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2021年6月10日 (木)

私の萩<後編>

 
いきなりナンですが…
「ハイジ」といえば「ヤギ」。Sheidi そして「ハギ」といえば「ヤキ」…そう、「萩焼」ですな。Shagi 私は焼き物についてはカラっきしナニも知らないんだけど、「一楽、二萩、三唐津」とか言うそうで…。
「一」の楽焼は千利休が創案した茶用の焼き物で400年の歴史がある。
「二」に付けた萩焼は坂高麗左衛門という朝鮮からの帰化人が初代で、こちらも400年以上の歴史を持っているそうな。やはり優れた茶陶としての評価が高い。
「三」の唐津焼も朝鮮由来でもっと歴史が古く、茶陶に限らず瀬戸物のことを「唐津焼」と言うほどマルチな活躍を見せる陶器。
…なのだそうです。
ところで、ハイジってスイスでしょ?…ということはドイツ語を話すワケだよね。
「グーテンターク、イッヒ・ビン・ハイディ、アインフォフ・ツグライフェン」と、ヨーロッパでは「馬に話しかける言葉」とされている言葉で話をしているのかと思うと興ざめだな。
反対に「神様に話しかける時の言葉」はフランス語だそうです…「ジュマペール・アイディ」もおかしいか。
しかし、どうしてあのヤギの名前は「ユキちゃん」なんだろうナァ。
 
さて、その萩焼から今日はスタート。
さすが焼き物の町、中心からチョットはずれるとこんな窯を見かける。

275こちらは国道191号線沿いの萩焼のお店。

280_2「泉流山」という。

290vお店の横にある「登り窯」とかいう段々畑みたいな窯が目を惹く。

320_2チョット高級そうな感じだったので、入りづらかったが見るだけでも見てみようと暖簾をくぐってみた。
すると、我々でも手の届くような商品もたくさんあるじゃないの。
何より「いらっしゃい!」と出て来てくれた若い女性店員さんが快活で実に気持ちがいい。
「すずちゃんみたいで可愛いね~!」と言うと「イエイエそんな、髪型だけですよ~!」と明るく応対してくれた。
もうコレだけでナニか買ってあげたくなっちゃう。

Simg_5508 そのすずちゃんが解説してくれたのは、萩焼のヒビと色について。
経年変化でヒビが入るのは知っていたが、それは使っているうちに入るものかとばっかり思っていた。
すると「向かって左が新品で~す。右は使い込んだモノで~す。ハイ、新品の方をよ~く見てくださ~い」とすずちゃんが元気よく説明してくれる。
「よ~く見ると細か~いヒビが入っていますでしょう?ここに飲み物がしみ込んで、色がついてヒビが浮かび上がってくるんですよ~」…そういうことか。
不衛生な感じがしないでもないが…。
そして、赤っぽい方が押しなべて値が張る高級品になるそうだ。
と、すずちゃんがニコニコ一緒懸命説明してくれたこともあって何点か頂いて行くことにした。
女も男も愛嬌があるというのは得なものです。
人間、ブスっとしてちゃイカンよ。損するわ。300_2「上にこの窯元で作った作品の展示場があるので、よろしかったら商品を包んでいる間、ご覧になりませんか?」とお誘いを頂いたのでお言葉に甘えることにした。
登り窯の横を歩いて行く。326左は工房になっている。
アトリエ?
ココで作ったモノをお店に出している…当然か。

330_2少し登って後ろを振り返ると、とてもいい感じ。
イギリスで言えばストーク・オン・トレントですな。
340_2ストーク・オン・トレントはイングランド中部の焼物の町。
ウェッジウッド発祥の地ね。

110 坂を上り切ったところにあったのはこの建物。350「吉賀大眉記念館」なる焼き物の展示館。
こんなモノ何でここにあるのよ?と、我が目を疑いたくなるような立派な施設。
控えめな看板が国道沿いに立っているだけで、表からは一切見えない。360_2吉賀大眉(よしかたいび)は1915年生まれの萩市出身の陶芸家。
大き目の陶器がトレードマークだった。370私は焼きものが全然わからなくて、大眉のことも存じ上げない。
失礼ながらツラ~と拝見していたのだが、ひとつの写真が目に止まった。
下の写真。
左が大眉先生。
そして、右で絵付けをしているのが、ナント香月泰男だというのだ!

380_2
香月泰男は洋画家で、終戦後ロシア軍の捕虜となりシベリアに数年抑留し、重労働に苦しんだ。
その時の過酷な日々を独特な画材と技術を用いて描き上げたのが氏の「シベリア・シリーズ」。
10年以上前、立花隆が嗚咽を交えながら香月さんの人生と作品を語ったテレビ番組を偶然見ましてね。
興味を持ってこんな本を読んでみた。390b 折よく、東京駅のステーション・ギャラリーで回顧展が開かれて観にも行った。
スゴかった。
ヘタな心霊写真よりよっぽど恐ろしい。
囚人のうめき声が聞こえて来るようだった。
こういう絵ね。S400帰りがけにとても品の良い女性の係の方と話をした。
私が香月泰男の話を持ち出すと、彼女はすごくビックリしていた。
「香月泰男の名前を口にする人なんて滅多にいませんよ!」というワケ。
そして、大眉との関係を語ってくれた。
香月先生は今の長門市の出身。
2人は東京美術学校(今の東京芸大)の同窓ということでとても仲がよく、しょっちゅう一緒に酒を呑んでいらしたそうだ。
それで、香月先生が大眉先生の作品にこうして絵を描いていたというワケ。410その品の良い係の女性、とても詳しいと思ったら大眉先生のお嬢さんだった。
お嬢さんといってももうおバアちゃんよ。
ホントに建物が素晴らしくて、そのことを伝えると、「やっぱりわかる方がご覧になるとおわかり頂けるんですね~」…なんて言ってくれたけど、イヤイヤ、全然わかんないってば!
材料がよくて、意匠もさりげなく、すごく雰囲気がヨカッタので正直にそう言っただけ。
それもそのはず、タイルの1枚1枚まで吟味したものを採用したそうだ。
先生は作品を売り、それで得た資産でこの展示館を造ったというから、相場が相当高いに違いない。

420_2そんな建物やら芸大の話をしていたら自然と谷中の「朝倉彫塑館」の話題になった。
早稲田大学の大隈重信の銅像を作った朝倉文夫のアトリエと住まい。
この建物は本当にスゴイからね。
表からはそのスゴさは絶対に想像できない。
彫像も8m大の小村寿太郎像なんてモノが展示してあって驚いた。
その大眉先生のお嬢さんは行ったことはないけど、やはり気になっていていつか行ってみたいとおっしゃっていた。S2as

さて、「私の萩」のクライマックス。
「萩焼」はもう出た。
残すところといえば…そう、吉田松陰。
も~、ココは「吉田市」に改称した方がいいのではないか?と思うぐらい町中に松陰、松陰、松陰、松陰、高杉、松陰、松陰、松陰、松陰、伊藤、松陰、松陰、松陰なのね。
何せ松陰の印象がすさまじい(←シャレです)
高校の修学旅行の時にはそんなに松陰松陰してなかったような気もするんだけど…。
まぁ、こんなこともあろうかと、ココへ来る前に童門冬二という人の『小説 吉田松陰』を読んでおいた。
文庫で600ページを超す大著だ。
ゴメン、途中から2ページ飛ばしの斜め読みにはなったが、とてもいい参考になった。
だってもう~筆致がサ…直截的に「松陰はスゴイ」ということしか書いてないんだもん。
コレ、吉村先生だったら100ページでまとめているのではないかしらん?
ところがこの童門さん、歴史上の人物を描いた作品を中心に膨大な著作があって、美濃部都知事のスピーチライターを務めていたっていうんだよ。
驚いちゃったよ。
でも、この旅のとてもよいガイドブックになった。825bでは吉田松陰をめぐる旅に出てみましょう!
まずは松陰神社でしょう。
8201907年(明治40年)、松下村塾のOBである伊藤博文他が神社創建を請願したことにより建立された。
何度も書くけど、42年ぶり…覚えてないな~。830「明治維新胎動の地」の碑。
ココから始まったんだよ、維新。
840v「学びの道」…コレは42年前にはなかった。
道の両脇に松陰先生のご箴言がズラリと掲げられている。
ああ、ココを通って間接的に先生の薫陶を受けていれば東大ぐらいは入れたかもな。
イヤ、修学旅行でココへ来ていた時点で手遅れだわ。850「学は人たる所以を学ぶなり」…生きるってナンダっ!?

860vこれが本殿。
昭和30年の築造だそうです。

870その手前にあるのが松下村塾。890例の世界遺産の一角。
900コレは覚えてる。
「まつしたむらじゅく?」なんてやってたから。
もうその頃は寝ても覚めてもロックに夢中だったんだよ。

910松陰戦線の門弟のポートレイトがズラリ。
「幕末オールスターズ」です。
やっぱり伊藤博文はどこへ行っても千円顔だな。

920皇太子殿下もお見えになられている。
当然か…尊攘派の原点だもんね。
大正15年の5月に立てられた記念碑というから、殿下がココへお見えになった7か月後に昭和天皇に即位されているんだ。
930v松陰先生はペルリに頼んでアメリカへ密航しようとするが失敗。
つかまって萩に送還されて、入牢。
その後、自宅謹慎させられた場所がこの三畳間だった。
スゲエ本をたくさん読んだんだって。
数か月で1,500冊とか何とか?
しかし、よくそんなに本があったよな。
実は松下村塾というのは松陰先生が作ったモノではないんだよね。
玉木文之進という叔父さんがやっていたものを引き継いだ。940境内にはこんな碑も。
「薩長土連合密義の處」…メンバーは、薩州:田上藤七、長州:久坂玄瑞、土州:坂本龍馬の3名。
岸信介の揮毫だよ。

945松陰神社の裏手にチョット上がった田舎に行けばどこにでもあるような道路。Simg_0539 そこに玉木文之進の家がる。
例の松陰先生の叔父さんね。
文之進は学識に優れていて、近所の子供を集めて塾としてココで勉強を教えたんだね。
その塾の名前を「松下村塾」といった。

950く~、何にもなくて気持ちいいナァ。
この年になるとね、東京を離れて空気のいいところへ行くと、肺や鼻が喜んでいるのがわかるんだよ。
ドンドン吸ってやりたくなっちゃう。

960そこから一気に山に上がる。
松陰先生の生家。
ナニも残っていない。

970そこには弟子の金子重輔を従えた銅像がある。
1968年に明治維新100周年を記念して建立されたそうだ。
先生が下田でぺリーの艦隊を見つめているところだそうです。
金子重輔は松陰先生に従って一緒に黒船でアメリカへ密航しようとした人。
後でもう1回出て来ます。980v先生がご覧になっている景色はこんな。
下田のそれとはエラく違うけどキレイだった。990その横には吉田家の墓所。

0r4a0109 松陰先生は「安政の大獄」で小伝馬町の牢屋敷に投獄され、安政6年(1859年)に斬首された。
30歳だった。
首切り役は「首切り浅」の異名を取る山田浅右衛門。
刑を執行したのは小伝馬町の牢屋敷。
今は下の写真ように公園になっている。
浅右衛門他その場に居合わせた役人は、その時の松陰先生の態度に胸を打たれたという。
全く取り乱すことなく、悠々と歩み出て役人たちに「ご苦労様」と言って端座したというのだ。1000その後、亡骸は小塚原(今の南千住)に捨てられ、高杉晋作らがそれを掘り起こしに行った。
そして、一時的に回向院という小塚原で処刑された人たちを葬る寺に預けた。
その時の墓がコレ。
墓碑銘は「松陰二十一回猛士墓」となっている。
その4年後、長州藩士らによって、現在の世田谷区若林にあった長州藩主毛利家の別宅の地に改葬された。
それが今の東京の松陰神社。1010そして、下が萩にある松陰先生の本当のお墓。
帰って来たんだね~。
といっても、松陰の百ケ日に遺髪を埋めて作ったモノだそう。
やはり墓碑銘は「松陰二十一回猛士墓」。
コレは松陰の号で、「人生21回、猛を奮って大事をなさん」という意味なのだそうだ。
何で21回も…?
パズルになっているそうですよ。
吉田の「吉」を分解すると、「十」と「一」と「口」になるでしょ?
同じことを「田」でやると、「十」と「口」になる。
数字の方を全部足すと10+10+1で21。
一方、「口」をふたつ重ねると「回」でしょ?
だから「二十一回」なんだって…お後がよろしいようで。

1020墓前には門人であった前原一誠、久坂玄瑞、品川弥二郎、伊藤博文、高杉晋作らが寄進した石の水盆、花立、燈籠が並んでいる。1030高杉晋作の墓もココにある。1040vハイ、市街地へ降りて来ました。
何の変哲もない住宅街の通り。1045前にも書いた通り、吉田松陰は実地で見聞を広めようと、浦賀にやって来たペリーに頼んでアメリカへ密航しようとしたが、あえなく失敗。
一旦小伝馬町に投獄された後、萩へ送還された。
この辺りのことは吉村先生の『黒船』に少し詳しく書いてある。
『黒船』はペリー来航時に通詞(通訳)を務めた堀達之助の生涯を描いた一作。
当然メチャクチャ面白い。

1046bそんな住宅街の通りにボコっと現れるのがコレ…「野山獄」という松陰が密航失敗後、萩に送還されて投獄された牢獄の跡。
こんなところにあったんだ!1050<前編>で紹介した十一烈士の処刑もココで行われた。

1060vその真向いにあるのが「岩倉獄」。
コレも牢獄。
同じ罪人でも身分が高かったり政治犯だったりすると「野山獄」へ入れられた。
学識人の先生は野山獄。
一方、松陰に従って浦賀へ行った弟子の金子重輔は、残念ながら身分が低かったので普通の罪人が入れられるこっちの「岩倉獄」に投獄された。
ものすごく待遇が異なっていた。
入ったことはないけど、今の刑務所は「罰」というよりも「更生」を第一義にしているらしいんだけど、江戸時代の牢獄は完全に「罰」を与えるところだった。
だから身体がよっぽど丈夫でないとすぐに獄死してしまう。
1070そんなだから、重輔もこの岩倉獄で死んでしまった。
そこで「金子重輔君絶命之處」という碑が建てられている。
揮毫は元総理大臣の田中義一。

1080vドンドン行くよ~!
 
