ…新橋もかな?
ガード下の空間が駅舎を兼ねている。10この出口の向かいビルの2階にあったのが「スバル座」。
このディスプレイ、昔からあって、スバル座で上映している映画のポスターが貼られていた。
15vキャパは150席ぐらいだったろうか?
B級映画の封切り館だった。
12g_21974、75年ごろ、フジテレビ(だったように記憶している)が夜中に『洋画の窓』という5分枠の番組を放映していた。
何のことはない…1分ほどの洋画の予告編を2本流すだけの番組。
ビデオすらない時代だから、動いている映画に接することができる機会はテレビしかなかった。
だからそんな予告編だけでも映画に接することができるのがうれしくて、テレビの前にラジカセを置いて音だけ録って、何度も聴き返してはまだ観ぬ作品に思いを馳せていた頃があった。
そんなある日、『洋画の窓』で紹介されたのがブライアン・デ・パルマの『ファントム・オブ・パラダイス(Phantom of the Paradise)』だった。
デ・パルマはまだ全く無名だったし、『オペラ座の怪人』もポール・ウィリアムスもゼンゼン知らなかったが、主人公が被った不気味な銀色の仮面と電気的な声に大きな魅力を感じ、公開されてすぐ観に行った。
その封切館がスバル座だった。
も~、ものスゴク面白かったね~。
大好きな映画だった。
近田春夫さんの「JUICY FRUITS」や「BEEF」というバンド名がこの映画から引用されていたことに気が付いたのは大分後になってからのことだった。17fB級映画の小さな封切館ということからか、敷居が低くとても入りやすい映画館だったナ。
何度も入ったけど、他に何を観たかはもう思い出すことができない。
 
2020年からよしもと系の劇場になったそうだ。
ということは、かなり最近まで「スバル座」だったのね?
知らなかった。16有楽町駅のガードをくぐる。
目の前に丸井がドーン!
もうこの右側のあたりは私が知っている有楽町の原形を全くとどめていない。
30変わらないのはこの東京交通会館。
今では10年に1回、パスポートを更新する時以外に来ることはないのだが、高校生の頃は頻繁に訪れていた。20それはもちろんパスポートの更新のためではない。
話は飛ぶが、昔は新聞の三面記事の下の方に出ているいわゆる「三行広告」で外タレの来日の情報を得たものだった。
「外タレ」なんて言葉ももう死語だな。
「ひろし もう大丈夫だから帰って来い たかし」とか、「新聞配達員急募!」とか、そういう極めてプライベートな広告の隣に平気で「エアロスミス待望の初来日決定!」とか載っちゃう。
ロックバンドだけじゃない。
カラヤンの来日公演の情報だってそういうところに出ていた。
下みたいなヤツね。
「僧侶(真言宗)」募集ってのもスゴイね…「有資格者に限る」か。
まぁ、そりゃそうだろうナァ。寅さんじゃあるまいし。
毎日必ず朝刊に載るこういう欄をチェックして「お!リック・ダンコが来るゾ!」とか言って、チケットの発売日の朝にプレイガイドに並ぶワケ。
ああいうのひとつぐらいスクラップしておけばヨカッタな~。
3cad_3
高校の頃、東京交通会館に頻繁に来ていた理由は下の写真。
今はジュース屋になっているが、1階の入り口のすぐ横のこの場所に小さなプレイガイドがあった。
上の三行広告で情報を仕入れては、よく南青山のウドー音楽事務所の前にできる列に並んでいたんだけど、何かの拍子にココのプレイガイドを見つけて、ある時試しにチケット発売日の朝に来てみた。
場所は有楽町の駅前の好立地だからね、ウドーさんの事務所の時みたいにかなりの行列を覚悟したんだけど、誰ひとり並んでいなかった。、
何のコンサートだったかは忘れたけど、前から数列目の良い席を取ることができた。
もうそれからは必ずココ。
この店には興行主から割り当てられることがないのか、真ん中の最前列とか2列目なんて席を取ることはできなかったが、少しハジであれば2列目ぐらいの席を簡単に取ることができた。
サンプラザのUFOとか渋谷公会堂のNazareth、後楽園ホールのロイ・ブキャナンとかフランク・マリノなんてのは本当に前から2列目だった。
Wishbone Ashの時は友達と5、6人で行くことになっていたので、まとまった席が必要だった。
それでも全く並ぶことなく前から7列目の真ん中の席を取ることができた。
とにかく肉眼でステージの上の外タレの顔をハッキリ見れることが滅法うれしかったワケ。
Aerosmithが初めて日本に来た時に武道館の2階席から見たスティーブン・タイラーなんてスイカの種より小さかったからね。25東京交通会館の向かいにあった老舗喫茶店「レバンテ」。
ココに入り浸っていた…とかいうのではなく、この喫茶店は松本清張の『点と線』に出て来ることで知られていた。
もう写真の場所には存在しないけれど、どこかへ移転して同じ名前で営業しているんじゃなかったかな?35駅前の通り。
ココもゼンゼン変わってしまった。
今のマツキヨがある場所には「ジャーマン・ベーカリー」という洋菓子屋兼喫茶店があった。
自分ひとりで入ったことは一度もなくて、中学生ぐらいの頃、彼女が出来たら「ジャーマン・ベーカリーでお茶をする」のが夢だった。
結局今の家内と1回だけ入ったきりだったナ。
もう40年以上前の話よ。40その向かい…キノコの人形が置いてあるチョット先に「有楽シネマ」という小さな映画館があった。
2本立て専門のいわゆる「二番館」。
45『ミッドナイト・エクスプレス』をココで観た。
併映はナンだったか全く覚えていない。
それ以外にもホンの数回利用したんだけど何を観たのかは、やっぱり覚えていない。
後年…といっても大分前のことだが、海外のマネをして、参加型の『ロッキー・ホラー・ショウ』をココで上映していた。
スクリーンに向かって米とかを投げたりするヤツね。
私は興味なかったナ。55fその駅前の通りをマリオンの方に進んで左に曲がる。60ココもマツキヨか…。
昔は小さな木造(だったと思う)の店舗が並んでいて、角から3軒目ぐらいのところに山田うどんが経営する「カントリー・ラーメン」という立ち食いラーメン屋があった。
1975年の頃で140円ぐらいだったかナァ。もっと安かったかも知れない。
映画にお小遣いを使い果たしてしまうモノだから、何かを食べるとなると大抵ココだった。
ラーメンか…。
私が小学校低学年の頃はまだラーメンが100円以下だったのを覚えている。
立ち食いそばは50円だった。
かつてラーメンといえば、「給料日前だからラーメンしか食べるものがない」という類の食べ物だった。
父が職人だったので、私は家庭内におけるこの「給料日前」という意味や感覚がわからなかった。
同時にラーメンというのはそんなに位の低い食べ物なのか…という印象を持った。
それが今ではミシュランだからネェ。
私にはそんな刷り込みがあるモノだから、今でもチョット値段が張るラーメンを食べることに大きな抵抗感があるし、実際に食べることもない。
だいたい最近はスープがドロドロしているラーメンが多すぎるんじゃ!
なつかしいな、カントリー・ラーメン。70_2この通りの突き当り。
80外堀通りを渡ったところに東映系の封切り館があった…というか、ココが東映の本社。
映画館の名前は「丸の内東映」だったかな?
地下は「丸の内東映パラス」といった。
ちなみに今の東映の社長って「手塚治」さんとおっしゃるそうだ。
106v路面館である丸の内東映は邦画の封切り館だったので、子供の頃に入ったことは一度もなかったが、大学生の時に家内のリクエストで吉永小百合の『天国の駅』というのを観に入った。
後にも先にもコレ1回っきり。
え?コレは「日本で戦後初めて死刑を執行された女囚の物語」だって?
調べてみるに「ホテル日本閣殺人事件の『林葉かよ』」…ウーム、コリャなかなかスゴイ話だな。
ナニも覚えてないわ。
家内はよほど感動したらしく、ずいぶん涙を流していたナァ。
今回、この映画のモチーフがその殺人事件だったらしい、ということを説明するとかなり驚いてこう言った…「ナニも覚えてないワ」
ま、そんなもんです。
107f私の古いチラシのコレクションから。
『第2回 日本映画名作祭』…丸の内東映ではかつてこんなイベントをやっていた。
私は98%ぐらいの洋画派で、若い頃は黒澤明の作品以外の邦画を観ることはほとんどなかった。
ところが、洋画もハリウッド映画が凋落の一途をたどって久しく、幼稚なヒーローものやディズニーのお子様向けアニメのようなモノばっかりになってしまった昨今、日本映画に活路を見出している。
といっても、たとえ「ナントカ賞」を獲得した作品にしても最近のモノは絶対に観ませんよ。
1950~60年代初期の古い日本映画が破天荒にオモシロいのだ。
このイベントが開催されたのは1976年の2月だというから私は中学1年生。
当然、当時はこんな渋い邦画を観るワケなどなくて、何でもいいからとにかく映画のチラシを集めていた。
今なら全部観てもいいわ。

0r4a0064

0r4a0065 

一方、その地下の丸の内東映パラス。
ココは一度も入ったことがなかったナァ。
東映が配給するBC級洋画の封切り館という感じだった。
何しろこんなばっかだもん。
コレも私のチラシ・コレクションから。
B級といっても『悪魔のはらわた(Flesh for Frankenstin)』なんかは制作がカルロ・ポンティで、美術がアンディ・ウォーホルということで公開時には話題になっていたな。
0r4a0056コレは上のチラシの裏面。
ね、「丸の内東映パラス」でしょ?
この3つのウチだと『悪魔のいけにえ』だけテレビで観たな。
結構オモシロかった。
この『悪魔のいけにえ』の原題は『The Texas Chainsaw Massacre』という。
0r4a0058_2そう、コレは後年、オリジナルと同じタイトルでリメイクされた。
このリメイク版はヨカッタね。
脚本がシッカリしていて、カメラもウマかった。
と、思ったらこの映画、批評家の間ではクソミソだったとか…ほっとけ!
悲惨な目に遭う若者たちって、レーナ―ド・スキナードのコンサートに行く途中という設定になっているんだよね。Tcsmさっきのマツキヨの前まで戻って来る。
右手には有楽町マリオン。
向こう側のハジッコに「丸の内ピカデリー」があって、その地下には「丸の内松竹」があった。
最初、「ピカデリー」ってナンダ?と思ったな。
85コレがホンモノのロンドンの「ピカデリー(Piccadilly)」。
発音は「キャ⤵ディリ⤵」。
最初コレを耳にした時あまりにも変な発音で思わず笑ってしまった。
ロンドン最大の繁華街、ウエスト・エンドの中心地。81上の写真の向かいがこのロンドンのシンボル的光景。
私が初めてココへ来た時はこの電飾の広告がSANYOやTDKだったんだけどね…。0r4a0698 ココには「シャフツベリー通り(Shuftesbury Avenue)」という劇場街がある。
昔の「浅草六区」みたいなもんですな。
きっと世界のショウビジネスの中心であるこのエリアにあやかって「丸の内ピカデリー」なんて名前にしたのだろう…と今になって思っている。
ところで、ロンドンで道路の名前に「アベニュー」が用いられているのは珍しい。
たいていは「Street」か「Road」だから。
Img_0045コレが在りし日の「丸の内ピカデリー」と「丸の内松竹」。
「ピカデリー」の方は天下の松竹の洋画封切り館の代表とだけあって、 いつも大作がかかっていた。
何回入ったことか…。

88また私のチラシ・コレクションから…『エクソシスト(The Exorcist)』。
スゴいデザインだと思わない?
作品のタイトルよりも封切り日の情報の方が大きい。
日本での公開は1974年の7月13日だった。
残念ながらこの日は土曜日で、金曜日ではなかったんだね~。
ロードショウ映画の公開は土曜日にスタートするのが普通だったから。
松竹の宣伝部の人たちも悔しかったことだろう。
それともうひとつスゴいのは、建物内の2つの映画館で同じ作品を上映したんですわ。
それだけの動員を見込むことができたワケ。
1974年というと昭和49年…ビデオが普及するのはまだ4~5年先のことで、まだまだみんな映画館へ足を運んでいた時代。
この時、私はまだ小学校6年生だったのでココに観に来ることはなかったが、スポーツ新聞に「失神者続出!」なんて記事が載っているのを見て「そんなにコエェ映画なのか!」とビビったのを覚えている。
イヤ、その頃は「ビビる」なんて言葉はまだなかったかも知れない。0r4a0062結局、中学に入ってから後追いで観た。
悪魔が憑りついてリーガンがおかしくなっちゃうシーンは迫力があって圧倒されたけど、映画としてはそれほどオモシロいとは思わなかったナァ。
失神するどころか、よくわからなかった。
すごく印象的だったのはリーガンが「コックリさん」をやるシーン。
『エクソシスト』より先に『うしろの百太郎』で「コックリさん」が取り上げられて学校で流行ったからあのシーンにはゾクっと来たね。
海外ではアレを「ウイジャ・ボード(Ouija board)」というらしい。
「ouija」とはフランス語とドイツ語で「はい」を意味する「oui(ウイ)」と「ja(ヤー)」をくっつけた造語だそうだ。
ちなみにこの映画で一気に有名になった「exorcist(エクソシスト)」という単語の動詞は「exorcise(エクソサイズ)」で、「悪魔祓い」という意味だけではなくて一般的に「お祓いをする」という意味合いでも使うことができるようなので今度何かの折に使ってみよう。
しかし、「exorcise」と「exercise」…ひと文字でエライ違いだな。Ob_3 

