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2023年8月15日 (火)

語らずに死ねるか!~2003年の敗戦記念日によせて

 
78回目となった敗戦記念日。
今日からほぼひと月前の7月16日と17日に浅草公会堂を訪れた。
3月になると、浅草公会堂の1階のスペースでは毎年「東京大空襲」に関するアイテムの展示や経験者の講演会などが催され、その様子は以前このブログでも紹介した。 ↓  ↓  ↓
 【Shige Blog】東京大空襲の日 2023
我ながら充実した内容の記事が書けたと思ったが、アクセス数は散々だったわ。
戦争に感心を持っている人がいかに周囲に少ないかを窺い知ることができる。
でも今日もめげずに書く!
10公会堂1階のホールのようす。
ココでナニがあったのかというと…30『語らずに死ねるか!』と題して太平洋戦争の戦場を実際に体験した方々に接する会が開催されたのだ。
主催は「戦場体験放映保存の会」という公益社団法人。
なかなかにインパクトのあるイベント・タイトルではなかろうか。
最高齢で98歳の従軍経験者から最年少で86歳の民間の引揚経験者まで、17人の方々の戦争体験談を聞くことができる企画。1_scan20230809_123535_2 会場には他にも戦争を体験した皆さんへのインタビューを綴ったパネルがテーマ別にズラリと並んでいた。50

60この展示品は1941年12月8日の朝日新聞の第1面。
言うまでもなく真珠湾攻撃の日。
「帝国米英に戦線を布告す」
「西太平洋に戦闘開始 布哇(ハワイ)米艦隊航空兵力を痛爆」
「宣戦の大詔渙発(たいしょうかんぱつ)さる(天皇陛下が開戦の大英断を下したということ)」
ハワイだけでなく、フィリピン、グアム、シンガポール、マレーシア、香港にも侵攻したことが伝えられ、コレで国民がイケイケドンドンと俄然戦争をプッシュしたのはいいが、この時からたった5カ月後にはB25ドゥーリトル機が東京の空に飛来してしまった。
モノの本によると、戦争というモノは敵に自陣を爆撃された時点で「負け」も同然…と相場がキマっているのだそうだ。
それなのに国民はウソをウソで固められて塗炭の苦しみを味わうことになった。
結婚より離婚の方がムズカシイように、戦争は始めるより終わらせる方がはるかに困難だという。
そしてこの新聞から3年9か月後、そして78年前の今日、310万人もの犠牲者を出して何とか負けるとわかっていた戦争を終結させたことになっているワケだ。
70v中村治良さんという方の出征を祝った幟。
「祝」と書いて「死」と読むなんてことは口が裂けても当時は言えなかった。80今回のイベントの展示アイテムは以上。
メインは戦場体験者の皆さんのトークだ。
初日の7月15日は予定があったので、翌16日の10:30から始まる第1回目の公演会にお邪魔した。
参加費は無料。
10:00チョット過ぎに到着すると、メインのスペースはもう傍聴者でギッシリ!
コレね~、上演の方法にムリがあるというか、難があるというか…大分改善の余地があるように思われましてね。
というのは、同じフロアをついたてで4つのスペースに分けて、まったく同じ時間に最大4か所で同時に講演を開くワケ。
つまり下の写真の後ろと左右両側の3か所でも同時に上演しちゃう。
会場の都合上仕方がないのかも知れないが、各スペースの声が入り交ざってしまうのは当然のこと。
PA装置の貧弱さも指摘されるが、安易に音量を上げるワケにもいかない上に講演者は来年には100歳におなりになるおジイちゃんだ。
「もっと大きな声で!」なんてとてもお願いできませんよ。
そんな状態なので、話を聞き取るのが実に困難だった。
もちろん聞きたい講演の時間が重なってしまい、どちらを聴くか苦渋の決断を迫られることにもなってしまう。
ポスターには「この形式では最終回」と謳っているので、この上演方法に改善についてはまたの機会に期待したいところだ。
20最初の日は依田安昌さんとおっしゃる長野県ご出身の元陸軍衛生兵の方のお話を伺った。
大正13年の生まれというから高峰秀子や乙羽信子、京マチ子の同級生だ。
ジム・マーシャルのひとつ年下で、今年99歳の「白寿」でいらっしゃる。
依田さんは昭和15年に軍属として北京気象庁に就職した。
「軍属」というのは兵隊ではなくして軍関係の仕事をする人たちのこと。
戦時中、気象庁に勤めていた作家の新田次郎も満州に赴任していたので、もしかしたら依田さんは新田先生と接点を持っていらしたかもしれない。
そして、昭和16年に戦争がはじまると「衛生兵」として入営された。
そしてそのまま中国で終戦を迎え、内モンゴルで抑留生活を強いられ、昭和21年の6月に引き揚げたという。
残念ながら、周囲からの音の侵入が激しい上に、PAの性能も悪く、ご高齢ゆえ発する言葉が不明瞭であまりお話を聞き取ることができなかった。
しかし、八路軍との戦いの様子などは、本当に経験された方にしか話すことができないであろう臨場感があった。
一方では、その八路軍兵士と仲良くなったケースも何度かあって、「戦争さえなければいい友達だったハズ」と残念がっていらっしゃったのが印象的だった。
100一方、同時刻にとなりのブースでお話をされていた方が坂上多計二(たけじ)さんというフィリピンのミンダナオ島に出征されていらした方。
とても元気にお話をされていらして聞き取りやすく、「翌日の最初の回の講演は自分だけなので、ゼヒ聴きに来て頂きたい」とおっしゃるので翌日も訪問することにした。Addimg_0030 明けて7月17日。
会場へ着いてみると、まだ開演まで20分もあるというのにすでにこんな様子。
昨日の御自身の告知の通り、午前中の登壇者は坂上さんお1人ということもあってとにかくギチギチ!
傍聴者はご年配の方が多く、残念ながら若い人はほとんどいなかった。
90坂上さんは、さすがに3日目ということで少々お疲れのようだったが時折イスから立上がる力演ぶり。
戦地ではとにかく空腹で、食べられるものは虫でも雑草でもすべて口に入れたという。
ジャングルの木の上にはサルがいて、撃ち落として食べることを当然思いつく。
「サルも木から落ちる」というが、サルは木から落ちないらしい。
サルに弾が命中し絶命しても四肢や尻尾が枝を掴んでいるので地上に落下しないのだそうだ。
「サルは難しい」とおっしゃっていた。
また、戦友がチョット離れたところでコチラを向いて微笑んでいるので近寄ってみると、彼は死んでいて笑っていたかのように見えたのは、目と口にたかった蛆が動いていそう見せていたというのだ。
蛆は水分を求めて人間の死骸の目と口に入り込もうとするそうだ。
戦場は「ウジとウンコまみれ」だから。
我々は戦争映画で悲惨なシーンを観て目をそむけることがあるけれど、どんなに忠実にそうした場面を再現してもニオイだけは再現できないんよ。
つまり現実は映画よりはるかに悲惨だということを知っておくべきなのだ。120「今の日本の状況は戦前ととてもよく似ている。このままではまた戦争が起こってしまいそうでとても恐ろしい」と何度も何度も繰り返されていた。
このことこそが坂上さんがこの機会に一番訴えたかったことなのだと思った。130最後にはQ&Aコーナーが設けられた。
坂上さんは耳が遠いため、ご同行された親類の方がパソコンを持って客席に陣取り、司会や質問者が発する言葉を文字情報に変換し、坂上さんは目の前に置かれたパソコンに送られてくるその文字情報を読み取ることによってコミュニケーションが図られた。
いわば、一方通行の筆談だ。
そうした方法で坂上さんは聴講者からの質問に熱心に応答をされていらっしゃった。
「インパールの大牟田廉也のように無理な作戦を強要する上官がいたか?」という質問があった。
その人は恐らくは戦争の暗部を伝えるような坂上さんの苦労話を期待していたのだと思う。
坂上さんは少しだけ考えて…「そういう人は私の周りにはいませんでした」とスッパリお答えになった。
質問者は意外な表情をしていたが、私は「真実以外は絶対に話さない」という坂上さんの信念を見たような気がした。
コレは映画の観過ぎかもしれないが、あるいは凄惨な目に遭っていたが、こうした公の場で体験を話すことを憚ったのかも知れない。
110よくこうした「戦争体験を語る会」とか「聞く会」という企画を見かけるが、一度皆さんもご参加されてみるといい。
私は戦争の悲惨さを勉強するためにできるだけ戦争に関連した小説や資料を読むように努めているが、やはり実際に体験した方の生の声を聞くのは目で事実を追うのとは全く異なる強烈なインパクトがある。
来年も開催されればまた来てみたいと思っている。
 
最後に1932年(昭和7年)、京都の峰山生まれの音楽評論家、中村とうようさんが自分の雑誌『ニューミュージックマガジン(現ミュージックマガジン)』の1976年の5月号に寄稿したエッセイを引用して記事を締めくくりたいと思う。
引用元は中村とうよう著『地球のでこぼこ(話の特集刊)』から。
元々古本で買って、何回も読んでいるもんだからボロボロになってきちゃった。
ご存命であればとうよう先生も91歳でいらした。
ということは、「昭和ひとケタ」と言われた皆さんは来年全員90歳におなりになるということか。
浅草生まれ浅草育ちのウチの父も昭和8年生まれで、仙台へ学童疎開をしたクチだった。0r4a0888 チョット長くなるけどとてもわかりやすい文章なのでゼヒご一読願いたい。
時代は日本中が揺れた「ロッキード事件」の頃。
 
『ロッキード献金を生んだのは軍縮というものがもっている本質それ自体である。
もともと武器だの軍隊だのいうものは、欲望の醜悪さをその本質の中にもっている。
ことに平和共存下での軍備は、そうだ。
むかし、兵士だのサムライだのというものは、王様、お殿様とそれに直結しているひと握りの連中の、金や物や領土にたいする野心をまんぞくさせるための道具だった。
言うまでもなく、そのことは本質的にいまも変わりはない。
軍隊や軍備は、支配者集団の物欲のために存在する以外の何ものでもなく、人民を守るためのであったことなど歴史上ただの一度もない。
そして当然に戦争はその物欲充足のための具体的行動だった。
戦争に勝てば、分捕り品を支配者たちは山分けできる。それが欲しいから戦争する』
 
ここまでいいですか~?
 
『さて、第二次世界大戦で日本は負けた。
つまり当時の日本の支配者たちは欲望を満足させることに失敗した。
アメリカの支配者たちは勝ったのだから、日本を切り刻んで自分たちで山分けできたはずだ。
だが、そういう古典的なやり方での戦利品分配はもう許されないような時代になっていた。
彼らの欲望充足はより巧妙に行う必要があった。
最初彼らは正義づらをして戦犯裁判の名のもとに日本の支配者たちを裁き、7人を死刑、あとを禁錮刑や公職追放にした。
そしてアメリカとソ連の対立の時代が来たわけだが、もし全面戦争をした場合には勝てたとしても自分の方も手ひどい損害を受けなければならないほど、武器の発達は高度であった。
そこに冷戦~平和共存そして局地戦争という方式のもとでの、新しい軍備のあり方が出てきた。
それは実際に使用することはないであろうと承知のうえで武器を作る、しかも、急速な技術の進歩のもと、仮想敵国にくらべてより新式の兵器をたくさん持っていないと平和が保てないという名目で、次から次へと新しくつくりかえつづけ、その兵器でもうけた金を支配者たちが山分けする、というシステムだ。
もちろん局地的な限定戦争があったほうが兵器の消費が増えていっそう得になるから、朝鮮やヴェトナムでドンパチやる。
でもクラシックな戦争のように、戦利品が目的で戦争をしているのではない。
勝っても負けても、兵器さえ売れればいいのだ。
だからヴェトナムでアメリカが負けた負けたというけど、支配者たちにとっては、ミットモナイということを除けば必ずしも失敗だったわけではない。
第二次世界大戦にまけたはずの日本の旧支配者たちは、死刑になった7人以外は、戦後も支配者でありつづけた。
そうすることをアメリカの支配者が許したのだ。
アメリカの支配者たちにとっては、日本の旧支配者をやっつけるよりも、彼らをふたたび支配者の地位につけ、その代わりアメリカの作った兵器を買わせる、つまり兵器の売り上げ増加に協力させる方が得だったからだ」
どうですか?
誰かの顔が浮かんで来ませんか?
今日、その誰かさんは日本武道館で開催する恒例の「戦没者追悼式」で「不戦の誓い」を再び持ち出すらしいことが今朝の東京新聞に出ていた。
同紙は実際の振る舞いを言葉に「逆行」していると指摘している。
   
戦場体験放映保存の会の詳しい情報はコチラ⇒公式ウェブサイト

140v

2023年6月28日 (水)

『真夜中の怪鳥』をホンの少しだけ余計に楽しむ <後編>

 
厚顔不遜、頼まれもしないのに勝手に加藤広文さんの『真夜中の怪鳥』の補足説明をする2本立ての<後編>。
本当はサラっと終わるつもりだったんだけど、書き出したら色々と出て来てしまい、あまりにも長くなってしまったので2本立てとさせて頂いた。
その<後編>をどうぞ~!
0r4a0176  
「ロイヤル・アスコット」