コレは滞在2目のようす。
も~雨がどうにもならない。
「濡れない場所」ということで「萩博物館」に入る。Simg_5551入った途端、「紙芝居が始まりますので見て行ってくださ~い!」とガンガンすすめられたので休憩がてら見てみることにした。
お題は…「吉田松陰」。
またか…。
開口一番、紙芝居士(博物館の方)がこうおっしゃる。
「私たち萩の人間は~、『吉田松陰』などと呼び捨てにすることは~、絶対にありませ~ん!
か~な~ら~ず~、『松陰先生』とお呼びしま~す」
そんなに偉い人が郷土にいらっしゃるなんて羨ましいナ。
じゃ、こっちは明日から「勝海舟先生」かぁ?
おとなしく見ていたんだけど、途中で携帯が盛大に鳴ってしまって逃げるようにして途中で出て来ちゃった。
もちろん、終演後に紙芝居士の方に謝りに行きました。

Simg_55521回だけ書きます。
「明治維新」という革命はアメリカの戦争映画と同じで、倒幕派から語られることが圧倒的に多いけど、幕府側の人たちがどんなことをされたのかも知っておく必要があると思いますよ。
 
ココは東京の谷中。
このネコとメンチで有名な「谷中ぎんざ」は観光客で常時往来が絶えない。Simg_4859その端の「夕焼けだんだん」と呼ばれる坂を上ったところの左側に「経王寺(きょうおうじ)」という寺がある。Simg_4649その山門。
穴が開いてるでしょう?Simg_4654こっちも。
これらは長州の皆さんに開けて頂いた風穴です。
彰義隊が寛永寺から逃げこんで来た幕府軍の連中を追いかけて来て銃を撃ちまくったんだね。

Simg_4653こっちはもっとスゴイ。
幕府軍の総本山、上野の東叡山寛永寺の入り口にあった門。
いわゆる「黒門」。

Simg_8194穴だらけ。
彰義隊の遺体はこの円通寺で火葬された。その関係で黒門が彰義隊の墓とともにここに残されている。
こういうのは戦争だから仕方ない。Simg_8198 しかし、会津藩なんかはこんなもんじゃとても済まされなかった。
少なくとも松陰先生が生きていればその蛮行を許さなかっただろう。
だから会津の人は「維新」とは言わず、今でも「戊辰」という言葉を使う。
このことは松平容保のひ孫さんがそうおっしゃっていたのを実際に聞いたことがある。
こういうことを知っておかないと。
歴史というモノは絶対に裏表を見る必要があるからね。
吉村先生の最晩年の長編力作『彰義隊』なんてのを読んでみるとよろしい。
人間何事も勉強ですから。Ssgt_2最後…雨はヒドくなる一方だし、クタクタになっちゃったしで、もう切り上げようかと思ったんだけど、もう一か所寄ることにした。
割引券もあったし、「アレだけ見て帰ろう」と家内がプッシュしてくれから。
そして、どうにかやって来たのが、前日に聖火リレーのイベントを開催した萩中央公園の隣にある「明倫学舎」。

Simg_5563元々ココには水戸藩の「弘道館」や岡山藩の「閑谷黌(しずたにこう)」と並ぶ「日本の三大学府」のひとつ「明倫館」があった。
そういえば、去年水戸に行った時もメンドくさくなってしまって「弘道館」を見なかったんだよね。
要するに「明倫館」は長州藩の藩校ね。

Simg_5559 吉田松陰をはじめ、井上馨、桂小五郎、高杉晋作、長井雅楽等、み~んなココで学んだ。
乃木希典もOBだって(乃木将軍については吉村昭の『海の史劇』という本を読むべし)。

Simg_5558_2 で、この建物が明倫館の跡というワケではなくて、その後同じ場所に立てられた「明倫小学校」がコレ。
何とも美しい建物だこと!
ものすごくキチンと手入れがしてある。
というのは、国の登録有形文化財に指定されているこの小学校の建屋を新しい観光施設として2年前にオープンさせたばかりなんだって。
いいね~、アメリカの空襲も大地震もなかったら…残っていさえすれば何とでもできるんですよ。

1090明倫館当時のモノも残っている。
この「観徳門」と呼ばれる孔子を祀った聖廟の前門。1100「有備館」と名付けられた剣術と槍術の稽古場。

Simg_5567 それとコレ。
向かって左の碑は明倫館が出来て21年目の1741年に毛利家六代目当主の宗広が創立の由来を伝えるために立てたモノ。
右は嘉永2年、ペリーがやって来る4年前の1849年、十三代藩主敬親が「新明倫館」の開校を記念して建てたモノ。
コレも亀趺(きふ)の上に建てられていた。
スゴイね、どれも大切にしてください。

Simg_5560現存する日本最大の木造校舎とだけあってデカい!
こういうのが2棟あるんだから。
私は小学校2年までこういう木造校舎だったな。
トイレが汚くてすごくイヤだった。
アレ、汲み取り式だったのかな?…覚えてないな。
教室が売店やカフェになったていたり、ビデオの上映室になっていたり…当然、維新のビデオよ。
「世界遺産ビジターセンター」なんてのもあったりするが、土台観光客を集めるための施設の感は否めない。
それなのにナゼ私がこんなに丁寧に案内しているか…。

Simg_5573コレを紹介したかった。
コレにはマジでブッたまげた!
小川忠文さんという幕末の品々を6,000点以上個人的に蒐集していらっしゃる方のコレクション。
文献が大半らしいが、グッズもスゴイ。
シャレで「是苦集(これくしゅう)」なんて名付けていらっしゃるが、トンデモナイ。
こんな人がいらっしゃるなんて!…なんでテレビで全国的に紹介しないんだろう?
それぐらいの価値は十二分にあると思う。
でも小川さんは下関の方なんだって。
しかし、萩が幕末の倒幕活動の発祥地でもあり、中心地でもあったということで何百点かを寄贈したそうだ。
とても上手に展示してあって、コレは「萩市の新しい自慢」と認識してもいいんじゃないの?

S4img_5574
日本の博物館/美術館はイギリスと違って残念ながら見学者に写真を撮らせないのが大きな難点。
なので、インターネットの写真を拝借してそのスゴさを紹介しておく。
コレクションは「天文」、「機械」、「医学」の3つのカテゴリーに分けて展示されている。

Ent「機械」というのは「からくり」のことね。
例えばこの江戸時代の扇風機とか時計とか。

Fn_2長州の支藩の殿さまが遊んだゼンマイ仕掛けの亀。
『なんでも鑑定団』に出品され、100万円の予想をしたところ200万円の値がついたそうだ。
昔の仕事の取引先に骨董コレクターの方がいて、蔵の中から出て来たシャリアピンのSP盤を見てビックリ。
何とシャリアピン自身のサインが入っていたのだそうだ。
そこでそのSP盤を鑑定に出した。
「シャリアピン」というのは、20世紀前半に活躍したオペラの歴史において最も重要な歌手とされるロシア人。
「シャリアピン・ステーキ」ってあるでしょ?
アレはこの人が来日した時に宿泊先の帝国ホテルのシェフが考案したメニューなんだよ。
シャリアピンは当時歯を悪くしていて、肉を食べるのが大義になっていたので、シェフは肉を柔らかくするために、まずたたいて伸ばし、タマネギのみじん切りに漬け込んだ。
名前はよく聞くけど、日本でしか通用しない料理名だそうです。
で、そのSP盤、結構いいお値段が付いた。
でも、あのテレビで提示している値段というのは、鑑定士が買い取る値段ではなくて、「もし買い取ってアナタが売るとしたらサァいくら」という骨董品屋の利益含みの値段らしい。
だから結構無責任と言えば無責任な値段なんだって。
展示室ではからくりが動くビデオを上映していて、みんな完動品なのに驚いちゃう。

Km さぁ、私が燃えたのはココから。
「天文」のところ。
ボランティアのガイドのおジイさんがよせばいいのに伊能忠敬の話を切り出して来た。
おいおい、ウチでは伊能忠敬のことを「伊能勘解由」とか「推歩先生」とか呼んでるんだぜ。
ま、井上ひさしの『四千万歩の男』を読んだだけなんだけどサ。
1120伊能忠敬が使っていた測量機器そのものが置いてあるワケではないんだけど、同じ型のものがズラリと展示してある。
そのどれもがピッカピカなんよ。
他にも地球儀だの遠眼鏡(望遠鏡)とか。
おジイさんが伊能忠敬の生涯を説明しようとしてくれるんだけど、コッチは黙っていられないじゃない?
「養子なんですよね」とか「千葉の佐原の出身なんですよね」とジャブを入れてみるが、おジイさんヘッチャラ。
ガンガン説明しちゃう。
Ti「千葉の佐原に行きますとね、伊能忠敬の博物館があるんですよ」
「ハイハイハイハイ、行きました、行きました。すごくヨカッタです」
コレね。1140「伊能忠敬は日本の地図を…」
「ハイハイハイハイ、自分では完成していないんですよね。弟子たちが長屋を借り切って巨大な地図を清書したんですよね」
下は伊能勘解由と私。

1130v「その弟子は…」
「ハイハイハイハイ、高橋景保ですよね」
「景康はシーボ……」
「ハイハイハイハイ、シーボルト事件ね」ってな調子だったんだけど、ガイドのおジイさんビクともしない。
仕方ないので、必殺ワザを繰り出してみた。
「伊能忠敬は自分が死んだら師匠の高橋至時の隣に埋葬してくれって遺言したんですよね。それが幡随院長兵衛なんかも埋葬されている浅草の源空寺。
へへへへへ、実はその墓はウチのすぐそばなんですよ」とやってみた。
おジイさん、人の話を全く聞いていませんでした。
コレがその伊能忠敬のお墓。
なんか、今回「歴史特集」というより「墓特集」になっちゃったな。1145アレ?おジイさんいなくなっちゃった?と思っていたら、ナント、もう次の部屋に先回りして待ち伏せしてた!
「ハイ。次はですね~」なんて用意しちゃってる。
頼んでない!っつ~の!
次は「医学」のコーナー。
ココも面白かった。

Ana江戸末期の手術器具やら体温計やらの展示。
 
ガイドのおジイさん、またやっちゃった。
ナント腑分けの話をし出したのだ。腑分けというのは人体解剖のことね。
何でも日本で最初の解剖は萩で行われたとか…。
そうかな~。
私の認識と違うなんだよな~。
吉村先生の『事物はしまりの物語』という「日本で最初の〇〇」を集めた本の巻頭にある「解剖」というパートを読むと、「日本で最初の解剖が行われたのは宝暦4年(1754年)」のことで、京都において山脇東洋によって執り行われた…とある。
それまではカワウソを使って研究していたらしい。
京都所司代に東洋の弟子たちが申し出て罪人の死体を使って解剖する許可を得て実現した。
自分たちではできないんだけどね。
役人がハラをかっさばいて、中を医者に見せるというやり方。
「チョットそこんとこ、どうなってんの?そこそこ、肝臓のこっち方!」なんてやっていたのだろう。

Hm その17年後、江戸の小塚原で杉田玄白、前野良沢、中川淳庵らが解剖を実施し、それを本にした。
それが有名な『解体新書』。
下はその腑分けが行われた南千住の回向院。
松陰先生の遺墳があるところね。
他にも橋本佐内、雲井龍男、鼠小僧津次郎吉、カール・ゴッチなんかの墓もあるんよ。
0r4a0058『解体新書』はベストセラーとなり玄白は億万長者となった。
この辺りのことは『冬の鷹』という本をどうぞ。
1110bその後、腑分けが頻繁に行われるようになり、日本の医学は急速に進化した。
ところが脳の研究は一向に進まなかったらしい。
というのも、腑分けに供される死体は斬首になった罪人のモノばかりであったため、頭が身体にくっ付いていなかったから。
明治2年には吉原の女郎で梅毒を患い余命幾ばくもない、「みき」という女性が死後に自分の身体を解剖に供して欲しいと自ら願い出て、コレが日本の篤志解剖第一号となった。
普通、吉原の女郎は命を落とすと南千住に今でもある浄閑寺というとろにポイと投げ捨てられて終わりだったが、死骸を解剖に供すればねんごろに弔てくれるという処置を期待してのことだった。
その後も医学の進歩を期して、解剖は東京医学校(後の東京大学医学部)で盛んに行われるようになった。
そうした解剖に協力した方々を慰霊するために東京大学が谷中霊園に建立した慰霊塔が下の写真。Simg_4647
…という話をしても、例によっておジイさんヘッチャラどころか、「あ、もう時間ですね。別の担当の部署に行かなきゃ」と言ってサッサと姿を消しちゃった!
萩のガイドさんは<前編>で紹介した伊藤博文の生家の方とか、押しが強く、なかなか人の話を聞いてくれないね…でもとても親切でオモシロかったよ。
他にも鍼灸のツボを表した人形…

Md木でできた入歯やら。
小川さん、一体どこでこんなもん探してくるんだろう?

Tt_3
数年前には萩博物館で期間を設けて小川コレクションの特別展も開催していたようだ。
さっきのおジイさんに訊くと、この明倫学館を作ったはいいが、「展示すべき中身がない」ということで小川さんの協力を仰いだということもあったらしい。
それがこうして常設展になり、いつでも、誰でも見れるようになったのは素晴らしいことだ。

Fl他にもスゴイのよ。
銘板を見るとほとんどすべてに「小川コレクション」と入ってる。
ミニエー銃とかゲベール銃とか、幕末の戦争ものの小説でしか目にしない名前のホンモノがゴロゴロしてる。

Gun大砲や砲弾…

Bl夥しい数の陣笠。
とにかく素晴らしいのがその保管の状態。
全てがピカピカで「ああ、ココが取れちゃってるのが残念だね~」なんて不完全なアイテムがまずない。

Jgこうなると気になるのが、小川さんのお姿。
現場には一切写真が展示していなかったのでインターネットで捜索してみた。
こんな方…おお、いかにもジェントルマン!
相当な資産家なんでしょうネェ。
そうでなければこんな貴重品をドッカンドッカン手に入れられるハズがない。
でも、一番不思議なのは、この膨大なコレクションを一体全体どこにどうやって保管していたのだろうか…。
小川さんはご自分で「是苦集」なんておっしゃているが、コレ…周りの人が一番「苦」なんじゃないかしら!

Otココに何時間いたかナァ?
萩にいらっしゃるチャンスがあれば絶対にこの小川コレクションは見ておくべし!
だいたいね、こんなスゴイものは国なり都なりが金を出してそれなりの施設を作って東京で展示するべきだよ。
もちろんもっとたくさんの人に見てもらうためにね。
そうすれば海外の人に見てもらえるチャンスも増えるだろう。
そしてキチンと保管して子孫に受け継いでいくべきよ。
日本人は本当にこういうことに関する民度が低い。
自分たちの歴史なのに!
イギリス人なら間違いなくそうしてるよ。
何なら大英博物館に寄贈した方がいいかもよ。

1150本当は石見銀山でも見学して羽田に戻ろうと思っていたんだけど、夕方の便がすべて欠航ということで滞在3日目の朝、空港を発たざるを得なかった。
あ~、今回もとても素晴らしい「田川旅」だった。
ヒロアキくん、美瑞穂さん、どうもありがとうございました!1155
☆★☆★☆★☆★☆★☆おまけ★☆★☆★☆★☆★☆★

コロっと忘れていたんだけど、楽屋でヒロアキくんの出番を待っていた時、フト思い出した。
それは「どんどん」といううどん屋。
10年チョット前、Marshallコレクターの竹谷さん(現Marshall Museum館長)を訪ねて熊毛郡田布施にお邪魔した時、同氏からこのうどん屋を教わった。
「おいしいな~!」と思ってね~。安いし。
いい感じのおダシとつるつるでコシのある麺。
何よりアツアツなのがうれしい。
昨年、高松へ行って讃岐うどんをいくつか食べて来たけど、ん~、ゴメン、ナント言われようと私は「どんどん」の方がいい。
その後、田布施やかつてMarshallミュージアムがあった柳井へお邪魔するたびに「どんどん」のうどんをおいしく頂いた。
今回その大切な「どんどん」をスッカリ忘れていたのだ。
で、楽屋で「どんどん」のことを思い出してそんな話をすると、上に登場したビデオの木ノ切さんが「『どんどん』は確か本店が萩のハズですよ」と教えてくれた。
それじゃ~!ということで、本店ではなかったんだけど、美瑞穂さんが教えてくれたホテルと会場の途中にあるお店に食べに行った。

1160天ぷらうどん…やっぱり美味しいんだよね。
丸亀とか花まるみたいなお盆を持って移動する学食スタイルではなく、完パケ品を出してくれる。
チョッ~トだけ甘いおダシがたまらなく美味しい。
血圧のこともあるので全部飲み干すような無茶はしないが、ゴクゴクいけちゃう。

1170店内もいい感じ(…に見えて来る)。
そして、思うのは「ああ~、東京に『どんどん』があればどんなにシアワセか…」。
そこでイチかバチかインターネットで調べてみた。
キーワードは「どんどん・うどん・東京」だ。
するとすぐに出て来た。

Simg_5555「箱崎TCAT店…フムフム。
住所は…ナニナニ…中央区…箱崎町…?」
オイ、チョット待てよッ!
ナントそこは、以前勤めていた会社の事務所のそばで、お昼にさんざん食べに行っていたお店だった!
なんだよ~、アレ「どんどん」だったのかよ~!
全く気が付かなかった。
ナゼなから…山口の方が格段においしいから。
と思って、それを確かめに早速行って来た。

1190メニューは公平を期して天ぷらうどんだ。
ちくわもプラスした。
結果!
コリャ同じ味だわ!
でもやっぱり山口で食べた時の方が絶対おいしい感じがするんだよナァ。
ひとつにはこの東京の店は丸亀みたいな学食スタイルだということ。
もうコレで味が丸亀ってしまう。
もうひとつは山口県の風土や人のあたたかさがそう感じさせるのかな…ナンチャッテ。
 
最後までご高覧頂きありがとうございました。
Sdd_2jpg2 

 
(一部敬称略 2021年5月14~15日 山口県萩市にて撮影)

私の萩<前編>

 
生まれて初めて降り立ったこの空港は島根県の萩石見空港。
いいね~、地方の空港って…広々としていて、とても静かなんだよね。
昨今のコロナ禍で羽田から日に2便飛んでいたウチの夕方の便が欠航だって。
ホントにANAさん頑張って耐え抜いて欲しい。
さもないと長年貯め込んできた私の虎の子のマイレージが水の泡になってしまうからね。
Simg_5444 これから向かうのは山口県の萩市。
後で地元の方に訊いてみたところ、東京との行き来には普通宇部空港を使うらしい。
飛行機の運航便数が多いのと、アクセスする道路の便が良いとか…。
そして、萩石見空港は「国内最優秀空港」というANA社内のコンペティションで4年ぶり2回目の優勝を果たしたそう。
「安全性」、「定時性」、「快適利便性」の3つのポイントにおいて全空港従業員が一丸となって業務を遂行している姿勢と結果が評価されたらしい。
前年は最下位だったんだって!
また、空港から萩へのルートも超快適だった。
新しい発見もあったし…。10空港から萩へは海沿いの国道191号線をひたすら西に進む。
するとすぐに目に飛び込んできたのが「田万川」という「道の駅」。
家内は道の駅が好きで、時間もあったのでチョット寄ってみた。
それからさほど走らないウチに、次の道の駅が現れた。
なんだ、都電荒川線みたいだな。
それがこの阿武町(あぶちょう)の道の駅。20ココがステキでしてね~。