『ジョーズ』を丸の内ピカデリーで観たのは中学1年生の時だった。
その時、私はもうリチャード・ドレイファスは『アメリカン・グラフィティ』で、ロバート・ショウは『ロシアより愛をこめて』で、ロイ・シャイダーは『フレンチ・コネクション』でそれらの名前を知っていた。
こんなヤツ、間違いなくクラスで私だけだった。
とにかくオモシロかったよネェ。
はじめ「ジョーズ」って「サメ」の一種かと思っていた。
後にそれが「アゴ」を意味すると知って結構驚いた。

83f_3 私は子供の頃からミュージカルがとてもスキだったので『ザッツエンタテインメント』には興味津々だった。
古今のミュージカル映画の名シーンをダイジェストにしたこの作品を指して、映画の師匠であった父は「あんな宣伝みたいな映画は観る必要がない」と言っていたのを思い出す。
そりゃ、自分は全部丸々観てるんだからいいよ。
ビデオがない時代、こちとら『雨に唄えば』すら自由に観ることができなかったんだから!
ということで、やはり丸の内ピカデリーに観に来た。
今では「エンタメ」なんて平気で言っているけど、この頃は日本ではまだ「エンタテインメント」なんて単語は未知のモノだった。
「70mm」か…そうだね、丸の内ピカデリーは70mmをかけることができる映画館だった。
もう「70mm」だとか「シネラマ」なんて言葉も死んだね。84f中学2年の時にキューブリックの『バリー・リンドン』を観たのも丸の内ピカデリーだった。
生まれてはじめてのキューブリックだった。
私は映画はたいていひとりで観に行っていたが、コレは仲良しの安藤くんと行ったように記憶している。
まぁ「キューブリック」ったって子供にはわかりにくいわねェ。
『2001年』なんかいまだにチンプンカンプンだもん。
それでも見せちゃうのがキューブリックのスゴイところ。
長いでしょ、『バリー・リンドン』…3時間5分だもん。
それでも比較的退屈しないで観ることができたナ。
今ではキューブリックの作品中、1、2を争うお気に入りの作品。
争っている相手は『博士の異常な愛情』かな?86f音楽もすごく印象に残ったんだよね。
とりわけシューベルトの「ドイツ舞曲第1番」という曲が気に入って、お茶の水の駅の横にあった小さなレコード店へミュージック・テープを買いに行った。
レコード・プレイヤーを持っていなかったのでカセット・テープよ。
「こんなのキミが聴くの?」と店のオジさんが驚いていた。
中身はバロックだからね。
 
この時から43年。
ロンドンで観た『スタンリー・キューブリック展』は本当にオモシロかった!
『バリー・リンドン』について書いた記事はコチラ
    ↓     ↓     ↓
イギリス紀行2019 その20 ~ スタンリー・キューブリック展 <vol.9>
Bl 
1975年当時は「パニック映画」ブームだった。
と、簡単に言うけど、当時「パニック」という言葉も一般的には知られていなかった。
この「panic」という単語はそのブームのおかげで「事故」とか「惨事」みたいな意味だと思われているようなフシが今でもなきにしもあらずだけど、本来は名詞なら「恐慌」とか「大慌て」という意味だし、動詞なら「うろらえる」とか「あわてふためく」とかいう意味。
何やら失敗をしてしまって「さぁ、どうしよう!」と慌てていると「Don't panic!」と言われる。
 
とにかく「パニック映画」はキャストが豪華な大作が多かった。
今にして思うとハリウッド映画の最後の悪あがきだったのかも知れない。
丸の内ピカデリーで観たこの『エアポート'75』もしかり。
チャールトン・ヘストンにジョージ・ケネディ、ナゼかグロリア・スワンソンも出ていて、『エクソシスト』で大スターになったリンダ・ブレアも出演していた。
ともすれば個性が強すぎるルックスのカレン・ブラックが主役のスチュワーデスを演じていたのはどういうワケだったのか?
後でまたカレン・ブラックは出て来るけど、私はキライではないのだが、もう少し見目麗しき方に主演をお願するべきではなかったか?
結果…コレはオモシロくなかったナァ。
そのことだけ覚えている。87fh_4こんなのも丸の内ピカデリーで観たわ。
イヤ、正確に言うと「観ていない」。
子供にはサッパリわからなくて、映画館の中に入ったものの比較的すぐに出て来ちゃった。
チラシをタンマリもらったので後悔はしなかったような気がする。5reni最後に丸の内ピカデリーに入ったのは家内とのデートで観た『E.T.』だった。
1982年か…我々が大学2年生の時だわ。
丸の内ピカデリーは1984年にマリオン内の本館内に移り、我が青春の「丸の内ピカデリー」は消滅した。
ちなみに『E.T.』は旧丸の内ピカデリーでの動員数トップを記録したそうだ。
そのウチの2人が私と家内というワケ。Et さて、丸の内ピカデリーの地下にあったのが丸の内松竹。
ココは何度かB級作品を観に行ったことがあったが、それらがナンだったのかはどうしても思い出せない。
ひとつだけ覚えているのが下のダブル・フィーチュア(2本立て)。
ナゼか組み合わせが『ロッキー』と『幸福の黄色いハンカチ』だったんだよね。
コレはロードショー公開ではなくて、大ヒット作のリバイバル上映。
松竹が「ヒット作自慢」でもしたかったのであろうか?
人気作の組み合わせだけに場内は超満員で立錐の余地が全くなかった。
『ロッキー』はナンの仕掛けもなくて飽きたナァ。
2本観てひとつ覚えて帰ったのは『ハンカチ』で健さんが武田鉄矢に向かって言うセリフ…
「オマエみたいのをナァ…『草野球のキャッチャー』いうんじゃ…………ミットもない」
健さん、精一杯のギャグ…お上手!

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ではそのマリオン…と行きたいところだけど、できたばかりぐらいの時に『ゴーストバスターズ』かなんかを1回観に行っただけなのでナンの思いもありません。
でも、ココが日劇だった時代の思い出はたくさんある。

120 日劇の前、晴海通りと外堀通りの交差点にある宝くじ売り場は、「よく当たる」ということで今でも年末にもなると、はかない夢を見る一般大衆で長蛇の列ができる。
昔はその横に停めた街宣車の上で白髪のコワい顔をした老人がツバを飛ばしていつもガナっていたものだった。
赤尾敏である。
私はまだ子供だったので、その熱弁に耳を傾けたことが一度もなかったが、今でもこの景色はあの演説と「組み」になっているような感じがする。100そういえばこの角の不二家って昔はこんなだった。
懐かしいな~。Fjy 在りし日の日本劇場。
コレもヤケクソに懐かしい!
写真の向かって右に写っているのは朝日新聞の本社。
ココには印刷所があって、いつもインクのニオイがプンプンしていた。
向かって左はさっき出て来た「そごう」。110 このマリオンの建物の分かれ目の辺りだったかナァ?
日劇と朝日新聞の間に道路が走っていた。
日劇の横には「東宝カレー」という東宝が経営するカレーショップがあって、タマ~に食べることがあった。
ナゼ「タマ~に」だったかの理由はまた後ほど。
で、その隣に同じく東宝映画の小さい小さいグッズ・ショップがあった。1301970年の『どですかでん』以来、ソ連で5年ぶりに作った『デルス・ウザーラ』の公開を記念したのか、黒澤明が『天使のように大胆に!悪魔のように細心に!』という本を上梓した。
1975年のことね。
その東宝のグッズ・ショップがこの本を徹底的に宣伝していたのを覚えている。
というのは、この本のタイトルがとても印象的だったから。
「天使のように大胆に!」ってナンでだ?
「悪魔のように細心に!」ってどういう意味だ?…ってな具合。
この本はいつか読みたいと思っている。
でもアマゾンで高いのよ。ブックオフでひたすら待つ!(←今ココ)Akb日劇に入った記憶は残念ながらないんだけど、その地下にあった「丸の内東宝」にはよく行った。
東宝系のB級洋画を上映する映画館でね。
『デアボリカ』とか『ストリート・ファイター』とかブルース・リーの『グリーン・ホーネット』とか…。137その中でひと際印象に残っているのがチャールズ・ブロンソンの『ブレイクアウト』という作品。
「脱獄」の「Breakout」ね。
D_Driveが7弦ギターを使って演奏するのも「Breakout」。
当時、ブロンソンってものスゴイ人気だった。
また、奥さんのジル・アイアランドを出演させては脱がす。
どうしてそんなことをするのか父に尋ねたことがあった。
「キレイなカミさんだから自慢してぇんだろ」だって。136f_2『サブウェイパニック(The Takingf of Pelham One Two Three)』もココで観たな。
ウォルター・マッソーにロバート・ショウにマーチン・バルサムだぜ!
アメリカ映画もいい脚本を書けるヤツがいなくなり、また、こういういい俳優がいなくなってしまって丸っきりダメになってしまった。
原題にある「Pelham One Two Three」というのはニューヨークのレキシントン・アヴェニューの地下を走る「Subway 6」の車輛の名前。
原題は「ペルハム123の分け前」という「地下鉄ジャック」の話。
地下鉄なんて乗っ取ったところで、いつかは地上に上がらなければならないんだから絶対に捕まっちゃうワケじゃない?
ソコがこの話のオモシロいところ。
ところがニューヨークの地下鉄は模倣犯が現れることを恐れて撮影を許可しなかったんだって。
代わりにカナダのトロントの地下鉄でロケをしたそうだ。
ロバート・ショウの最後のシーンね、アレ本当にああなっちゃうのかしらん?
 
コレに関して覚えていることがあって、この映画が封切られる前の1974年か75年の話。
「アナタは眠らないでぶっ続けで24時間映画を観ることができますか?」みたいな映画会社の企画があった。
私は当時まだ子供だったので参加することはできなかったし、そもそも夜に弱いから。
24時間の間に上映される作品は新しいモノではなくて、確か映画ファンなら絶対に観ているような名作ばっかりだったハズ。
そんなだから映画通の参加者たちはどうしたって眠くなる。
その代わり最後まで起きていた人は、ご褒美としてその時はまだ未公開だった『サブウェイパニック』を観ることができる…というさほどありがたくない企画だった。
そういう話題の作品が『サブウェイパニック』だったというワケ。
廃れたとはいえ、まだまだ「映画館で映画を観る」という文化が残っていた時代の話よ。
ちなみに『サブウェイパニック』の音楽を担当したのはデヴィッド・シャイア。

5sp_2コッポラに『ゴッドファーザー』の前年に撮った『カンバセーション…盗聴…(The COncersation)』という作品がある。
この音楽もデヴィッド・シャイアだった。
私は有楽町ではないどこかの名画座で観たんだけど、キッカケはデヴィッド・シャイアがその映画のために作曲したテーマソングだった。
ジーン・ハックマン扮するプロの盗聴屋が、殺人事件に巻き込まれてしまう。
その秘密を知ってしまった盗聴屋は気が付かないウチに今度は自分の素行が盗聴されていることに気づく…この後、何が起こるかは観てのお楽しみ。
コッポラは実にていねいにこの盗聴屋の精神状態を描いていくんだな~。
バツグンにオモシロイよ。
無名時代のハリソン・フォードが悪役でチラリと出て来る。

Cv 
そのプロの盗聴屋が仕事で使うテープレコーダーのリールがユックリ回るようすをデヴィッド・シャイアは変形マイナー・ブルース形式と不気味なピアノのメロディを用いて仕上げてみせた。
この曲をラジオで聴いて大きな衝撃を受け、映画がどうしても観たくなったのだ。
その曲というのがコレ。

日劇の地下には丸の内東宝の他に「日劇文化劇場」という映画館があった。
ココは当時ATG作品を専門にかけていたので、邦画に興味がなかった私には無縁の映画館だった。
ところが中学1年の時にたった1度だけ入ったことがあった。
何を観に行ったのか…?112cそれはザ・ビートルズ。
『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』と『ヘルプ!』と『レット・イット・ビー』の3本立て。
最後に上映した『レット・イット・ビー』の頃には尻の激痛でおおよそ映画どころじゃなかったナ。
ビートルズの映画とは関係なしに、時期的に私はこの頃からロックにノメリ込んで行った。
135f_2<つづく>

2021年1月27日 (水)

ローリング・ココナッツ・レヴュー・ジャパンの思い出

 
その昔、『ローリング・ココナッツ・レビュー・ジャパン・コンサート1977』というイベントがあったのをご存知であろうか?
先日、Marshall Blogのジミ・ヘンドリックスの記事でリッチー・ヘイヴンスのことを書いていて「そういえば、この人…観たことあるんだよナァ」と、そのイベントのことを思い出した。
1977年だから、44年前のこと。
私がMarshallを生業としてヘヴィメタルやブリティッシュ寄りの世界にいるせいか、今の今までミュージシャンや音楽関係の方とこのイベントについての話をしたことが一度もない。
企画から出演者までいかにもアメリカ然としたイベントだったし、もう周囲には適齢期に70年代の音楽をナマで体験した人がそうは多くなくなってきたからね。
なんか、思い出したらとても懐かしくなってしまって、かろうじて覚えていることをココに記録しておくことを思い立った。
 
まずは、1977年がどんな年だったか…。
総理大臣が三木武夫から福田赳夫に変わった年。
こうして見ると、昔の政治家って年取ってるな~…と思ってこの人たちの1977年当時の年齢を調べてみると、我が先輩の三木さんは70歳、福田さんは72歳だった。
となると、今の政治家より格段に貫禄があるナァ。
今は国会議員の4割が世襲議員だってサ。
同じ血脈ゆえ政治家としての本質が変わらないところへ持って来て世の中がドンドン変わっていくから加速度的に世間の状況が悪くなっている…と思いませんかね?
まずはマスコミの改革が先決だろうけど?