「ロイヤル・アスコット」に招待された加藤さん。
「アスコット競馬」という名前はご存知だったので「よし!万馬券を取ってやるぞ!」と息巻いたものの、周囲の人にそれがただの競馬ではなく上流階級の社交の場であることを聞かされる。
私は映画『マイフェアレディ』を通じて中学1年生の時に「ロイヤル・アスコット」というモノがあることを知った。
英王室お抱えの写真家セシル・ビートンがデザインして「アカデミー衣装デザイン賞」獲得した世にも美しい衣装に身を包んだイライザ・ドゥーリトル、すなわちオードリー・ヘップバーンが、そこに集まった上流階級の人たちを相手に「The rain in Spain stays mainly in the plain(スペインでは雨は主に広野に降る)」とやってヒギンズ教授に仕込まれた「にわかレディ」ぶりを披露するが、つい自分が賭けた馬を大声で応援して地金をムキ出しにしてしまう爆笑シーン。
あそこで使われている曲は「Ascot Gavotte(アスコット・ガヴォット)」。
歌い出しがスゴイ…「Every duke and earl and peer is here(あらゆる公爵、伯爵、貴族のみなさんがココにお揃いです)」。
加藤さんは「ロイヤル・アスコット」がそんなところだとはご存知なく、万馬券を当てにロイヤル・アスコットに行こうとしていたワケ。
私が誘われたらかなりビビってしまうだろうな。
それはナゼかというと…90v自分の見た目です。
幸か不幸か、これまでホンの数回しか正装で臨む海外の会合に出席したことはないが、着飾った白人の間に混ざるとマジで自信を失くすよ。
かなりの自信家であらせらるる数学者、藤原正彦先生(新田次郎と藤原てうの次男坊、お茶の水女子大教授)でさえ、「あれだけは連中に敵わない」とアッサリ負けを認めていらっしゃる。
かつてウチの家内は着物でそうした場を見事に乗り切った。
「キモ~ノ、キモ~ノ」と言ってみんな寄ってきちゃう。
スウェーデンの人なんか「キモノってテレビのノーベル賞の授賞式の中でしか見たことがなかった!コレがホンモノのキモーノなのね?!」と、かなり興奮して家内に話しかけていた。
翻って、男の場合は「紋付き袴」というワケにはなかなかいかないもんね~。
サマにならん。
ま、背広なんてのはコーカソイド(白色人種)の身体の形に合わせてデザインされたものだからして、連中が似合うのは当たり前なんだけど、それに比べてスーツ姿のモンゴロイド(黄色人種)のみすぼらしさよ!
私は子供の頃にズッと水泳をやっていたので、肩幅と胸板には自信がある方なのだが全くダメだね。
向こうの連中は普段どんなにショボいヤツでもキチっとした格好をするとおっそろしくバリっとしちゃう。
手足の長さや頭蓋骨のサイズについては言うに及ばず、アレはやはり胸の形と胴体についている首の角度に秘密があるのではなかろうか?
実際、白人って肩こりはしないし、腰痛持ちの人も少ないと聞く。
加えて圧倒されてしまうのが女性陣の華やかさ。
背がスラ~っと高く、イブニング・ドレスがいいように映えてそれはそれは美しい。
それと、加藤さんも文章の中で触れていらっしゃるが帽子がまたスゴイ。
20年前、Marshallの40周年の記念パーティで同席したフランスのディストリビューターの社長の奥さんの帽子は素晴らしかった。
さっきまでパリのファッションショーで使われていたのではないか?と見紛うばかりの壮麗な帽子で、日本人が被ったら間違いなくナニかのコスプレかハロウィンになってしまうところだが、連中の場合はそれがちっともおかしくないワケよ。
4年前に久しぶりにその社長にお会いしてその時のことを「アノ時はオードリー・ヘップバーンをお連れになられたのかと思いましたよ!」と言うと、うれしそうに「当然だろ!」という顔をされていた。
向こうの人は自分の奥さんの悪口は絶対に言わないからね。Ra  
「ハギス」
加藤さんがエジンバラへ赴いた時にハギスを召し上がった…という一文がある。
エジンバラ、ヨカッタなぁ。
ズ~っと雨だったけど。160いつか家内を連れて世界遺産の「Forth Bridge」を見に再訪したいと思っている。
 
エジンバラの滞在記はコチラ⇒イギリス紀行2012 その7~エジンバラ

Fb さて、「ハギス」とはナンぞや。
コレもMarshall Blogで何度か取り上げているけど、ハギスはスコットランドの郷土料理で、茹でた羊の内臓のミンチ、オート麦、タマネギ、ハーブを刻んで、それを牛脂とともに羊の胃袋に詰め込んで茹でるか蒸すかしたモノ。
絶対に「食事の冒険」をしない私はそれを聞いただけでパス。
もちろんエジンバラに行った時も考えることすらしなかった。
ハギスがイギリスの「3大マズイもの」の常連だ。
それを加藤さんは召し上がって「エジンバラで食べたハギスはおいしかった」とおっしゃる。1_hgsそれと同じぐらい、あるいはそれ以上にムリっぽいのは「Jellied Eel(うなぎのゼリーよせ)」。
コレはロンドンの「コックニーの食べ物」とされていて、ブツ切りにしたウナギを煮込んでから冷やし、ゼリー状に固めたもの。
要するにウナギのニコゴリ。
もちろん私は近づきもしないが、ヤケクソにナマ臭いらしい。
コレも「イギリスの3大まずいモノ」の一角。
先日、久しぶりに会ったイギリス人にコレの話をしたところ「臭いどころではない!」と厳重に注意された。
ウナギは蒲焼が一番にキマってら!120_2「3大まずいモノ」には「マーマイト」もよくチャートインしているけど、コレは確かにマズイ。
イースト菌のカタマリ

ね。
でも、昨今では「マーマイト」やオーストラリアの「ベジマイト」は日本でもメジャーな存在か?

140s_2最近知ってヒックリ返ったのがコレ。
「Stargazy Pie(スターゲイジー・パイ)」というらしい。
コレは子供のイタズラにしか見えんな~。
イギリスの最西南端のコーンウォールの郷土料理で、パイから顔を出しているのはイワシだそうだ。
パイは卵とジャガイモからできている。
「gaze」というのは「見る」という意味だけど、同じ「見る」にしても星を見る時には「see」でも「watch」でもなく「gaze」を使うのが普通。
Rainbowにも「Stargazer」という曲があるでしょ?「Starwatcher」とは普通言わない。
で、このイワシたちは星を見上げているところなんだって。
だから「Stargazy Pie」。
実際には見たこともないけど、かなりの確率でウマくないのではなかろうか?130vそれと、茹で卵を挽肉で包んで揚げたスコッチエッグ。
名前の通り、コレもスコットランドの料理なんだけど私がコレがとてもニガテなんだよね。
それは味でも見た目でもなくて、トラウマがあるんです。
高校生の時、学校の食堂のメニューがしょっちゅうスコッチエッグで、仕方なしに何度も食べさせられた。
それが新鮮な卵と挽肉を使って作った揚げたてのスコッチエッグであればいいですよ。
300円ぐらいの定食だから肉は古くて臭いわ、作り置きしているので冷たいわ…ウマいワケがない。
そのうち「スコッチエッグ=マズいモノ」として脳ミソにインプットされてしまったんですわ。
気の毒なスコッチエッグ…。150s_3
「日本食ブーム」
1999年の時点で加藤さんは「ロンドンは日本食ブーム」とおっしゃっている。
ソーホーに行くと日本料理の店がいくつもあって、昔はよく入ったものだが、マァ高いばっかりでね。
ニンジンもジャガイモも生かと思うぐらいガリガリのカツカレーが1,600円とかね…今はもっともっと高いと思う。
それもバカバカしいので、ある時から「郷に行ったら郷に従え」とばかりに個人で海外に行った時には一切日本の料理店に行かないことに決めた。
麺とダシがどうしても恋しくなったら中華かベトナム。
時々ならインドもOK。ハズレなければロンドンのインド料理屋のカレーはすこぶるウマい。
そうでなければ、どんなに日本の食べ物が恋しくなってもファストフードで済ますか食事を抜くかしてガマンする。
下は4年前に4年ぶりに行ったロンドンの写真だけど、街中にたくさんのラーメン屋がオープンしていてビックリした。
それもナゼかみんな豚骨なの。Img_9781この「SHORYU(昇龍)」という店が人気のようで、マンチェスターでも大規模な店舗を見かけた。
デカい餃子で有名な「昇龍」が上野にもあるけどね、アレとはゼンゼン別。
私は「昔ながらのアッサリ醤油派」なので、日本にいても豚骨ラーメンを食べない。
だからロンドンに行ってまで食することは絶対にないが、値段を聞くと「醤油派」でヨカッタといつも思う。
最近の為替レートで値段を調べてみると、ラーメン+餃子+ウーロン茶で5,000円ぐらい。
だいたい日本の4倍ぐらいか?
しかし、日本でも1,000円のラーメンが全く珍しくなくなった。
アノね、昔は「ラーメン」というモノはお金がない時のメニューの代表選手だったんだよ。
  お母さん 「ゴメンね…お父さんの給料日前だからお金がないの…ラーメンでガマンしてね」
  子供   「エエエエ!またラーメンかよ!ヤダよ~!」 
ウチは父が職人だったので幸いこういうやり取りを母としたことはないが、世間ではこういうことが当たり前だったようだ。
それが今ではミシュランだもんね。
私の一番古い記憶では…小学校2年生の時だから1970年ぐらいか…ラーメン1杯が80円だった。
駅前の立ち食いそばが50円だったかナァ?
 
そもそも最近はどこでラーメンを食べてもスープが塩っ辛くてね~。
加齢によるせいもあるようだけど、フト思ったのが「アミノ酸」のこと。
ウチは何年も「調味料(アミノ酸等)」が添加されている食品を摂らないように努めている。
海外では有毒化学食品扱いされている「MSG」という「人工うまみ調味料」ね。
コレを長年摂取していないおかげで味覚が敏感になっているのかな?と。
でもラーメンは大好きなのでMSGが入っていることを承知の上で食べに行くんだけど、その際には「味は薄めでおねがいします!」とオーダーするようにしている。
MSGはガマンできても塩味はガマンできないからね。
気の利いた店員なんかだと「ハイよ!コチラの社長さん血圧高め~!」なんて言ってくれます。
でも、それは血圧のせいではありませんから、シオ!塩のせいです。Img_9784 
「レンガ造りが消える」

ロンドンに限ったことではないが、ヨーロッパは石の文化なので、100年前の建物なんてのはゼンゼン珍しくない。
だから100年前の写真を見ても馬車が車に変わったぐらいで街のようすがほとんど変わっていない…と言いたいところだけど、加藤さんが嘆くように古い建物がドンドン味気のない近代的なビルディングに建て替わっている。
0r4a0095ココはチャリング・クロス・ロードという通り。
ロンドンの神保町。
この場所にはかつて「Astoria」という1920年代に建てられた古い立派な劇場があった。
今は跡形もない。
加藤さんのご指摘通り、こうして「再開発」という名の破壊活動でドンドン街の風情が失われているのだ。
イギリス人は伝統や古いモノをとても大切にするので、こんなことをするのは日本人だけかと思っていたんだけどネェ…残念だ。0r4a0242下の2枚の写真は2015年にタワー・ブリッジの上から撮ったモノ。Img_0754私が初めてロンドンを訪れたのは2002年のことだったんだけど、その時には上の写真のダンゴ虫のような建物(市庁舎)や街に不釣り合いな高層ビルは全くなかった…ような気がする。
私がたかだか20年間定点観測をしているだけでもこんなに変化が大きいんだもん、加藤さんが「ロンドン見物は早い方がいいかもしれませんよ」とおっしゃっているお気持ちはよ~く理解できる。
その定点観測については私も『変わりゆくロンドン』と題してMarshall Blogにジックリ書き記しておいた。
 
コチラ(7本立ての1回目)⇒【イギリス-ロック名所めぐり】vol.50~変わりゆくロンドン 

Img_0755 
「インサイドアウト」

加藤さんが書いていらっしゃるのは海苔とシャリが反対になった「巻き物寿司」のこと。
いわゆる「裏巻き」ってヤツ。
アレが海外で「Inside Out」と呼ばれているとは知らなんだ。Io ワタシなんか「Inside Out」なんて聞くと即座にブレッカー・ブラザーズのブルースを思い出す。
不思議なことがひとつあって、「裏返し」が「inside out」、「上下さかさま」が「upside down」なのに対して「後ろ前」は「back- to- fronts」…って言うらしい。
「らしい」というのは、私の回りの英語人たちは「後ろ前」のことを「wrong way around」って言っているからだ。
「inside out」や「upside down」と比べると、コレだけなんかスッキリしない感じ。
どうでもいいんだけどね。
いつかこのことを書いてみたかっただけ。100cd 
「冬の花火」
「1605年11月、カトリック教徒たちが議事堂爆破を企てました」…と、加藤さんは実にシレっと書いていらっしゃる。
コレも紙幅の制限が関係しているのであろう。
ところがこの出来事は「火薬陰謀事件(Gunpowder Plot)」といって、イギリスではひとつの文化の元になった。
我々日本人にも変な形で一部が伝わっているのだ。
コレがどんな事件だったかというと…
ヘンリー8世が最初の奥さん「キャサリン・オブ・アラゴン」と離婚したいがためにローマ法王と袂を分かってカトリックと決別し、自らが首長となってイングランド国教会を設立したことはMarshall Blogでもやった
するとカトリックの皆さんはプロテスタントの皆さんにイジめられるようになってしまう。
そして、長年にわたる迫害の末「コリャたまらん!」とカトリック教徒12人が1605年11月5日、議会ごと爆破してプロテスタントの保護政策を採っていた時の国王、ジェームス1世の暗殺を企てた。
議会の地下に大量の火薬を持ち込んでイザ決行という段になったが失敗!
当局に密告したヤツがいたのだ。
そういえば、私の友人のお父さんが東条英機を暗殺しようとしていた…なんてことをココに書いたことがあったけど、アレはマジで驚いたわ。
さてロンドン、その時地下にいたガイ・フォークス(Guy Fawkes)という一味のウチの1人が逮捕された。
下がガイ・フォークス。
なかなかのハンサム・ガイ…この「ガイ(guy)」という言葉ね、「ハイ、ガイズ!」なんて向こうの人はよくやるけど、この「ガイ」は「Guy Fawkes」の「Guy」なんだよ。Gfフォークスは捕らえられて2日間に渡って凄絶な拷問を受けるが完全黙秘を通す。
「フーム、おぬし…見上げた根性よのう」とジェイムス1世をも感心させたという。
いずれにしても死刑は死刑。
捕らえられた仲間が首吊り、内臓えぐり、四つ裂き等の刑に処せられるのを見て、フォークスは自ら死刑台から飛び降り、首の骨を折って絶命した。
そして、以降11月5日は「ジェイムス1世が暗殺されず、イギリス国教会が守られた日」ということになって毎年祭りが開かれるようになった。
それが「Guy Fawkes Night(ガイ・フォークス・ナイト)」で、盛大に花火を上げて祝う。
子供たちはガイ・フォークスの人形の首にヒモをくくり付けて街中を引きずり回し、「A penny for the Guy!」と大人たちにねだる。
まるっきりハロウィンの「Trick or treat!」。
ハロウィンの子供たちの習慣の歴史は1950年からと歴史が浅いので、ガイ・フォークス・ナイトがオリジナルと言えるようだ。
そして、その引きずり回してボロボロになったガイ人形を焚火にくべるのだそうだ。
残酷だナァ。
いつもMarshall Blogに書いている通り、向こうは「水に流す」ことを良しとしない文化なので、いつまでたっても怒りを解くことをしない。
一部の地方の反マーガレット・サッチャーがいい例だ。
でも、数年前にイギリスの人にこの祭りのことを尋ねると、子供たちによるガイ人形の「市中引き回し」はもうやっていないそうだ。
ハロウィンに取って替わっっちゃったのかな?1_gfnさて、下のお面。
コレが銀行や宝石店を襲撃する連中のマスト・アイテムであることは皆さんご存知の通り。
「ガイ・フォークス・マスク」という。
細おもてに「イングリッシュ・マスタッシュ」と呼ばれる口ヒゲ…なるほど上の肖像画のガイ・フォークスのエキスが取り込まれているような気もするが、本人の方が全然ステキだ。
「火薬陰謀事件」から大分時間が経って18世紀にデザインされたらしいが、「悪事を企んだ者」として悪意を持って醜くデザインされたそうだ。
みんなまだ怒ってるから。
このことから察せられる通り、「guy」という言葉は、元々「醜いヤツ」という意味で使われていたらしい。Gf 
「ラウンド」
「割り勘にする」ことを英語で「Go Dutch(ゴー・ダッチ)」という。
ナンで「オランダ」なのか?
17世紀のイギリス人の商人が、当時ケチとされていたオランダ人をバカにしてそういう風に言い出したらしい。
で、加藤さんが解説している通り「ラウンド」というのはイギリス流の割り勘の方法。
例えばアナタと私がパブに行って、最初の1杯は私が代表してカウンターに行ってすべて支払う。
1パイントぐらいすぐに飲んじゃう。
イギリスのビールは本当においしいからネェ。
すると2杯目はアナタがカウンターに行って私のビールの分もまとめて支払って頂く。
どこで終わるかということはあるにせよ、盃が重なれば基本的に支払いはと割り勘になる…というワケ。
コレはパブでの支払い方法がキャッシュ・オン・デリバリーなので、最後に全てまとめて支払うということができないことから自然に生まれたシステムなんだと思う。
私もMarshallの連中と飲みに行くとコレに加わる…というか、加わらざるを得ない。
2人の時は簡単なんだけど、大人数でやると大きな不公平が生じるケースがあるワケ。
自分が支払う番が来る前にみんなの腹がタプンタプンになって「お開き」になることがあるのだ。
この場合はタダ飲み。ちっとも割り勘ではない。
フランクフルトの駅前で飲んだ時はまさにコレだった。
こういう時はどうするかと言うと、「いいよいいよ、また次の機会に頼むわ!」となるんだけど、私のような海外からの参加者には幸いにしてまず「次の機会」はやって来ない。
結果「飲み逃げ」である。
下はロンドンのブルームズベリー地区にあるパブ。
夕方になるとロンドンの街はそこらじゅうがこうなっちゃう。
間違いなくみんな「ラウンド」をやっているハズ。Img_9482 コチラはThe City(ロンドンのビジネス街)のレドンホール・マーケット(Leadenhall Market)のパブ。
上のブルームズベリーと客層が全く違う!
考えてみるとこの「ラウンド」というシステムはカウンターの混雑を緩和させる目的もあるのかも知れないな。
こんなに立派なサラリーマンもラウンドで飲んでいるハズ。
さっき書いた通り、こんな場所でも結構気後れするよ…紳士も淑女もみんな背が高くてバリっとしていてカッコいいから。Img_0909 オモシロかったのはマンチェスターへ行って下のパブに入った時のこと。
私が「ひとりラウンド」でエールを味わっていると男女混成の7人ぐらいの若いグループが隣の席にやって来た。
すぐに「最初はオレが払うよ!」となる。
「お、やってるやってる」と思って様子を窺っていると、3回目ぐらいになると女性がお代わりを断り出した。
それでも男性だけでラウンドをやっていたんだけど、明らかに迷惑な顔をしているヤツが出て来た。
そのウチ飲むヤツがひとりになっちゃって、私と同じ「ひとりラウンド」でになってしまい、つまらなそうに飲んでいた。
ラウンドを繰り返すたびに盛り上がっていく過程がとてもオモシロかった。
考えてみるとその人を誘って2人ラウンドすればヨカッタか…イヤイヤ、それほどは飲めません!330_2 
「規格品になるな」