30海に面していて実に風光明媚な道の駅なのだ。40温水プールもあるよ。

50そして萩の町に入る直前には下の「シーマート」という道の駅。
60kmにも満たない距離に3つもの道の駅がある。
地元の方から教わって調べてみるに、この「道の駅」というプロジェクトは、山口2か所、栃木3か所、岐阜7か所から始まったのだそうだ。
しかも、その山口の2つというのは、さっき寄って来た「田万川町」と「阿武町」なのだそうだ。
コレが新しい発見。
60このシーマートってのがスゴイんだわ。
魚市場といえば大ゲサだけど、新鮮な魚介類が所せましと並んでる。
コレは観光客目当てとかいうモノではなくて、完全に近所の人たちが晩ご飯のおかずを買いに来てるてぇヤツ。

70干物がヤケクソにおいしそうな上にアホほど安い!
大分買い込んでクール便で送ってもらった。
東京に帰って食べた。
名物のアマダイもアジも破天荒に美味しかったわ。
こっちの人たち、こんな新鮮な魚を食べていたら東京のスーパーのヤツなんてとてもじゃないけどキモチ悪くて食べられないでしょうね~。
イカもバツグン!
ところで、東京にもたったひとつだけ「道の駅」があるの知ってる?
それはどこか…。
答えは「八王子」。
もちろん新鮮な海の幸は期待できない。80そんな楽しい寄り道をしながらだったのでアッという間に萩の市街に着いた。
町の中心のアーケード。
こいのぼりが沢山上がっていてとても賑やかだが、人っ子一人歩いていない。
「ジョイフル」だった時からそうとう年月を重ねたのだろう。
でも、東京だって似たような商店街がゴロゴロしているからね。S2img_0519 でも、地方の商店街を見て歩くのは楽しい。
ホラ、こういうお店をみかけるから。
古着にタバコ…

Simg_5461 薬屋さんだ。
タバコとクスリを売ってるのか…コレが本当の「二足の草鞋」。
「二足の草鞋」の本来の意味は、相反する2つのことを職業にすることを指す。
昼間はオマワリさん、夜はドロボー、とかね。
今は何でも2つの仕事をすることを「二足の草鞋」と言っているが、コレは本当は誤用。
掲げられた古い看板に「大阪武田商店發賣」とあるが、コレはお察しの通り、武田薬品工業の前身。
「ウロコ印」というのは1898年に登録したその武田商店の商標。
薬品業界のことは全く知らないが、この業界も特約店制度を採っていたのか。
こんな金看板を掲げている津田さんはきっと地元の名士なんだろう。
昔は公共性の高いモノは地元の名士や豪商が専売的に取り扱った。
肥料なんかがそうだった。
それに目を付けたのがセメントで、今でも地方へ行くと肥料とセメントを販売している古い商店をよく見かける。
コレは「二足の草鞋」ではありません。肥料とセメントは相反していないから。

110こんな軒下の装飾なんてモノはいいね~。

120「洋行」なんてのは古い言葉だね。
日本から中国へ進出して商売する連中が自分の会社や商店を「洋行」といった。
だから上海の三井物産は「三井洋行上海支店」といったらしい。130コレがその元上海の三井物産。
とても美しいビルだったよ。170_2 太田洋行さんにはこんなアイテムが売られていた。
「源義経の兜」だそう。
ホンモノかな?…なんて志ん生の落語みたいじゃん?ま、あれは骸骨だったけど。
ちなみに昔はセメントのことを「洋灰(ようばい)」っていったんだよ。140やっぱりこういう町並みはステキだね。

150町を歩く。
こうした建物を見ていると、いくら歩いていても飽きることがない。
「空襲がなかった」ってステキなことよ。

160こんな近代的なビルも!
「ヤング・プラザ萩」というシネマ。コンプレックス。
何がかかっているのかというと…170v「ローマの休日」に「ハリー・ポッター」に「七人の侍」!?
マジか!180「水戸会館」!
こんな名前をつけて大丈夫なのか!?
210コレはハンドメイドの帽子屋さん。
雰囲気がオモシロかったので撮っておいた。
筆ペン、習いたいな~。185人のことを言えた義理ではないが、萩市長…ん~、とてもわかりやすい!
もうご自分自身が市の名前のアイコンになってるもんね。
しかも「田中文夫」さんなんて、オッソロしくシンプルなお名前。
読み間違えられることも一切ないだろうし、綴りの説明がとてもラクそうでうらやましい。
お隣さんと違って、どんなことがあっても会議に遅刻することなどないマジメそうな方だ。

186v夕方のジョイフル。
……昼間と何ら変わりがない。
大丈夫、大丈夫、東京にもこういうところがゴロゴロしてるから。220その入り口にある「高札場」。
「高札場(こうさつば)」というのは、掲示板を掲げた場所のことね。
新聞もインターネットもなかったから、お上の通達をココに掲げて村人に内容を知らせた。
コレはレプリカだけど、当時の基礎が地中に残っていて、1654年に7枚の高札が掛かっていたことがわかっているんだって。
たとえば「忠孝にはげみ、親子兄弟仲良くすること」。
江戸の昔は「親殺し、主人殺し」なんていったら一発で死刑だからね。
それだけ忠を重んじていた。
「キリシタン禁令」とか「異国船の抜荷禁止」なんてのもあったらしい。
「抜荷(ぬけに)」というのは「密輸」のことね。
当時は抜荷で巨万の富を得る藩もあった。
ココはそうして村人が集まる場所だったため、晒場(さらしば)の機能も持っていた。
つまり極悪人をココで磔(はりつけ)にしたり、獄門で首を晒したりしていた。
ヤダよね、こんな町中に生首が並んでいたら!

200町を回って感じたんだけど、コンビ二が大変少ない。
イヤ、東京の多さが異常すぎるんだとは思うけど、ホントに少ないの。
スーパーもほとんど見かけなかったナ。
コレは町の既存の商店の保護を目的に市条例でも布いているのかな?
それで、ナゼかセブンイレブンの看板が赤と緑ではなくて白と黒なんだよね。
コレも景観条例かなんかで定めているのだろうか?
何だったかは忘れてしまったが、他にもが通常は色が付いているのに、モノクロの看板を掲げたチェーン店を見かけた。
スターバックスはどうなっていたかな?…あ、なかったわ。荒川区と一緒だ。

230私がどうして萩まで来ているのかをまだ書いていなかった。
オリンピックの聖火リレーのイベントに田川ヒロアキが出演するので、Marshall Blogがその取材にお呼ばれしたのだ。
イベントの内容はMarshall Blogでレポートしているのでコチラをどうぞ。
    ↓   ↓   ↓
TOKYO 2020 OLYMPIC TORCH RELAY<前編>

TOKYO 2020 OLYMPIC TORCH RELAY<後編>
460さて、見どころ満載の萩。
すこし山の方面に入って見て来たのは「東光寺」。
ココには感動しちゃったよ。
コロナで無人。
チャンと拝観料の300円は入れましたよ。

4701691年、萩藩三代藩主 毛利吉就が開いた毛利氏の菩提寺のひとつ。
毛利氏はスゴイからね。
最盛期には山陽道・山陰道10か国と九州北部の一部を領国に置いた最大級の戦国大名。
ところが…豊臣政権の五大老だった毛利家十四代目の当主である輝元が1600年、関ヶ原の戦いで西軍の総大将として担ぎ出されて家康に負けちゃったもんだから周防と長門の2か国以外を全部取り上げられちゃった。
そして、江戸時代には新たに萩に城を作って長州藩(萩藩)となったワケだ。
そしてそれが幕末の倒幕運動の礎を作ることとなった。
山門も立派!

480これが本堂。
何の着色もしていなくてヴィンテージ感がすさまじい。
490本堂の裏に回る。
「四大夫十一烈士」の墓が並ぶ。
盛り上がっていた尊王攘夷の急進派だったが、1864年の禁門の変(=蛤御門の変)と下関戦争(=馬関戦争)の敗北により、長州藩は方針を転換して幕府への恭順姿勢を示すようになる。
一方、幕府の方は第一次長州征伐を実行直前。
そんな中、禁門の変の責任を問われて合計4人の家老が自刃を命ぜられた。
幕府に対するジェスチャーですな。
その切腹した家老の墓が下の5つのウチの4つ。
向かって一番左は同様に責任を感じて後に自主的に腹を切った周布正之助の墓。

S0r4a0071_2 また、同様に野山獄(<後編>に登場)に投獄されて処刑された急進派の尊王攘夷派11人の墓が直角にズラリと並んでいる。
だから「四大夫十一烈士」の墓。500そして、この十一烈士の反対側が一大スペキュタクラー。

520夥しい数の石登楼。

530なだらかな勾配が付いているものだから、見上げると一目ですべての灯篭が目に入る。

535そして、正面にズラリと並んでいるのは萩藩主毛利家代々の墓。

540一番真ん中にあるのはこの東光寺の開祖である長州藩三代目当主の吉就とその正室であった亀姫の墓石。
殿の戒名が立派!
「壽徳院殿前二州太守四品拾遺補闕大光元榮大居士」…〆て22文字!
ま、こんな立派なのはどんなにお金を出しても付けてもらえないでしょう。
普通はスタンダード・コースで6文字。
チョット踏ん張って9文字だからね。
一方、亀姫の方は…
「長壽院殿慈雲元輝無相老尼公禅師」で15文字。
吉就は27歳の短命だったが、一方の亀姫は83歳の長寿を全うした。
「老尼」なんて言う文字が入っているのはこのせいかも知れない。
それにしても未亡人生活ナント56年!
寂しかったろうにナァ。

S0r4a0084

3d 
他に五代吉元、七代重就、九代斉房、十一代斉元といった奇数代の長州藩当主の墓が並んでいる。
4つ以上あるのは、全て正室の墓とペアになっているから。
こういったことに私は全く浅学でははあるが、番で埋葬されているなんて珍しいんじゃないの?
有名な毛利家十二代当主、毛利元就については永井路子という女流作家が何冊か著しているので興味のある人はどうぞ。
大の永井ファンであるウチの正室に言わせるとすごくオモシロいらしい。

560毛利家は「毛利水軍」という海賊を擁して瀬戸内海の覇権を確立していた。
イギリスもそうだけど、海賊ってのは政府のウラ直轄組織の公務員みたいなもので、エリザベス1世女王の頃、有名なスペインの無敵艦隊(Amada)を駆逐したのも海賊で、コレでイギリスは世界の一等国にのし上がったんだから海賊サマサマだ。
毛利家は海に関連が深かったせいかどうかは知らないけど、何でも亀の上に載っけちゃう。
しかも亀がみんな同じ方向を向いてる。
それとも亀姫の関係かしらん?
いずれにせよ長寿でめでたいモノのアイコンのひとつだったのだろう。
…と思っていたらその通り。
この亀の台座は中国から伝わった「亀趺(きふ)」と呼ばれるもので、亀は「亀は万年」と言われるように長寿の象徴であったことより、亀の台座の上に碑を建ててその碑が未来永劫残るよう願いを込めたのだそうだ。

570この石灯篭は500基以上あるんだって。
昔は何かの行事の時に火を入れていたのかな?
キレイだったろうな~。
その光景たるや幽玄の極みだったに違いない。
 
ちなみに初代を含む偶数代の藩主の菩提所は「大照院」というところで、そちらには600基以上の灯篭が並んでいるらしい。
負けた…。
しかし、この東光寺は黄檗宗(おうばくしゅう)、大照院は臨済宗と宗派が違うのが気になったが、聴き慣れない黄檗宗は日本の三禅宗のひとつで、教義、修行、儀礼、布教といった点は臨済宗と同じなのだそうだ。580私はしょっちゅう書いているように生まれも育ちも東京なもんだから、幕末の志士ファンというワケでは決してない。
でもね、萩はも~見るところ満載でね、勉強してジックリ見たらとても1日や2日では見切れない。
…ということで急いで次のポイントに移動。
 
ココはね、42年前に来てるんだよ。
そう、実は高校の修学旅行は山陰&山陽をめぐるコースで、岡山から山口を回ってグルリと鳥取まで周遊したのです。
念願の秋芳洞に行けて、とても楽しく思い出深い旅だった。
今、やって来たのは伊藤博文の生家。
ん?違うな…コレは違う。
「伊藤博文の家」という看板は出ているけど絶対に違う!
42年ぶりでも違うということがすぐにわかるぞ!

590証拠はコレだ!
下は42年前の私。
伊藤博文の生家の前で、当時の千円札を持って仲良しの安藤くんと撮った写真じゃ。
私の髪の毛が妙な形をしているのは、この旅行の数週間前、ライブハウス出たさに学校の記念行事をサボった罰で「アタマを丸めて来い!」といわれ、さすがに坊主頭にはできず、スポーツ刈り程度で勘弁してもらったヤツが伸びちゃったところだからだ。
そのライブハウスというのは、吉祥寺にオープンしたばかりの「シルバーエレファント」だった。
すごく茶色っぽいでしょう?
コレは地毛の色なの。
私はものすごい赤毛で、学校で「黒く染めて来い」と言われたこともあったの。
今は真ん中がゴッソリ無くなっちゃったもんだからそんなことスッカリ忘れてたわ。
昔の写真ってのはいいもんだ。
 
さて、安藤は中2の時にクラスが一緒になって、同じ「映画好き」ということですぐに仲がよくなった。
昔、日刊スポーツが「日刊ゴールデン試写会」っていうのをやっていてね、家で日刊スポーツをとっていた安藤が抽選に応募してくれるワケ。
ほぼ毎回当たって、内幸町にあるイイノホールによく誘ってもらった。
原田美枝子が『錆びた炎(1977年)』という映画に主演して舞台挨拶に登場したことがあった。
すごくステキだったのを覚えている。
安藤はスゴくてね、いつも何がしかの本を読んでいてね、我々が「なんだ?『まつしむらじゅく』ってよ~?ナショナルかぁ?」なんてやっていたこの修学旅行の時にはもう『竜馬がゆく』を読破していた。
元々フォークが好きで、中2の時にボブ・ディランを熱心に聴いていたからね。
岡林信康を教えてもらったのも安藤からだった。
Shige Blogで紹介した、1977年に晴海で開催された「ローリング・ココナッツ・レビュー・ジャパン」に誘ってくれたのも彼。
千葉の鹿野山の寺に2泊ぐらいで座禅を組みに行ったこともあったな。
その後、ローリングストーンズに夢中になって、パンク・ロックに傾倒して音楽の趣味がスッカリおかしくなっちゃった。
でもThe Kinksなんかも聴いていたなナァ。私なんかより全然進んでいた。
日本で知らないものはいない一流の大調味料会社に勤めているけど…もう何年かしたら定年だネェ。
人生ってのは早いもんだ。
安藤の奥さんはウチの御台所の短大時代の仲良しということもあって、今でもタマ~に連絡を取り合っている。
Marshall GALAは初回も『2』も両方観に来てくれた。
だからヒロアキくんのステージも経験している。

595vとりあえず中に入ってみる。
……も~、完全に違う。
と、騒いでいたらボランティアでガイドをしているおジイさんが出て来ちゃった。
このおジイさんがまた説明したくてしたくてしょうがない。
ナニか展示品を見てると、遠くの方から「あ、それ?それはですね~…」と頼んでもいないのに近くへ来て説明してくれる。
ほっといて欲しいわけよ、おとなしく見てるんだからあ!
も~、誰も来ないからヒマでしょうがないワケ。
ま、こっちもどちらかと言えばダマって人の話を聞いていられるタイプじゃないでしょ?
こっちも質問攻めにしてみたよ。
数年前に木曽の妻籠へ行った時、ガイドのお姉さんが藤村の「まだあげ初めし前髪の…」と『初恋』を吟ずるもんだからさ、こっちも「小諸なる古城のほとり…」と『千曲川旅情の歌』を諳んじてみせた。
ガイドさんかなりビックリしていた。
もちろん、藤村なんて私は丸っきり門外漢でせいぜい「蓮華寺では下宿を兼ねた」という『破戒』の書き出しぐらいしか知らないし、結局最後まで読んでいない。
ところが、安藤は上に書いた通り、座禅を組みに行った時に『破戒』を読んでひとりで感動していたんだよ。
で、ココのガイドに確認したところ、この屋敷は伊藤博文が住んでいた品川に移築していたモノなのだそうだ。
道理で…。
じゃ、上の写真の正真正銘の生家はどうなったのか?と尋ねると、私の質問攻めに気分を害したのか「ああ?ありますよ。となり…工事中ですよ」と何やら大変そっけない。
Sentそれは隣りだって。
改築中で一般公開していないっていうのよ。
ナンだよ。