Miki

Photo 青酸コーラ無差別殺人が起こり、ロッキード事件の公判は真っ最中、キャンディーズが解散して、アメリカの大統領がフォードからカーターに交代、マーク・ボランやエルヴィス・プレスリーが死去…それがこの年の出来事。
横田めぐみさんが拉致されたのもこの年だ。
マーク・ボランが交通事故で物故したのを知ったのは新聞の小さな訃報欄だった。
テレビでは報道されなかったんじゃないかしら?
当時は「マーク・ボラン」の名前を知っているのは「ロック」という音楽を楽しんでいる人たちだけで、一般人の間では全く馴染みがなかったハズだ。
私は中学校3年生だったが、実際にクラスでマーク・ボランやT.Rexを知っていたのは私と極々少数のロック好きの連中だけだった。
まだ自分が子供で、ロックが「大人の音楽」だった時代の話。
それにしてもこの鋤田さんの写真はカッコいいな。
実はコレをマネして、あるギタリストのアー写を撮ろうとしたことがあったんだけど、惨敗に終わったわ。Mb_2 まだこの頃は歌謡曲が光り輝いていた。
この年のヒット曲にどんなモノがあったのかを見てみると…。
「勝手にしやがれ」、「北の宿から」、「津軽海峡冬景色」、「失恋レストラン」、「あずさ2号」、「青春時代」、「岸壁の母」等々。
そして「S.O.S.」、「渚のシンドバッド」、「カルメン'77」、「ウォンテッド」とピンクレディー旋風が吹き荒れていたんだね。
演歌系とアイドル系の曲が仲良くヒットチャートに並んでいるというイメージか?
「カルメン」のベースをチャック・レイニーが弾いていたなんてことは大分後になってから知った。
まさかこの38年後の日比谷野音でミーちゃんの写真を撮らせてもらうことになるだなんてこの時は夢にも思わなんだ。120v 驚くべきは、今ココに挙げた曲の数々…ナント!正確ではないにしろ、私は全部歌うことができるのだ。
ナニを威張ってるのかって?
だって、私は歌謡曲に夢中になったことなんて人生でただの一度もないのよ。
真理ちゃんにも、百恵ちゃんにも、聖子ちゃんにも興味がなかった。
今でも歌番組は知り合いが出る時以外はまず見ることがない。
歌謡曲で買ったレコードといえば、せいぜい「帰って来たヨッパライ」とモップスの「月光仮面」ぐらいだ。(「黒ネコのタンゴ」も買ったかも知れない)
映画で「音楽」に目覚めたてからというもの、大学に入ったチョット後ぐらいまではズ~っとロック一辺倒。
そんな私でも「門前の小僧」でコレらの曲を歌うことができるってスゴイことだと思わない?
私がスゴイんじゃ全くなくて、曲がスゴイということ。
コレこそが歌謡曲の存在感であり、当時の曲のクォリティの高さを如実に表していることに他ならない。
今?
ないない、テレビから流れて来るような曲でフル・コーラス歌えるようなモノはただのひとつもない。
「♪いつで~もスマイルし~ようね」みたいにCMで使われているパートを知っている曲はある。
NijiUの振り付けはすこぶる可愛いと思うけど、ナニを歌っているのかは皆目見当がつかない。
歳のせいか、音楽のせいか…多分、年齢のせいだろう。
演っている人の性別を問わず、も~歌声と歌い方とメロディが鳥肌が立つぐらいツライの。
70年代のロックで育った御仁は恐らく同じことを感じているのではあるまいか?
 
話はさらに逸れるけど、今朝のワイドショーに出て来た「うっせぇわ」っていうのはいいね。
Adoとかいう高校生のシンガーだそうで。
椎名林檎ちゃんってこんな感じなんじゃないの?
声と歌い方とメロディと「がんばれ!」と歌わない歌詞が私には「ロック」に聞こえた。
いつもMarshall Blogに書いているように、今の感性と昔のロックのテイストをウマい具合にミックスさせた好例ではなかろうか?
心配なのは、こうして何かひとつ当たると粗製乱造のコピー作が雨後のタケノコのように出て来ちゃうんことなんだよね。
するとまたオモシロくなくなっちゃう。
でも、いい加減「がんばれソング」に飽きて来たということの証かも知らんな。
コロナのせいで、いくら発破をかけても、もうそんなにはガンバれなくなっていることを表しているのかも知れない。
 
さて、当時ロックといえばはまだまだ洋楽が主流(だったと思う)で、この年のロックの話題作といえばEaglesの『Hotel California』、Steely Danの『Aja』、Fleetwood Macの『Rumours』、Queenの『News to the World』、Sex Pistolsの『Never Mind the Bolocks』、The Clashの『White Riot』が挙げられだろう。
こうしてみると、もうこの頃はパンクが出て来て、「商業ロック」化がすごい勢いで進んでいたんだナァ。
やっぱりロックが「ロック」だったのはザッパが『One Size Fits All』を発表した1975年あたりまでだな…コレが私の持論。

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今でこそクラシックだ、ジャズだ、民族音楽だって騒いているけど、この頃はも~、ロックが好きで、好きで…。
寝ても覚めてもロックだった。
とにかく色んなモノを聴きたくて、お小遣いや父の仕事の手伝いで得たお金は100%レコードか楽器に費やしていた。
前の年にRainbowの初来日を観て感動して(ほとんど音の大きさに驚いただけ)、1977年は外タレのコンサート開眼の年にもなった。
AerosmithやKISSの初来日、ブライアン・フェリー、Ian Gillan Band、Eric Clapton、Santana等。
後楽園ホールで観たロイ・ブキャナンは行っておいてヨカッタ。
ロイ・ブキャナンとリック・ダンコとLittle Featは私の「三大行っておいてよかったコンサート」なのだ。
2軍が『Ra』のレコ発で来日したユートピア、Nazareth、Blue Oyster Cultかな?
3軍がKing Crimsonの初来日、フランク・マリノ、Van Halenの初来日かGeneis。
Deep PurpleもBBAも観ていない。
生まれるのが5年遅かった…。
でも、こういうことを考えると、つくづく東京に生まれ育ってラッキーだったと思うわ。
ロンドンだったら尚ヨカッタんだけどね。120r4a0535 私にとっての1977年はこんなところ。
つまりロックづくし。
そんな年の4月8日から10日の3日間にわたって開催されたのが『ローリング・ココナツ・レビュー・ジャパン・コンサート1977』だった。
このイベントはクジラやイルカを守るアメリカの環境保護団体の企画で、日本ではじめてのベネフィット・コンサートになったのだそうだ。
 
Rainbowだ、Aerosmithだと騒いでいた子供のいちロック・ファンが、ナゼそうした音楽とはおおよそ関係のないイベントに行ったのかというと、クラスメイトの安藤くんの誘いがあったからだった。
安藤くんも映画好きだったことから仲良くなったのだが、当時は彼の方がゼンゼン進んでいて、岡林信康やボブ・ディランを教えてくれたのも、数寄屋橋のハンターに初めて連れて行ってくれたのも彼だった。
その後、彼はストーンズ→パンク、私はハードロック→プログレと進路を変え、音楽の趣味での接点はなくなったが、今でも過去を懐かしんで連絡をすることがタマにあって、Marshall GALAは2回とも観に来てくれた。
その安藤くんがこのイベントを見つけて、「ウッドストックのミュージシャンが何人か出るから一緒に行かない?」と誘ってくれたのだ。
Marshall BlogやこのShige Blogに何度も書いている通り、映画『ウッドストック』はビデオ前夜の世代にとっては動くミュージシャンが観れる超貴重なマテリアルだった。
他にもモンタレー・ポップやバングラデシュなんかもあったが、さすがマーティン・スコセッシが編集に噛んでいたせいか、映画としても見応えがあり、中学2年から3年にかけて本当に何回も安藤くんと映画館に観に行っていたのだ。
そのウッドストックのステージに立ったミュージシャンならゼヒ本物を見てみたい!と思いその誘いに応じた。
Photo_2このイベントに参画した方のウェブサイトを読むと、開催まで準備の時間が少なく、主催者側は大変な労苦を味わったらしい。
こういう興行自体に不慣れだったこともあったろう。
広告もロクに打てなかったそうだ。
それでも3日間で4回開催したコンサートには延べ15,000人以上が集まり、当時としては上々の結果だった、
しかし、興行としては大赤字だったそうだ。
もう1回書くけど、こうした音楽がまだ一般大衆に受け入れられる前のイベントですからね。
 
このイルカのロゴがなつかしい!
残念ながら、そして断捨離ができない私にしては珍しくこの時のアイテムを全く手元に残していない。以下、関連の写真はすべてインターネットから拝借させて頂いた。
10来日したのは、ジャクソン・ブラウン、カントリー・ジョー・マクドナルド、ジョン・セバスチャン、J.D.サウザー、フレッド・ニール、ウォーレン・ジヴォン、テリー・リード、ワディ・ワクテル、エリック・アンダースン、デヴィッド・リンドレー、スタッフ等。
日本からは泉谷しげる、岡林信康、イルカ、久保田麻琴と夕焼け楽団、細野晴臣、憂歌団、南佳孝、小坂忠等。
ナニがスゴイって下の出演者リスト…手書きだよ。
ワードプロセッサーなんてモノが出現する何年も前のことだから。
「プレイガイドおよび全国輸入レコード店にて発売中!」なんて懐かしいフレーズだナァ。13v私が行ったのは初日。
ウッドストックに出演したジョン・セバスチャンとリッチー・ヘイヴンスが出ていたから。
本当はカントリー・ジョー・マクドナルドも観てみたかったんだけど、お小遣いでは賄えなかったせいか1日分だけチケットを買った。
金曜日だったのか…。
チケット代は3,000円。
この年、大卒の初任給が92,000円、ラーメン260円、コーヒー280円。銭湯120円、国鉄の初乗りが60円だって。
大卒の初任給の額を使って換算すると、この時の3,000円は今6,800円。
安い!
今だから思うんだろうけど、この内容で6,800円は安すぎる!
と言うより、今のコンサートのチケットの値段は立派すぎるのか?
この辺りはヘタなことを言えん。
話題を変えて…コーヒーって昔は高かったんだよね。
今でいうコーヒー・ショップみたいなモノがなかったので、長時間居座る喫茶店の場所代ってことだったんだろうな。
大化けしたのはラーメンだよね。
言葉は悪いけど、昔は貧乏人の食べ物の代表だった。
「給料日前だから今晩はラーメンか…」ってのがサラリーマンの月末の定番フレーズだったからね。
ウチは職人だったので関係なかったけど。
それが今ではミシュランだもんな~。
30会場は車の展示会をよく開催していた「晴海国際貿易センター」というところ。
当時は「晴海ドーム」って呼んでいたような気がするな。
といっても、後にも先にも行ったのはコレっきりのことだった。
どっから乗ったのかは忘れたけど、行きはバスを使った。
今はオリンピックの選手村になってるのかな?
20会場が開くのを待った記憶がないところをみると、ごく普通に開演に間に合うように会場に着いたのだろう。
武道館に行く時の、あの九段下を上っていくような興奮は全くなかったような気がするな。
とにかく中がメチャクチャ広くて、すごく暗かったのを覚えている。
イズが無くて、完全に体育館状態。
ナニか敷くものを持って行ったのかな?
結構寒かったような記憶がある。40

後は自分の記憶を基に「ミュージックマガジン」増刊号の助けを借りて書き進める。

15b私が行った初日の出演は次の通り。
写真は当日のパフォーマンスとは何の関係もありません。
 
①ボブ・イングラム&ドルフィン・プロジェクト
②エストレラ
----誰?
この2つはカケラも覚えていない。こんなにキレイに忘れるモノかしらん?というぐらい記憶にない。
 