イギリス人は洗剤で食器を洗った後は濯(すす)がない。
つまり洗剤を水で流し落とさない、ということに加藤さんはギョっとしたという。
コレは本当の話。
実際にイギリス人に確認して私もビックリした。
それだけ「人体に無害な洗剤を使っている」ということが言えるんだけど、加藤さんによれば次回同じ皿を使った時に、残留している洗剤で料理の味が変わってしまうことをイヤがる人もいるそうだ。
そこかよ!?…感覚の違いを感じるナァ。
そもそも、向こうの人はあんまり料理をしないからね。
知り合いのイギリス人曰く、冷凍食品を温めてそのまま食べて、終わったら容器ごとポイと捨てるので食器を洗う機会も少ない…のだそうだ。
家内が「毎食素材から作っている」と言うと、「エエエ!ホントに毎回作ってるの?」と真剣にビックリして、ご主人に「アナタも作ってもらいたい?」と訊いていた。
ご主人は「イ、イヤ、別に…」みたいな感じだった。Dish「流さない」と言えば、映画なんかを見ていると、向こうの人って風呂に入る時にアワアワの湯船から出てそのまますぐにバスローブを着るでしょ?
我々の感覚だと「流し湯をしないの?」と思うけど、アレでおしまいなんだって。
というのは、西洋の水道水は硬水で、そのままにしておくと含有している強い石灰分で肌がカサカサになってしまうのだそうだ。
そこでそうなる前に湯船に保湿成分を含んだ石鹸を入れておく。
それがあのアワアワ。
だから最後にあのアワアワを洗い流してしまうとせっかくの保湿効果が期待できなくなってしまうのだ。
私なんか海外出張すると、備え付けの石鹸でガンガン洗ってほったらかしているけど何ともないよ。
ただ、硬水だと石鹸が泡立たないのでムカっとくる。Ab …と、加藤さんの著書をお借りして、しばらくイギリスから遠ざかっているウサを晴らすようにゴチャゴチャと書いてしまったけど、<前編>の冒頭に書いたようにこの本を読んで頂く時の付帯知識として楽しんで頂けていればうれしいことこの上ありません。
  
私はもう年齢的に「海外で生活したい!」なんて思わなくなった。
食餌の違いにもう全く耐えられないのだ。
それでも半年ぐらいドップリ腰を落ち着けてイギリス国中を回り、加藤さんのように随筆を書いてみたいナァ…とは思うのです。
自分がこれまで蓄えて来た愚にもつかないウンチクを交えて濃い文章を書く自信はあるんですけどね…。
誰かやらせて頂けませんでしょうか…ムリか…Marshall Blogできなくなっちゃうもんな。
0r4a0168

2023年6月27日 (火)

『真夜中の怪鳥』をホンの少しだけ余計に楽しむ <前編>

 
佐渡にご在住のfacebookの友人のご投稿によって知った『真夜中の怪鳥(講談社出版サービスセンター刊)』という1冊。
「ロンドンつぶや記差異事記」という副題がとても気になった。
ナヌ?「ロンドンつぶやき歳時記」?…ロンドン?
0r4a0176そして、アマゾンで本を調べてみると下のような惹句が寄せられていた。
「ロンドンでは真夜中に鳥が鳴く」?…ナンダそりゃ?
住んだことはないにせよ、私も30回以上は渡英してロンドンには数十泊してきた。
でも、真夜中に鳥の啼き声なんて聞いたことないぞ。
一体ナンのこっちゃ?と大きな興味を抱き、「良い」状態の中古本が手頃な価格で売りに出ていたので早速オーダーしてみた。
そして本が届いてビックリ。
腰巻ごとビニールでラップしてあるではないの!
「ん?コレはどこかの図書館の蔵書だったに違いない」と思って本をチェックすると…。
0r4a0172ナンじゃコレは?…蕨市の図書館の蔵書ではないか!
こんなことアマゾンの商品情報に書いてあったか?
ま、読めさえすりゃそれほど大きな不満はないんだけれど、コレじゃ私が図書館から失敬して来たみたいではあるまいか!
「借りパク」ってヤツじゃん?20_2…と思ったら、表4(裏表紙)に「除籍済」のステッカーが貼ってあった。
これなら心配ないか。
でもあんあまり気分が良いモノではないゾ。30_2扉を開けると…おお、揮毫本じゃん!
チョット気分がよくなった。40vそして、奥付を見ると…「寄贈」とある。
つまり著者の加藤さんが蕨市図書館に差し上げたモノを勝手に除籍して古本屋へ売りさばいてしまったということか?
そんなん失礼じゃない?50さて、どんなことがこの本に書かれているのか…。
著者の加藤広文(こうぶん)さんは佐渡のご出身でNHKにお勤めされていらした方。
だから、「佐渡つながり」で私の友人がこの本についてご投稿されていたというワケ。
その加藤さんが社命により1998年に突如ロンドン勤務を命じられて2年間滞在する。
読売新聞の欧州版に週1回、新潟日報の文化欄に月1回掲載された彼の地で経験を記したエッセイをまとめた本がこの『真夜中の怪鳥』。 
「差異事記」とアテたようにイギリスとの文化や習慣の違いがオモシロおかしく綴られている。0r4a0759 さて、私もこうして毎日文章を書いていて思うのは「難しいことをやさしく書く」のは難しいということ。
反対に「やさしいことを難しく書く」のはそう難しいことではないが、意味がない。
そこへいくと、加藤さんは徹底的に「やさしいことを素直にやさしく」書いていらっしゃって、奇を衒わない文章は読んでいて大変気持ちがよい。
これだけ平易な文章を連ねるのはなかなかに度胸と忍耐のいることですよ。
そもそも、パッと本を開くと白っぽい。
コレは紙面を占める漢字の割合がちょうど良いことを示している…というのは植草甚一氏の受け売り。
時々、本を開くと黒っぽいヤツがあるでしょう?
フランク・ザッパの「Black Page」の譜面じゃあるまいし、そういうのは漢字を使いすぎているからで、それだけで読む気が失せてしまう。
実際、facebookの投稿を見ていても「エエエエ?!今どき?」というぐらい意味もなく漢字を使っている人を時折見かける。
例えば「ありがとうございます」を「有難う御座居ます」とするみたいな。
こういうのはもう「平仮名表記」ですよ…イヤ、「ひらがな表記」ですよ。
実は私も若い頃は利口ぶろうとして漢字を多用していたんだけれど、大学の卒論の教授から「キミキミ、孔子や孟子じゃあるまいし、ナンだってこんなに漢字を使うんだい?こんなの戦前までだよ!今はひらがなを使うんですよ!ひ~ら~が~・なッ!」とかなり手厳しくやられた。
教授は「コレでは単位はあげられないな~」とか言い出す始末で「チョチョチョ、就職先が決まってるんですよ!一部上場の会社なんですよ!」と懇願して強引に単位をシェアして頂いた次第。
だから卒論の評価は「可」だ。
今ではなくなったけど、後々までこの時のことを夢で見てうなされた。
そして、この時から漢字の採用に対する考え方をスッカリ変えた。
加藤さんの書く文章はまさにその教授が「優」を出しそうな綴り方だ。
NHKの人なので、この辺りのことは業務上ごく自然なことなのかも知れない。0r4a0168 本題の前に早速脱線で恐縮だが、昔の新聞って真っ黒だったんよ。
コレは上に書いた通り紙面を占める漢字の割合がメッチャ大きかったということもあるんだけど、本文に使われている漢字すべてにルビが振ってあったから余計に黒かった。
もちろん、漢字が読めない人が多かったからなんだけど、当時は活字を組み合わせて版を作る活版印刷だったので、新聞社が被る経済的&時間的な負担が大変に大きくずっとコレを止めたがっていた。
そして、「子供の目に悪い」とかナントカ言ってとうとう戦後に至って廃止した。
ルビを使う利点は難読漢字を自在に使えるということなのね。
そして、ルビを廃止してひらがなの比率を増やした結果、国民の漢字の識字率が低下したそうだ。
要するにバカになっちゃった…私がそのウチの1人というワケ

3ah_2  
たまたま明治の新聞をインターネットで探していたらこんなのを見つけた。
出典はわからないが、ブラジルへの移民が始まったことを報道した記事。
まず、「伯西」というのがカッコいい。正式には「伯剌西爾」。
当然漢字は旧字体。
スゴイね、昔は「皇国移民会社」なんて、移民を斡旋する会社がいくつもあった。
そして1908年、783人の日本人が「笠戸丸」に乗ってブラジルへ渡った。
ね、漢字全部にルビが振ってあるでしょ?
ナゼこの記事が目に留まったかというと、私にはこの笠戸丸で海を渡ったウチのおひとりのお孫さんの仲良しがいるのだ。
だから日系3世だね。
とても聡明な女性で、サンパウロでナニやらものすごくムズカシイ仕事に携わっている。
日本にいた頃、一緒に犬神サアカス團を観に行ったのはとても良い思い出だ。
 
この辺りのことがコチラに書いておいたので興味のある方は是非ご覧あれ。
   ↓    ↓    ↓
【Music Jacket Gallery】プロモーション・アルバム特集 <中編>

脱線はココまで。
脱線は「孫」までとキメているから。

Os21 
ところで今日はナンだってこのShige Blogの記事を書いているのかというと、『真夜中の怪鳥』を読んでいてどうしても補足説明を加えたくなってしまいましてね…。
別の言い方をすると「余計なお世話」というヤツ。
でも、この本に興味を持って読んでみようとする人が今から書くことを知っていれば、幾分楽しみが大きくなるのでは?という風に考えたのだ。
加えてコロナ以降ずいぶん長いことイギリスから遠ざかっているので、イギリスに関することをナニか書きたくなっちゃったのです。
 
ではさっそく、まずはタイトルから。
『真夜中の怪鳥』とは何のことか…。
この本は推理小説ではないのでネタをバラしても差支えないでしょう。
 
この「怪鳥」とは「小夜啼鳥(サヨナキドリ)」のこと。
英語で言うと「Nightingale(ナイチンゲール)」。
あの有名な「クリミア戦争の天使」の「フローレンス・ナイチンゲール」のことではありませんよ。
ちなみにナイチンゲールってナンであんなに尊敬されているのか?
傷ついた多くの兵士を献身的に看護したことでその名を良く知られているけど、それよりも現代に通じる看護の環境やシステムのノウハウの基礎を作ったことが評価されているのだそうだ。
実際は「優しい看護婦さん」というより、かなり厳しい人だったらしいよ。
こうして見ると結構コワい顔してるもんね。Fnコレが鳥の方のナイチンゲール。
「ナイチンゲール」というのは古い英語で「夜に歌う」という意味で、加藤さんはコレが夜に盛大に啼いているのを耳にして驚いたというワケ。
YouTubeでその啼き声を確認してみると、「怪鳥」というイメージではないな。
日本では鳥が夜に啼くことはないので最初は誰でもビックリするんでしょうね…つまり、私はロンドンの夜に鳥が啼いているシチュエーションは経験したことがないということ。
Ng_2実はコレが説明したくてこのパートを書いたワケではない。
イギリスの有名なバラードについて書いて加藤さんの文章の補足説明をしたかったのです。
そのバラードのタイトルは「バークリー・スクエアのナイチンゲール(A Nightingale Sang in Berkely Square)」。
ビング・クロスビーからシナトラから、ありとあらゆる名だたる歌手が吹き込んで来た超有名曲。
1940年のリリースだというからヨーロッパでは「戦中」の歌になる。
キューブリックの『博士の異常な愛情』のエンディングで、核爆弾のキノコ雲の映像とともに流れる美しいバラードがあるでしょ。
「We'll Meet Again」という曲。
核戦争で人類がは滅亡してしまうのに「またお会いしましょう」とは凄まじい皮肉。
「対位法」という悲惨な場面に明るく楽しい曲をかぶせる映画の基本的な手法。
黒澤さんの『酔いどれ天使』や『生きる』なんかでも効果的に使われている手法だけど、キューブリックのは強烈極まりない。
あの曲を歌っているイギリスの国民的歌手がヴェラ・リン。
57v
そのヴェラ・リンが歌っている「A Nightingale Sang in Berkely Square」がイギリスではとりわけ人気が高いらしい。
ヴェラ・リンは1917年の生まれで、3年前に103歳で亡くなった。
1917年というと、大正7年。
日本でいうと山田五十鈴や轟夕起子と同じ歳だった。
そういえば、私が子供の頃は「明治&大正生まれの人」ってそれほど珍しくなかった。
そもそもおジイちゃんもおバアちゃんも明治生まれだったし。
最近では明治はおろか、「大正生まれの人」にも行き合わなくなった。
それもそのハズ、大正期末年の15年は1926年で、その年に生まれた人はもう今年97歳だからね。
「大正の人」もいなくなるワケだよ。
次は我々「昭和の人」がそう言われる番だゼ。
54s_2かつてはマンハッタン・トランスファーも1981年のアルバム『Mecca for Moderns』でこの曲を取り上げていたっけ。Mfm_2さて、この曲は何について歌っているのかというと…
「本当の恋人たちがメイフェアで出会った時、鳥たちが歌い、冬が春に変わった」
「ボクたちが出会った夜、リッツで食事をしていてバークリー・スクエアではナイチンゲールが啼いていたよ」
「キミが振り返ってボクに微笑みかけた時、バークリー・スクエアではナイチンゲールが啼いていたのさ」…とかなんとか、やたらと甘くロマンティックな内容なワケ。
 