600コレが入り口。
この門をくぐったところで安藤と写真を撮った。
ガイドジイさんは想像を絶する伊藤信奉者で、3回ずつ同じことを言わないと話が前に進まない。
聞いているとヒロアキくんのリハーサルに間に合わなくなりそうだったので、残念だけど途中で切り上げさせてもらった。620さて、ようやく<前編>の最後のセクション。
もうチョットお付き合いくだされ。
 
萩は世界遺産がゴロゴロしているのね。
といっても、イギリスのブレナム宮殿やカンタベリー大聖堂のように「コレ!」っと単体で登録されているワケではなく「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼・造船・石炭産業」という括りの合わせ技で登録されている。10vそのひとつがこの「恵美須ケ鼻(えびすがはな)」という造船所の跡。
コレには結構感動した。30v1854年、幕末に通商の交渉をしにロシアからやって来たプチャーチンはアーダコーダと粘っているうちに「安政東海地震」に遭ってしまい、乗って来たディアナ号が大破し、ロシアへ帰れなくなり下田に釘付けになってしまう。
色々やってみるが、結局新しい船を作るしかロシアに変える方法がない。
ところが、日本には外洋を航行するに耐える洋船を作る技術がない。
この辺りのプチャーチンとの交渉にあたったのが時の勘定奉行、川路聖謨(かわじとしあきら)。その2人の交渉の過程や友情を綿密に描いた作品が吉村昭の『落日の宴』。
オモシロいよ。
60b結局、下田の近くの戸田村(へだむら)というところに日本の船大工が集まり、ロシア人技師の指導を受けながら洋船の建造に着手する。
ロシア人は日本の船大工の手先の器用さにかなり驚いたらしい。
一方、最初は大きな船の建造には消極的だった長州藩は桂小五郎の意見により洋式軍艦の建造に乗り出す。
萩藩は戸田村の洋船建造の話を聞きつけて尾崎小右衛門という船大工を派遣するワケ。
そして、尾崎は洋船建造の技術を習得して、戸田村の船大工を連れて萩に戻り造船所の候補地を探す。
そして、白羽の矢が立ったのがこの恵美須ケ鼻。
ココで「丙辰丸」と「庚甲丸」という2隻の洋式軍艦を作ったっていうんですわ。40_2庚申丸は馬関戦争に出陣してアメリカ軍と戦って撃沈されたが復旧して長州征伐に備えた。
ま、何にも残っていないと言ってもいいぐらいなんだけど、関係する本を読んで現地に赴くということは実に楽しいね。
写真の上の方に小屋が見えるでしょ?
ボランティアのガイドさんが常駐してるんだよ。
ヒマだろうな~。
いいな~、私だったら本を山ほど持ち込んで一日中読んでるわ。50_2さて、戸田村で造られた洋船は「ヘダ号」と名付けられ、プチャーチンはそれに乗ってロシアに帰って行った。
下は今も残る当時の堤防。

S0r4a0026 吉村昭にはこの時の造船の過程だけを描いた『磔(文春文庫刊)』という短編集に収録された「洋船建造」という短編もある。
吉村先生の作品は圧倒的に長編の方が読み応えがあって、志賀直哉の「城の崎にて」や梶井基次郎の「檸檬」などの影響を受けているとされる創作の短編は私なんかにはツライ。
両方読んだけどサッパリわからなかった。
先生はあんまり好きで、写経みたいに文章を書いて写したっていうんだよね。
そんな先生の短編でも史実に関する短編はすこぶるオモシロイ。
「洋船建造」もそんな一作。
タイトルの「磔」が気になる人もいるかもしれない。
コレは女子供も容赦なく耳を削がれ、磔にされるために裸足で長崎まで歩かされているキリシタンの話。
昔は残酷ね。

70b下は上野の池之端にある大正寺。
ココに川路聖謨の墓がある。
散歩していて偶然見つけて驚いた。3ta3次の世界遺産は「萩反射炉」。

80_2韮山の反射炉が有名だけど、近世の日本の反射炉はこの萩のモノと2つかしか現存していないそうだ。
残っているのは反射炉の煙突部分の先の方ね。90v_2萩藩がアヘン戦争のことを知って海防の重要性を感じ、西洋式の鉄製の大砲を鋳造するためにこの設備を建造した。
うまくいかなかったらしい。

100_2裏はこんな感じ。110v次の世界遺産は「萩城下町」と呼ばれる古い民家が立ち並ぶエリア。

120_2いいよね~、こういうところを見て歩くのはすごく楽しいね。

139見ていて全く飽きない。
170一般公開している「菊屋家住宅」というところに入ってみる。

140_2毛利家に取り入っていた豪商の家。
立派なもんです。

150_2庭もスゴイ!
でも雨の方がスゴくなって来ちゃった!
イベントが昨日で本当にヨカッタよ。
160_2それでも見て歩く。

180_2

190「景観のため道路標識がありません」という徹底ぶり。
一方通行の標識が立ってないんだよ。
さすが世界遺産の一部。
幕末の有名人ゆかりの建物がズラリと並ぶ。

195コレは木戸孝允の生家。

200_2晋作広場。

220_2高杉晋作の銅像が立っている。

230vこれが生家。

249表だけね。

250_2田中義一の生家跡。
陸軍大臣から、昭和2年、第26代内閣総理大臣に就任した人ね。

260_2萩観光はまだまだ続く。
<後編>でも世界遺産を紹介します。
42年前の修学旅行の時、こんなに色んな所を見なかったですけど…一体ナニをやっていたんだろうね?

270_2<つづく>
  

 
(一部敬称略 2021年5月14~15日 山口県萩市にて撮影)

2021年1月27日 (水)

ローリング・ココナッツ・レヴュー・ジャパンの思い出

 
その昔、『ローリング・ココナッツ・レビュー・ジャパン・コンサート1977』というイベントがあったのをご存知であろうか?
先日、Marshall Blogのジミ・ヘンドリックスの記事でリッチー・ヘイヴンスのことを書いていて「そういえば、この人…観たことあるんだよナァ」と、そのイベントのことを思い出した。
1977年だから、44年前のこと。
私がMarshallを生業としてヘヴィメタルやブリティッシュ寄りの世界にいるせいか、今の今までミュージシャンや音楽関係の方とこのイベントについての話をしたことが一度もない。
企画から出演者までいかにもアメリカ然としたイベントだったし、もう周囲には適齢期に70年代の音楽をナマで体験した人がそうは多くなくなってきたからね。
なんか、思い出したらとても懐かしくなってしまって、かろうじて覚えていることをココに記録しておくことを思い立った。
 
まずは、1977年がどんな年だったか…。
総理大臣が三木武夫から福田赳夫に変わった年。
こうして見ると、昔の政治家って年取ってるな~…と思ってこの人たちの1977年当時の年齢を調べてみると、我が先輩の三木さんは70歳、福田さんは72歳だった。
となると、今の政治家より格段に貫禄があるナァ。
今は国会議員の4割が世襲議員だってサ。
同じ血脈ゆえ政治家としての本質が変わらないところへ持って来て世の中がドンドン変わっていくから加速度的に世間の状況が悪くなっている…と思いませんかね?
まずはマスコミの改革が先決だろうけど?

Miki

Photo 青酸コーラ無差別殺人が起こり、ロッキード事件の公判は真っ最中、キャンディーズが解散して、アメリカの大統領がフォードからカーターに交代、マーク・ボランやエルヴィス・プレスリーが死去…それがこの年の出来事。
横田めぐみさんが拉致されたのもこの年だ。
マーク・ボランが交通事故で物故したのを知ったのは新聞の小さな訃報欄だった。
テレビでは報道されなかったんじゃないかしら?
当時は「マーク・ボラン」の名前を知っているのは「ロック」という音楽を楽しんでいる人たちだけで、一般人の間では全く馴染みがなかったハズだ。
私は中学校3年生だったが、実際にクラスでマーク・ボランやT.Rexを知っていたのは私と極々少数のロック好きの連中だけだった。
まだ自分が子供で、ロックが「大人の音楽」だった時代の話。
それにしてもこの鋤田さんの写真はカッコいいな。
実はコレをマネして、あるギタリストのアー写を撮ろうとしたことがあったんだけど、惨敗に終わったわ。Mb_2 まだこの頃は歌謡曲が光り輝いていた。
この年のヒット曲にどんなモノがあったのかを見てみると…。
「勝手にしやがれ」、「北の宿から」、「津軽海峡冬景色」、「失恋レストラン」、「あずさ2号」、「青春時代」、「岸壁の母」等々。
そして「S.O.S.」、「渚のシンドバッド」、「カルメン'77」、「ウォンテッド」とピンクレディー旋風が吹き荒れていたんだね。
演歌系とアイドル系の曲が仲良くヒットチャートに並んでいるというイメージか?
「カルメン」のベースをチャック・レイニーが弾いていたなんてことは大分後になってから知った。
まさかこの38年後の日比谷野音でミーちゃんの写真を撮らせてもらうことになるだなんてこの時は夢にも思わなんだ。120v 驚くべきは、今ココに挙げた曲の数々…ナント!正確ではないにしろ、私は全部歌うことができるのだ。
ナニを威張ってるのかって?
だって、私は歌謡曲に夢中になったことなんて人生でただの一度もないのよ。
真理ちゃんにも、百恵ちゃんにも、聖子ちゃんにも興味がなかった。
今でも歌番組は知り合いが出る時以外はまず見ることがない。
歌謡曲で買ったレコードといえば、せいぜい「帰って来たヨッパライ」とモップスの「月光仮面」ぐらいだ。(「黒ネコのタンゴ」も買ったかも知れない)
映画で「音楽」に目覚めたてからというもの、大学に入ったチョット後ぐらいまではズ~っとロック一辺倒。
そんな私でも「門前の小僧」でコレらの曲を歌うことができるってスゴイことだと思わない?
私がスゴイんじゃ全くなくて、曲がスゴイということ。
コレこそが歌謡曲の存在感であり、当時の曲のクォリティの高さを如実に表していることに他ならない。
今?
ないない、テレビから流れて来るような曲でフル・コーラス歌えるようなモノはただのひとつもない。
「♪いつで~もスマイルし~ようね」みたいにCMで使われているパートを知っている曲はある。
NijiUの振り付けはすこぶる可愛いと思うけど、ナニを歌っているのかは皆目見当がつかない。
歳のせいか、音楽のせいか…多分、年齢のせいだろう。
演っている人の性別を問わず、も~歌声と歌い方とメロディが鳥肌が立つぐらいツライの。
70年代のロックで育った御仁は恐らく同じことを感じているのではあるまいか?
 
話はさらに逸れるけど、今朝のワイドショーに出て来た「うっせぇわ」っていうのはいいね。
Adoとかいう高校生のシンガーだそうで。
椎名林檎ちゃんってこんな感じなんじゃないの?
声と歌い方とメロディと「がんばれ!」と歌わない歌詞が私には「ロック」に聞こえた。
いつもMarshall Blogに書いているように、今の感性と昔のロックのテイストをウマい具合にミックスさせた好例ではなかろうか?
心配なのは、こうして何かひとつ当たると粗製乱造のコピー作が雨後のタケノコのように出て来ちゃうんことなんだよね。
するとまたオモシロくなくなっちゃう。
でも、いい加減「がんばれソング」に飽きて来たということの証かも知らんな。
コロナのせいで、いくら発破をかけても、もうそんなにはガンバれなくなっていることを表しているのかも知れない。
 
さて、当時ロックといえばはまだまだ洋楽が主流(だったと思う)で、この年のロックの話題作といえばEaglesの『Hotel California』、Steely Danの『Aja』、Fleetwood Macの『Rumours』、Queenの『News to the World』、Sex Pistolsの『Never Mind the Bolocks』、The Clashの『White Riot』が挙げられだろう。
こうしてみると、もうこの頃はパンクが出て来て、「商業ロック」化がすごい勢いで進んでいたんだナァ。
やっぱりロックが「ロック」だったのはザッパが『One Size Fits All』を発表した1975年あたりまでだな…コレが私の持論。

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今でこそクラシックだ、ジャズだ、民族音楽だって騒いているけど、この頃はも~、ロックが好きで、好きで…。
寝ても覚めてもロックだった。
とにかく色んなモノを聴きたくて、お小遣いや父の仕事の手伝いで得たお金は100%レコードか楽器に費やしていた。
前の年にRainbowの初来日を観て感動して(ほとんど音の大きさに驚いただけ)、1977年は外タレのコンサート開眼の年にもなった。
AerosmithやKISSの初来日、ブライアン・フェリー、Ian Gillan Band、Eric Clapton、Santana等。
後楽園ホールで観たロイ・ブキャナンは行っておいてヨカッタ。
ロイ・ブキャナンとリック・ダンコとLittle Featは私の「三大行っておいてよかったコンサート」なのだ。
2軍が『Ra』のレコ発で来日したユートピア、Nazareth、Blue Oyster Cultかな?
3軍がKing Crimsonの初来日、フランク・マリノ、Van Halenの初来日かGeneis。
Deep PurpleもBBAも観ていない。
生まれるのが5年遅かった…。
でも、こういうことを考えると、つくづく東京に生まれ育ってラッキーだったと思うわ。
ロンドンだったら尚ヨカッタんだけどね。120r4a0535 私にとっての1977年はこんなところ。
つまりロックづくし。
そんな年の4月8日から10日の3日間にわたって開催されたのが『ローリング・ココナツ・レビュー・ジャパン・コンサート1977』だった。
このイベントはクジラやイルカを守るアメリカの環境保護団体の企画で、日本ではじめてのベネフィット・コンサートになったのだそうだ。
 
Rainbowだ、Aerosmithだと騒いでいた子供のいちロック・ファンが、ナゼそうした音楽とはおおよそ関係のないイベントに行ったのかというと、クラスメイトの安藤くんの誘いがあったからだった。
安藤くんも映画好きだったことから仲良くなったのだが、当時は彼の方がゼンゼン進んでいて、岡林信康やボブ・ディランを教えてくれたのも、数寄屋橋のハンターに初めて連れて行ってくれたのも彼だった。
その後、彼はストーンズ→パンク、私はハードロック→プログレと進路を変え、音楽の趣味での接点はなくなったが、今でも過去を懐かしんで連絡をすることがタマにあって、Marshall GALAは2回とも観に来てくれた。
その安藤くんがこのイベントを見つけて、「ウッドストックのミュージシャンが何人か出るから一緒に行かない?」と誘ってくれたのだ。
Marshall BlogやこのShige Blogに何度も書いている通り、映画『ウッドストック』はビデオ前夜の世代にとっては動くミュージシャンが観れる超貴重なマテリアルだった。
他にもモンタレー・ポップやバングラデシュなんかもあったが、さすがマーティン・スコセッシが編集に噛んでいたせいか、映画としても見応えがあり、中学2年から3年にかけて本当に何回も安藤くんと映画館に観に行っていたのだ。
そのウッドストックのステージに立ったミュージシャンならゼヒ本物を見てみたい!と思いその誘いに応じた。
Photo_2このイベントに参画した方のウェブサイトを読むと、開催まで準備の時間が少なく、主催者側は大変な労苦を味わったらしい。
こういう興行自体に不慣れだったこともあったろう。
広告もロクに打てなかったそうだ。
それでも3日間で4回開催したコンサートには延べ15,000人以上が集まり、当時としては上々の結果だった、
しかし、興行としては大赤字だったそうだ。
もう1回書くけど、こうした音楽がまだ一般大衆に受け入れられる前のイベントですからね。
 