③オデッタ
----アコギ1本でゴスペル調の音楽を披露。
ギターのヘッドに焚いたお香を付けていて、客席の中ほどにいた私の所までその匂いが漂って来た。
すごく強烈なニオイだったのを覚えている。
歌の途中で手を打つパートがあって、オデッタが誘っているワケでもないのにそれに合わせて手を打っている人たちがいた。
それがオデッタが叩く手のタイミングにピッタリと合わさればいいんだけど、それがてんでバラバラで、「手を叩くのはやめてください」とも言えなかったのだろう、オデッタがものすごく不快な顔をしていたのを私は見逃さなかった。
この時の演奏を今でこそ聴いてみたかったナ。
私、この時まだ14歳だったからね。Odetta  
④エリック・アンダーソン
----なんかピアノを弾いていたような気もするんだけど。
エリック・アンダーソンは当時売り出し中だったのかな?
音楽はおおよそ私のタイプではなかったんだけど、よく音楽雑誌で見かけていたので観ることができて得な気になったんじゃなかったっけかな?
ドカンと盛り上がる曲があってステージ前まで走り寄った子供がいた。
それは私です。
今思い出しても恥ずかしい。
自慢じゃないが、エリック・アンダーソンの音楽を聴いたのはこの時が最後で、それ以降一度も聴いていない。Ea  
⑤リッチー・ヘイヴンス
----「ウッドストックのリッチー・ヘイヴンス!」と紹介されて登場したのをよく覚えている。
カッコよかった。
「Freedom」をなかなか演らなかった印象があるんだけどどうだったんだろう?
「Handsome Johnny」や「Here Comes the Sun」を演ったのは覚えている。
フェイクがものすごくて、途中まで「Here Comes the Sun」を演っていることがわからなかった。
この人も見ておいて自慢できるアーティストのひとりだな。
 
先日ジミ・ヘンドリックスのロンドンのアパートに遊びに行っていることも知ってうれしかった。
その記事はコチラ⇒【イギリス-ロック名所めぐり】vol. 62 ~ジミ・ヘンドリックスのロンドン <vol.5>

そういえば、『ウッドストック』を観ていて、リッチー・ヘイヴンスの上の歯が全くないことに気が付いて教えてくれたのも安藤くんだった。
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⑥岡林信康
----岡林さんも目玉の一人だった。
コレは安藤くんが思い出させてくれたんだけど、岡林さんがステージに現れると、客席の女性が大声で「岡林帰れ!」とヤジが飛び、本当に岡林さんがステージを降りてしまった。
あの女性は岡林さんに何の恨みがあったのだろうか?
私は「オイオイ、ナンだよ!余計なことを言うな!」と思ったよね。
その後また登場して「チューリップのアップリケ」なんかを歌ってくれた。
私は岡林さんが好きで、その後コンサートにひとりで出かけたりもした。
ズッと後になって、東京駅の新幹線の改札でお見かけしたが「ファンなんです!」と気軽に近寄ることができないような厳しいオーラが出ていたっけ。
学校を卒業してサラリーマンになって、カラオケをやらされるのが大きな苦痛のひとつだったが、そんなときはよく「山谷ブルース」を歌わせて頂いた。
今では山谷のドヤは外人バックパッカー御用達の旅館街になっている。8 場内はずっと真っ暗だった。
ケツは痛くなるし、とにかくおなかが空いちゃってね~。
今ならサマソニみたいに会場の外にズラーっとケバブやらピタ屋が並ぶんとこだけど、ケバブなんてない時代だから。
あっても焼きそばにタコ焼きか…?
ところがそんなモノを売る店らしきものは全くなかった。
それでも何か食べるモノを売ってはいないかと目を凝らして会場内をさまようと、パンを並べている店があった。
助かった!と思ったんだけど、それが玄米パンみたいな健康食品の類で、こっちはまだ子供だからそんなモノ食べたくないワケ。
最後までガマンしたわ。
あんなにひもじい思いをしたのも珍しい。
下の写真を見るとベンチらしきものが置いてあるね。
私の時はなかったような気がするんだけどな~。
50 
⑦泉谷しげる&ストリート・ファイティング・メン
----この日、唯一のロックロックしたパフォーマンスで会場は大盛り上がり。
たくさんのお客さんが立ち上がってステージ前に詰めかけ身体を動かしていた。
今にして思うと、アレ寒かったんじゃないかね?
ソロ・デビューしてからそれほど時間が経っていなかったCharさんが白い帽子に白いスーツといういで立ちで、メッチャかっこよかったな。
トリルしながらアームダウンする技法をこの時初めて知った。
 
⑧ジョン・セバスチャン
----2人目のウッドストック・アーティスト。
でも「I Had a Dream」は演らなかった。
多分「Younger Generation」も演らなかった。
でも「Welcome Back」を演ったのは覚えている。
今聴くとLovin' Spoonfulってすごくヨカッタりするんだよな。
Js  
⑨ローリング・ココナッツ・レヴュー・バンド
----このイベントのためのユニット。
ナント、フレッド・ニールが出ていたらしい。
見事に何も覚えていない。
もう多分帰りのことが心配になっていたか、あるいは観ないで帰って来ちゃったのかも知れない。
ああ、ナマで「Everybody's Talkin'」を聴きたかったな…イヤ、聴いたのかも知れない。
それで最後は「Goodnight Irene」を演ったらしい。
聴きたかったな~…イヤ、聴いたのかも知れない。
 
帰りが大変だった。
終演は10時過ぎだったのだろう、もうバスが終わってしまっていて、クタクタの身体で銀座まで歩いたのがかなりシンドかった。
ずいぶん大勢の人が歩いていたのできっと最後までいたんだろうな。
ということは「Everybody's Talkin'」も「Goodnight Irene」もチャンと聴いた…ということで。
 
とてもいい思い出になった。
私は大学に入ると…言い換えると80年代に入ると「ベストヒットUSA」に出て来るような「産業ロック」に「ロック」を感じることができず、ほどなくしてジャズに転向してしまった。
それ以来プライベートで聴く音楽の中心がロックではなくなりずいぶん長い時間が経った。
今は一生懸命クラシックを聴いているところで、モノによってはコレが滅法オモシロイ。
でも、聴き方はロックなんだよな。
「ロックっぽくてカッコいい」という超邪道な聴き方で楽しんでいるのだ。
 
私も音楽に夢中になり出して45年が経った。
これまでいくら使ったかナァ。
そうして自分のリスナー人生を振り返ってみるに、やっぱりロックを聞き出した頃が一番楽しかった。
ジャズも「モダン」以降は「フリー」に至るまでほとんど聴き漁り、今でも楽しんではいるが、「音楽に対する興奮」ということを考えると、あのロックを聞き出した70年代のそれには到底及ばない。
私も残りの人生もせいぜい25年ほどか?
生きている間にあの興奮を味わうことはもうないだろう。
しかし、我がリスナー人生に悔いなし!
思い返してみると、そんな人生にあって『ローリング・ココナッツ』はひとつのビッグ・イベントだった。
誘ってくれた安藤くんに改めてお礼を言いたい。
  
数年前にこのイベントの演奏を収録したCDボックスセットが出たんだってネェ。
もう全部を聴く根気も気力もないけど、自分が行った日の音源は聴いてみたい気もするな。
イヤ、「思い出」は美しいまま取っておくことにする。

60

2018年10月 6日 (土)

Foujitaを観てきた!

 
久しぶりに美術館に行って来た。
没後50周年記念展示ということで前から楽しみにしていた『藤田嗣治展』。
イヤ~、かなりジックリ観入ってしまった。

10_2場所は上野の東京都美術館。
平日にもかかわらず開場前からこの行列。

20_2『おべんとう展』なんてのもやっていて、そっちも人気があったようだけど、ほとんどが『藤田』。

25ウワ~!
こっちもすごい行列だ!
もう一度書きますが、平日の朝ですからね、コレは。

40_2こっちはシャンシャンの行列。
空いていれば帰りに見て行ってもいいかと思ったけど60分待ちだっていうからヤメた。

50_2美術館に戻ってくると、ホンの1、2分の間に行列がアホほど伸びてる!
コレじゃ中がキューキューになっちゃうぞ!(←「列」を意味するイギリス英語「queue(キュー)」のシャレです)

60_2前からこの人の絵を観たいと思っていたのね。
それで下の評伝を読んで尚更その気持ちが高まっていたところにこのタイムリーな企画。
スゴイんですよ、藤田さんは。
まず家が金持ち。
お父さんはお医者さまで、森鴎外の後任で軍医のトップまで上り詰めた人。
何しろ家柄がよろしい。
やっぱりね、絵でも音楽でも芸術は金持ちじゃなきゃ無理よ。
例えモノスゴイ才能があっても貧乏人はその才能を開花させるチャンスがない。
「運も才能のうち」かもしれないが「裕福さも才能のうち」なのね。違うか、裕福な家に生まれること自体が「運」だもんね。
1913年(大正2年)にパリに渡ったのも家に金がなきゃできないよ。
モンパルナスに住んでモジリアニと仲良しだったっていうからスゴイ。
ストラヴィンスキーの「春の祭典」の初演は1913年のシャンゼリゼ劇場。
藤田はニジンスキーが踊っていたのを観たらしい。
晩年は戦争画を手掛けたことによって政治的な苦労をしてしまうが、最後はパリに戻ってキリスト教に帰依し、尊敬するダ・ヴィンチにちなんだ「レオナール」という洗礼名を受けて生涯現役のままを人生の幕を降ろした。

70当然展示品は撮影禁止なのでココに貼り付ける内部の写真はなし。
それでも携帯で絵の写真を撮っているバカがいるんだよ。ジジイ。みっともない。
ま~、わかっちゃいるけど日本は相変わらずのヒドイ美術館事情だな。
ギッチギチに混んでいて、壁に掛かっている絵と距離をとることが一切できない。
係員は「トットと移動しろ」と急き立てる。
そして有名な作品にばかり人が群がって、「ハイ観ました。終わり」とばかりに足早に会場内を移動するパーマ頭のオバサン。
「ルーベンス」がどうのとか言ってたけど、ネロじゃあるまいし、どうなの?
ああいう人たちは一体どこから湧き出て来るんだろう?…ものスゴイ美術通だったりして。
そこへ行くとロンドンでもニューヨークでも、たとえそれが特別展であっても、ギューギューな感じにはならないんだよね。
好きな絵を、好きな方法で、好きなだけ観ていられる。

80_2それでも2時間以上は観ていたかな?
会場の外に出て来てビックリ!

95行ったのは10月4日。10月8日までの開催とあってか、すさまじい混雑ぶり!

100入場を制限していて、ココで20分待ちだって。

130イヤ、コレ20分待って入ったところで、中はパンパンで絵なんか見れないよ。
これこそが日本流美術鑑賞法なのだから仕方ないけど。
また書きますけど、コレは平日ですからね。
土日って一体どんなザマだったんだろう?

110それでもまだガンガン人が入ってくる。
さっきの「20分待ち」の「20」が「50」になるのも、それこそ「時間の問題」だろう。

140せっかくなので藤田さんと記念撮影。
何しろパリで経済的に苦労したのは2年だけだったっていうんだよね。
日本人としては、ダントツで世界的に有名な画家なのよ。
そのココロは何か…やっぱり「オリジナリティ」なんだよね。
それでも初期の作品はキュビズムに影響されたピカソのコピーまがいやモジリアニのパクリなんかやってるんだよね。日本ではこういうのは「トリビュート」っていうのかな?
しかし、「芸術の都」という本場に乗り込んで、誰もやらないことを考えて、和の手法を自分のスタイルに取り入れた。
コレが成功の秘訣だった述懐している。
でも、その仕上がりが決して「和」一辺倒でないところがパリの紳士淑女にもウケたんだろうな。
藤田さんはそれをすぐに察知したんだろう。
外人って「ジャパン、ジャパン」って騒いだって結局ドンズバは苦手なんだよ。「サシミが好きです」って言ったってサーモンしか食べやしないのさ。
私は芸術家では全くないけれど、やっぱり人と同じことをやってちゃダメなんだな~…と痛感したよ。
その点、Marshall Blogはどうなんだろう?145v図録も買った。
¥2,400也…一度しか聴かないCDを買うより格段に価値がある。
私も絵を観るのは結構好きで、こうして興味がある展示があると観に出かけるんだけど、これほどホンモノと印刷の差がハッキリ出る絵もあんまりないのではないか?と思った。
ゼンゼン違うのですよ。
今回、観てみたかった作品に一連の「戦争画」があったのね。
イヤ~、ホンモノはスゴかった。呆然としちゃうね。
それと藤田と言えば必ず出て来る「乳白色の肌」。西洋美術ではタブーとされている「白」を「色」として使ったとか…。
いつでも常識とされていることの逆を考えたっていうんだよね。
でも、この乳白色の顔料を作る時は絶対に誰もアトリエに入れなかったし、製造法は門外不出だったらしい。
あと、構図がスゴイ。
特にタテ組みの作品。
大胆なだけど、すごく計算されている感じ?