メイフェアというのはハイド・パークに隣接し、バッキンガム宮殿にほど近いロンドンの高級エリアのひとつ。     
その地区にあるのが下のバークリー・スクエア。
ロンドン最大の繁華街であるウエストエンドの中心地、ピカデリー・サーカスからほんの少し西へ行ったところ。
ロンドンには大きな公園の他にこうしたチョットした広場がたくさんあって街が本当に美しい。55下が歌の中の2人が食事をした高級ホテルの「The Ritz」。
いつも血眼になって少しでも安いB&Bを探している私などは一生止まることができないホテル。
確かにバークリー・スクエアはこのリッツから近いんだけど、鳥の啼き声が聞こえるほど近くはない。
だから、2人は食事をした後、バークリー・スクエアを散歩していたんだね。
こんなことは鳥の啼き声や音楽を聴く分にはもちろんどうでもいいことなんだけど、どうせ聴くなら周囲のことまで知っていた方がオモシロい。
加藤さんももちろんこの曲をご存知だったことでしょうが、紙幅の関係で割愛したに違いない。Img_7466コレは2012年6月のリッツ。
「Congratunations Your Majesty」とあるのは、2012年、エリザベス女王の在位60周年を記念していた時に撮影したから。
561945年3月末、『撃滅の歌』というプロパガンダ映画が日本で公開された。
有名な混血のオペラ歌手藤原義江が出演していて、音楽を通じて国民の戦意高揚を促す内容。
敗戦のたった4か月半前、そして東京大空襲のたった3週間後でもこんなことをやっていたことに驚く。
映画には西條八十作詞、万城目正作曲の「乙女の旅路」という曲が挿入されている。
銃後の若き女性の気持ちを綴った曲。
いい曲なんですよ。
当時はクラシック上がりのチャンとした作曲による出来の良い曲を軍歌にしていたので、どの曲も極めてクォリティが高い。
歌うのは高峰三枝子、轟夕起子、月丘夢路という3人の大スター。
轟さんと月丘さんは宝塚できちんとした音楽の教育を受けているので、美しいだけでなく声もいいし、歌もすこぶるうまい。
最後のコーラスの3声のハモリなんて実に素晴らしい。
で、その歌の中にこういう一節が出て来る。
 
「♪柳散る散る銀座の並木 そぞろ歩きよ昔の夢よ
 
昔はとにかく銀座がナンバーワンよ。
渋谷?新宿?…冗談じゃない。
かつての東京は銀座と浅草で出来ていたんだよ。
「そのステキな銀座をブラブラ歩いて楽しむことなんてもうとても叶わない願いなのね」と歌っている。
つまり戦争でそうした楽しみが全て無くなってしまったけど、お国ために銃後にいる我々はガマンして兵隊さんと一緒に戦い抜きましょう!というワケ。
同じ戦時下でもロンドンではリッツでメシ喰ってバークリー・スクエアを夜歩きしてるのにナァ。
でもそのロンドンも「ナイチンゲール」がリリースされたのと同じ年の後半、「The Blitz(ザ・ブリッツ)」と呼ばれるドイツ軍の大空襲を受けて壊滅的な被害を受けた。
もうバークリー・スクエアをブラブラしたりすることが出来なくなった。1_ot3  
「セミのいない夏」
という文章。
ウチのドラムス「NATAL」を使ってくれている布袋さんバンドのドラマーのスティーブ・バーニーが夏の盛りにウチに遊びに来てくれた時のこと。
彼は私よりズッと若いワリにはGenesisの大ファンで、私が1978年に来日公演を観に行ったことを大層うらやましがってくれた。
下の写真はその来日公演時のプログラムを手にしてご満悦の様子のスティーブ。
で、イギリスと日本の夏の違いについてスティーブと話していた時、彼がこう言った…「シゲ、アレってナンていうんだっけ。ホラ、木にとまってギャ~ってスゲエ音で騒ぐヤツ」
「Cicada(シケイダ=セミ)のこと?」
「そうだ、シケイダだ、シケイダ!」
リヴァプールからやって来た英語の達人に私が英単語を教えるなんてことがあって良いのであろうか?
でも、スティーブがその単語を即座に口にすることができなかった理由はすぐにわかった。
加藤さんが記しているようにイギリスにはセミがいないのだ。
蚊もいない。
地震もない。
加藤さんは「cicada」はラテン語をそのまま転用していると書いていらっしゃるが、元々はラテン語にもない言葉で、地中海周辺のどこかの言葉を借用しているのではないか?という説があるらしい。
東京もセミが少なくなった。
もうコウモリなんて全く見なくなったもんね。
私が子供の頃は夕方になると、どこからともなくチラチラと飛んで来たモノだった。60v 
「傘をささないロンドン人」

もうコレは何度もMarshall Blogに書いてきたけど、加藤さんが書いていらっしゃる通り、ロンドンの人たちはホントに傘をささない。
チョットぐらいの雨どころがザーザー降りでもささない。
加藤さんの在英時、傘さすとすれば、ゴルフ場で使うようなどデカイ傘が全盛だったらしい。
そう言われてみると…実はMarshallも傘を作ったことがあるんだけど、やっぱりゴルフ場の傘みたいにでっかいヤツだったわ。70_2傘をささないのであれば雨が降った時にどうするか…それは、フーディの出番。
日本でいうパーカーね。
フードが付いている服だからイギリスでは「Hoodie(フーディ)」と呼ばれている。
豪雨でもコレ一本。
とにかくフードをスッポリ被って、しかめっ面をして歩くのがロンドン式。
ビックリするほどビチョビチョになっているヤツがいるよ。80s_2 
「苦痛を与えず料理せよ」

「英国では金曜日に魚を食べる習慣がある」というのは他の本で読んだことがあるけど、実際のイギリス人からそのことを耳にしたことがない。
タマタマその話題になったことがないからなのかも知れないが、まぁ、サシムキ連中は「肉、肉、肉」の「肉ファースト」だ。
そんな彼らが金曜日に魚を食べないのはローマ時代のカトリックの習慣が元になっているんだけど…アレ?
イギリスはヘンリー8世の時にカトリックと縁を切ったハズでは?…ま、いいか。
とにかく「キリストが十字架にかけられた金曜日は肉を食べるのを止めて代わりに魚を頂きましょう」という「精進の日」になっていて、金曜日はフィッシュ&チップス屋が繁盛するとかいうんだけど、オイオイ、チョット待てよ!
魚だって生きものだぞ!
それじゃ精進にならないじゃないか!
西洋では魚の命は「命」とみなさないってか?
さかなクンが聞いたら気を悪くするゾ。
我々がゴハンを食べる時の「いただきます」は「『命を』いただきます」という意味である…と仏教の説話で聞いたことがある。
このことから西洋人がナニも言わずに食事を始める理由がわかるような気もするが、敬虔なクリスチャンは食前にお祈りをするナァ。
いずれにしても「天にまします主の恵み」に魚の命は入っていないのかも知れない…ギョギョギョ!
替わって日曜日。
日曜日は家族そろって徹底的に肉を喰うぞ!
The Kinksのヒット曲に「Autum Almanac」というイギリス人の日常を描いた曲があって、その中に「土曜日にはサッカーを、日曜日にはロースト・ビーフを」という歌詞が出て来る。1_aaで、このロースト・ビーフが日曜日に食べる習慣が「Sunday Roast(サンデイ・ロースト)」という肉料理のメニュー。
ロースト・ビーフでなくても、牛、豚、鶏、ジビエ…肉ならなんでもいい。
とにかく肉を食べる。
私も若い頃だったらうらやましく思うけど、もういいナァ、肉は。
それより佐渡のおいしいイカを食べてみたい。
それにしても、問題はこの付け合わせの野菜のことよ。
カリフラワーもグリーンピースも今の日本人はそう食べないよネェ。
イギリスへ行くとガンガン出てくるんだよ。
きっとこうした肉食で偏る栄養分を補う成分を含んでいるんだろうね。
長年の肉食で培った「庶民の知恵」だ。1_sunday日曜日になると食事を提供するパブはその「Sunday Rost」を一斉に看板に掲げる。
Img_2403コレは脱線。
以前、Marshallのお手伝いで毎年フランクフルトの楽器の展示会に行っていた。
そこではスタッフ全員でザクセンハウゼンという地区にある「Adolf Wagner(アドルフ・ヴァグナー)」という人気のドイツ料理店に何度か食事をしに行くのが習わしとなっていた。
ドイツなのにビールを全く置いておらず、「Apfel wine(アプフェル・ヴァイン)」というリンゴ酒をひたすら飲む。
コレが酸っぱくてとてもおいしい。
料理はステーキからポークソテーまで肉ばっかり。
もちろんサラダも出て来るけど、ドレッシングの酢が猛烈にキツくて私の口には合わなかった。
ある時、4人家族が我々の隣のテーブルに座った。
両親と小学生ぐらいの男の子2人。
やがてオーダーした料理が運ばれて来た。
大きな皿に乗っていたのはブタの丸焼きみたいなゴッツい肉のカタマリだった。
準備が整うと、お父さんもお母さんも子供2人もフォークとナイフを手にして一斉に肉に群がった。
ガツガツガツガツ、バキバキバキバキ、ムシャムシャムシャムシャ、バリバリバリバリバリ…。
それはまさしく昔テレビで見たことのある光景だった。
そのテレビ番組とは『野生の王国』。
腹を空かせたライオンの親子が、脇目も振らずに仕留めたばかりの獲物を一気に平らげようとしている光景そのものだった。
私は呆気に取られてしまったが、隣のイギリス人も驚いていた。
最近は「いきなりステーキ」なんてのもあるし、日本も「肉料理」が食餌の中心になって久しいけれど、本場の肉食は日本と全く違うと思うのだ。
その点、日本人はまだまだ「魚民」だと思う。
その「肉民」の親子のようなことはしないし、出来ないだろう。
アレは本当に衝撃の一夜だった。Aw「土曜日はサッカー」というと…イギリスでは小さなホテルでもロビーにバーがあって、一堂が会せるスペースがついている。
そこには大抵テレビが置いてあって、サッカーの試合中継があると幾人のオッサンが集まり興奮気味にひいきのチームを応援している。
コレ、イギリスではかなり当たり前の光景だと思っているんだけど、そこに集まっているオッサンって宿泊客ではなくて近所の人たちなんだよね。
試合が終わるとめいめいに家に帰って行く。Hl_2 書き出したらいろいろ出て来てこの先がエラく長くなってしまったのでココで1回終わります。
<後編>もお楽しみに!
0r4a0168<後編>につづく


2022年5月11日 (水)

<スピンオフ>私の横須賀 ~FATE GEARのミュージック・ビデオ撮影現場より


Marshall BlogにFATE GEARの最新の動画撮影のレポートを掲載した。
ありがたいことにFATE GEARのリーダーのMina隊長から撮影の現場となった横須賀や三笠に関して「好きなように脱線して構わない」という許しを得たので自由に書かせて頂いた。
やっぱり自分で興味を持っていることは思う存分書きたいからね。
ところが一旦記事を構成してみたところ、さすがにあまりにも長くなってしまったので、少々割愛してコチラに引っ越すことにした。
それでもMarshall Blog史上最大の脱線となった。
肝心なことはソチラに書いてしまったので、コチラは「副教材」的にご覧頂ければありがたいと思います。
 