このイルカのロゴがなつかしい!
残念ながら、そして断捨離ができない私にしては珍しくこの時のアイテムを全く手元に残していない。以下、関連の写真はすべてインターネットから拝借させて頂いた。
10来日したのは、ジャクソン・ブラウン、カントリー・ジョー・マクドナルド、ジョン・セバスチャン、J.D.サウザー、フレッド・ニール、ウォーレン・ジヴォン、テリー・リード、ワディ・ワクテル、エリック・アンダースン、デヴィッド・リンドレー、スタッフ等。
日本からは泉谷しげる、岡林信康、イルカ、久保田麻琴と夕焼け楽団、細野晴臣、憂歌団、南佳孝、小坂忠等。
ナニがスゴイって下の出演者リスト…手書きだよ。
ワードプロセッサーなんてモノが出現する何年も前のことだから。
「プレイガイドおよび全国輸入レコード店にて発売中!」なんて懐かしいフレーズだナァ。13v私が行ったのは初日。
ウッドストックに出演したジョン・セバスチャンとリッチー・ヘイヴンスが出ていたから。
本当はカントリー・ジョー・マクドナルドも観てみたかったんだけど、お小遣いでは賄えなかったせいか1日分だけチケットを買った。
金曜日だったのか…。
チケット代は3,000円。
この年、大卒の初任給が92,000円、ラーメン260円、コーヒー280円。銭湯120円、国鉄の初乗りが60円だって。
大卒の初任給の額を使って換算すると、この時の3,000円は今6,800円。
安い!
今だから思うんだろうけど、この内容で6,800円は安すぎる!
と言うより、今のコンサートのチケットの値段は立派すぎるのか?
この辺りはヘタなことを言えん。
話題を変えて…コーヒーって昔は高かったんだよね。
今でいうコーヒー・ショップみたいなモノがなかったので、長時間居座る喫茶店の場所代ってことだったんだろうな。
大化けしたのはラーメンだよね。
言葉は悪いけど、昔は貧乏人の食べ物の代表だった。
「給料日前だから今晩はラーメンか…」ってのがサラリーマンの月末の定番フレーズだったからね。
ウチは職人だったので関係なかったけど。
それが今ではミシュランだもんな~。
30会場は車の展示会をよく開催していた「晴海国際貿易センター」というところ。
当時は「晴海ドーム」って呼んでいたような気がするな。
といっても、後にも先にも行ったのはコレっきりのことだった。
どっから乗ったのかは忘れたけど、行きはバスを使った。
今はオリンピックの選手村になってるのかな?
20会場が開くのを待った記憶がないところをみると、ごく普通に開演に間に合うように会場に着いたのだろう。
武道館に行く時の、あの九段下を上っていくような興奮は全くなかったような気がするな。
とにかく中がメチャクチャ広くて、すごく暗かったのを覚えている。
イズが無くて、完全に体育館状態。
ナニか敷くものを持って行ったのかな?
結構寒かったような記憶がある。40

後は自分の記憶を基に「ミュージックマガジン」増刊号の助けを借りて書き進める。

15b私が行った初日の出演は次の通り。
写真は当日のパフォーマンスとは何の関係もありません。
 
①ボブ・イングラム&ドルフィン・プロジェクト
②エストレラ
----誰?
この2つはカケラも覚えていない。こんなにキレイに忘れるモノかしらん?というぐらい記憶にない。
 
③オデッタ
----アコギ1本でゴスペル調の音楽を披露。
ギターのヘッドに焚いたお香を付けていて、客席の中ほどにいた私の所までその匂いが漂って来た。
すごく強烈なニオイだったのを覚えている。
歌の途中で手を打つパートがあって、オデッタが誘っているワケでもないのにそれに合わせて手を打っている人たちがいた。
それがオデッタが叩く手のタイミングにピッタリと合わさればいいんだけど、それがてんでバラバラで、「手を叩くのはやめてください」とも言えなかったのだろう、オデッタがものすごく不快な顔をしていたのを私は見逃さなかった。
この時の演奏を今でこそ聴いてみたかったナ。
私、この時まだ14歳だったからね。Odetta  
④エリック・アンダーソン
----なんかピアノを弾いていたような気もするんだけど。
エリック・アンダーソンは当時売り出し中だったのかな?
音楽はおおよそ私のタイプではなかったんだけど、よく音楽雑誌で見かけていたので観ることができて得な気になったんじゃなかったっけかな?
ドカンと盛り上がる曲があってステージ前まで走り寄った子供がいた。
それは私です。
今思い出しても恥ずかしい。
自慢じゃないが、エリック・アンダーソンの音楽を聴いたのはこの時が最後で、それ以降一度も聴いていない。Ea  
⑤リッチー・ヘイヴンス
----「ウッドストックのリッチー・ヘイヴンス!」と紹介されて登場したのをよく覚えている。
カッコよかった。
「Freedom」をなかなか演らなかった印象があるんだけどどうだったんだろう?
「Handsome Johnny」や「Here Comes the Sun」を演ったのは覚えている。
フェイクがものすごくて、途中まで「Here Comes the Sun」を演っていることがわからなかった。
この人も見ておいて自慢できるアーティストのひとりだな。
 
先日ジミ・ヘンドリックスのロンドンのアパートに遊びに行っていることも知ってうれしかった。
その記事はコチラ⇒【イギリス-ロック名所めぐり】vol. 62 ~ジミ・ヘンドリックスのロンドン <vol.5>

そういえば、『ウッドストック』を観ていて、リッチー・ヘイヴンスの上の歯が全くないことに気が付いて教えてくれたのも安藤くんだった。
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⑥岡林信康
----岡林さんも目玉の一人だった。
コレは安藤くんが思い出させてくれたんだけど、岡林さんがステージに現れると、客席の女性が大声で「岡林帰れ!」とヤジが飛び、本当に岡林さんがステージを降りてしまった。
あの女性は岡林さんに何の恨みがあったのだろうか?
私は「オイオイ、ナンだよ!余計なことを言うな!」と思ったよね。
その後また登場して「チューリップのアップリケ」なんかを歌ってくれた。
私は岡林さんが好きで、その後コンサートにひとりで出かけたりもした。
ズッと後になって、東京駅の新幹線の改札でお見かけしたが「ファンなんです!」と気軽に近寄ることができないような厳しいオーラが出ていたっけ。
学校を卒業してサラリーマンになって、カラオケをやらされるのが大きな苦痛のひとつだったが、そんなときはよく「山谷ブルース」を歌わせて頂いた。
今では山谷のドヤは外人バックパッカー御用達の旅館街になっている。8 場内はずっと真っ暗だった。
ケツは痛くなるし、とにかくおなかが空いちゃってね~。
今ならサマソニみたいに会場の外にズラーっとケバブやらピタ屋が並ぶんとこだけど、ケバブなんてない時代だから。
あっても焼きそばにタコ焼きか…?
ところがそんなモノを売る店らしきものは全くなかった。
それでも何か食べるモノを売ってはいないかと目を凝らして会場内をさまようと、パンを並べている店があった。
助かった!と思ったんだけど、それが玄米パンみたいな健康食品の類で、こっちはまだ子供だからそんなモノ食べたくないワケ。
最後までガマンしたわ。
あんなにひもじい思いをしたのも珍しい。
下の写真を見るとベンチらしきものが置いてあるね。
私の時はなかったような気がするんだけどな~。
50 
⑦泉谷しげる&ストリート・ファイティング・メン
----この日、唯一のロックロックしたパフォーマンスで会場は大盛り上がり。
たくさんのお客さんが立ち上がってステージ前に詰めかけ身体を動かしていた。
今にして思うと、アレ寒かったんじゃないかね?
ソロ・デビューしてからそれほど時間が経っていなかったCharさんが白い帽子に白いスーツといういで立ちで、メッチャかっこよかったな。
トリルしながらアームダウンする技法をこの時初めて知った。
 
⑧ジョン・セバスチャン
----2人目のウッドストック・アーティスト。
でも「I Had a Dream」は演らなかった。
多分「Younger Generation」も演らなかった。
でも「Welcome Back」を演ったのは覚えている。
今聴くとLovin' Spoonfulってすごくヨカッタりするんだよな。
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⑨ローリング・ココナッツ・レヴュー・バンド
----このイベントのためのユニット。
ナント、フレッド・ニールが出ていたらしい。
見事に何も覚えていない。
もう多分帰りのことが心配になっていたか、あるいは観ないで帰って来ちゃったのかも知れない。
ああ、ナマで「Everybody's Talkin'」を聴きたかったな…イヤ、聴いたのかも知れない。
それで最後は「Goodnight Irene」を演ったらしい。
聴きたかったな~…イヤ、聴いたのかも知れない。
 
帰りが大変だった。
終演は10時過ぎだったのだろう、もうバスが終わってしまっていて、クタクタの身体で銀座まで歩いたのがかなりシンドかった。
ずいぶん大勢の人が歩いていたのできっと最後までいたんだろうな。
ということは「Everybody's Talkin'」も「Goodnight Irene」もチャンと聴いた…ということで。
 
とてもいい思い出になった。
私は大学に入ると…言い換えると80年代に入ると「ベストヒットUSA」に出て来るような「産業ロック」に「ロック」を感じることができず、ほどなくしてジャズに転向してしまった。
それ以来プライベートで聴く音楽の中心がロックではなくなりずいぶん長い時間が経った。
今は一生懸命クラシックを聴いているところで、モノによってはコレが滅法オモシロイ。
でも、聴き方はロックなんだよな。
「ロックっぽくてカッコいい」という超邪道な聴き方で楽しんでいるのだ。
 
私も音楽に夢中になり出して45年が経った。
これまでいくら使ったかナァ。
そうして自分のリスナー人生を振り返ってみるに、やっぱりロックを聞き出した頃が一番楽しかった。
ジャズも「モダン」以降は「フリー」に至るまでほとんど聴き漁り、今でも楽しんではいるが、「音楽に対する興奮」ということを考えると、あのロックを聞き出した70年代のそれには到底及ばない。
私も残りの人生もせいぜい25年ほどか?
生きている間にあの興奮を味わうことはもうないだろう。
しかし、我がリスナー人生に悔いなし!
思い返してみると、そんな人生にあって『ローリング・ココナッツ』はひとつのビッグ・イベントだった。
誘ってくれた安藤くんに改めてお礼を言いたい。
  
数年前にこのイベントの演奏を収録したCDボックスセットが出たんだってネェ。
もう全部を聴く根気も気力もないけど、自分が行った日の音源は聴いてみたい気もするな。
イヤ、「思い出」は美しいまま取っておくことにする。

60

2018年10月 6日 (土)

Foujitaを観てきた!

 
久しぶりに美術館に行って来た。
没後50周年記念展示ということで前から楽しみにしていた『藤田嗣治展』。
イヤ~、かなりジックリ観入ってしまった。

10_2場所は上野の東京都美術館。
平日にもかかわらず開場前からこの行列。

20_2『おべんとう展』なんてのもやっていて、そっちも人気があったようだけど、ほとんどが『藤田』。

25ウワ~!
こっちもすごい行列だ!
もう一度書きますが、平日の朝ですからね、コレは。

40_2こっちはシャンシャンの行列。
空いていれば帰りに見て行ってもいいかと思ったけど60分待ちだっていうからヤメた。

50_2美術館に戻ってくると、ホンの1、2分の間に行列がアホほど伸びてる!
コレじゃ中がキューキューになっちゃうぞ!(←「列」を意味するイギリス英語「queue(キュー)」のシャレです)

60_2前からこの人の絵を観たいと思っていたのね。
それで下の評伝を読んで尚更その気持ちが高まっていたところにこのタイムリーな企画。
スゴイんですよ、藤田さんは。
まず家が金持ち。
お父さんはお医者さまで、森鴎外の後任で軍医のトップまで上り詰めた人。
何しろ家柄がよろしい。
やっぱりね、絵でも音楽でも芸術は金持ちじゃなきゃ無理よ。
例えモノスゴイ才能があっても貧乏人はその才能を開花させるチャンスがない。
「運も才能のうち」かもしれないが「裕福さも才能のうち」なのね。違うか、裕福な家に生まれること自体が「運」だもんね。
1913年(大正2年)にパリに渡ったのも家に金がなきゃできないよ。
モンパルナスに住んでモジリアニと仲良しだったっていうからスゴイ。
ストラヴィンスキーの「春の祭典」の初演は1913年のシャンゼリゼ劇場。
藤田はニジンスキーが踊っていたのを観たらしい。
晩年は戦争画を手掛けたことによって政治的な苦労をしてしまうが、最後はパリに戻ってキリスト教に帰依し、尊敬するダ・ヴィンチにちなんだ「レオナール」という洗礼名を受けて生涯現役のままを人生の幕を降ろした。

70当然展示品は撮影禁止なのでココに貼り付ける内部の写真はなし。
それでも携帯で絵の写真を撮っているバカがいるんだよ。ジジイ。みっともない。
ま~、わかっちゃいるけど日本は相変わらずのヒドイ美術館事情だな。
ギッチギチに混んでいて、壁に掛かっている絵と距離をとることが一切できない。
係員は「トットと移動しろ」と急き立てる。
そして有名な作品にばかり人が群がって、「ハイ観ました。終わり」とばかりに足早に会場内を移動するパーマ頭のオバサン。
「ルーベンス」がどうのとか言ってたけど、ネロじゃあるまいし、どうなの?
ああいう人たちは一体どこから湧き出て来るんだろう?…ものスゴイ美術通だったりして。
そこへ行くとロンドンでもニューヨークでも、たとえそれが特別展であっても、ギューギューな感じにはならないんだよね。
好きな絵を、好きな方法で、好きなだけ観ていられる。

80_2それでも2時間以上は観ていたかな?
会場の外に出て来てビックリ!

95行ったのは10月4日。10月8日までの開催とあってか、すさまじい混雑ぶり!

100入場を制限していて、ココで20分待ちだって。

130イヤ、コレ20分待って入ったところで、中はパンパンで絵なんか見れないよ。
これこそが日本流美術鑑賞法なのだから仕方ないけど。
また書きますけど、コレは平日ですからね。
土日って一体どんなザマだったんだろう?

110それでもまだガンガン人が入ってくる。
さっきの「20分待ち」の「20」が「50」になるのも、それこそ「時間の問題」だろう。

140せっかくなので藤田さんと記念撮影。
何しろパリで経済的に苦労したのは2年だけだったっていうんだよね。
日本人としては、ダントツで世界的に有名な画家なのよ。
そのココロは何か…やっぱり「オリジナリティ」なんだよね。
それでも初期の作品はキュビズムに影響されたピカソのコピーまがいやモジリアニのパクリなんかやってるんだよね。日本ではこういうのは「トリビュート」っていうのかな?
しかし、「芸術の都」という本場に乗り込んで、誰もやらないことを考えて、和の手法を自分のスタイルに取り入れた。
コレが成功の秘訣だった述懐している。
でも、その仕上がりが決して「和」一辺倒でないところがパリの紳士淑女にもウケたんだろうな。
藤田さんはそれをすぐに察知したんだろう。
外人って「ジャパン、ジャパン」って騒いだって結局ドンズバは苦手なんだよ。「サシミが好きです」って言ったってサーモンしか食べやしないのさ。
私は芸術家では全くないけれど、やっぱり人と同じことをやってちゃダメなんだな~…と痛感したよ。
その点、Marshall Blogはどうなんだろう?145v図録も買った。
¥2,400也…一度しか聴かないCDを買うより格段に価値がある。
私も絵を観るのは結構好きで、こうして興味がある展示があると観に出かけるんだけど、これほどホンモノと印刷の差がハッキリ出る絵もあんまりないのではないか?と思った。
ゼンゼン違うのですよ。
今回、観てみたかった作品に一連の「戦争画」があったのね。
イヤ~、ホンモノはスゴかった。呆然としちゃうね。
それと藤田と言えば必ず出て来る「乳白色の肌」。西洋美術ではタブーとされている「白」を「色」として使ったとか…。
いつでも常識とされていることの逆を考えたっていうんだよね。
でも、この乳白色の顔料を作る時は絶対に誰もアトリエに入れなかったし、製造法は門外不出だったらしい。
あと、構図がスゴイ。
特にタテ組みの作品。
大胆なだけど、すごく計算されている感じ?