150今日も含めて会期はもう3日しかないけど、人混みが苦ではない方はどうぞ!
とってもいい展示でした。

2018年2月14日 (水)

楽器業界 vs. Amazon

 
時折Marshall Blogで触れているように、私は楽器オタクでは全くない。
よくいるでしょ、「歩くカタログ」みたいな人…その商品を持ってもいないし、使う予定もないのに、型番、仕様、値段まですべてアタマに入れている人ね。
そういうことはただの一度もしたことがないし、楽器屋さんに入り浸る…なんてこともしたことがなかった。
子供の頃は楽器屋さんがコワくもあった。
髪の毛を腰のあたりまで伸ばして、声高に仲間やお客さんとロックの話をしている楽器屋のお兄さんがコワかったのだ。
そして、そのお兄さんがギターを手にして弾き出すと、そのあまりのウマさに感動したものだった。
今から40年ぐらい前の話。
そんな我々の世代の人たちが口を揃えて言うのが、「楽器屋さんのお兄さんはコワかったけど、色んなことを教えてくれた」というヤツ。
私は行きつけの楽器屋さんを持っていなかったので、そういう経験がほとんどなかった。
ロックに関する知識は本やレコードの解説書を耽読して自分で切り開いたし、ギターも完全に独学だった。
でも、やっぱり楽器屋さんに行くのは楽しかったナ。
   
今日はそんな楽器屋さんが絡むアメリカの楽器業界の現状について。
この記事をMarshall Blogに載せようかどうか直前まで迷ったが、ヤメた。
内容に私個人の感情や考えが大きく反映してしまい、Marshallの名の下でそれを書くのもどうかと思ったからだ。
片や、今世界でナニが起こっているのかを皆さんにお知らせしたい…なんて言うと大ゲサだけど、代表者気分で海外で見聞きしてきたことをこの狭い島国で喧伝するのはやっぱりいいことだと思うのね。
だから書いた。
では…。
   
先日のNAMMショウの時のこと。
Marshall Blogで紹介した「UP BEAT」という日刊の情報誌の他にも会場では様々なフリーペーパーが配布されている。
フリー・ペーパーというより雑誌のサンプルと言った方が適切か。
持って帰ってもどうせ荷物になるので、Marshallがフィーチュアされているとか、Frank Zappaが出てるとかいうことがない限り、普段はそういう類のモノを手にすることはまずないのだが、ある時、1冊の黄色い表紙の「The Retailer」という雑誌のサンプルが私の目を捉えた。
それにはこういう見出しがついていた。
 
MI vs Amazon (音楽業界対アマゾン)
  
「MI」というのは「Music Industry」のことね。
「数年後、世界中の街中で開いているお店は銀行とスターバックスとマクドナルドだけになる」…なんて物騒なことをMarshallの誰かがかつて言っていたのを思い出したのだ。
旧態依然とした佐幕派の私のこと、チョット前まで「通販なんて誰が使うか!」とキメ込んでいた。
しかしですよ、ナニを最初にAmazonで買ったのかは覚えていないが、蟻の一穴、それからアレよアレよと利用するようになってしまった。
私が最も活用しているのは書籍なのね。
CDは中古レコード店で受動的に出くわしたモノをランダムにゲットすることが愉しみなので、輸入の新譜(といってもZappaだけ)を買う時だけにしかAmazonを利用することはない。
一方、書籍。
高いでしょう、本?
最近は文庫本でも「コレ、ミスプリントなんじゃねーの?」と訝しんでしまうぐらいの値段が付いてるもんね。
だから私は、中古。
ところが、書籍は仕事で使う目的で探すことも多く、ブックオフに通って偶然を待っていたらラチが開かない。
そこで登場するのがAmazon。
欲しい本の情報を入力して、中古で状態が良さそうなものがあればポチ…と。
たとえ送料が上乗せになっても新品で買うよりはずっと経済的だ。
さすがにコレには凄まじい利便性を感じるよね。
それと家電。
どこで買っても同じモノは、お店で商品を確認して、Amazonとの値段を比較して安い方でゲット…なんてことをしたくなるのは人情でしょう。
最近は町の電気屋さんも姿を消し、量販店ばかりになってしまったので、上の楽器屋さんのように馴染みの電気屋さんで家電製品を買うなんてこともなくなった。
「せっかくならショウちゃんのところで買ってやろう」みたいな近所づきあいね。
それに人件費の高騰により、「チマチマ修理しているより買い換えた方が早くて安い」という時代が到来し、修理の時に備えて町の電気屋さんで買うという必要性も皆無になった。
で、今度は量販店と通販の戦いになっているワケだ。
そういえば、先日、私が「ひとり不買運動」をしている家電メーカーのラジカセを買った。
本当はイヤだったんだけど、どうしても欲しい仕様の商品を出しているのがそのメーカーだけだったので仕方なくそれをAmazonで買った。
大学の時にカセットテープに録り溜めていた落語のコレクションをCDにするために、SDカードにデジタル・コピー(←正しくはなんて言うの?)したかったのだ。
すると…壊れた。
アっという間だった。
さすが私が不買運動をキメているメーカーの品物だけあって、ひと月もしないウチにカセットのフタの開閉が出来なくなってしまったのだ。
このメーカーは海外との原発の合弁事業をしくじって上場を取り消されそうになった超大手のアソコね。
そんなこともあろうかと覚悟していたせいもあったので、そうハラも立てずに修理に出すことを決心したが、保証書を捨ててしまったことに気がついた。
さすがにひと月じゃ買い換えられないしね。
恐る恐るそのメーカーのカスタマー・サービスに相談した。
「Amazonでラジカセを買ったんですが、すぐに壊れてしまって…」
ココで無料修理を断られたらブチ切れる予定にしていた。
すると電話に出た女性がこう言った。
「あ、Amazonさんでお買い上げですか?保証書がない?ハイハイ、Amazonさんのウェブサイトでお買い物履歴を見ることができますので、それをプリントアウトして持って来て頂ければ大丈夫です!」
はじめは「Amazonで買ったからダメ」みたいなことを言われるかと思っていた。
保証書なんてものは買った日が特定できればいいワケなので、Amazonのウェブサイトが指し示す購買の履歴は公明正大に他ならないということのだ。
ナンだよ、やるな~、Amazon…と思わざるを得ないではないか。
 
さて、では楽器業界とAmazonの関係はどうか?
こちらはそれほど穏やかなモノではないようだった。
NAMM会場でもらって来た「The Retailer」のサンプルの記事を抄訳してアメリカでナニが起こっているかをレポートしてみるね。
 
2_img_0073この記事が言うには…
「アマゾンは体重600ポンド(270kg)のゴリラだ。(どうしてゴリラかというと、この後の原文に出て来る「goliath(ゴライアス)」に引っ掛けてるの。「goliath」とは「きわめて大きい人」や「大企業」を意味する)
新しい分野に参入したり、他社を買収したりして有機的に成長を続けている。
2016年の売り上げは  136ビリオン・ドル(約15兆円)にして利益が2.37ビリオン・ドル(約2,600億円)となっている。
このデータにはWhole Foods Market(ホールフーズ・マーケット:アメリカを中心にカナダとイギリスを合わせて270店舗以上を展開する自然食品、オーガニックフード、ベジタリアン・フード、輸入食品、各種ワイン等を販売する食料品スーパーマーケットの巨大チェーン)の買収による売上高を勘定に入れていないので実際の売り上げや利益は途方もない数字に上る。
更に薬品業界や他の業界に食指を伸ばしたら一体どんなことになるのやら?
2017年9月末にはインターネットでの売り上げ高を34%伸ばし、NASDAQでガツンと株価を上げた。
財務の観点からすると、ビットコインに次いですべての追い風はアマゾンに吹いている」…というぐらい、本国でも破竹の勢いを続けている。
 
ところが…。
世の中、顧客サービスの良さと素早い出荷を称賛するAmazonファンだけではなくて、その業態を決して快く思わない客もいる。
そのひとつが楽器業界の一部というワケ。
2_img_0077どういうことを言っているのかというと…
 
「昨今楽器業界は2つの点においてAmazonに煮え湯を飲まされた。それは、返品のポリシーと偽物の販売だ。
事実、Electro-Harmonix社はこのことが原因でAmazonとの関係を解消することを宣言した」
 
ナニが起こったのか?
以下はElectro-Harmonix社のおエライさんの見解。
「Amazonは、理由の如何に関わらず、問答無用でお客さんからの返品を受けて返金してしまう。
お客さんが商品に不具合を見つけると、すぐにAmazonに商品を送り返すのだ。
商品の返品にかかるの運賃は、メーカーが負担するということになっているので、かなりのコストアップに感じる」
事実、複数の商品が戻って来た時などは、経費がかなりかさんでしまうらしい。
返品された商品をチェックしてみると、「ナンだよ、壊れてないじゃん!」などという、お客さんの不注意や認識不足が原因となる返品も少なくないのかも知れない。
 
また、インターネット・ビジネスが発達しているアメリカにはMAPという制度が認められている。
「MAP」というのは「Minimum Advertised Price」の略で、メーカーは「公告で掲載できる最低の価格はココまでですよ」ということを法的に定めることができる。
日本にはこの法律はない。
だから「オープンプライス」にしちゃう。
さて、このMAPのおかげで「よその店より安く値付けしてたくさん売っちゃおう!」ということができない仕組みになっているのね。
値段一発で勝負する傾向が強いインターネット・ビジネス上での安売り戦争を食い止める手段のひとつだ。
さもないと「Dog Eat Dog」でメーカーも小売店もみんなブッ倒れちゃうから。
このMAP関連でもAmazonは問題を抱えていると楽器業界の一部は考えているというのだ。
というのは、日本でもやっていることだが、市中の楽器店がAmazonに商品を委託してAmazon経由で販売しているケースがある。
Amazonはそれぞれの商品のMAPなんて知ったこっちゃないから、その小売店がMAPの値段を下回って販売委託してしまう。
もちろんコレは重大なルール違反なので、メーカーや他の小売店にとっては大きな問題となる。
メーカーはそのMAPを下回って出品している商品のシリアル・ナンバーを調べて、当該の小売店に警告することしかこの問題の解決策はないのだが、Amazonでコレをやられるとそのシリアル・ナンバーの追跡ができないのだそうだ。
すると、どういうことになるかというと、「じゃ、ウチも!」ということになってアッという間に値崩れを起こして「Dog Eat Dog」!
アメリカの多くの小売店はElectro-HarmonixがAmazonと手を切ってよろこんでいるのだそうだ。
 
まだある。
Sound Enhancementという「Morely」や「Ebtech」を持っている会社。
この会社のCEOがトップ・ディーラーのいくつかを訪れた時、こう言われたのだそうだ。
「アナタの会社がやるべきこと…製品をアップグレードすること、それからウェブサイトを作り直すこと。そしてAmazonと手を切ること」
このCEO、始めはこの発言に驚いてしまったが、あちこちから同じことを聞くようになったのだとか。
 
そのCEOの見解。
「小売店は我々の商品の本当の価値をお客さんにお届けしてくれる。
彼らは我々の商品に精通していて、その情報をお客さんに分け与えることをサービスとしているワケだ。
製品をどう使うか、そのコツはナニか、関連する商品にはどういうモノがあるか…必要であればそういう情報を開示してお客さんのお世話をする。
そのために我々は、人材に投資をして、教育を授けている。
それが小売店の顧客サービスだと考えるからだ。
ところがAmazonアマゾンを見てみろ!
そんなこと一切お客さんにしていないじゃないか!
しかも何か問題が起こっても人間的な解決は期待できないんだよ。
そしてお客さんも、できることと言ったら「ガッカリしました」というメモを添えて商品をAmazonに送り返すことぐらいサ」

 
この他にパチモンの問題も重要視されているようだ。
要するにニセモノ。
粗悪なニセモノ商品が堂々と流通していることがあるらしい。
コレも困るぜ~。
 
そして、この誌面はこの問題の解決策をこう結んでいる。
「メーカーは小売店との関係を深め、お客さんが欲しがっている専門的な知識を武器にアマゾンに対抗すべきである。
そして、メーカーと楽器店は、ITと人間の力をテコで活用し、やはり多種多様な経験から体得した知識を提供して顧客をつなぎとめるべきだ。
そうすることこそがAmazonとの差を付け、お客さんを惹きつけるだけでなく、受難の時でも成長が期待できるというものだ」
 