では今日は海上自衛隊の基地の横にある…10ヴェルニー公園から。200_2園内にある胸像。
この人がヴェルニーさん。
嘉永6年に黒船でペリーが来航して「開国せんかいッ!」と幕府を揺さぶりに揺さぶった結果、「コリャ、拙者どもも西洋スタイルの軍備をジャンジャン取り入れて自衛しないとマズいんじゃん?」ということでフランスに協力を仰いで造船所を作ることにしたのね。
当時は飛行機なんてなかったから…まずは海なワケ。
その技術指導をしたのがこのレオンス・ヴェルニーというフランスのオジちゃん。
幕府はアメリカやイギリスにも指導をお願いしたけど断られた。
アメリカは南北戦争でそれどころじゃなかったし、イギリスはトマス・グラバーを介して長州と組んでコソコソと倒幕をもくろんでいたので幕府に協力するワケがない(←私の想像です)。
170v「当時は飛行機がない」と書いたけど、実は世界で一番最初に飛行機の原理を発見したのは日本人だったと言われているのことを知ってた?
二宮忠八という人がタマムシの飛行にヒントを得て、ライト兄弟より20年も前に飛行器(当時は「器」)を製作していた。
人を乗せて飛ぶほどの動力がなかったため、その開発資金の提供を軍に依頼したが、日清&日露戦争で忙しかった日本軍はそれを相手にしなかった。
もしこの時軍用の飛行機を開発していたら日本は世界の覇者になっていたかも知れないんだゼ。
このあたりのことは吉村先生の『虹の翼』という長編をご覧あれ。Sktb さて、そんなフランスと幕府の間を取り持ったのがこの栗木上野介忠順(おぐりこうずけのすけただまさ)。
ヴェルニーの隣に胸像が立てられている。
150v2人の胸像のついでに立てられた「開港碑」。
190vそれらの対岸にはヴェルニーの指導の下で造られた「横須賀製鉄所」…後に「横須賀造船所」がある。0r4a0015 公園の西側の入り口に展示されている砲身は戦艦「陸奥」に搭載されていたモノ。20陸奥は昭和18年6月、突然の大爆発音とともに瀬戸内海の海底に沈み1,121名が命を失った。
原因は自然発火とされているが、真相は謎のままらしい。
吉村先生は大ベストセラーの『戦艦武蔵』の他に『陸奥撃沈』という小説を書いている。
私は持ってはいるものの、残念ながらまだ読んでいない。Mt 園内には旧日本海軍に関連した記念碑がゾロゾロと並んでいる。
コレは「海軍の碑」。
明治維新以降、「富国強兵」の名の下、海に囲まれた日本は海軍の増強に努め、アッという間にイギリスとアメリカに並ぶ「世界の三大海軍」の中間入りを果たした。
それとともに三浦半島の一寒村にすぎなかった横須賀は、その海軍の増強とともに大発展を果たした。
何せ「鎮守府」のひとつですからね。
日本海軍は昭和20年の敗戦とともに消滅したが、それから50年を記念して、関わった人たちを偲び、永遠の平和を祈念するためにこの碑が立てられたそうです。30_2コレは軍艦「山城(やましろ)」の碑。
昭和19年10月、フィリピンのスリガオ海峡でアメリカ艦隊から壮絶な攻撃を受け、沈没直前まで砲撃を続けたが1,600名の乗組員とともに海底に沈んだ。
その犠牲者の慰霊と世界平和の願いを込めてこの碑が立てられた。50_2山城は日本で最初の超弩級軍艦だった。
「超弩級」というのは、いまでも頻繁に耳にする「超ド級」のことね。
この「ド」は何かというと、イギリスの軍艦「HMS Dreadnaght(ドレッドノート)」の頭文字「ド」のこと。
Marshall Blogでも触れた通り、「HMS」は「Her Majesty's Ship」、つまり「女王様の船」ということ。
「dread(=恐れ)」が「naught(=ゼロ)」なぐらい強い軍艦…というんだけど、なるほどデカいし強そうだ。
そして、これを上回る軍艦のことを「超ド級」と呼んだワケね。
反対にドレッドノート艦の出現以前の船は「前弩級」というんだって。
それほどこのドレッドノート艦というのは存在が大きな軍艦だったんだね。Hms_dreadnought代わってアコースティック・ギター。
「ドレッドノート」という形があるでしょ?
そのドレッドノート艦をタテに切って前から見るとこういう形になることからそう名づけられたんだよ。

Sdn昭和12年5月27日の海軍記念日に除幕されたという「国威顕彰記念塔」。
この年、軍部は盧溝橋事件がを引き起こしていて、軍国ムードが横溢する社会情勢の中、海軍の偉業と意気を表すために立てられたのだそうだ。
手前の一番下、銘板が引っぺがされた後があるが、ココには「八紘一宇」の文字が掲げられていたらしい。
ヤダね~。60v_2この石碑のメカニカルなデザインは重巡洋艦「高雄」の艦橋の形を模しているそうだ。
もちろん、その高雄はこの横須賀海軍工廠で建造された。
工廠(こうしょう)というのは軍付属の工場のことね。
「陸軍被服廠」なんてのは軍服を作る工場のこと。
来年100周年となる関東大震災では、東京で6万人が命を落としたとされているが、そのウチの3万人は横網にあった陸軍被服廠で焼死したという。
避難した人たちでギッチギチになったところに火が燃え移り、そこに強風が入ってしまったからだそうだ。
当時はまだ日本髪を結った女性が多く、整髪するために髪に塗っていた油に引火して頭から燃えたらしい。
 
下が高雄。
こうして見てみると似ている…似ているのか?Stakao こっちは軍艦「長門」の記念碑。
前面の碑文は「ありし日の 聯合艦隊旗艦長門の姿を ここに留めて 昭和の激動の時代を偲ぶよすが
とする」となっている。70_2揮毫(文字を書くこと)は海軍中将 新見政一。
この人、オックスフォード大学で学んだ知英派で、太平洋戦争の要因のひとつともなった「日独伊三国同盟」に反対した良識派。
映画『英国王のスピーチ(The King's Speech)』で描かれたイギリスのジョージ6世の戴冠式にも列席したそうだ。
一方、撰文(文章を書くこと)は阿川弘之。
阿川佐和子のお父さんね。Mim長門は41cmの主砲を装備した世界最大、最速の軍艦だった。
この2番艦(同型で2番目に造られた艦)は「陸奥」。
この2艦が一時期連合艦隊の旗艦(フラッグシップ)を務めた。
そして、この後に出てきたのが46cm砲を搭載した呉の「大和」と長崎の「武蔵」だ。
しかし、こうして見ると長門も強そうだな~。
私は戦争反対第一だけど…こうして見ると確かにカッコいいわナァ。
生まれた時から「天皇陛下のために戦って死ぬべし」と教育された子供たちは、この勇ましい姿にウットリし、自分も立派な兵隊になって花と散るんだ!と願ったことだろう。Ngtコレは敷設艦「沖島(おきのしま)」の碑。
敷設艦(ふせつかん)というのは機雷を海中にセットするための船のこと。80_2「横須賀や 只帆檣(ほばしら)の 冬木立」
こんな正岡子規の句碑もあった。
「帆檣」とは「帆柱」のことね。
明治21年に横須賀を訪れた子規が港に停泊している船の帆柱を木立に見立てて詠んだ句だってよ。

90_2ヴェルニー公園からの遠望。
駅前にはどデカイ商業施設が立ち並ぶ。110_2さて、やってきました記念艦「三笠」。
210_2三笠の詳しいことはMarshall Blogの<本編>をご覧ください。
コチラ⇒Marshall Blog

Shige Blogでは副教材的に<本編>に載せきれなった写真を掲載してツマらないことを書き記しておきますね。220_2三笠の艦尾の横に立てられている「軍艦」の歌碑。
「軍艦」とはおなじみの「軍艦マーチ」のことね。
「♪守るも 攻めるも黒鉄の…」
私は1962年、すなわち敗戦から17年後の昭和37年の生まれなんだけど、ホントにこの部分だけとはいえ知らないうちにアタマに入っているんだよね。
こういうことは度々あって、自分って本当に古い人間になってしまったと実感する。
今の若い人はせいぜい「パチンコ屋のテーマ・ソング」として認識している人が少しいるぐらいか?
イヤ、ビートルズすら知らない若い人たちが「軍艦マーチ」を知っている道理はないわな。
今回のコロナ騒ぎでも「音楽には人の心を動かす力がある」みたいなことをよく聞いた。
よくわかる…でもね、「愛」だの、「希望」だの、「勇気」だのなんて言っているより、パチンコ屋の開店時に「軍艦マーチ」を流す方がよっぽど「音楽の力」を感じるわね。
ワーグナーの「ワルキューレ」なんかもそう。
しかし、この「パチンコ屋」と「軍艦マーチ」のコンビネーションを思いついた人は天才だと思う。

225音楽の勉強の一環として下のような本を読んでみたり、芥川隆行のナレーションが入った「ああ、なつかしの軍歌」みたいなCDを買い込んで来て聴いてみたりしたけど…「軍歌」っていいんだよ。
十把ひとからげの凡百なロックを聴いているよりはるかにオモシロイ。
何しろテレビもステレオもなかった時代でしょ?
軍歌はラジオの他、ほとんど口コミで広まったっていうんだよね。
つまり曲のクォリティが極めて高いということが言えるワケ。
それもそのハズ、音楽の勉強をしたチャンとした作曲が作った魅力的なメロディを政府だか軍部が作者にダマって勝手に軍歌に替えていたっていうんだから。Gk甲板に上がり艦首を臨む。230_2三笠の主砲、「30cm砲」の砲身。260_2その砲弾がコレ。
重量400kg、最大射程距離は10kmだった。
コレで400kgもあるのかナァ?

280_2一方、コレは船外に展示してあった戦艦「大和」の主砲の砲弾。
「大和」と「武蔵」は当時世界一大きな46cm砲を装備していた。
この弾が40km先まで飛んで行った。
東京から横浜まで飛んじゃうんだぜ。
残念ながらほとんど目標に命中しなかったらしいけど。
というのは、ちょっとした湿度の変化なんかで弾道が大きく変化してしまうので、机上の計算だけで命中度を上げることは不可能だったのだそうだ。285v艦首部分甲板。
240この翌日、FATE GEARのビデオをココで撮影した。

0r4a0415 今度は艦首から艦橋を臨む。
艦橋に上ってみよう。250v上って来た。
前方はアメリカ海軍基地。320ココに東郷平八郎元帥他が集まって艦隊の指揮をした。340_3三角関数を使って目標物までの距離を測定する「側距儀」。
現在では手で持ち運べるコンパクトなヤツがあるらしいが、「大和」や「武蔵」に搭載されていたヤツはこの筒の幅が15mもあったそうだ。350_2銘板がひっつ付いていたので見てみると…「ELSWICK WORKS NEWCASTLE-ON-TYNE」とある。
おお!コレ、ニューカッスルで作られたのか!
ま、「三笠」はイギリスで建造したので、イギリス製の機器が装備されていても全く不思議はないが、目の前のアイテムが自分が行ったことがある場所で120年も前に作られていたモノかと思うとロマンを感じる。
「Elswich Works(エルジック・ワークス)」は19世紀からあるイギリスの兵器メーカー。
今は「Newcastle upon Tyne」がニューカッスルの正式名称となっているが、この頃は「on-Tyne」だったのか?
「upon Tyne」というのは「タイン川流域の」という意味。
360_2操舵室も見学できる。370通信室。
<本編>で紹介した半藤さんの本によると、太平洋戦争の時は日本の暗号がアメリカに筒抜けになっていたが、日露戦争の時にはまだマシだったらしい。
410_2コチラは信号旗を管理する部屋。380_2「三笠」の甲板に記念撮影用にデカデカと飾られている絵。
指揮を執る東郷元帥の左後方にはためいている4色の旗が「Z旗」。Zf「皇国の興廃この一戦にあり 各員一層奮励努力せよ」というのはZ旗を掲げた時の有名な東郷元帥の言葉。
 
「Z」はアルファベットの最後の文字であることから、コレをしくじったら後がないぜよ!という意味で「Z旗」とされた。
ま、日本人ならイロハ四十八文字が五十音で行きたかったんだろうが、双方最後は「ん」。
「ん旗」じゃカッコつかないもんな~。
とにかく、この「Z」で気合が入っちゃって見事世界最強と言われたバルチック艦隊を駆逐したワケ。
それ以来難事を打開する際には「Z旗を掲げる」と言うようになったらしいが、私は聞いたことがない。
最近騒いでいる「ロシアのZ」は関係ない。

Zそれより、昔イヴ・モンタンの主演で『Z』という映画があったよ。
残念ながら観ていないんだけど、チラシがウチにある。

0r4a0746それでは、艦内に移動してみましょう。

400_2甲板からひとつ下がった階が展示スペースになっていて、「三笠」に関するありとあらゆるアイテムが展示されていて見ごたえ十分。
前日に入ってジックリ見ることができたのはラッキーだった。
420_2コレは戦艦の鼻っ先だけに付けられる菊のエンブレム。
本物だって。0r4a0141艦長室。430_2御真影、すなわちこの時は明治天皇のポートレイト。
万が一の時には何をおいても、まずこの写真を携えて避難しなければならない。
船員の命より格段に大切なモノだった。440_2スゲエ、こんな写真も飾ってある。
明治44年、1911年のジョージ5世の戴冠式の時に取られた写真。
ジョージ5世は今のエリザエス女王のおジイちゃん。
コレ、場所はウエストミンスター寺院かしらん?バッキンガム宮殿かな?
ヴィクトリア女王、エドワード7世王と、イギリスが栄華を極め、「世界の一等国」の名を欲しいままにした直後の時代だけあって、その式典はイギリス史に特筆されるほど盛大なものだったらしい。
ああ、私も列席したかったナァ。
前列向かって左端が乃木希典大将。
真ん中が東伏見宮親王。
前列右端が東郷平八郎大将。
それにしても昔の人って立派に見えますナァ~。
あ、よく東郷元帥と言われ、私も今回の記事に書いているけど、「元帥」というのは階級の名称ではなくて、優れた業績を残した大将だけに授けられるアダ名みたいなものなのです。470東郷平八郎(最前列の白いジャケット)と乃木希典(その隣のヒゲ)の両大将が軍服でない平服姿で一緒に写っている写真はメチャクチャ珍しいんだって。450_2艦内神社。
日本の軍艦には武運を祈念して神社が設営されたした。「建立」っていうのかな?
「三笠」は天照大神を祀った「三笠神社」だ。
「武蔵」は氷川神社だった。
ナゼかと言うと氷川神社は「武蔵の国の一宮」だから。
490v軍楽隊が使用した楽器の展示コーナーなんてのもあるよ。
520 こっちはその楽譜。
古くから軍隊と音楽は切っても切れない縁があるからね。530_2各国から贈られたエンブレム。
コレはイギリスからのもの。540_2「日本海海戦」をシミュレートしたゲーム・コーナーなんてのもある。550_2

560_2存外にオモシロかったのは「VRで体験する日本海海戦」とかいうヤツ。
東郷元帥と一緒に艦橋に立って、360度のスケールでヴァーチャル体験することができる。
私が来た時は平日の夕方でやっている人が1人もいなかったが、こんな行列のスペースがあるところを見ると休みの日には大分混雑するようだ。570_3コレは昨今の「ウクライナ危機」以前からある展示コーナー。580_2あ~、ジックリ見せて頂きました。
<本編>で紹介した通り、日露戦争関連の吉村昭先生の本を読んでいたのでとてもオモシロかった。

590_2<本編>はコチラ⇒

600_2(一部敬称略)

2022年3月 4日 (金)

キセキミチコ写真展~The place

 
いつもGRANRODEOのコンサートの時にご一緒させて頂く女流フォトグラファーのキセキミチコさん…イヤ、違うな。
「ご一緒させて頂く」なんて書くと聞こえは良いが、実はそうではなくて、Marshall Blog用の写真を撮影するために、GRANRODEOのオフィシャル・フォトグラファーを長年務めるミチコさんの「邪魔をしている」という表現の方が適切だろう。
先日Marshall Blogでレポートした今年1月のGRANRODEOの東京体育館の時にそのミチコさんから写真の個展のご案内を頂戴した。30r4a0201 私も何やらバタバタと忙しく、その時から大分時間が経ってしまい、終了間際で恐縮であったが会場に赴くことができた。
場所は地下鉄丸の内線「四谷三丁目」駅から歩いて5分のところ。
以前はココにある「Sokehs Rock」というライブハウスに時折訪れていたが、コロナ以降はパッタリとご無沙汰となってしまい、このエリアにはかなり久々の往訪となった。
「四谷三丁目」の交差点に聳え立つのが「四谷消防署」。
ココには「消防博物館」という無料で見学できる施設があって、コレがなかなかにオモシロい。
残念ながらコロナの関係で閉館していた。10_2新宿に向かって「新宿通り」をチョット言ってヤマト運輸の角を右に入る。
しばらく行ったところの左側の建物の2階に見覚えのある写真のポスターが!…ハハン、ココだな?20会場となっているのは「ギャラリー・ニエプス」。
コレが入り口。
奥でミチコさんがこっちを見てる!40早速、中に入ってみる。
ズラリと並んだミチコさんの作品。
展示会のタイトルは「The place」。
  