150今日も含めて会期はもう3日しかないけど、人混みが苦ではない方はどうぞ!
とってもいい展示でした。

2018年2月14日 (水)

楽器業界 vs. Amazon

 
時折Marshall Blogで触れているように、私は楽器オタクでは全くない。
よくいるでしょ、「歩くカタログ」みたいな人…その商品を持ってもいないし、使う予定もないのに、型番、仕様、値段まですべてアタマに入れている人ね。
そういうことはただの一度もしたことがないし、楽器屋さんに入り浸る…なんてこともしたことがなかった。
子供の頃は楽器屋さんがコワくもあった。
髪の毛を腰のあたりまで伸ばして、声高に仲間やお客さんとロックの話をしている楽器屋のお兄さんがコワかったのだ。
そして、そのお兄さんがギターを手にして弾き出すと、そのあまりのウマさに感動したものだった。
今から40年ぐらい前の話。
そんな我々の世代の人たちが口を揃えて言うのが、「楽器屋さんのお兄さんはコワかったけど、色んなことを教えてくれた」というヤツ。
私は行きつけの楽器屋さんを持っていなかったので、そういう経験がほとんどなかった。
ロックに関する知識は本やレコードの解説書を耽読して自分で切り開いたし、ギターも完全に独学だった。
でも、やっぱり楽器屋さんに行くのは楽しかったナ。
   
今日はそんな楽器屋さんが絡むアメリカの楽器業界の現状について。
この記事をMarshall Blogに載せようかどうか直前まで迷ったが、ヤメた。
内容に私個人の感情や考えが大きく反映してしまい、Marshallの名の下でそれを書くのもどうかと思ったからだ。
片や、今世界でナニが起こっているのかを皆さんにお知らせしたい…なんて言うと大ゲサだけど、代表者気分で海外で見聞きしてきたことをこの狭い島国で喧伝するのはやっぱりいいことだと思うのね。
だから書いた。
では…。
   
先日のNAMMショウの時のこと。
Marshall Blogで紹介した「UP BEAT」という日刊の情報誌の他にも会場では様々なフリーペーパーが配布されている。
フリー・ペーパーというより雑誌のサンプルと言った方が適切か。
持って帰ってもどうせ荷物になるので、Marshallがフィーチュアされているとか、Frank Zappaが出てるとかいうことがない限り、普段はそういう類のモノを手にすることはまずないのだが、ある時、1冊の黄色い表紙の「The Retailer」という雑誌のサンプルが私の目を捉えた。
それにはこういう見出しがついていた。
 
MI vs Amazon (音楽業界対アマゾン)
  
「MI」というのは「Music Industry」のことね。
「数年後、世界中の街中で開いているお店は銀行とスターバックスとマクドナルドだけになる」…なんて物騒なことをMarshallの誰かがかつて言っていたのを思い出したのだ。
旧態依然とした佐幕派の私のこと、チョット前まで「通販なんて誰が使うか!」とキメ込んでいた。
しかしですよ、ナニを最初にAmazonで買ったのかは覚えていないが、蟻の一穴、それからアレよアレよと利用するようになってしまった。
私が最も活用しているのは書籍なのね。
CDは中古レコード店で受動的に出くわしたモノをランダムにゲットすることが愉しみなので、輸入の新譜(といってもZappaだけ)を買う時だけにしかAmazonを利用することはない。
一方、書籍。
高いでしょう、本?
最近は文庫本でも「コレ、ミスプリントなんじゃねーの?」と訝しんでしまうぐらいの値段が付いてるもんね。
だから私は、中古。
ところが、書籍は仕事で使う目的で探すことも多く、ブックオフに通って偶然を待っていたらラチが開かない。
そこで登場するのがAmazon。
欲しい本の情報を入力して、中古で状態が良さそうなものがあればポチ…と。
たとえ送料が上乗せになっても新品で買うよりはずっと経済的だ。
さすがにコレには凄まじい利便性を感じるよね。
それと家電。
どこで買っても同じモノは、お店で商品を確認して、Amazonとの値段を比較して安い方でゲット…なんてことをしたくなるのは人情でしょう。
最近は町の電気屋さんも姿を消し、量販店ばかりになってしまったので、上の楽器屋さんのように馴染みの電気屋さんで家電製品を買うなんてこともなくなった。
「せっかくならショウちゃんのところで買ってやろう」みたいな近所づきあいね。
それに人件費の高騰により、「チマチマ修理しているより買い換えた方が早くて安い」という時代が到来し、修理の時に備えて町の電気屋さんで買うという必要性も皆無になった。
で、今度は量販店と通販の戦いになっているワケだ。
そういえば、先日、私が「ひとり不買運動」をしている家電メーカーのラジカセを買った。
本当はイヤだったんだけど、どうしても欲しい仕様の商品を出しているのがそのメーカーだけだったので仕方なくそれをAmazonで買った。
大学の時にカセットテープに録り溜めていた落語のコレクションをCDにするために、SDカードにデジタル・コピー(←正しくはなんて言うの?)したかったのだ。
すると…壊れた。
アっという間だった。
さすが私が不買運動をキメているメーカーの品物だけあって、ひと月もしないウチにカセットのフタの開閉が出来なくなってしまったのだ。
このメーカーは海外との原発の合弁事業をしくじって上場を取り消されそうになった超大手のアソコね。
そんなこともあろうかと覚悟していたせいもあったので、そうハラも立てずに修理に出すことを決心したが、保証書を捨ててしまったことに気がついた。
さすがにひと月じゃ買い換えられないしね。
恐る恐るそのメーカーのカスタマー・サービスに相談した。
「Amazonでラジカセを買ったんですが、すぐに壊れてしまって…」
ココで無料修理を断られたらブチ切れる予定にしていた。
すると電話に出た女性がこう言った。
「あ、Amazonさんでお買い上げですか?保証書がない?ハイハイ、Amazonさんのウェブサイトでお買い物履歴を見ることができますので、それをプリントアウトして持って来て頂ければ大丈夫です!」
はじめは「Amazonで買ったからダメ」みたいなことを言われるかと思っていた。
保証書なんてものは買った日が特定できればいいワケなので、Amazonのウェブサイトが指し示す購買の履歴は公明正大に他ならないということのだ。
ナンだよ、やるな~、Amazon…と思わざるを得ないではないか。
 
さて、では楽器業界とAmazonの関係はどうか?
こちらはそれほど穏やかなモノではないようだった。
NAMM会場でもらって来た「The Retailer」のサンプルの記事を抄訳してアメリカでナニが起こっているかをレポートしてみるね。
 
2_img_0073この記事が言うには…
「アマゾンは体重600ポンド(270kg)のゴリラだ。(どうしてゴリラかというと、この後の原文に出て来る「goliath(ゴライアス)」に引っ掛けてるの。「goliath」とは「きわめて大きい人」や「大企業」を意味する)
新しい分野に参入したり、他社を買収したりして有機的に成長を続けている。
2016年の売り上げは  136ビリオン・ドル(約15兆円)にして利益が2.37ビリオン・ドル(約2,600億円)となっている。
このデータにはWhole Foods Market(ホールフーズ・マーケット:アメリカを中心にカナダとイギリスを合わせて270店舗以上を展開する自然食品、オーガニックフード、ベジタリアン・フード、輸入食品、各種ワイン等を販売する食料品スーパーマーケットの巨大チェーン)の買収による売上高を勘定に入れていないので実際の売り上げや利益は途方もない数字に上る。
更に薬品業界や他の業界に食指を伸ばしたら一体どんなことになるのやら?
2017年9月末にはインターネットでの売り上げ高を34%伸ばし、NASDAQでガツンと株価を上げた。
財務の観点からすると、ビットコインに次いですべての追い風はアマゾンに吹いている」…というぐらい、本国でも破竹の勢いを続けている。
 
ところが…。
世の中、顧客サービスの良さと素早い出荷を称賛するAmazonファンだけではなくて、その業態を決して快く思わない客もいる。
そのひとつが楽器業界の一部というワケ。
2_img_0077どういうことを言っているのかというと…
 
「昨今楽器業界は2つの点においてAmazonに煮え湯を飲まされた。それは、返品のポリシーと偽物の販売だ。
事実、Electro-Harmonix社はこのことが原因でAmazonとの関係を解消することを宣言した」
 
ナニが起こったのか?
以下はElectro-Harmonix社のおエライさんの見解。
「Amazonは、理由の如何に関わらず、問答無用でお客さんからの返品を受けて返金してしまう。
お客さんが商品に不具合を見つけると、すぐにAmazonに商品を送り返すのだ。
商品の返品にかかるの運賃は、メーカーが負担するということになっているので、かなりのコストアップに感じる」
事実、複数の商品が戻って来た時などは、経費がかなりかさんでしまうらしい。
返品された商品をチェックしてみると、「ナンだよ、壊れてないじゃん!」などという、お客さんの不注意や認識不足が原因となる返品も少なくないのかも知れない。
 
また、インターネット・ビジネスが発達しているアメリカにはMAPという制度が認められている。
「MAP」というのは「Minimum Advertised Price」の略で、メーカーは「公告で掲載できる最低の価格はココまでですよ」ということを法的に定めることができる。
日本にはこの法律はない。
だから「オープンプライス」にしちゃう。
さて、このMAPのおかげで「よその店より安く値付けしてたくさん売っちゃおう!」ということができない仕組みになっているのね。
値段一発で勝負する傾向が強いインターネット・ビジネス上での安売り戦争を食い止める手段のひとつだ。
さもないと「Dog Eat Dog」でメーカーも小売店もみんなブッ倒れちゃうから。
このMAP関連でもAmazonは問題を抱えていると楽器業界の一部は考えているというのだ。
というのは、日本でもやっていることだが、市中の楽器店がAmazonに商品を委託してAmazon経由で販売しているケースがある。
Amazonはそれぞれの商品のMAPなんて知ったこっちゃないから、その小売店がMAPの値段を下回って販売委託してしまう。
もちろんコレは重大なルール違反なので、メーカーや他の小売店にとっては大きな問題となる。
メーカーはそのMAPを下回って出品している商品のシリアル・ナンバーを調べて、当該の小売店に警告することしかこの問題の解決策はないのだが、Amazonでコレをやられるとそのシリアル・ナンバーの追跡ができないのだそうだ。
すると、どういうことになるかというと、「じゃ、ウチも!」ということになってアッという間に値崩れを起こして「Dog Eat Dog」!
アメリカの多くの小売店はElectro-HarmonixがAmazonと手を切ってよろこんでいるのだそうだ。
 
まだある。
Sound Enhancementという「Morely」や「Ebtech」を持っている会社。
この会社のCEOがトップ・ディーラーのいくつかを訪れた時、こう言われたのだそうだ。
「アナタの会社がやるべきこと…製品をアップグレードすること、それからウェブサイトを作り直すこと。そしてAmazonと手を切ること」
このCEO、始めはこの発言に驚いてしまったが、あちこちから同じことを聞くようになったのだとか。
 
そのCEOの見解。
「小売店は我々の商品の本当の価値をお客さんにお届けしてくれる。
彼らは我々の商品に精通していて、その情報をお客さんに分け与えることをサービスとしているワケだ。
製品をどう使うか、そのコツはナニか、関連する商品にはどういうモノがあるか…必要であればそういう情報を開示してお客さんのお世話をする。
そのために我々は、人材に投資をして、教育を授けている。
それが小売店の顧客サービスだと考えるからだ。
ところがAmazonアマゾンを見てみろ!
そんなこと一切お客さんにしていないじゃないか!
しかも何か問題が起こっても人間的な解決は期待できないんだよ。
そしてお客さんも、できることと言ったら「ガッカリしました」というメモを添えて商品をAmazonに送り返すことぐらいサ」

 
この他にパチモンの問題も重要視されているようだ。
要するにニセモノ。
粗悪なニセモノ商品が堂々と流通していることがあるらしい。
コレも困るぜ~。
 
そして、この誌面はこの問題の解決策をこう結んでいる。
「メーカーは小売店との関係を深め、お客さんが欲しがっている専門的な知識を武器にアマゾンに対抗すべきである。
そして、メーカーと楽器店は、ITと人間の力をテコで活用し、やはり多種多様な経験から体得した知識を提供して顧客をつなぎとめるべきだ。
そうすることこそがAmazonとの差を付け、お客さんを惹きつけるだけでなく、受難の時でも成長が期待できるというものだ」
 
ん~、ナンカ「無責任」を感じるナァ。
よく海外の連中は「ウェブサイトは物言わぬセールスマン」なんて言うけど、そうした専門的な情報をサイトに掲載してしまったら小売り店の出る幕は簡単になくなっちゃうもんね。
そして、ナントいっても一番大きな問題は、よしんばお店に行って知識を分けてもらって、モノを買う気になったところで、買う場所がAmazonだったらどうにもならない。
アメリカはMAPのおかげで、基本的には市中の小売店の販売価格とAmazonの値段は同じ、あるいは近似なのかも知れないけど。
こうした従来のやり方を大きく変えてしまうような商行為はもちろん大きな問題であるし、時にはチャンスなのかもしれないが、楽器業界に関しては、昔を振り返ってみるに楽器屋さんで勉強する文化みたいなものがなくなってしまうのが寂しいと思うナァ。
でも、みんながAmazonで買い物をしていたら町の楽器店が立ち行かなくなるのは当然だ。
 
エフェクターのようにどこで買ってもモノが同じ商品ならわかるけど、実際に弾いてみなければわからないギターなんかは通販で買わないだろう…なんて思うかもしれないけど、もうそんな時代でもないのではないか?
我々のように昔を知っている人間は、モノによっては通販でのショッピングを奇異に感じるかも知れないが、今生まれて来た子は、生まれた時からAmazonがあるんだから、自ずと考え方も我々と異なってくるのが当たり前だ。
生まれた時にJ-POPしかなかったら、死ぬまでJ-POPなんだから。
しかも、人間は性質のわるいことに「三つ子の魂百まで」で、幼い時に「いいな」と思ったものは死ぬまで魅力を感じ続けるらしいのだ。
小さい頃に食べた美味しいものはおじいさんになってもおいしいということ。
Deep PurpleもLed Zeppelinもない時代に生まれた人たちは、そうした音楽を死ぬまで知らなくてもヘッチャラなんだよ。
彼にはJ-POPがビートルズなの。
  
「売らんかな」でAmazonと手を組むメーカーがドンドン増えてきてごらん。
NAMMの会場はAmazonだけになっちゃうよ~。
実際、通販会社のブースがジャンジャン増えているんだから。

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2015年3月23日 (月)

【DAY1】 5 DAYS ART CHALLENGE

作家が自分の作品を1日3つずつ、5日間公表した後、知り合いのアーティストを紹介してバトンを渡し、アートの輪を広げていく『 5 DAYS CHALLENGE』というアート・ムーブメントがfacebookで展開されている。
Marshallのカタログや、GRANRODEOのツアープログラム、数々のCDジャケットを制作し、Marshall Blogでも「下町のヒプノシス」として何回かご登場頂いているデザイナーの梅村昇史さんからこの企画がバトンが送られてきた。
「ライブ・フォト・カメラマン」という触れ込みだ。
私がアーティスト?

イヤイヤ、生まれてからこの方、「自分がアーティスト」だなんて考えてみたことは本当にただの一度もない。
そもそも、AKBが「アーティスト」と呼ばれている時代である。
「言葉は生き物」であり、時代の趨勢に合わせて刻々と意味やとらえ方が変わることは理解しているし、仕方のないことだとも思う。
しかし、今音楽関連の仕事をしていて斯界を見回すに、「アーティスト」という6文字ほど意味が変わり、地位が下がった言葉は他に例を見ないのではなかろうか?
あ、「楽曲」があった。この言葉への仕打ちもかなりヒドイと思う。

私は自分が見たい写真やイメージしている写真、とにかくミュージシャンをカッコよく撮るために毎晩暗がりでシャッター・ボタンを押しているだけで、梅村さんのような「アーティスト」と一緒にしてもらってはあまりにも申し訳ない。
たとえ端っこの方でも、私を「アーティスト」というくくりに入れるのは言葉の誤用というものだ。

したがって、当然梅村さんからのご指名は分不相応と考えた。
でも、よく考えてみると私の写真は「fake」でも、そこに写っているギタリストはシンガーは見紛うことなき魅力的な「アーティスト」であることは間違いない。
つべこべ言って恐縮だが、私の回は、「アーティスト」と私の「ライブ写真」の「合わせ技」ということで自分を納得させて、いつもお世話になっている梅村さんのご指名を受けることにさせて頂いた。
梅村さん、お疲れさまでした。そしてご指名ありがとうございます。

さて、Marshall Blogをご覧の方々は「イヤ~~~!」というほどご存知だと思うが、何か思いつくと筆の抑制が効かない私である。
素直にfacebookに3点ずつ自分お気に入りの写真を掲載して5日間終わればいいのだが、それはできない。
解説を書かないと気が済まないのだ。
facebook上でゴチャゴチャ書くのもやりづらいので、写真の仕事をメイン・トピックスに据えているこのShige Blogのスペースを使うことにしたのだ。
ま、照れ隠しとか言いワケとかと捉えてご一読頂ければ幸甚である。
ちなみにこのShige Blogのバナーも梅村さんの作品だ。

5 DAYS ART CHALLENGE <DAY1>

1. 桑名正博さん

それでは、記念すべきひとつめ。
順番はほぼ意味なく掲載していく予定だが、最初の1枚はコレにしようとキメでいた。
桑名正博さん、バースデイ・コンサートのひと幕。
場所は渋谷のPleasure Pleasure。
このホールは照明が強く、露出合わせがなかなかに難しく、慣れるまで結構苦労した。
桑名さんは原田喧太氏と何度もMarshall Blogに登場してくださっており、この日も開演前に楽屋に赴き、桑名さんにご挨拶すると、「ジブン~、メッチャええ写真撮るな~」とおっしゃってくださったのだ。
私は、正式に写真の勉強をしたことなど一度もなく、Marshall Blogに掲載するための写真を撮るために、何万枚も失敗しながら、「どうすればよくなるのだろう?」と本当に一枚一枚研究しながらやってきた。今でもそのまっただ中にいる。
長年にわたって超一流のカメラマンの被写体となってこられた桑名さんにそんな言葉をかけて頂いたのである。
もう、最高にうれしかった。
そして、その日の本番。先の強い照明と苦戦しながら夢中で撮った一枚がコレ。
私も、我ながら「カッコよく撮れたワイ」と思っていたのね。もちろんMarshall Blogにも掲載した。
その後、それほどの時が経たずして、桑名さんは天国へ召されてしまった。

1_10「なんや、ジブンが撮ったんかいな!元のデータがみつからなくて苦労したんやデェ!」とは妹の晴子さん。
生前の桑名さんは、この写真を大層お気に召していらしたとお聴きした。
本当にうれしかった。
桑名さんは色々な形でこの私が撮った写真を色々アレンジしてお使いになられたそうである。
下のフライヤーはそのうちのひとつ。桑名さんがご自身で制作されたものだ。
ああ、桑名さんのナマの歌声が聴きたい!