ん~、ナンカ「無責任」を感じるナァ。
よく海外の連中は「ウェブサイトは物言わぬセールスマン」なんて言うけど、そうした専門的な情報をサイトに掲載してしまったら小売り店の出る幕は簡単になくなっちゃうもんね。
そして、ナントいっても一番大きな問題は、よしんばお店に行って知識を分けてもらって、モノを買う気になったところで、買う場所がAmazonだったらどうにもならない。
アメリカはMAPのおかげで、基本的には市中の小売店の販売価格とAmazonの値段は同じ、あるいは近似なのかも知れないけど。
こうした従来のやり方を大きく変えてしまうような商行為はもちろん大きな問題であるし、時にはチャンスなのかもしれないが、楽器業界に関しては、昔を振り返ってみるに楽器屋さんで勉強する文化みたいなものがなくなってしまうのが寂しいと思うナァ。
でも、みんながAmazonで買い物をしていたら町の楽器店が立ち行かなくなるのは当然だ。
 
エフェクターのようにどこで買ってもモノが同じ商品ならわかるけど、実際に弾いてみなければわからないギターなんかは通販で買わないだろう…なんて思うかもしれないけど、もうそんな時代でもないのではないか?
我々のように昔を知っている人間は、モノによっては通販でのショッピングを奇異に感じるかも知れないが、今生まれて来た子は、生まれた時からAmazonがあるんだから、自ずと考え方も我々と異なってくるのが当たり前だ。
生まれた時にJ-POPしかなかったら、死ぬまでJ-POPなんだから。
しかも、人間は性質のわるいことに「三つ子の魂百まで」で、幼い時に「いいな」と思ったものは死ぬまで魅力を感じ続けるらしいのだ。
小さい頃に食べた美味しいものはおじいさんになってもおいしいということ。
Deep PurpleもLed Zeppelinもない時代に生まれた人たちは、そうした音楽を死ぬまで知らなくてもヘッチャラなんだよ。
彼にはJ-POPがビートルズなの。
  
「売らんかな」でAmazonと手を組むメーカーがドンドン増えてきてごらん。
NAMMの会場はAmazonだけになっちゃうよ~。
実際、通販会社のブースがジャンジャン増えているんだから。

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2015年3月23日 (月)

【DAY1】 5 DAYS ART CHALLENGE

作家が自分の作品を1日3つずつ、5日間公表した後、知り合いのアーティストを紹介してバトンを渡し、アートの輪を広げていく『 5 DAYS CHALLENGE』というアート・ムーブメントがfacebookで展開されている。
Marshallのカタログや、GRANRODEOのツアープログラム、数々のCDジャケットを制作し、Marshall Blogでも「下町のヒプノシス」として何回かご登場頂いているデザイナーの梅村昇史さんからこの企画がバトンが送られてきた。
「ライブ・フォト・カメラマン」という触れ込みだ。
私がアーティスト?

イヤイヤ、生まれてからこの方、「自分がアーティスト」だなんて考えてみたことは本当にただの一度もない。
そもそも、AKBが「アーティスト」と呼ばれている時代である。
「言葉は生き物」であり、時代の趨勢に合わせて刻々と意味やとらえ方が変わることは理解しているし、仕方のないことだとも思う。
しかし、今音楽関連の仕事をしていて斯界を見回すに、「アーティスト」という6文字ほど意味が変わり、地位が下がった言葉は他に例を見ないのではなかろうか?
あ、「楽曲」があった。この言葉への仕打ちもかなりヒドイと思う。

私は自分が見たい写真やイメージしている写真、とにかくミュージシャンをカッコよく撮るために毎晩暗がりでシャッター・ボタンを押しているだけで、梅村さんのような「アーティスト」と一緒にしてもらってはあまりにも申し訳ない。
たとえ端っこの方でも、私を「アーティスト」というくくりに入れるのは言葉の誤用というものだ。

したがって、当然梅村さんからのご指名は分不相応と考えた。
でも、よく考えてみると私の写真は「fake」でも、そこに写っているギタリストはシンガーは見紛うことなき魅力的な「アーティスト」であることは間違いない。
つべこべ言って恐縮だが、私の回は、「アーティスト」と私の「ライブ写真」の「合わせ技」ということで自分を納得させて、いつもお世話になっている梅村さんのご指名を受けることにさせて頂いた。
梅村さん、お疲れさまでした。そしてご指名ありがとうございます。

さて、Marshall Blogをご覧の方々は「イヤ~~~!」というほどご存知だと思うが、何か思いつくと筆の抑制が効かない私である。
素直にfacebookに3点ずつ自分お気に入りの写真を掲載して5日間終わればいいのだが、それはできない。
解説を書かないと気が済まないのだ。
facebook上でゴチャゴチャ書くのもやりづらいので、写真の仕事をメイン・トピックスに据えているこのShige Blogのスペースを使うことにしたのだ。
ま、照れ隠しとか言いワケとかと捉えてご一読頂ければ幸甚である。
ちなみにこのShige Blogのバナーも梅村さんの作品だ。

5 DAYS ART CHALLENGE <DAY1>

1. 桑名正博さん

それでは、記念すべきひとつめ。
順番はほぼ意味なく掲載していく予定だが、最初の1枚はコレにしようとキメでいた。
桑名正博さん、バースデイ・コンサートのひと幕。
場所は渋谷のPleasure Pleasure。
このホールは照明が強く、露出合わせがなかなかに難しく、慣れるまで結構苦労した。
桑名さんは原田喧太氏と何度もMarshall Blogに登場してくださっており、この日も開演前に楽屋に赴き、桑名さんにご挨拶すると、「ジブン~、メッチャええ写真撮るな~」とおっしゃってくださったのだ。
私は、正式に写真の勉強をしたことなど一度もなく、Marshall Blogに掲載するための写真を撮るために、何万枚も失敗しながら、「どうすればよくなるのだろう?」と本当に一枚一枚研究しながらやってきた。今でもそのまっただ中にいる。
長年にわたって超一流のカメラマンの被写体となってこられた桑名さんにそんな言葉をかけて頂いたのである。
もう、最高にうれしかった。
そして、その日の本番。先の強い照明と苦戦しながら夢中で撮った一枚がコレ。
私も、我ながら「カッコよく撮れたワイ」と思っていたのね。もちろんMarshall Blogにも掲載した。
その後、それほどの時が経たずして、桑名さんは天国へ召されてしまった。

1_10「なんや、ジブンが撮ったんかいな!元のデータがみつからなくて苦労したんやデェ!」とは妹の晴子さん。
生前の桑名さんは、この写真を大層お気に召していらしたとお聴きした。
本当にうれしかった。
桑名さんは色々な形でこの私が撮った写真を色々アレンジしてお使いになられたそうである。
下のフライヤーはそのうちのひとつ。桑名さんがご自身で制作されたものだ。
ああ、桑名さんのナマの歌声が聴きたい!

現在閲覧できる桑名さんに関するMarshall Blogの記事はコチラ

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2. 三宅庸介『Orchestral Supreme』のジャケット写真

三宅さんも自分だけの音楽世界をギターで表現する真のアーティストだ。
それだけに三宅さんを撮るのは、いつもとても楽しい。
ただし、疲れる。
三宅さんが真剣勝負を挑んでくるからだ。
こっちは真っ向から受けて立とうとするが、すさまじいサウンドと気迫に圧倒されてしまう。
とにかく「今だ!」という瞬間を逃すまいと集中するのみだ。

コレは三宅さんのバンド、Strange, Beautiful and Loudのセカンド・アルバム『Orchestral Supreme』のジャケットの元ネタ。
撮影場所は東京キネマ倶楽部。
この日撮影した何枚かの写真の中から三宅さんが選んだのがこの写真。

1_img_9569

それが三宅さんの手にかかるとこうなる。
ありがたくも、いつも三宅さんからは私の撮る写真にお褒めの言葉を頂戴する。うれしい限りなのだが、まさか上を選んで下にするとは!
このセンスに座布団を何枚も差し上げたいと思うのはチト生意気か?

三宅さんがやっているような音楽が少しでも世の中に浸透することを願いつつ選出。

三宅庸介の詳しい情報はコチラ⇒Strange, Beautiful & Loud

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3. クリス・デュアーテ『LIVE』のCDジャケット写真

コレはね、死ぬほど驚いた。そしてすぐに生き返るほどうれしかった。
大好きなベーシスト、オガンこと小笠原義弘が参加しているクリス・デュアーテ・グループの2枚組CD『LIVE』。
写真はオガンちゃんの依頼で目黒のBlues Alley Japanで撮影したもの。
オガンちゃんからは「ライブ録音してCDになるかも知れへん」…と聴いていた。
それからずいぶん経って、あるアメリカ人から突然メールが届いた。
送り主の名前にはMike Varneyとあった。
「まいくゔぁ~に~?マイク・ヴァ―二―ってあのシュラプネルの?」…それでピンと来た。
クリスがシュラプネル・レコ―ズ・アーティストだということを思い出したのだ。
マイクはイングヴェイ・マルムスティーンを発掘した人とされ、主宰するシュラプネルといえば、アータ、ポール・ギルバートやらリッチー・コッツェンやらジェイソン・ベッカーやらが所属していたレーベルだ。
メールを開けてみると、案の定、この「クリスのCDに私の写真を使いたい」という申し入れだった。
もちろん即断即決。
するとアッと言う間に契約書が送られて来て、私は喜々としてそれにサインをした。(あ、もちろん文面はキチっと読んでます)

私はプロ・ギタリストにななれなかったが、まさか写真でシュレッド・ギター・ミュージックの名門レーベルと契約するなんて思ってもみなかった。
オガンちゃんありがとう!
私はシュラプネル・アーティストなのだ!

それにしても!

1_30このCDの元の写真は実はコレ。
かなり手を入れてある。
もちろん契約で、そういうこともOKしているので何ら問題はない。
しかし、コレを選ぶかね?
あのね、他にいいのがない、ということは絶対にあり得ないんよ。この日は私もかなり好調で、いいのがザックザック撮れたのだから。
特にクリスやオガンちゃんのソロの写真は自分でもホレボレするものが多かった。
それなの内ジャケに使われているソロの写真も「なんでやね~ん?」状態。
ん~、外人との感覚の違いをいいように味わった一件だった。

Chris Duarteの詳しい情報はコチラ⇒Chris Duarte Group Fans
小笠原義弘の詳しい情報はコチラ⇒DANCIN' FUNKY BASS!!!

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つづく



2013年9月 6日 (金)

我が青春のウッドストック <後編>

最初のころは動くジミやフー見たさに映画館に通っていた。
ところが、演奏シーンだけ観て、他の部分は寝ておくなんて器用なことはなかなかできない。
全編観なきゃならない。

そんな具合でこの映画、観る回数を重ねているうちに演奏シーン以外にも楽める個所が増えて来た。ま、「慣れてしまった」というか「観念したというか…。
映画を通じて当時のアメリカの若者の自由な言動に接することは驚きであり、そして憧れだった。

<映画『ウッドストック』のプログラムより>

Ws_img_1015 そして、あのカメラ・ワークと編集!
もちろんピート・タ  ウンゼンドが空中で止まるところや、サンタナの場面のハンド・クラッピング!鳥肌!
カントリー・ジョー・マクドナルドの大俯瞰、黒い鍵盤に置くスライのアップなど好きなカメラ・ワークは枚挙にいとまがない。
ジョー・コッカーのオルガンのイントロもスリリング。演奏以外のシーンでもノーマン・ジュイソンもビックリのマルチ・スクリーンも最高にカッコいい。
それもそのはずマーチン・スコセッシが編集スタッフに加わっているのだから。堂々たる出来である。

<映画『ウッドストック』のプログラムより>

Ws_img_1018 始めはおっそろしく長く感じた3時間半も何回も見ているうちに飽きるどころか、だんだん短く感じるようになっていった。
会場となったべセルの農場主、マックス・ヤスガーのスピーチも実に感動的。「マリワナ…」とささやくジェリー・ガルシアの姿も、「すごい人!」と驚くジャニスの姿も印象深く、オリジナル・バージョンに演奏シーンがないミュージシャンでも動く姿が見えるだけでうれしかった。

<オリジナル・バージョンを収録したレーザー・ディスク>

Img_1050
その点、映画で未収録の映像が加わったバージョンはそういった流れを壊してしまうキライがあってチョイとなじめなかった。

<ディレクターズ・カットのレーザー・ディスク>

Ws_img_1030 そりゃオリジナル・バージョンでは見ることのできなかった、ジャニスやグレイスの演奏シーンが見れるようになったのだからうれしい限りなのだが、オリジナル・バージョンにあまりにも慣れ親しんでしまっている私は、こちらのバージョンは「記録」として捉えざるを得ない。つまり、一種のミュージック・ビデオ。「映画」ではないのだ。

<ディレクターズ・カットのDVD>

Ws_img_1027 サウンドトラックも最初に観てすぐにゲットした。LP3枚組で当時はかなりお小遣いを貯めなければならなかった。
でも、これも買って驚いたね。
だって映画と関係ない曲がワンサカ入っているワリにはリッチー・へヴンスの「ハンサム・ジョニー」やザ・フーの「サマータイム・ブルース」は入っていないわ、アーロ・ガスリーはテイクが違うわで「なんだコレ?」状態だった。