いつも世界に翻弄されている香港。私はその世界に魅了された
 
…とはミチコさんの言葉。
「The place」…「place」に定冠詞の「the」が付けられているということは、その「場所」がミチコさんにとって「たったひとつの場所」ということだろう。
その場所こそが「香港」なのだ。50今回展示された写真は、2019年に勃発した「民主化デモ」の後の香港…つまり「香港の今」を伝えるモノ。
現在の香港の日常を切り鋭く取ったA2サイズのモノクロ写真からは「あの時を忘れない」という迫力が伝わってくるようだ。
また、ベルギーで生まれ、幼少期をフランス他の海外で過ごしたことによって培われた独特な国際感覚を放っているようにも感じ取れる。
60撮影したのは昨年。
もちろんコロナの真っ只中だ。
ミチコさんは現地での14日間の強制隔離を経て香港の街に飛び出した。
大変だよ~、海外でひとりぼっちでどこへも行かず、誰にも接せず2週間も過ごすなんて…私にはとてもできない!
それほどの使命感に燃えて敢行した撮影なのだ。
そんなミチコさんの活動が注目されて3月3日、NHKの『国際報道2022』という番組に出演しインタビューを受けた。

70会場では展示品を含めてミチコさんの写真の即売をしている。
90平日の午後だと言うのにひっきりなしにお客さんが入って来るのよ。80_2 コチラがキセキミチコさん。

110 手にしているのは、今年上梓された2019年の激動の香港での8ヶ月の滞在の記憶と記録を綴った写真集『VOICE香港2019』。
3年前はまさに「戦場カメラマン」だったのだ!
そして、この時の仕事が今回の「The place」につながるワケだ。

120 私は14年間の間に約3,000本のMarshall Blogを書いた。
その間、どう少なく見積もっても100万枚を軽く超える写真を撮ってきたが、それらは全てMarshall Blogの記事ためのライブやモノや景色の写真であって、あくまでも記事の内容を魅力的にするための一種の報道写真だった。
ライブ写真については、アーティストの皆さんを少しでもカッコよく撮ろう、ライブの迫力や楽しさを正確に伝えよう…ということだけを考えて来たつもり。
どちらかと言うと、写真を撮る事よりも文章を書くことの方が好きというか、性に合っているというか…。
でも、こうして何かのテーマを決めて、それについて徹底的に写真を掘り下げて撮る…ということは極めて尊く魅力的な作業であることを知った気がする。
私もナニかやってみようかな?
私の「The Place」はどこだ?
 
ミチコさん、写真集の出版並びに個展の開催おめでとうございます!
100『The Place』の開催は3月6日まで。
あとほぼ2日しかないけれど、興味のある方はミチコさんのウェブサイトで場所を確認してゼヒ足をお運びください!

キセキミチコの詳しい情報はコチラ⇒公式ウェブサイト

130v

2021年8月16日 (月)

香川京子と『ひめゆりの塔』と沖縄

 
昔の女優さんは本当に美しい人が多かった。
時代が変わって、言葉も変わり、食べ物の嗜好も変化し、気候すら以前とは異なる環境で育った昨今の若い女優さんと比べてたところで意味のないことかもしれないが、昔の女優は何というか…ただ美しく可愛いだけではなく、品があって高い知性を感じさせてくれる。
そうした雰囲気が女優を「女優然」とさせ、女優を一般市民とは何もかもが異なる「雲の上の人」たらしめていたのだろう。
今みたいにそこらへんで見かけることができるカワイコちゃんなど及びもつかなかったのだ。
もっとも、「映画」というエンターテインメント自体の存在意義が今とは全く違った時代なので比べようもないのだが…。
そんな女優さんたちのなかにあって、私はとりわけ香川京子が好き。
130v可愛くて、おしとやかで、品があって…。
いわゆる「女の子らしい女の子」とでも言おうか。
香川さんは茨城の行方市のご出身で、デビューする前は「こんな田舎にこんな可愛い娘がいるとは!」と驚かれたらしい。
とか言っても、私は音楽と同じく映画も洋物専門で、熱心に観た日本映画といえば黒澤作品ぐらいなので、日本の女優さんについて多くを語る資格はない。
10vでも最近、歳を取って昔の日本映画をよく観るようになりましてね。
小津安二郎なんて昔は観ているとイライラして来ちゃってとてもガマンできなかったが、最近はと言うと…いいよね~。
実にいいよ。
古い映画って昔の東京の景色が写っていたりするでしょ?
私にはそれがまたタマらなくうれしいのだ。

Sd さて、香川さん。
初めて意識したのは大学の時に観た『赤ひげ』かな?

20p_2店子を3人も殺したという大店のお嬢さんの役。
いわゆる「狂女」。
「あたし…とてもコワイ目に遭ったの…」
愛らしい町娘姿も魅力的だが、声がまたカワイイんだよね。
この加山雄三に接近するシーン!…ココモノすごい長回しで撮っていて、緊張感が生半可じゃない。
30それが一変して本性を現した時のこの恐ろしい顔!
もちろんここはカット割りを入れ、メークし直して撮っているんだけど、その迫真の演技がとても印象に残った。
ちなみに山本周五郎の原作はほとんど映画と同じ。
反対か…『赤ひげ診療譚』を読むと黒澤さんが本当に忠実に原作を映画化していることに驚かされる。
私、コレも20回ぐらい観ていて、正確ではないにしろ、だいたい出て来るセリフが頭に入ってるから。
ところが、映画を観た山本さんは「なんだよ、オレの本より映画の方がいいじゃねーか」と言ったとか。

40『天国と地獄』の香川さんもヨカッタ。
観たのは『赤ひげ(1965年)』よりもこっちの方が先だったかな?
香川さんも『天国と地獄(1963年)』の方に先に出演されている。
すると、会社役員の奥様を演じた時は32歳…コレはわかる。
上の『赤ひげ』の町娘の時は34歳だったのか!
それであのカワイさ!信じられんな。
50p_2誘拐事件に巻き込まれる権藤夫人の役。
「身代金を支払って裸一貫やり直せばいい」と言う奥さん。
「貧乏の経験がないお前が貧乏暮らしに耐えられるワケがない!」と主人に切り返される。
そう、いかにも上流家庭に育った奥様感がでてるんだな。
香川さん、とっても上品だから。
仲代さんが最高にカッコいいんだよね。「戸倉警部」ね。
三船敏郎、三橋達也、伊藤雄之助、藤田進、加藤武、木村功、千秋実、志村喬…この映画に出ていた男優陣は仲代さん以外全員鬼籍に入られたのかな?
イヤ、山崎勉とマグマ大使がご存命だ。
仲代さんは香川さんと同じ歳で今年89歳になるそうだ。
コレも軽く20回は観ているのでほとんどのセリフを覚えている。
60『どん底』も何回も観たナァ。
特にオモシロイわけじゃないんだけど…超豪華なキャストなのでその演技を楽しむといったところかしらん?

70p_21957年、香川さんが26歳の時の初の黒澤作品。
も~、どうしようもなく汚い長屋が舞台にあって、可憐な一輪の花のような「かよ」という若い娘を演じる。
山田五十鈴とか中村鴈治郎の存在感がスゴクてね。
山田さんが香川さんをイジめるんだよ~。
黒澤作品においては山田さんも『蜘蛛巣城』ではレディ・マクベス、『用心棒』では河津清三郎演じる女郎屋の楼主・清兵衛のおカミさんでスゴイ演技をしているからね。
この『どん底』もヨカッタ。
対する香川さんもクライマックスで爆発的な演技を見せてくれる。
なつかしいでしょ、左卜全。
卜全さんはオペラ歌手でもあるんだよね。
『七人の侍』をはじめ『醜聞』、『白痴』、『生きる』、『生き物の記録』、『赤ひげ』、そしてこの『どん底』と、7本もの黒澤作品に登場する。
私が子供の頃は「老人と子供のポルカ」が大ヒットしてしょっちゅうテレビに出てたけどな。
この『どん底』ではすごくいい役を演じている。
スゴイ個性だよね。
間違いなく「替えがきかない役者」の代表のひとりでしょう。
この撮影の時、左さんは63歳。
ナンダよ、今の私とそう変わらないじゃん。
80_2そして、『悪い奴ほどよく眠る』。
私はコレ、1回しか観たことがなくてあんまりピンと来ないんだよな。90p_2ただ、ファースト・シーンで香川さんがお嫁さんの姿がすごく印象に残っている。
足が不自由なんだね。
確かそれをクローズ・アップするんじゃなかったかしらん?
この後、香川さんはズッと経って『まぁだだよ』に出演された。
確か香川さんは最も多くの黒澤作品に出演した女優さんなんじゃなかったかな?
一度も黒澤さんに怒られたことがなかったんだって。
キャワイイからだよ。

100それと『東京物語』。
チョットしか出てこないけど存在感はシッカリ出してる。
疲れてブッ倒れちゃった東山千栄子扮するお母さんに娘の香川さんが団扇をあおいであげるシーンなんかとても板についていた。
老夫婦が熱海へ行くシーンがあるでしょう?
隣の部屋の団体さんがドンチャン騒ぎをして、麻雀を初めてしまい老夫婦はうるさくて眠れない。
アレを見ると本当にゾっとしちゃうんだけど、私なんかどちらかと言うとあの団体さんの世代なんだよね。
昔の社員旅行ってまさにあんな感じだった。
私はアレがイヤで、イヤで…。110p香川さんは大女優、原節子と共演できたのがすごくうれしかったのだそうだ。
ああ、原さんもいいナァ。
息子未亡人の役でね。すごく優しくて…それを原さんが演じるもんだからタマらない。
 
「ううん、私、お父さんのそばにズッといたいの」
「あ~、それはイカンな」
コレは何だったっけ『晩春』か?
小津作品はレギュラーの役者さんたちの配役があまりにもダイナミックでオモシロイ。
同じ人が平気で親になったり、兄弟になったり…。
東野英治郎が笠智衆の恩師なんて配役もあったでしょ?
で、杉村春子が東野さんの娘だったりして。
さすがにムリがあるでしょうにッ?
コレは『秋刀魚の味』か?
嫁に行かない娘に対する親の心配な気持ち、親が心配でお嫁に行けない娘の気持ち…こんな今の若い人にわかるワケないわな。
昔は若くてもこういう映画を観ていたワケよ。
社会がそうなっていたからね。
古い?…いいえ、今の世の中が間違いなく狂っているだけです。

120 つい先日「戦争の記憶と記録を語り継ぐ映画祭」というイベントがあることをパンタさんのフェイスブックへの投稿で知って予約を入れた。
会場は新橋の「内幸町ホール」。
ソーシャル・ディスタンス・スタイルでの開催。
席数が半分であったことと、出遅れて予約したこともあって取れた席は前から2列目の一番端っこだった。150催しは1953年の今井正監督作品、『ひめゆりの塔』。
イベントのタイトル通り、戦争のことを少しでも学びたかったのと、ここのところ沖縄の戦争関連の本を読んでいたこと、さらに主演の香川さんのトーク・ショーがあるということで行かない手はなかったのであります。160v会場の廊下のイス。
フィルム・リールがいくつも置いてあった。170「黒い所で見づらいが見える」とか「見えない」と書いた付箋が貼ってある。
こんなんでいいのッ?
日本はこうしたフィルムの管理体制が絶望的に整っていないからね。
実際、このフィルムも盛大にノイズが画面に乗っていた。
膨大な経費をかけてフィルムを保存しているアメリカの映画なんか1930年代の映画でもノイズひとつ入ってないもんね。180ココで映写機用のリールに巻替えをしていたワケ。
映画会社から借りたフィルム・リールを映写用のリールに引っ越しするワケ。160場内に設置された2台の映写機。190_3 カラカラカラカラカラと映写機が回る音の中で映画を観たのは小学生の時以来か?
近所の公園での映画上映会ね。
しかし、実にうまく映写機のリレーをするもんだナァ。
こんなこと今まで考えたことなかったけど、どういう仕組みになっているんだろう。
調べてみると、リールが終わる3分前と10秒前に画面に印が出て来るのだそうだ。
映写技師はそれを確認すると、少しの間同じ個所を2台映写機で同時に写し、次の映写機にリレーするんだって。
200_2終戦直前、アメリカ軍の侵攻により南へ南へと追い詰められていく軍とそれに看護婦として追従した「ひめゆり学徒隊」の姿を描いた作品。
作品はDVDになっているので、詳しいことを知りたければ実際に映画を観てチョーダイ。
終戦から8年後、アメリカ軍の占領が終わってすぐに制作されたがあまりに暗い内容であったため、東映の首脳部は制作に難色を示した。
ところが、公開してみると映画は大ヒットを記録し、倒産の危機にあった東映を救ったという。
1953年度「キネマ旬報ベスト・テン」第7位。
第1位になった『にごりえ』も今井正の監督作品。『東京物語』は第2位。
黒澤年表的には『生きる』と『七人の侍』の間に位置する。
だからこの映画の主演の津島恵子は小津さんの『お茶漬けの味』、今井正の『ひめゆりの塔』、黒澤明の『七人の侍』という順番でキャリアを重ねたことになる。
その間にも他に4本の作品に出演しているからね~、昔の映画の盛況ぶりが窺えるというものだ。
210v
この映画、タイトルの最後に火薬屋のクレジットが入っているんだけど、ホント、火薬の使用量がハンパじゃないのよ。
大泉の東映撮影所内のオープン・セットでその盛大な爆破/爆撃シーンを撮ったそうだ。
私も一度だけその撮影所に行ったことがあるんだけど、あんなところでドッカンドッカンやっていたなんて信じられない。
もっとも当時の大泉なんて田舎も田舎で何にもなかったんでしょうけど。
何しろ小田急線沿線の成城が「江戸時代の舞台設定の撮影がセットなしで撮れるところ」だったんだから。
この火薬量、いかにアメリカ軍の爆撃がスゴかったかということなんだけど、実際は全くこんなモノではなかったということだ。
ちなみにアメリカ軍の姿は、ほんのチョット軍艦が映るだけでガマ(自然の洞穴)に隠れた軍人や住民に投降を呼びかける声以外は全く出てこない。
 
物語の設定は夏なんだけど、実際に撮影した時期は冬でとても寒かったそうだ。
そのままセリフを言うと白い息が写ってしまうので、氷を口に含んで口内の温度を下げてからセリフを言った。
しかも、水浴びのシーンまで出て来る。
コレも当然寒いさ中のロケで、場所は千葉の佐原だったそうだ。
佐原といえば、伊能忠敬の生地ね。
空襲がなかったので、今でも古い町並みが残っているステキな町だ。
出演しているのは俳優座の役者さんたちばかりで、映画出身の俳優は香川さんと津島さんと関千恵子の3人。
風邪をひかなかったのはこと3人だけだったという。
「映画出身者は鍛えられているわね~!」と談笑したそうだ。220香川さんは、1953年の「五社協定」の前にフリーとなっていたので、映画会社にとらわれず色々な作品に出演する権利を持っていた。
「五社協定」というのは、松竹、東宝、大映、新東宝、東映の間で結ばれた「俳優は自分が契約した映画会社の作品にしか出演できない」という協定。
また、この協定により映画会社間で監督や俳優の引き抜きや貸し出しができなくなった。
そんな権利を持っていたので香川さんは映画会社の枠を飛び越えて数々の大監督に作品に出演することができた。
撮影時、今井監督は演技について全くナニも言わなかった。
そんなだから香川さんはラスト・シーンを演じるに当たって家でずいぶん練習したそうだ(どんなシーンかはネタばれになるのでココには書かない)。

230逃げ回ってばかりいる設定なのでとても撮影中はいつも緊張していたという香川さん。
その通り重厚な作りで、見ている方も緊張を強いられるが、男性陣は怒鳴っているシーンが多く、半分ぐらいのセリフが正確に聞き取れなかった。
できれば字幕を入れて欲しかったナァ。250以上がトーク・ショウ香川さんが語られた内容。
聞き手は共同通信の方。
2014年の同じ方とのインタビューで香川さんは「戦争がまた近づいているようでイヤだ」とおっしゃっていたそうだ。
今年89歳になられる香川さんは終戦時13歳。
それでも茨城で勤労奉仕をさせられたそうだ。
松の木の根っこを掘り出すのが任務。
燃料が枯渇していた日本は、松の木の根から採れる油を燃料代わりにしていたそうだ。
そんなんでアメリカに勝てるワケねーだろ!
 