現在閲覧できる桑名さんに関するMarshall Blogの記事はコチラ

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2. 三宅庸介『Orchestral Supreme』のジャケット写真

三宅さんも自分だけの音楽世界をギターで表現する真のアーティストだ。
それだけに三宅さんを撮るのは、いつもとても楽しい。
ただし、疲れる。
三宅さんが真剣勝負を挑んでくるからだ。
こっちは真っ向から受けて立とうとするが、すさまじいサウンドと気迫に圧倒されてしまう。
とにかく「今だ!」という瞬間を逃すまいと集中するのみだ。

コレは三宅さんのバンド、Strange, Beautiful and Loudのセカンド・アルバム『Orchestral Supreme』のジャケットの元ネタ。
撮影場所は東京キネマ倶楽部。
この日撮影した何枚かの写真の中から三宅さんが選んだのがこの写真。

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それが三宅さんの手にかかるとこうなる。
ありがたくも、いつも三宅さんからは私の撮る写真にお褒めの言葉を頂戴する。うれしい限りなのだが、まさか上を選んで下にするとは!
このセンスに座布団を何枚も差し上げたいと思うのはチト生意気か?

三宅さんがやっているような音楽が少しでも世の中に浸透することを願いつつ選出。

三宅庸介の詳しい情報はコチラ⇒Strange, Beautiful & Loud

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3. クリス・デュアーテ『LIVE』のCDジャケット写真

コレはね、死ぬほど驚いた。そしてすぐに生き返るほどうれしかった。
大好きなベーシスト、オガンこと小笠原義弘が参加しているクリス・デュアーテ・グループの2枚組CD『LIVE』。
写真はオガンちゃんの依頼で目黒のBlues Alley Japanで撮影したもの。
オガンちゃんからは「ライブ録音してCDになるかも知れへん」…と聴いていた。
それからずいぶん経って、あるアメリカ人から突然メールが届いた。
送り主の名前にはMike Varneyとあった。
「まいくゔぁ~に~?マイク・ヴァ―二―ってあのシュラプネルの?」…それでピンと来た。
クリスがシュラプネル・レコ―ズ・アーティストだということを思い出したのだ。
マイクはイングヴェイ・マルムスティーンを発掘した人とされ、主宰するシュラプネルといえば、アータ、ポール・ギルバートやらリッチー・コッツェンやらジェイソン・ベッカーやらが所属していたレーベルだ。
メールを開けてみると、案の定、この「クリスのCDに私の写真を使いたい」という申し入れだった。
もちろん即断即決。
するとアッと言う間に契約書が送られて来て、私は喜々としてそれにサインをした。(あ、もちろん文面はキチっと読んでます)

私はプロ・ギタリストにななれなかったが、まさか写真でシュレッド・ギター・ミュージックの名門レーベルと契約するなんて思ってもみなかった。
オガンちゃんありがとう!
私はシュラプネル・アーティストなのだ!

それにしても!

1_30このCDの元の写真は実はコレ。
かなり手を入れてある。
もちろん契約で、そういうこともOKしているので何ら問題はない。
しかし、コレを選ぶかね?
あのね、他にいいのがない、ということは絶対にあり得ないんよ。この日は私もかなり好調で、いいのがザックザック撮れたのだから。
特にクリスやオガンちゃんのソロの写真は自分でもホレボレするものが多かった。
それなの内ジャケに使われているソロの写真も「なんでやね~ん?」状態。
ん~、外人との感覚の違いをいいように味わった一件だった。

Chris Duarteの詳しい情報はコチラ⇒Chris Duarte Group Fans
小笠原義弘の詳しい情報はコチラ⇒DANCIN' FUNKY BASS!!!

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つづく



2013年9月 6日 (金)

我が青春のウッドストック <後編>

最初のころは動くジミやフー見たさに映画館に通っていた。
ところが、演奏シーンだけ観て、他の部分は寝ておくなんて器用なことはなかなかできない。
全編観なきゃならない。

そんな具合でこの映画、観る回数を重ねているうちに演奏シーン以外にも楽める個所が増えて来た。ま、「慣れてしまった」というか「観念したというか…。
映画を通じて当時のアメリカの若者の自由な言動に接することは驚きであり、そして憧れだった。

<映画『ウッドストック』のプログラムより>

Ws_img_1015 そして、あのカメラ・ワークと編集!
もちろんピート・タ  ウンゼンドが空中で止まるところや、サンタナの場面のハンド・クラッピング!鳥肌!
カントリー・ジョー・マクドナルドの大俯瞰、黒い鍵盤に置くスライのアップなど好きなカメラ・ワークは枚挙にいとまがない。
ジョー・コッカーのオルガンのイントロもスリリング。演奏以外のシーンでもノーマン・ジュイソンもビックリのマルチ・スクリーンも最高にカッコいい。
それもそのはずマーチン・スコセッシが編集スタッフに加わっているのだから。堂々たる出来である。

<映画『ウッドストック』のプログラムより>

Ws_img_1018 始めはおっそろしく長く感じた3時間半も何回も見ているうちに飽きるどころか、だんだん短く感じるようになっていった。
会場となったべセルの農場主、マックス・ヤスガーのスピーチも実に感動的。「マリワナ…」とささやくジェリー・ガルシアの姿も、「すごい人!」と驚くジャニスの姿も印象深く、オリジナル・バージョンに演奏シーンがないミュージシャンでも動く姿が見えるだけでうれしかった。

<オリジナル・バージョンを収録したレーザー・ディスク>

Img_1050
その点、映画で未収録の映像が加わったバージョンはそういった流れを壊してしまうキライがあってチョイとなじめなかった。

<ディレクターズ・カットのレーザー・ディスク>

Ws_img_1030 そりゃオリジナル・バージョンでは見ることのできなかった、ジャニスやグレイスの演奏シーンが見れるようになったのだからうれしい限りなのだが、オリジナル・バージョンにあまりにも慣れ親しんでしまっている私は、こちらのバージョンは「記録」として捉えざるを得ない。つまり、一種のミュージック・ビデオ。「映画」ではないのだ。

<ディレクターズ・カットのDVD>

Ws_img_1027 サウンドトラックも最初に観てすぐにゲットした。LP3枚組で当時はかなりお小遣いを貯めなければならなかった。
でも、これも買って驚いたね。
だって映画と関係ない曲がワンサカ入っているワリにはリッチー・へヴンスの「ハンサム・ジョニー」やザ・フーの「サマータイム・ブルース」は入っていないわ、アーロ・ガスリーはテイクが違うわで「なんだコレ?」状態だった。

<オリジナル・サウンドトラック3枚組LP>

Ws_img_0978
<『Woodstock Two』の2枚組CD:これには何の思い入れもない。LPも買わなかった。大分後になってこのCDを買った>

Ws_img_1237
いったい映画のどこにジェファーソン・エアプレーンが出てたのよ?!…と子供心に不満に思った。
でもかなり聴いたナァ~。結局、このアルバムが大好きになった。

ジョー・コッカーの「With a Little Help from my Friends」のアレンジがジミー・ペイジによるものだったことを知った時にも結構驚いた。「や~っぱスゲェわ、ツェッペリンって」って。

さらに後年驚いたのは、実際のアーティストの出演順がリッチー・へヴンスを除いて映画と恐ろしくかけ離れていたということ。
これは少し幻滅させられたかな~。

<25周年を記念してリリースされた4枚組CD>

Ws_img_1006 そういえば1976年、「日本のウッドストック」的な触れ込みで「ローリング・ココナッツ・レヴュー」という捕鯨禁止キャンペーンのコンサートが開かれた。
リッチー・へヴンス、カントリー・マクドナルド、ジョン・セバスチャンなど本当にウッドストックに出てた連中がやって来るってんで観に行った。

会場は「晴海ドーム」とかいって後にも先にもこと時1回行っただけの車の展示会をやるバカでかいホールだった。
私が見たのは初日(だったのかな?)で、リッチー・ヘヴンスが出演して「Here Comes The Sun」を演奏していたのを覚えている。
最後はお約束の「Freedom」だった。感動したね~。ウッドストックの冒頭を飾った人が目の前にいるんだから!
自分が40万人の中にいるつもりで演奏に聴き入った。他にはエリック・アンダーソンやオデッタ、岡林信康(ファンだった!けど確か演奏中にトラブルがあったような…)、泉谷しげるなどが出演。

泉谷さんのセットではソロ・デビュー間もない(頃だったと思う)Charさんが白いスーツに白い帽子をかぶって登場した。ムスタングを引っさげてトレモロ・アームを上下する姿は筆舌しがたいカッコよさだった!

それとオデッタが演奏する時、(順番は泉谷さんより前)彼女は傍らでお香を焚いていたのだが、その香りが強烈だったのを覚えている。
また、曲の途中に彼女がパチンと手を打つ曲があって、何人かのお客さんがそれに合わせて手を打とうとするのだが、(彼女は一緒にやってくれなどとひとことも言ってない)タイミングが大幅にズレてたのが彼女には不快だったらしく、「チョット~、アンタら勝手に手ェ叩かないでよ」とあからさまに迷惑そうな顔していたのが印象的だった。
リッチー・ヘヴンスもオデッタももうこの世にはいない。

このイベント、ものすごい長丁場のわりには食べ物の供給が猛烈に貧弱で、売っているものといえば味も素っ気もないコッペパンくらい。究極的にハラが減ったのもよく覚えている。
加えて終演した時間も遅く、帰りのバスがなくなってしまい、銀座まで歩いて帰った。まだその時分は中学生だったので、「帰りが遅い!」と父にケチョンケチョンに怒られてしまった。
でも、ま、ウッドストックのトップバッターを努めたアーティストを間近に見たんだからよしとしようではないか!

Marshall Blogではブリティッシュ・ロックにまつわるイギリスの名所を行脚している。いつかマンハッタンでもこれをやりたいと思っている。アメリカはそれだけでいいかな~。
でも、もうひとつ、このフェスティバルが開催されれたBethelという場所のヤスガーさんの農場だけは生きている内にいつか一度は訪れてみたいと思っている。

文中には私が保有するウッドストック関連グッズを散りばめてみた。別にコレクターではないので珍しいものは特にないが、これまで結構投資したな。
ま、権利関係の問題が複雑に絡み合っているんだろうけど、チビチビ未発表音源やら画像を出されるのは辛い。

こちらは幾分レアかも?いわゆる映画の「チラシ」。A4の二つ折りになっている。どこでゲットしたのか覚えてないな…。

<映画『ウッドストック』のチラシ>

Th_img_1249 <チラシの裏面。A4判を半分に折った仕様になっている>

Th_img_1251_2 <同:解説には中村とうようさんが寄稿している>

Th_img_1252 フェスティバルのウンチクに関しては機会がある時にMarshall Blogの「Music Jacket Gallery」の中で触れて行きたいと思う。

それにしても、ウッドストックを通じてMarshallがロックの歴史の大きな1ページを刻んでいることを心から光栄に思う。
そして、あの映画館をかけずり回っていた時代がなつかしい。

さぁて、また観ようかな?

2013年9月 5日 (木)

我が青春のウッドストック <前編>

音楽に興味を持ち始めてからずいぶん時間が経った。

「Music Jacket Gallery」の植村さんには遠く及ばないが、売っちゃ買い、売っちゃ買いしたLPやらCDの数は「万」を下ることはない。
その間にずいぶん色々と好きなものキライなものに出くわした。双方枚挙にいとまがない。

そんな中で、とりわけ好きなものと言ったら「ウッドストック」…映画の『ウッドストック』のことだ。

一体何回観たことだろう。カウントしておけばよかった…。
映画館で観た回数に関しては、そう簡単に人後に落ちないつもりだ。「ぴあ」や「シティロード」をチェックしては東京中の名画座を駆けずり回った。DVDはおろか、ビデオすらなかった時代だから映画館に足を運ぶより他、観る方法がなかったのだ。

初めての『ウッドストック』は退屈だった…。ひたすら寝た。
その時は「バングラデシュ」とのダブル・フィーチュアだった。中学校2年生だったかな?
ビートルズこそロックだと思っていた頃だったので当然「バングラデシュ」を目当てに映画館に出かけた。
ところが、こちらの方も存外に退屈で、その証拠にこの時以来、一度も観ていない。ま、今観たらそうでもないんだろうけど…当時はまだ青かったから…。

子供ながら記憶に残っているのは、Ravi Shankarが「演奏中にはドラッグを控えて欲しい」と演奏前にアナウンスしたことと、George HarrisonがLeon Russellを紹介した時に、座ったままのLeonに向かって「立てよ、レオン」と注意したとこぐらいかな。演奏はほとんど記憶に残っていない。

「ロック映画」などというジャンルがあるのかわからないが、当時はこの手の作品がたくさんあって、ソウル系の『Wattstax』や『Fillmore: The Last Days』なんかがよく『Woodstock』と併映されていたように記憶している。

しつこいようだが、何しろまだビデオもない時代で、テレビで海外アーティストの映像が見られることが激レアな時代だったから、このようなフィルムが非常に重宝がられていたことは方々で語られている通り。
もっとも当時を振り返ってみると、「ロック」と「歌謡曲」というか軽音楽のジャンルが明確に分けられていて、いわゆる「日本のロック・バンド」をテレビで見ることの方が海外ロック・アーティストを見ることよりはるかにレアだったかも知れない。
それに矢沢永吉や井上陽水、荒井由美といったいわゆるニューミュージック系の大御所はテレビに出ることをかたくなに拒んでいた。今とは隔世の感ありだ。いまだにテレビに出ないのは達郎さんぐらいでしょ?