<オリジナル・サウンドトラック3枚組LP>

Ws_img_0978
<『Woodstock Two』の2枚組CD:これには何の思い入れもない。LPも買わなかった。大分後になってこのCDを買った>

Ws_img_1237
いったい映画のどこにジェファーソン・エアプレーンが出てたのよ?!…と子供心に不満に思った。
でもかなり聴いたナァ~。結局、このアルバムが大好きになった。

ジョー・コッカーの「With a Little Help from my Friends」のアレンジがジミー・ペイジによるものだったことを知った時にも結構驚いた。「や~っぱスゲェわ、ツェッペリンって」って。

さらに後年驚いたのは、実際のアーティストの出演順がリッチー・へヴンスを除いて映画と恐ろしくかけ離れていたということ。
これは少し幻滅させられたかな~。

<25周年を記念してリリースされた4枚組CD>

Ws_img_1006 そういえば1976年、「日本のウッドストック」的な触れ込みで「ローリング・ココナッツ・レヴュー」という捕鯨禁止キャンペーンのコンサートが開かれた。
リッチー・へヴンス、カントリー・マクドナルド、ジョン・セバスチャンなど本当にウッドストックに出てた連中がやって来るってんで観に行った。

会場は「晴海ドーム」とかいって後にも先にもこと時1回行っただけの車の展示会をやるバカでかいホールだった。
私が見たのは初日(だったのかな?)で、リッチー・ヘヴンスが出演して「Here Comes The Sun」を演奏していたのを覚えている。
最後はお約束の「Freedom」だった。感動したね~。ウッドストックの冒頭を飾った人が目の前にいるんだから!
自分が40万人の中にいるつもりで演奏に聴き入った。他にはエリック・アンダーソンやオデッタ、岡林信康(ファンだった!けど確か演奏中にトラブルがあったような…)、泉谷しげるなどが出演。

泉谷さんのセットではソロ・デビュー間もない(頃だったと思う)Charさんが白いスーツに白い帽子をかぶって登場した。ムスタングを引っさげてトレモロ・アームを上下する姿は筆舌しがたいカッコよさだった!

それとオデッタが演奏する時、(順番は泉谷さんより前)彼女は傍らでお香を焚いていたのだが、その香りが強烈だったのを覚えている。
また、曲の途中に彼女がパチンと手を打つ曲があって、何人かのお客さんがそれに合わせて手を打とうとするのだが、(彼女は一緒にやってくれなどとひとことも言ってない)タイミングが大幅にズレてたのが彼女には不快だったらしく、「チョット~、アンタら勝手に手ェ叩かないでよ」とあからさまに迷惑そうな顔していたのが印象的だった。
リッチー・ヘヴンスもオデッタももうこの世にはいない。

このイベント、ものすごい長丁場のわりには食べ物の供給が猛烈に貧弱で、売っているものといえば味も素っ気もないコッペパンくらい。究極的にハラが減ったのもよく覚えている。
加えて終演した時間も遅く、帰りのバスがなくなってしまい、銀座まで歩いて帰った。まだその時分は中学生だったので、「帰りが遅い!」と父にケチョンケチョンに怒られてしまった。
でも、ま、ウッドストックのトップバッターを努めたアーティストを間近に見たんだからよしとしようではないか!

Marshall Blogではブリティッシュ・ロックにまつわるイギリスの名所を行脚している。いつかマンハッタンでもこれをやりたいと思っている。アメリカはそれだけでいいかな~。
でも、もうひとつ、このフェスティバルが開催されれたBethelという場所のヤスガーさんの農場だけは生きている内にいつか一度は訪れてみたいと思っている。

文中には私が保有するウッドストック関連グッズを散りばめてみた。別にコレクターではないので珍しいものは特にないが、これまで結構投資したな。
ま、権利関係の問題が複雑に絡み合っているんだろうけど、チビチビ未発表音源やら画像を出されるのは辛い。

こちらは幾分レアかも?いわゆる映画の「チラシ」。A4の二つ折りになっている。どこでゲットしたのか覚えてないな…。

<映画『ウッドストック』のチラシ>

Th_img_1249 <チラシの裏面。A4判を半分に折った仕様になっている>

Th_img_1251_2 <同:解説には中村とうようさんが寄稿している>

Th_img_1252 フェスティバルのウンチクに関しては機会がある時にMarshall Blogの「Music Jacket Gallery」の中で触れて行きたいと思う。

それにしても、ウッドストックを通じてMarshallがロックの歴史の大きな1ページを刻んでいることを心から光栄に思う。
そして、あの映画館をかけずり回っていた時代がなつかしい。

さぁて、また観ようかな?

2013年9月 5日 (木)

我が青春のウッドストック <前編>

音楽に興味を持ち始めてからずいぶん時間が経った。

「Music Jacket Gallery」の植村さんには遠く及ばないが、売っちゃ買い、売っちゃ買いしたLPやらCDの数は「万」を下ることはない。
その間にずいぶん色々と好きなものキライなものに出くわした。双方枚挙にいとまがない。

そんな中で、とりわけ好きなものと言ったら「ウッドストック」…映画の『ウッドストック』のことだ。

一体何回観たことだろう。カウントしておけばよかった…。
映画館で観た回数に関しては、そう簡単に人後に落ちないつもりだ。「ぴあ」や「シティロード」をチェックしては東京中の名画座を駆けずり回った。DVDはおろか、ビデオすらなかった時代だから映画館に足を運ぶより他、観る方法がなかったのだ。

初めての『ウッドストック』は退屈だった…。ひたすら寝た。
その時は「バングラデシュ」とのダブル・フィーチュアだった。中学校2年生だったかな?
ビートルズこそロックだと思っていた頃だったので当然「バングラデシュ」を目当てに映画館に出かけた。
ところが、こちらの方も存外に退屈で、その証拠にこの時以来、一度も観ていない。ま、今観たらそうでもないんだろうけど…当時はまだ青かったから…。

子供ながら記憶に残っているのは、Ravi Shankarが「演奏中にはドラッグを控えて欲しい」と演奏前にアナウンスしたことと、George HarrisonがLeon Russellを紹介した時に、座ったままのLeonに向かって「立てよ、レオン」と注意したとこぐらいかな。演奏はほとんど記憶に残っていない。

「ロック映画」などというジャンルがあるのかわからないが、当時はこの手の作品がたくさんあって、ソウル系の『Wattstax』や『Fillmore: The Last Days』なんかがよく『Woodstock』と併映されていたように記憶している。

しつこいようだが、何しろまだビデオもない時代で、テレビで海外アーティストの映像が見られることが激レアな時代だったから、このようなフィルムが非常に重宝がられていたことは方々で語られている通り。
もっとも当時を振り返ってみると、「ロック」と「歌謡曲」というか軽音楽のジャンルが明確に分けられていて、いわゆる「日本のロック・バンド」をテレビで見ることの方が海外ロック・アーティストを見ることよりはるかにレアだったかも知れない。
それに矢沢永吉や井上陽水、荒井由美といったいわゆるニューミュージック系の大御所はテレビに出ることをかたくなに拒んでいた。今とは隔世の感ありだ。いまだにテレビに出ないのは達郎さんぐらいでしょ?

有名な「モンタレー・ポップ・フェスティバル」なんかも最初に見たのは九段会館だった。コンサート形式でありがたく拝見させてもらった。これはその時のプログラム。
Ws_img_1041 そういえばビデオが一般化した後年、大晦日かなんかにテレビで『ウッドストック』を放映していたことがあった。ビデオに録画しようにもあの頃は生テープがまだ殺人的に高かったっけ。

この「ウッドストック」が1969年に開催されたということは、ロックの試験があれば頻出問題になることは間違いないくらいの常識となっているけれども、考えてみると初めてこの映画を観たのは実際に開催されてからまだ10年も経ってない頃だったんだよね。
それがもう開催から40年以上も経った。自分も歳を取るワケだ。

<映画『ウッドストック』のプログラム>

Ws_img_1010<同:裏表紙。あるいはこっちが表紙かな?>

Ws_img_1011 <同:内容は出演しているミュージシャンの紹介がほとんど。オリジナルのイラストが間に挿入されておりなかなか凝った作りになっている。残念ながらオリジナルではない。何回か観に入っているうちにどこかの映画館で見つけて購入した。いつも取り扱われていたワケではないように記憶している>

Ws_img_1012 閑話休題。いよいよ思い出してみるに、あの頃はフィルム・コンサートというのが各地で頻繁に催されていて、ローリング・ストーンズのドキュメンタリー映画『Charlie is my Darling』を有楽町のよみうりホールに観に行ったことをハッキリと覚えている。この時が本邦初公開だった。1978年ぐらい?
どうしてこのことをハッキリと覚えているかというと、その当日、まれに見る大型台風が東京を直撃し、学校が半ドンになったのだ。当然家に帰って、家でジッとしていなければならないのだが、すでに少ない小遣いをはたいてでチケットを買っている。当然家にいるワケにはいかない。そこでロック好きの友人達とやや後ろめたい気持ちもありつつ出かけてしまったのだ。
司会は渋谷陽一だった。我々の仲間はみんなFM NHKの彼の番組を楽しみにしていたのでそれだけで大興奮だった。
その時、渋谷さんがストーンズの映画に先だって「今、一番ホットな新人バンドを紹介します」と上映したフィルム(今でいうPV)が日本デビュー前のCheap Trickだった。ものすごくカッコよかった。数年後、ライブ・レコーディングされた有名な武道館公演にも当然行った。

話しは戻って…今、英Marshallのスタッフとして働いているが、この頃からMarshallに縁があったのかナァ…と感慨にふけることもある。
「ウッドストックのマーシャル」といえば何といってもJimi Hendrix。あの朝日に浮かぶ1959のフルスタックの壁は荘厳ですらある。
そういえば、最初、「Purple Haze」の邦題が「紫のかすみ」となっていて、お兄さんたちが笑っていた。私には彼らが笑っているまだ理由がわからなかった。

<映画『ウッドストック』のプログラムより>

Ws_img_1017_2 Marshall社としても。あの場面に自社の製品が登場していることを誇りに思っているのだ。
それにしても残念なのはあの観客の数。押しに押しまくった進行がJimiの出番を一日遅らせてしまったのだからスケールがデカイ。
40~50万人いた観客がたったの3万。ま、これだけでも大変な数ではあるが…。
出演者中で一番高いギャラを取ったというのに!そして、仕事だからといってもジミを見ずに帰ってしまった人たち…いまだに臍を噛んでいるのではなかろうか?一時は出演がキャンセルとなったという噂があったようだし、あのジミの演奏は本調子ではないとよく言われているが、そんなこたぁ関係ない。
だって「え、ジミヘン?あ、オレ、ウッドストックで観たよ」…なんて言ってみたいものだ。

ホント、実際のジミのMarshallの音を聞いてみたかったナァ。熱心なヘンドリックス・フリークぶりで知られるウリ・ジョン・ロート曰く、「とにかくクリーンで美しかった」というジミのマーシャルの音。
Marshallのクリーンにはファンが多い。ウリは若かりし頃、2度ほどドイツでジミを見たと言っていた。

<映画『ウッドストック』のプログラムより>

Ws_img_1016_2 ちなみに今はディレクターズ・カットになって、ジミの出番は彼がアナウンスに合わせてマーシャルの影から出てくるところから「Voodoo Chile」が始まりが、劇場版はこの前のジミとは関係のないシーンにギターの音が重なって「来た、来た、来た!」という演出になっていた。
何しろここあたりのシーンまで延々3時間くらい待ち続けるのだからジミの出番は喜びもひとしおだ。
そして「アメリカ合衆国国歌」…タマらん!なぜかこのジミのところだけコマ落としになっていて、ジミの動きがザクザクになっている。これもまたカッコよかった。
「Purple Haze」の後、あの美しくももの哀しい「Villanova Junction」にそのまま突入し、映像はフェス終了後のあたり一面ゴミ野原と化した会場のようすに変わる。
ここはこれでジミが写ってなくてもまたよし。不思議なことに「ジミを映せ!」という感情にはならない。少なくとも私はこれが美しいと思っている。
ただ、あのシーンでいつも思っていたのは、靴をなくした若者が捨て置いてあるスニーカーを拾いサイズを確認するところ。アレ履いたら中が濡れてて気持ち悪いだろうに…と今でも思ってしまう。それとあのスイカ。あれは食べれな。あのふたり、よっぽど空腹だったんだろう。

<40周年を記念してリリースされたDVD。Greatful Dead他、未発表映像が満載されたが私にとっては「記録」であり、「映画」ではない。
尚、Marshall Blogの「ミュージック・ジャケット・ギャラリー」でおなじみの植村和紀氏はこの40周年記念の6枚組CDの制作に関わっている>

Ws_img_1002 あの場に日本人はいたのだろうか?
有名な話しでは故成毛滋さんがいらっしゃったそうで、開催された当時の「ニュー・ミュージック・マガジン(当時)」を紐解くとそのレポートが掲載されている。かなり面白いので興味のある人にはオススメだ。(『ミュージック・マガジン増刊 スペシャルエディション パート1』に掲載)
どこかの記事で読んだが、夜、暗くなってからひとたびトイレに行くと、明るくなるまで自分の席に帰ることは不可能だったとか…。

何しろ「ものすごい人」だったとかで、ウッドストックに在住していた私の知人のフォーク・ミュージシャン(ボブ・ディランの先輩格にあたるかなり有名な人)にその様子を尋ねたことがあった。その人は実際にサブ・ステージへの出演を依頼されていた。
何しろウッドストックに住んでいるワケだから、出番に間に合うように「んじゃ、チト行ってくるわ」ってな調子で家を出たらしい。
ところが、道が混んでいて到着が大幅に遅れ、また、人がいっぱいでとうとうステージにたどり着けなかったそうだ。
それからどうしたかって?そのまま家に帰って来ちゃったんだって!!ちなみにこの人もあのフェスティバルがこんなに歴史に輝くものになることが予めわかっていたら是が非でもステージに立つべきだった!と残念かっていた。そりゃそううだ。

 話しを元に戻すと、先日亡くなったアルヴィン・リーもマーシャルを使っている。何しろあの時は ピンスポが当たっている場所以外は真っ暗なステージなので演奏中にハッキリと確認できるワケではないが、最後にスイカを担いでステージを降りようとしているときにフルスタック、UNIT3(1959の3段積み)の姿が確認できる。
それにしても初めてテン・イヤーズ・アフターを見たときはブッたまげたゼ~。いい気持ちで寝ていたのがいっぺんに飛び起きてしまったんだから!