下の写真は他の講演会の時のモノ。
今回もこんなお姿だった。
お母さんが大柄だったという香川さんは、映画の中で見るよりも背が高くシャキっとしていて若々しく、とても来年「卒寿」になる方のようには見えない。
おだやかで品のある話し方や声は権藤夫人そのものだった。

260vコレはその共同通信の方がトーク・ショウで紹介した香川さんの著書。
今は入手がなかなかムズカシイらしい。
でも、私は持ってるのよ。
だから持って行った。270終演後、このイベントの主催者にお願いして香川さんにサインをして頂いた。
私のあたらしい宝物。

280戦争の記憶と記録を語り継ぐ映画祭の詳しい情報はコチラ⇒昭和文化アーカイブス

Sa さて、終戦記念日にちなんで少し沖縄のことを書いておく。
まずはひとこと…我々は沖縄県のことをナニも知らない。
特に先の大戦で沖縄の人たちが日本政府から見捨てられ、どんなにヒドイ目に遭い、今でも基地問題で苦しんでいて、政府がズッとほったらかしにしていることを知るべきだ。
 
時々Marshall Blogで紹介している岩波の「ジュニア新書」。
内容は全然ジュニア向けではないから大人が読んでも大丈夫。
小難しい文章が苦手な私なんかこれぐらいがちょうどいい。
この『戦争と沖縄』は沖縄の苦難の歴史をとてもわかりやすく説明している。
沖縄は元々は違う国だったからね。
薩摩藩なんかも実にヒドイことをしているんよ。

310b同じく岩波ジュニア新書から。
コレはドンズバでひめゆり学徒隊の方の体験記。
現実は映画の何十倍も何百倍も悲惨だったことがわかる。
映画には一切出てこなかったけど血と膿みと悪臭と蛆虫のオンパレードよ。
こういう本こそ、学校で生徒の読ませりゃいいんだよ。
自分と同世代の子供たちがどんな目に遭ったかを知れば少しは政治にも興味を持つようになるんじゃないの?
ま、政府は戦争と英語を教えたがらないからナァ。

290b_2コレは最近読んだ吉村先生の戦記物の短編集で、沖縄を舞台にした作品が3編収録されている。
ひとつは「太陽を見たい」という1編。
映画『ひめゆりの塔』の中である女子学生が「太陽だ!お日様が出て来た!」と叫ぶと、泊めてもらった民家からみんなが喜んで表に飛び出してくるシーンがある。
で、キャベツの玉でバレーボールをやるのね…破滅前のほんの一瞬の楽しい時間よ。
そのシーンの直前までは豪雨の中を行軍する場面が続いていたので、雨がようやく止んだことで女学生たちは喜んでいるのかと思っていた。
この小説を読んで私の解釈が間違っていたことを知った。
「敵前逃亡」というのは潜伏している同胞に降伏するよう説得する任務を米軍から負わされた捕虜の少年兵の話。
少年は解放されて友軍の元に戻りまた共に戦うことを決心するが…。
ヒドイ話よ。
もうひとつは宇垣纏(まとめ)という8月15日の玉音放送の後に沖縄沖のアメリカ軍艦に特攻した海軍中将の話。
300bもうひとつ吉村先生の沖縄戦もの。
14~16歳の少年兵で部隊を構成した「鉄血勤皇隊」の少年の話。
生まれた時からお国のために殉ずることしか教わって来なかった15歳の比嘉少年が入隊して戦地で見たものは…。
悲惨すぎる。320bとにかく沖縄は気の毒だ。
アメリカだけでなく、日本政府が何を沖縄にしたのかを知っておくべき。 
しかし…こんなんでこの先この国は一体どうなって行くんだろうね。

2017年12月29日 (金)

井上苑子×teena いっしょに歌おうプロジェクト2017

よく耳にはするけど、今回初めてお邪魔したのが昭和女子大学人見記念講堂。
恥ずかしながら、どこにあるのかも知らなくて、神田のあたりにあるのかと勝手に思い込んでいた…って、完全に共立講堂とゴッチャになっていたのね。
そしたら三軒茶屋だっていうじゃん?いつもグレープフルーツムーンに行く時、三宿の交差点を右折しちゃうからわからなかったんだな。
イヤ~、スゴイ設備でビックリしちゃったよ。
ホールももちろんスゴイけど、目を惹いたのは入り口のホワイエに設置してあるコレ。
「楚形昭韻」というのだそうだ。「そけいしょういん」っていうのかな?
意味は「中国の楚の時代にあった形そっくりの昭和女子大学に響く鐘の音」ということらしい。
コレを演奏している所をテレビで見たような記憶があるような気がするが、どんな演奏になっていたのか全く覚えていないところをみると、勘違いかも知れない。
R_0r4a1589 それで、ナゼ人見記念講堂にお邪魔したかというと、井上苑子という若いシンガーソングライターのライブの撮影だったのね。
正確に言うと、そのコンサートにゲスト出演したESPの生徒さんと苑子さんの共演シーンの撮影。
イヤ~、コレがですね、結構緊張しっぱなしでしたわ。
というのも、チャンスは2曲。
相手は10人。
ビビったのは悪天候時の富士山頂を軽く凌駕するであろうスモーク!
もしかしたら今年のスモーク大賞だったかもしれない。
ただ、こういう大きなホールはピンスポットがシッカリしているので、撮りたいところにライトを送っていてくれれば濃霧も恐るるに足らず…なんだけど、まずそうはうまく行かないんだよね~。
それでも何とかトライさせて頂いて、そのライブのレポートがアップされたので紹介させて頂く。

R_0r4a1813 とにかく生徒さんたち、大会場のステージに上がって興奮しまくりなんだけど、一生懸命で可愛いんだわ!
でも歌は上手だったよ~。
私はと言えば2曲でヘトヘトになっちゃったよん!

当該のライブ・レポートはコチラ ↓  ↓  ↓
井上苑子×teena いっしょに歌おうプロジェクト 2017 Report 

本番の写真を担当しました。


2017年2月26日 (日)

Gacharic SpinのDVD

飛ぶ鳥を落とす勢いのGacharic Spin。
残念ながらまったくMarshall系の楽器をお使い頂いてはいないが、ナンダカンダで結構昔から何度もそのステージを拝見させて頂いて来た。
そして、昨年結成7周年を記念するツアーを実施し、その千秋楽をTOKYO DOME CITYホールで迎えた。
そのコンサートの撮影のお仕事を頂戴した。
それは、いつも『NAONのYAON』で私が撮影しているGacharic Spinの写真に高いご評価を頂いたからであった。
そして、このTOKYO DOME CITYホールの模様がDVDになって去る2月22日にリリースされた!
下の写真はその初回限定版。
DVDが2枚と写真集が封入されている。

1_img_0105下がその写真集。
この日、スチールの撮影を担当したのは私だけではなかったが、この写真集の中に自分でもビックリするほど私の写真をご採用頂いた。
表紙からして私が撮ったもので、うれしいなったらうれしいな!
チョット前にもMarshall Blogに書いたが、こうして自分の写真が使われて何かの形になるのはとてもうれしいことだ。
しかし百も二百も承知がしていたけど、マァ、とにかく見せ所はテンコ盛りだし、動きはブッ速いしで、本当に一時もステージから目を離すことができないかなり多忙な仕事だった。
でも楽しかったナ…。
6月24日には日比谷野音で大暴れするそうだ。
その前に4月29日の『NAONのYAON』がありますな。
また撮影させて頂くのを楽しみにしておりやす!

Gacharic Spinの詳しい情報はコチラ⇒Official Web Site

1_img_0108

Marshallを使っていなくてもこうして写真のお仕事を承っております!


(敬称略)

2015年4月 2日 (木)

【DAY 3】 5 DAYS ART CHALLENGE

3日目はライブ写真以外のものを…。

「あ、ウッシ―、ちょっとアー写撮ってくれへん~?」
…とメッチャ軽めのSHARAさんからのご依頼で撮ったのがmintmintsのこの写真。
「よくあるやん、半分影になっとるヤツ」
というのがSHARAさんのオーダー。いわゆるハーフ・シャドウ。
…とくれば頭に浮かぶのは当然『With the Beatles』。
アレはビートルズのハンブルグ時代の友人、アストリッド・キルヒヘルのアイデアを元にロバート・フリーマンという写真家が撮影したもの。
ま、図々しくもアレをイメージして撮った。
場所は向山テツさんが営む新代田のロック・バー、「ブギー・ストック」。
超忙しい4人のこと、要するにmintmintsのリハーサルで集まったついでに撮ってっちゃおうって…という流れね。
一応全員のハーフ・シャドウは撮ったんだけど、こうして見るとsun-goさんとてらちんは別の写真を使ったんね。
いつもMarshallの方で仲良くして頂いている4人なので撮影も楽しかったな。
そこら中でこの写真を使って頂いているだけでなく、SHARAさんは特大ポスターにもしてくれた。
もちろんそのポスターは私の大切な宝物だ。

この時の様子はコチラ⇒【Marshall Blog】mintmintsフォト・セッション!~寺沢功一誕生日スペシャル!

3_001_logoカレンダー。
モデルは女性ギタリストのTomoko。

1_3_20元の写真はコレね。
私のライブ写真に惚れ込んでくれたある方の紹介でお仕事を頂戴した。
ある喫茶店にストロボ2燈を持ち込んでの撮影。
思いっきりブライトで撮ってみようということで、バックにちょっとした仕掛けを施した。
いくらギタリストといはいえこういうシチュエーションで女性を撮ることは少ないので結構緊張した。
相当な枚数を撮らなければならないかな?と覚悟していたが、Tomokoさんは予め、イメージをビックリするほど明確にを頭の中に描いていて、それに合致するものが撮れると一発でOKを出してくれる。
この時も「コレコレ!こういう風に撮って欲しかったんです!」というのが何枚も撮れて案外サッパリ撮影を終了することができた。
それらの写真をお気に召して頂き、この後の機会にも撮影させて頂いたが、その時も自分でスケッチを描いてきて、「こういう風にしてください」とか「コレはできますか?」とか実に的確なオーダーを出してくれた。実にやりやすい!

一度Marshall Blogにも登場しているのでギタリストのTomokoさんもご覧頂きたい。
コチラ⇒【Marshall Blog】GO GO TOMOKO!~バースディ・ライブ2014

1_3_30vもうこうなると「アート」じゃなくてただの宣伝か自慢になっちゃうな…。
静物も撮ります。いわゆる「ブツ撮り」。
コレは昨年の暮れに上梓されたMarshallの図鑑。
本文の翻訳のチェックと監修をさせて頂いた。イヤ~、コレは本当に苦労したわ。
今、「もう一回やってくれ」と言われたら、断らないけど、ウマい魚が食べられる源泉かけ流しの温泉に3回以上行って、まずリフレッシュさせてもらわないととてもできん。
ま、そんなときでも結局パソコン持って行って一日中Marshall Blogを書くことになるんだけどサ。

3_40v撮影はウチのスタジオ兼ガレージ兼Marshall、NATAL、EDENの倉庫、通称「Shige Studio」。
この撮影の仕事は自ら買って出たものだ。
ところが、コレがまた苦労の連続でさ…。
実は四角くて大きなものをスクエアに撮るのってすごく難しい。
「四角くてスクエアなもの」…といったら何と言ってもMarshallよ!
2年前に出版された『Marshall Chronicle(シンコーミュージック刊)』に掲載しているMarshall Museum Japanのコレクションの写真もすべて私が撮ったのだが、あの時はスペースも広かったし、ストロボの数も豊富で、アイテム数の多さを除けばテクニック的な苦労は少なかった。
今回は何せ狭い!自業自得なんだけど…。
家内にレフ板をミリ単位で調節してもらったりして何とか撮り上げた。
本当は表4の背面の写真の方が表1の数倍難しかったんだけどね。
ホント、写真撮影だけでなく、この本の仕事では絶大なる援助を家内に強いてしまった。だから前書きに感謝の言葉を入れておいたよ。ご褒美もお楽しみに!

本の詳しい情報はコチラ⇒【Marshall Blog】新しいMarshallの本!~The History of Marshall The First Fifty Years

1_cover_photo つづく…あと2回!