有名な「モンタレー・ポップ・フェスティバル」なんかも最初に見たのは九段会館だった。コンサート形式でありがたく拝見させてもらった。これはその時のプログラム。
Ws_img_1041 そういえばビデオが一般化した後年、大晦日かなんかにテレビで『ウッドストック』を放映していたことがあった。ビデオに録画しようにもあの頃は生テープがまだ殺人的に高かったっけ。

この「ウッドストック」が1969年に開催されたということは、ロックの試験があれば頻出問題になることは間違いないくらいの常識となっているけれども、考えてみると初めてこの映画を観たのは実際に開催されてからまだ10年も経ってない頃だったんだよね。
それがもう開催から40年以上も経った。自分も歳を取るワケだ。

<映画『ウッドストック』のプログラム>

Ws_img_1010<同:裏表紙。あるいはこっちが表紙かな?>

Ws_img_1011 <同:内容は出演しているミュージシャンの紹介がほとんど。オリジナルのイラストが間に挿入されておりなかなか凝った作りになっている。残念ながらオリジナルではない。何回か観に入っているうちにどこかの映画館で見つけて購入した。いつも取り扱われていたワケではないように記憶している>

Ws_img_1012 閑話休題。いよいよ思い出してみるに、あの頃はフィルム・コンサートというのが各地で頻繁に催されていて、ローリング・ストーンズのドキュメンタリー映画『Charlie is my Darling』を有楽町のよみうりホールに観に行ったことをハッキリと覚えている。この時が本邦初公開だった。1978年ぐらい?
どうしてこのことをハッキリと覚えているかというと、その当日、まれに見る大型台風が東京を直撃し、学校が半ドンになったのだ。当然家に帰って、家でジッとしていなければならないのだが、すでに少ない小遣いをはたいてでチケットを買っている。当然家にいるワケにはいかない。そこでロック好きの友人達とやや後ろめたい気持ちもありつつ出かけてしまったのだ。
司会は渋谷陽一だった。我々の仲間はみんなFM NHKの彼の番組を楽しみにしていたのでそれだけで大興奮だった。
その時、渋谷さんがストーンズの映画に先だって「今、一番ホットな新人バンドを紹介します」と上映したフィルム(今でいうPV)が日本デビュー前のCheap Trickだった。ものすごくカッコよかった。数年後、ライブ・レコーディングされた有名な武道館公演にも当然行った。

話しは戻って…今、英Marshallのスタッフとして働いているが、この頃からMarshallに縁があったのかナァ…と感慨にふけることもある。
「ウッドストックのマーシャル」といえば何といってもJimi Hendrix。あの朝日に浮かぶ1959のフルスタックの壁は荘厳ですらある。
そういえば、最初、「Purple Haze」の邦題が「紫のかすみ」となっていて、お兄さんたちが笑っていた。私には彼らが笑っているまだ理由がわからなかった。

<映画『ウッドストック』のプログラムより>

Ws_img_1017_2 Marshall社としても。あの場面に自社の製品が登場していることを誇りに思っているのだ。
それにしても残念なのはあの観客の数。押しに押しまくった進行がJimiの出番を一日遅らせてしまったのだからスケールがデカイ。
40~50万人いた観客がたったの3万。ま、これだけでも大変な数ではあるが…。
出演者中で一番高いギャラを取ったというのに!そして、仕事だからといってもジミを見ずに帰ってしまった人たち…いまだに臍を噛んでいるのではなかろうか?一時は出演がキャンセルとなったという噂があったようだし、あのジミの演奏は本調子ではないとよく言われているが、そんなこたぁ関係ない。
だって「え、ジミヘン?あ、オレ、ウッドストックで観たよ」…なんて言ってみたいものだ。

ホント、実際のジミのMarshallの音を聞いてみたかったナァ。熱心なヘンドリックス・フリークぶりで知られるウリ・ジョン・ロート曰く、「とにかくクリーンで美しかった」というジミのマーシャルの音。
Marshallのクリーンにはファンが多い。ウリは若かりし頃、2度ほどドイツでジミを見たと言っていた。

<映画『ウッドストック』のプログラムより>

Ws_img_1016_2 ちなみに今はディレクターズ・カットになって、ジミの出番は彼がアナウンスに合わせてマーシャルの影から出てくるところから「Voodoo Chile」が始まりが、劇場版はこの前のジミとは関係のないシーンにギターの音が重なって「来た、来た、来た!」という演出になっていた。
何しろここあたりのシーンまで延々3時間くらい待ち続けるのだからジミの出番は喜びもひとしおだ。
そして「アメリカ合衆国国歌」…タマらん!なぜかこのジミのところだけコマ落としになっていて、ジミの動きがザクザクになっている。これもまたカッコよかった。
「Purple Haze」の後、あの美しくももの哀しい「Villanova Junction」にそのまま突入し、映像はフェス終了後のあたり一面ゴミ野原と化した会場のようすに変わる。
ここはこれでジミが写ってなくてもまたよし。不思議なことに「ジミを映せ!」という感情にはならない。少なくとも私はこれが美しいと思っている。
ただ、あのシーンでいつも思っていたのは、靴をなくした若者が捨て置いてあるスニーカーを拾いサイズを確認するところ。アレ履いたら中が濡れてて気持ち悪いだろうに…と今でも思ってしまう。それとあのスイカ。あれは食べれな。あのふたり、よっぽど空腹だったんだろう。

<40周年を記念してリリースされたDVD。Greatful Dead他、未発表映像が満載されたが私にとっては「記録」であり、「映画」ではない。
尚、Marshall Blogの「ミュージック・ジャケット・ギャラリー」でおなじみの植村和紀氏はこの40周年記念の6枚組CDの制作に関わっている>

Ws_img_1002 あの場に日本人はいたのだろうか?
有名な話しでは故成毛滋さんがいらっしゃったそうで、開催された当時の「ニュー・ミュージック・マガジン(当時)」を紐解くとそのレポートが掲載されている。かなり面白いので興味のある人にはオススメだ。(『ミュージック・マガジン増刊 スペシャルエディション パート1』に掲載)
どこかの記事で読んだが、夜、暗くなってからひとたびトイレに行くと、明るくなるまで自分の席に帰ることは不可能だったとか…。

何しろ「ものすごい人」だったとかで、ウッドストックに在住していた私の知人のフォーク・ミュージシャン(ボブ・ディランの先輩格にあたるかなり有名な人)にその様子を尋ねたことがあった。その人は実際にサブ・ステージへの出演を依頼されていた。
何しろウッドストックに住んでいるワケだから、出番に間に合うように「んじゃ、チト行ってくるわ」ってな調子で家を出たらしい。
ところが、道が混んでいて到着が大幅に遅れ、また、人がいっぱいでとうとうステージにたどり着けなかったそうだ。
それからどうしたかって?そのまま家に帰って来ちゃったんだって!!ちなみにこの人もあのフェスティバルがこんなに歴史に輝くものになることが予めわかっていたら是が非でもステージに立つべきだった!と残念かっていた。そりゃそううだ。

 話しを元に戻すと、先日亡くなったアルヴィン・リーもマーシャルを使っている。何しろあの時は ピンスポが当たっている場所以外は真っ暗なステージなので演奏中にハッキリと確認できるワケではないが、最後にスイカを担いでステージを降りようとしているときにフルスタック、UNIT3(1959の3段積み)の姿が確認できる。
それにしても初めてテン・イヤーズ・アフターを見たときはブッたまげたゼ~。いい気持ちで寝ていたのがいっぺんに飛び起きてしまったんだから!

<映画『ウッドストック』のプログラムより>

Ws_img_1013 マーシャル・プレイヤーということでもうひとつ言えば、ジェフ・ベック・グループが出ていればもっとよかったのにナァ。

<映画に収録されていない画像を収録した『ウッドストック・ダイアリー』のレーザー・ディスク。3日分がリリースされたが高くて全部は買えず。観たかったThe WhoとJanisとSlyが収録されているこの日の分のみを買った>

Ws_img_1029 <後編につづく>

2013年7月23日 (火)

アメリカ、ひっさしぶりだ~!

2013年1月23日 初出

アメリカに来るのは5年ぶりぐらいかナァ~。

ここのところイギリスばっかりだったから、てっきり昼ごろ飛行機が飛ぶのかと思ったら夕方だった。

ロサンゼルスまで9時間。ロンドンより3時間ぐらい早くてメッチャ助かる。この老体にとって、座りっぱなしの3時間の差はかなり大きい。

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ホテルの部屋から撮った外のようす。これは朝焼け。

この5年の間にエラク年取ったような気がするのは、時差がメチャクチャつらくなったこと!ロンドンの場合は昼に成田を発って夕方ヒースローに着くので、そのまま寝ちゃえばそう問題ない。どうせ飛行機の中ではグッスリ眠れないのですぐ眠れちゃう。

今回はシンドイ。成田を夕方発って、ロサンゼルスに着くのが前の日の朝9時。激疲れの状態でもう1回一日をやり直さなければならないからね。帰りは帰りで昼にロスを出て、成田に着くのが朝の5時。アメリカ往復ってこんなにつらかったっけ?

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ホテルの廊下。出てくる数日前に「シャイニング」を観ちゃったもんだからつい…。ダニーが三輪車で走り回った廊下みたいでしょ?おっと!部屋番号は?大丈夫、237ではありません。

私、実際にあの「シャイニング」のホテルに泊まったことがあるんよ。イヤ、正確にはモデルとなったホテルなんだけど…。キューブリックの演出を気に入らなかった原作者のスティーブン・キングがテレビ版を作った時にロケで使われたホテルね。詳しくはまた別の機会に。
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そう、今回の訪米はNAMMショウに参加するためなのです。

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NAMMには何回も来てはいるものの、まさか正式なマーシャルのスタッフで来る日が来るとは夢にも思わなんだ。

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着々と準備が進む。

NAMMの詳しい情報はコチラ⇒マーシャル・ブログ

今晩はみんなでメキシコ料理。案外好きなんだ~、メキシカン。楽しみ!
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(2012年1月22日 ロサンゼルス・アナハイムにて撮影)

2013年7月18日 (木)

友遠方より来る

仲良しのアメリカ人が遊びに来てくれた。洋の東西を問わず気の合う友達と会うのはとても楽しい。
よせばいいのにお土産まで持ってきてくれた。
Pu_img_4756 Hotties Guitarsというその友人がやっているギター・ブランドのハムバッキング・ピックアップ一式。
もう全然ギターなんか弾いてないのに…。
昔はこのピックアップのように燃えてたんだけどな~。
Pu_img_4785 うれしいナァ。ピックアップだけじゃくて、彼の気持ちが…。
またギター弾こうかな…。
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2013年6月10日 (月)

イギリス紀行2012 その19~ロンドン5 <さらばUK!>

2012年9月14日 初出

今日は広規さん達と分かれて別行動。天気予報によると久しぶりにいい天気なりそう!ということで、『ロック名所めぐり』取材がてら、まずは街中をブラブラすることに。

ここはチャリング・クロス・ロードからちょっと入った路地。

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セシル・コート(Cecil Court)といって古本、古地図、中古楽譜屋さんなんかが集まっている通り。東京でいう神保町だ。ゼンゼンこっちの方が小さいけどね。
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イギリスはウィリアム・シェイクスピアやアガサ・クリスティを生んだ日本に並ぶ読書大国。本の装丁にも並々ならぬ技術とこだわりを見せる。
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他にも専門書店が軒を連ねる。
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ここは音楽書を専門に取り扱っているお店。神保町にもあるよね。
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こっちもそう。クラッシック関連の書籍が多かった。
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ここは車やオートバイ関連書籍のお店。
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チャリング・クロス・ロードに戻る。もう数えれないくらい歩いているエリアだけど、こんな建物気がつかなかったな。抹茶テイストでおっしゃれ~!

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やっぱりロンドンの街並みはすこぶる美しい。イギリスの田舎の風景もこの世の物とは思えないくらい美しい光景が広がるが、多くの人が認めるように、私もこのロンドンの街並みが大好きだ。ヒトラーがぶっ壊さなかったらもっときれいだったのかな?

それでもイギリスの連中に言わせるとベルギーの方がもっときれいだって言うね。イヤ、アタシャ、イギリスで大満足です!
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ピカデリーをブラついていたら宗教系のデモに遭遇。
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何を訴えているのかはわからないが、何しろすさまじい熱気!
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リージェント・ストリートもユニオン・ジャック一色だ。
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しっかし、ようやく晴れたナァ~。
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せっかく晴れたので何かロンドンならではの美しい景色を撮りたいと思い立ち再度リッチモンドへ向かうことにした。
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やっぱり抜群にきれいだった。

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まるで絵画。というか、画家たちがこれを絵にしたのだから絵画的で当たり前なのだ!

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それしてもいい天気!今度は暑くてしょうがない!
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久しぶりに顔を出したお日様のもと、お母さんと戯れる少女。きゃわいーなー。鳥さんもいいけどお嬢ちゃん、フンに気をつけるんだゼ!
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河畔のホテルもこの通りの美しさ!
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曇天下の前回のレポートとはえらい違いでしょ?

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この光景がウエスト・エンドから20分ぐらいのロケーションに広がっているとはにわかには信じがたい。
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ま、せっかくここまで来たので有名なKew Gardenでも見てみようと、おとなりのキュー・ガーデン駅で下車。キュー・ガーデンまでは駅から歩いて10分かからないぐらい。自慢の美しい庭園をカメラに収めようと重い足を引きずって行ってみた。たけーの、入場料。やめた。
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で、ナニもしないで駅までもどってホームのベンチで電車が来るまでの間、この2週間のこをボ~~っと思い出していた。

明日は最後か…。ずいぶん色々あったな~。楽しかった。みんなにホント~に良くしてもらった。最高の友達たちだ。感謝感謝。彼らが東京へ来たらどうやってもてなしてやろうかな?楽しみだな~。

ジムを送り出す会、ヨーク、エジンバラ、ニューキャッスル、サウス・シールズ、ダイアモンド・ジュビリー、ポールの歌…。あまりの天気の悪さに寂寥感が芽生え、途中で帰りたくなっちゃったけど広規さん&くり子と合流して復活!やっぱりアッという間だった。

なんて感傷的になってロンドンの中心街へ戻って行った。
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そして次の日、私は機上の人となって、愛すべき祖国へ向かったのであった。

これにて『イギリス紀行2012』を脱稿させていただきます。広規さんシリーズも含め、23回にも渡ってご覧いただきましてどうもありがとうございました。

でもね、肝心なものはまだ出していないのです。それはこの旅でゲットした「ロック名所」ネタ。こちらも近日公開致しますので是非ご期待くださいませ!
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<おまけ>

ここ数年の円高は対ポンドにおいても猛威を振るっていて、観光には実にうれしい環境を作り出してくれている。10年ぐらい前には£5のCDを買うのに1,150円払っていたのを今では625円でゲットできる。実は私はロンドンで本はよく買うけど、イギリスでCD買ったことがほとんどなかった。

そんな円高を味方にCDをツラツラと見て回り、少し買いこんで来た。

このアリス・クーパーのライブ盤は見たことがなかった。£5だったので即ゲット。これは1975年、ロスアンゼルスでのライブ。名盤『Welcome to my Nightmare』の発売直後、つまり今でいうレコ発ライブだったのだろう、同アルバムから「The Awakening」を覗いて全曲演奏している。もちろん「I'm Eighteen」、「No More Mr Nice Guy」、「School's Out」、「Billion Doller Babies」等も演奏している。完全にショウ仕立てになっていて、71分の収録時間が短く感じる。音もよくて625円。
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大好きな大好きなセンセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンド。1976年の『SAHB Stories』と1978年の『Rock Drill』の2 in 1。「好きな割には2 in 1かよ」と笑わば笑え。ゼンゼンへっちゃらよ。だってSAHBって中古でほとんど見かけないもん。(『Next』とか『The Impossible Dream』ばっかり) 体裁にこだわって聴けないよりも、早いとこ内容を楽しんだ方がいいでしょ?もう残された時間があまりないのだ!2 in 1といっても2枚組で£10。

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The Whoのメモラビリア。音源はナニも入っていないコレクターズ・アイテム。相当売れ残ったんだろうな?元の値段の半額以下で£15。契約書やらチケットの半券のレプリカがゴロゴロ入っていて楽しい。それにブックレットの写真がすこぶるカッコいい。The Whoなんて撮ってみたかったよな~。この4人のライブの写真すべてが私の教科書のうちのひとつなのです。(それとジム・マーシャルにセシル・ビートン)
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これは人気音楽誌「UNCUT」の別冊。UNCUTは1997年創刊の総合音楽雑誌で、本誌は新しいミュージシャンを中心に編まれている。ところが、そんな雑誌でもこうして過去のブリティッシュ・ロックの遺産に関する別冊を時折出すのだ。こういうところがエライ!読むのはかなり骨だが、写真も多く、ページをめくっていてワクワクしてくる。なによりもこうしたブリティッシュ・ロックに関するアイテムを本場イギリスで手に入れることに快感を覚えるってワケ。これ東京で見かけても高いし、絶対買わんよ。ジョン・レノンとフーは数年前に買ったもの。今回はツェッペリンの特集だったので迷わずゲット。£6.99。

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ヒッチコック大好き!作品をひとつひとつ解説した豪華本。£30が£8で売っていた。これも多数のメモラビラが収蔵されていてうれしいなったらうれしいな!
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極めつけはコレ!£19.95の定価でゲット。古今東西のミュージシャンの写真が雑多に掲載されている。そこには何のテーマも見受けられないが、ま、参考書的に持っておいてもよかろうという判断が働いた。それよりもこの表紙を見たら義務感が湧いてきて買わずにはいられなかった。
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完全にMG15DFXだもんね~。マーシャルの社長に見せたらなんじゃこりゃ的に「見たことないナ~」と驚いていた。それにしても、滅法重くてさ。ヒッチコックの本とこれだけでもう超へヴィ級。買って買いたい本は他にも山ほどあるんだけど、重量を考えるとイヤになっちゃうんだよね~。デザイン・ミュージアムで見つけたソール・バスの作品集も欲しかったんだけど、とても持って帰れる重さではなかった!

飛行機で預かってくれる荷物の重量は23kgまで。それを超えると4,000円ぐらいの超過料金を払わなければならない。ところがANAなんかは2個まで無料で預かってくれるので、この超過料金を払うより8,000円以下のバッグを買って荷物を分けた方が全然利口なの。ヴァージンは1個しか預かってくれないので注意ね。

この他。マイルス・デイヴィスの自伝のペイパーバックが£3だったので買ってみた。

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『イギリス紀行2012』これにてすべて終了!長い間お付き合いくださいましてありがとうございます。