<映画『ウッドストック』のプログラムより>

Ws_img_1013 マーシャル・プレイヤーということでもうひとつ言えば、ジェフ・ベック・グループが出ていればもっとよかったのにナァ。

<映画に収録されていない画像を収録した『ウッドストック・ダイアリー』のレーザー・ディスク。3日分がリリースされたが高くて全部は買えず。観たかったThe WhoとJanisとSlyが収録されているこの日の分のみを買った>

Ws_img_1029 <後編につづく>

2013年7月23日 (火)

アメリカ、ひっさしぶりだ~!

2013年1月23日 初出

アメリカに来るのは5年ぶりぐらいかナァ~。

ここのところイギリスばっかりだったから、てっきり昼ごろ飛行機が飛ぶのかと思ったら夕方だった。

ロサンゼルスまで9時間。ロンドンより3時間ぐらい早くてメッチャ助かる。この老体にとって、座りっぱなしの3時間の差はかなり大きい。

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ホテルの部屋から撮った外のようす。これは朝焼け。

この5年の間にエラク年取ったような気がするのは、時差がメチャクチャつらくなったこと!ロンドンの場合は昼に成田を発って夕方ヒースローに着くので、そのまま寝ちゃえばそう問題ない。どうせ飛行機の中ではグッスリ眠れないのですぐ眠れちゃう。

今回はシンドイ。成田を夕方発って、ロサンゼルスに着くのが前の日の朝9時。激疲れの状態でもう1回一日をやり直さなければならないからね。帰りは帰りで昼にロスを出て、成田に着くのが朝の5時。アメリカ往復ってこんなにつらかったっけ?

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ホテルの廊下。出てくる数日前に「シャイニング」を観ちゃったもんだからつい…。ダニーが三輪車で走り回った廊下みたいでしょ?おっと!部屋番号は?大丈夫、237ではありません。

私、実際にあの「シャイニング」のホテルに泊まったことがあるんよ。イヤ、正確にはモデルとなったホテルなんだけど…。キューブリックの演出を気に入らなかった原作者のスティーブン・キングがテレビ版を作った時にロケで使われたホテルね。詳しくはまた別の機会に。
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そう、今回の訪米はNAMMショウに参加するためなのです。

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NAMMには何回も来てはいるものの、まさか正式なマーシャルのスタッフで来る日が来るとは夢にも思わなんだ。

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着々と準備が進む。

NAMMの詳しい情報はコチラ⇒マーシャル・ブログ

今晩はみんなでメキシコ料理。案外好きなんだ~、メキシカン。楽しみ!
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(2012年1月22日 ロサンゼルス・アナハイムにて撮影)

2013年7月18日 (木)

友遠方より来る

仲良しのアメリカ人が遊びに来てくれた。洋の東西を問わず気の合う友達と会うのはとても楽しい。
よせばいいのにお土産まで持ってきてくれた。
Pu_img_4756 Hotties Guitarsというその友人がやっているギター・ブランドのハムバッキング・ピックアップ一式。
もう全然ギターなんか弾いてないのに…。
昔はこのピックアップのように燃えてたんだけどな~。
Pu_img_4785 うれしいナァ。ピックアップだけじゃくて、彼の気持ちが…。
またギター弾こうかな…。
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2013年6月10日 (月)

イギリス紀行2012 その19~ロンドン5 <さらばUK!>

2012年9月14日 初出

今日は広規さん達と分かれて別行動。天気予報によると久しぶりにいい天気なりそう!ということで、『ロック名所めぐり』取材がてら、まずは街中をブラブラすることに。

ここはチャリング・クロス・ロードからちょっと入った路地。

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セシル・コート(Cecil Court)といって古本、古地図、中古楽譜屋さんなんかが集まっている通り。東京でいう神保町だ。ゼンゼンこっちの方が小さいけどね。
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イギリスはウィリアム・シェイクスピアやアガサ・クリスティを生んだ日本に並ぶ読書大国。本の装丁にも並々ならぬ技術とこだわりを見せる。
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他にも専門書店が軒を連ねる。
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ここは音楽書を専門に取り扱っているお店。神保町にもあるよね。
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こっちもそう。クラッシック関連の書籍が多かった。
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ここは車やオートバイ関連書籍のお店。
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チャリング・クロス・ロードに戻る。もう数えれないくらい歩いているエリアだけど、こんな建物気がつかなかったな。抹茶テイストでおっしゃれ~!

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やっぱりロンドンの街並みはすこぶる美しい。イギリスの田舎の風景もこの世の物とは思えないくらい美しい光景が広がるが、多くの人が認めるように、私もこのロンドンの街並みが大好きだ。ヒトラーがぶっ壊さなかったらもっときれいだったのかな?

それでもイギリスの連中に言わせるとベルギーの方がもっときれいだって言うね。イヤ、アタシャ、イギリスで大満足です!
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ピカデリーをブラついていたら宗教系のデモに遭遇。
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何を訴えているのかはわからないが、何しろすさまじい熱気!
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リージェント・ストリートもユニオン・ジャック一色だ。
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しっかし、ようやく晴れたナァ~。
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せっかく晴れたので何かロンドンならではの美しい景色を撮りたいと思い立ち再度リッチモンドへ向かうことにした。
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やっぱり抜群にきれいだった。

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まるで絵画。というか、画家たちがこれを絵にしたのだから絵画的で当たり前なのだ!

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それしてもいい天気!今度は暑くてしょうがない!
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久しぶりに顔を出したお日様のもと、お母さんと戯れる少女。きゃわいーなー。鳥さんもいいけどお嬢ちゃん、フンに気をつけるんだゼ!
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河畔のホテルもこの通りの美しさ!
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曇天下の前回のレポートとはえらい違いでしょ?

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この光景がウエスト・エンドから20分ぐらいのロケーションに広がっているとはにわかには信じがたい。
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ま、せっかくここまで来たので有名なKew Gardenでも見てみようと、おとなりのキュー・ガーデン駅で下車。キュー・ガーデンまでは駅から歩いて10分かからないぐらい。自慢の美しい庭園をカメラに収めようと重い足を引きずって行ってみた。たけーの、入場料。やめた。
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で、ナニもしないで駅までもどってホームのベンチで電車が来るまでの間、この2週間のこをボ~~っと思い出していた。

明日は最後か…。ずいぶん色々あったな~。楽しかった。みんなにホント~に良くしてもらった。最高の友達たちだ。感謝感謝。彼らが東京へ来たらどうやってもてなしてやろうかな?楽しみだな~。

ジムを送り出す会、ヨーク、エジンバラ、ニューキャッスル、サウス・シールズ、ダイアモンド・ジュビリー、ポールの歌…。あまりの天気の悪さに寂寥感が芽生え、途中で帰りたくなっちゃったけど広規さん&くり子と合流して復活!やっぱりアッという間だった。

なんて感傷的になってロンドンの中心街へ戻って行った。
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そして次の日、私は機上の人となって、愛すべき祖国へ向かったのであった。

これにて『イギリス紀行2012』を脱稿させていただきます。広規さんシリーズも含め、23回にも渡ってご覧いただきましてどうもありがとうございました。

でもね、肝心なものはまだ出していないのです。それはこの旅でゲットした「ロック名所」ネタ。こちらも近日公開致しますので是非ご期待くださいませ!
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<おまけ>

ここ数年の円高は対ポンドにおいても猛威を振るっていて、観光には実にうれしい環境を作り出してくれている。10年ぐらい前には£5のCDを買うのに1,150円払っていたのを今では625円でゲットできる。実は私はロンドンで本はよく買うけど、イギリスでCD買ったことがほとんどなかった。

そんな円高を味方にCDをツラツラと見て回り、少し買いこんで来た。

このアリス・クーパーのライブ盤は見たことがなかった。£5だったので即ゲット。これは1975年、ロスアンゼルスでのライブ。名盤『Welcome to my Nightmare』の発売直後、つまり今でいうレコ発ライブだったのだろう、同アルバムから「The Awakening」を覗いて全曲演奏している。もちろん「I'm Eighteen」、「No More Mr Nice Guy」、「School's Out」、「Billion Doller Babies」等も演奏している。完全にショウ仕立てになっていて、71分の収録時間が短く感じる。音もよくて625円。
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大好きな大好きなセンセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンド。1976年の『SAHB Stories』と1978年の『Rock Drill』の2 in 1。「好きな割には2 in 1かよ」と笑わば笑え。ゼンゼンへっちゃらよ。だってSAHBって中古でほとんど見かけないもん。(『Next』とか『The Impossible Dream』ばっかり) 体裁にこだわって聴けないよりも、早いとこ内容を楽しんだ方がいいでしょ?もう残された時間があまりないのだ!2 in 1といっても2枚組で£10。

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The Whoのメモラビリア。音源はナニも入っていないコレクターズ・アイテム。相当売れ残ったんだろうな?元の値段の半額以下で£15。契約書やらチケットの半券のレプリカがゴロゴロ入っていて楽しい。それにブックレットの写真がすこぶるカッコいい。The Whoなんて撮ってみたかったよな~。この4人のライブの写真すべてが私の教科書のうちのひとつなのです。(それとジム・マーシャルにセシル・ビートン)
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これは人気音楽誌「UNCUT」の別冊。UNCUTは1997年創刊の総合音楽雑誌で、本誌は新しいミュージシャンを中心に編まれている。ところが、そんな雑誌でもこうして過去のブリティッシュ・ロックの遺産に関する別冊を時折出すのだ。こういうところがエライ!読むのはかなり骨だが、写真も多く、ページをめくっていてワクワクしてくる。なによりもこうしたブリティッシュ・ロックに関するアイテムを本場イギリスで手に入れることに快感を覚えるってワケ。これ東京で見かけても高いし、絶対買わんよ。ジョン・レノンとフーは数年前に買ったもの。今回はツェッペリンの特集だったので迷わずゲット。£6.99。

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ヒッチコック大好き!作品をひとつひとつ解説した豪華本。£30が£8で売っていた。これも多数のメモラビラが収蔵されていてうれしいなったらうれしいな!
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極めつけはコレ!£19.95の定価でゲット。古今東西のミュージシャンの写真が雑多に掲載されている。そこには何のテーマも見受けられないが、ま、参考書的に持っておいてもよかろうという判断が働いた。それよりもこの表紙を見たら義務感が湧いてきて買わずにはいられなかった。
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完全にMG15DFXだもんね~。マーシャルの社長に見せたらなんじゃこりゃ的に「見たことないナ~」と驚いていた。それにしても、滅法重くてさ。ヒッチコックの本とこれだけでもう超へヴィ級。買って買いたい本は他にも山ほどあるんだけど、重量を考えるとイヤになっちゃうんだよね~。デザイン・ミュージアムで見つけたソール・バスの作品集も欲しかったんだけど、とても持って帰れる重さではなかった!

飛行機で預かってくれる荷物の重量は23kgまで。それを超えると4,000円ぐらいの超過料金を払わなければならない。ところがANAなんかは2個まで無料で預かってくれるので、この超過料金を払うより8,000円以下のバッグを買って荷物を分けた方が全然利口なの。ヴァージンは1個しか預かってくれないので注意ね。

この他。マイルス・デイヴィスの自伝のペイパーバックが£3だったので買ってみた。

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『イギリス紀行2012』これにてすべて終了!長い間お付き合いくださいましてありがとうございます。