2015年3月25日 (水)

【DAY2】 5 DAYS ART CHALLENGE

さて、2日目。
私はチョー幸運にもSHOW-YAのライブのオフィシャル・フォトグラファーを務めさせて頂いている。
この、世界でも稀なる最高にカッコいいフィメイル・バンドは、時を経るごとにそのカッコよさを増している。
こっちだって負けてはいられない。完全に同じ年頃なのだ。
「熟男ナメんなよ!」と声を大にしたいところだが、いつも恵子さんたちのパワーには押されっぱなしだ!
それでも汗をフキフキ、少しでもカッコいい写真を撮ろうと七転八倒しているのである。
そんな努力が実ってか、うれしくも面白いことが起こった。
昨年の11月から今年の1月末まで開催された居酒屋の全国チェーン「庄や」と「SHOW-YA」のコラボ企画のポスターに私の写真を使って頂いたのだ。
コレはうれしかったね~。
全国の庄やさんだからね。

2_10ポスターの元となったのがこの写真。
コレは確か、PVを撮影しているところを撮ろうとして、ワザとビデオカメラをフレームの右に入れたハズ。
もちろん恵子さん、グラスは手にしていない。
ウマくアレンジするな~。
でもね、もっとウマいのは、このキャンペーン中、限定のメニューで恵子さんが考案したという「ショウガ鍋」。めっちゃウマい!
ネギタップリのサッパリお鍋で、コピーしていまだに家でよく食べております。
恵子さん、ありがとうございます!

2_15SHOW-YAつながりでsun-goさん。
これはAra ProIIがプロデュースしているsun-goさんの新しいシグネチャー・モデル、「Fairy」の雑誌広告。

2_20コレが元の写真。
ギターの広告用写真ということではじめから狙って撮った。
ところが、コレがなかなかに難しい。
派手に動くsun-goさんのことだから、ギターがハッキリ丸ごと正面を向く瞬間がなかなか訪れない。
今だ!と思ってシャッターを切った瞬間、照明の色が変わったりストロボがたかれたり…。
しかも、ギターのボディに描かれているブルーの妖精が照明によって色がコロコロ変わってしまうので、白いライトの時しか撮影のチャンスはない。
専門がアンプとはいえ、私だって楽器のプロだ。商品はきれいに撮ってシッカリ見せられるようにして差し上げたい…。
また今だ!と思ってシャッターを切ると今度はsun-goさんの顔が髪の毛で隠れてしまったりするのだ。
sun-goさんの写真ということでは他にお気に入りがたくさんあるが、ギターとsun-goさんを主役にしている写真という意味では、最高に気に入っている。
荒井貿易さん、ありがとうございます!

2_25 D_Drive、2012年8月の東京での初ワンマン・コンサートのもようを収録したDVD『D_Drive LIVE IN TOKYO(アトスインターナショナル刊)』のジャケット。
D_Driveは4人4様の個性が出ていて撮っていていつも楽しい。
ところがこの時は大変だった。
会場は立錐の余地がまったくない超満員。一旦プレスピットに入ってしまったら最後、終演までそこを抜け出すことはまずもって不可能。
それなのにアレがやって来たのだ、アレが…。
ハライタ。
「渋り腹」っていうのかな?とにかくハラが痛くなっちゃって往生した。
お客さんをカキ分けてトイレに行くのはいいが、シャッターチャンスをいいように逃してしまうじゃんか。
それでもトイレに駆け込むべきか否か…迷ったね~。
まさかプレスピットで用を足すワケにもいかんし…。
で、どうしたか…ってガマンするより選択肢がない!脂汗タラタラ…。
しかし、「心頭滅却すれば火もまた涼し」…何とか乗り切りましたよ。
それで出来上がったのがこのジャケット…ああ愛おしい。

2_30コレらが元の写真。
Seijiさんの立ち位置はナゼか、いつどこの会場でも照明の条件が比較的よくて撮りやすい。

2_40 Yukiちゃんもたくさんの表情を持っていて撮っていて楽しいな。私の写真では笑顔が多いんだけど、これはシリアス!難しいパートの真最中かな?

2_50vしまちゃんは実はすごくフォトジェニック。この写真はそうでもないが、いつもポーズがビシっとキマっているのだ。

2_60vChiikoちゃん、いつも照明の条件が悪くてうまく撮れずにゴメンね。
とにかくドラムはムズカシイ。
照明が暗い、動きが速い、ポジションが同じ、楽器で顔が見えない…こんなに撮影に不利な楽器は他にないだろう。
実は鍵盤楽器も難しいと常日頃思っているのだが…。
でも、そういう被写体こそ撮り甲斐があるってもんよ!

2_70vちなみにこの時に撮ったこのShimataroちゃんの写真は彼の教則DVDの表紙にもなった。

2_80 こんな感じ。

2_80v
つづく

2015年1月19日 (月)

SHOGUN LIVE!

今から何年前かな?
ギターのブリッジで有名なWilkinsonってあるでしょ?私はここの社長のTrevor Wilkinsonさんに仲よくして頂いていて、Liverpoolから40分ぐらい内陸に入ったSouth Portという街にある家に遊びに行ったことがあった。
その日はお嬢ちゃんのKateの結婚パーティで、近所の人が大勢来ていて、日本人が珍しいのか色々と質問攻めにあった。
しきりに鯉の話しをしている人もいれば、やたら昔の話しを持ち出してくる人もいた。
もう、ステレオタイプ丸出しの話しで、一体どこでそんな話しを仕込んだのかと問うと、『将軍Shogun』だと言う。
コレは三船敏郎や島田陽子が出演していた1980年のアメリカのテレビ・ドラマのこと。私は観ていなかったので、何とも対応に困ったのをよく覚えている。

そのアメリカのテレビ・ドラマより先に、日本の人気テレビ・ドラマの主題歌を歌うグループとして誰もが耳にしたバンドの名前がSHOGUNだった。
そのサウンドを初めて聴いた時、てっきり外国のバンドかと思った。

もう発売して大分時間が経ってしまったが、2014年10月27日にSHOGUNのライブDVDがリリースされた。
タイトルはそのもズバリの『SHOGUN LIVE!』。
私はこのDVDのスリーヴとリーフレット用のスチール写真を撮らせていただいた。

10dvd場所は満員の目黒Blues Alley。

20ステージに上がったのは…
芳野藤丸

30v長岡道夫

40
岡本郭男

60v_2
佐倉一樹

50v渡邉純子

70v_2鈴木正則

80v_2竹野昌邦

90v藤丸さんの歌とギターで名曲がつづられていく。

100v何しろ曲のクォリティが高いのなんのって!そして、演奏も非の打ち所がまったくない完璧状態!

110_2昔、原田の喧ちゃんの紹介で藤丸さんにAVTを使って頂いた時期があった。今は違うけどね。
その後もよくマサやんのコンサートでご一緒させて頂いた。

120v_2アルト・サックスの藤野美由紀が登場。

95
美由紀さんがまた素晴らしく図太い音色とすさまじいアクションでカッコいいのなんのって!
藤丸さんとの絡みも最高!

130ミッチ―さんもボーカルを披露!

I_img_0146 やっぱり「Bad City」や「Lonely Man」の時にはひときわ大きな歓声が!
もちろんDVDにも収録されている。

140_2藤丸さんも空間系のエフェクターを上手に使って大人のギター・ソロを繰り出してくる。
私は、「この世の名曲10選」を挙げろと急に言われた時に困らないように普段から考えているのだが、アレもいい、コレもいいとなかなか定まらないでいる。
しかし、The Kinksの「Waterloo Sunset」とQueenの「Bohemian Rhapsody」あたりは完全に固定していて揺らぐことがない。
そして、もうひとつ絶対的な曲がある。それは太田裕美の「木綿のハンカチーフ」。コレは何人(なんぴと)も否定できまい。

150vあの有名なダブル・ストップのイントロ。もちろんそれだけではないが、あの曲のギターを弾いているのが藤丸さんと知って感激したね。
アレは何かのテレビ番組の収録だったと記憶しているが、「アドリブでなく書き譜」だったとおっしゃっていた。
後世に残る名曲が次々と生まれていたいい時代の話しである。

160vやっぱり、海外の音楽がもっともクリエイティブだった時代に自己研鑽された方々の音楽と言うのは厚みが違う。
まったく素晴らしいコンサートだった。それがDVDになっている…今こそいい時代か?

170DVDの詳しい情報はコチラ⇒アトスインターナショナル公式ウェブサイト

180dvd(一部敬称略 2014年7月25日 目黒Blues Alley Japanにて撮影)

ichiro Session ~ Dear Blues #1

チョット最近はご無沙汰だけどMarshall Blogでもおなじみのichoro。
でも今日はいつもとはチョイと様子が違う。
イヤ、ichiroちゃんはいつもと同じ。
様子が違うのはコチラの方。だからMarshall BlogではなくてShige Blogにご登場頂いている。

10_2この日のライブはichiroちゃんがブルースをトコトン演奏するというシリーズで残念ながらMarshallの出番はなし。
パフォーマンスが収録され、それがDVDとなっている。そのスリーブ&リーフレット用の写真撮影のお仕事で参加させて頂いたというワケ。
これがそのDVD。2014年9月の発売。

20dvd出演はichiro。

30_2ベースは元The Street Slidersの市川"JAMES"洋二。

40vドラムに元The Easy WalkersのJAH-RAH。

50_2ゲストでとうじょうしたるは佐藤タイジ!

60vレパートリーはブルースのスタンダードからオリジナルまで多種多彩。でも、そのどれもがブルースに根差している。

70vそれが実にichiroちゃんっぽい。

80v「やりたいことをやって、それが芸術性が高いワリには大衆に受け入れられて、ビジネスとして成功している」…こういう人こそ「アーティスト」と呼んで然るべきだと思うんだけど…その代表としてよくPar Methenyの名前をMarshall Blogで挙げていることはご愛読頂いている方はご存知だと思う。
ナンカね、このイキイキと演奏するichiroちゃんの姿を見ていると、日本ではichiroちゃんがそれかな?なんて思ったりもするのである。

90タイジさんとのギター・バトルはもちろん大きな見所のひとつ。
「ストラト対レスポール」すなわち「ゴジラ対ガメラ」…決着は永久につかない。会社が違うから戦えない!ウソウソ、両方強力だからだ!
しかし、この世に色々なものがあって、それぞれ日進月歩で進化を遂げているのに、一体ギターって何だろうね?100…と思うこともあるけど、変わらないからいいんだろうね。
最近は若い人たちが聴く音楽もスッカリ変わっちゃったからギターもいいところを見てもらえなくてかわいそうな気がするね。
ichiroちゃんが決して口にださないけど「ギターのカッコよさはコレだぜ!」とギターで叫んでいるようだ。

110ゲスト・ボーカルのSara Rector。

I_img_0062パワフルな歌声でここも素敵なシーンのひとつとなった。

I_img_0115タイジさんも代表曲「ありったけの愛を」を歌ってくれた。
タイジさんは昔、渋谷のBOXXで開催された『Marshall Night vol.2』というイベントに登場してくれた。
その時、愛用のビンテージの1959にナイロン・ギターをつないでド迫力のサウンドをクリエイトしていたのが印象的だった。

120v小気味よいタイジさんのアコギのバッキングにナチュラルに溶け込むichiroちゃんのメロディアスなソロ!

140ブルース・ロックとMarshallの関係については後日Marshall Blogで…ね。
130v
商品には『仲間とギターとブルース。人生に、これ以外の何が必要だろう』というキャッチコピーが付けられてるが、まさにその通り。
楽しく、激しく、美しく、ギターの魅力を存分に発揮したステージだった。

150そんな演奏がギッシリ詰まったDVD。おススメです!
あ、写真にも注目してチョ!

DVDの詳しい情報はコチラ⇒アトスインターナショナル公式ウェブサイト

160dvd(一部敬称略 2014年6月7日 三軒茶屋Grapefruit Moonにて撮影)

2014年5月19日 (月)

How to fix Okonomiyaki~Hiroshima Style

For Grace....

<Ingredients (top to bottom, left to right)>
Egg
Pork
Yam (if possible but not important)

Cabbage
Dried bonito powder
Beansprout
Deep fried squid (junk confectionery)
Green onion

Flour for Okonomiyaki
Otafuku Sauce (sweet Worcestershire sauce)
Deep fried squid (junk confectionery, sorry just one is enogh)
Noodle for fried noodle (yakisoba)

Img_0008_2Important gredients for Hiroshima style.

Img_0009<Making dough>
Put suitable quanyity of flour into a bowl.

Img_0010Add water to the flour.

Img_0011Stir, stir, stir ...

Img_0012If the dough seem to be too hard, please add extra water.

Img_0013The softness is like this.

Img_0018Add the yam.

Img_0019Peel the skin.

Img_0020Get another bowl and put water.  Add few amount of vinegar into the water.

Img_0021Dip the yam for a couple of minutes.  If you skip this process, the yam makes your hands itchy.  Also it turns into black quickly.

Img_0023Grate the yam.

Img_0024Add the grated yam into the dough.

Img_0026Stir the dough again.

Img_0028The yam makes the dough much sticker.
To tell you the truth, this is too sticky and I added some extra water.
Also this Yam part is not so important.  I think yam is not easily available in your country, so you can skip this part.

Img_0030Chop the vegitables in advance.  Shreded cabbage, round sliced green onion and beansprout (as is).

Img_0031Heat the hot plate and put oil. 

Img_0033Meanwhile, heat the noodle.  Just heat it with few water for steaming.Img_0036Put the dough on the hot plate.

Img_0037Spread it with spoon's sole.

Img_0038Dust the dried bonito powder.

Img_0040Put the cabbage.

Img_0043Put the beansprout.

Img_0046Smash the deep fried squid....

Img_0048and pile them on the beansprout.

Img_0053Put the pork.

Img_0054Put the few of dough.  

Img_0055The first hurdle comes.
Flip over the dough.
One, two.....

Img_0057Three!! 
Yes!!  Good job, Shige!!

Img_0058Push the scattered cabbage under the dough.

Img_0060Place the lid and steam for a couple of minutes.

Img_0061Put the pre-jeated noodle next to the dough.

Img_0062And move the dough on the noodle.

Img_0064Easy.

Img_0065Then put two eggs next to the dough and easily break he yolks.

Img_0069Put back the dough on the eggs.

Img_0070Easy, easy!

Img_0072Again put the scttered things under the dough.

Img_0072_2Sorry I failed to take a picture of one stage.  Please flip over the dough once more.  Then all process is done.

Put the Otafuku souce.

Img_0078Depends on your taste, please put the green onion on the okonomiyaki.

Img_0079Looks nice!!

Img_0080Have it with beer.  I miss English ale!!

Img_0083

 

2013年10月11日 (金)

ストレンジ・デイズ 11月号

以前Steve Hackettの時にもお世話になったストレンジ・デイズさん。(Steve Hackettのライブ・レポートはコチラ
2013年11月号の表紙はMike Oldfieldの『Crisis(邦題:ムーンライト・シャドウ)』。

Kt_img_5691ひ~っさしぶりLPをに引っ張り出して聴いてみたけど、A面はすごくよろしいな。スッカリ忘れてた。やっぱSimon Phillipsいいな~。
B面は何といっても最後の「Shadow on the Wall」。歌うは元FamilyのRoger Chapman。この人も日本ではまったく受け入れられなかったね~。聴いているこっちのノドが痛くなって来るようなシャウトっぷり。それにこの不必要なまでに振幅の大きいビブラート。一声聴けば夜中にうなされそうな強烈な個性だ。
Rogerは1989年の『Live in Berlin』というアルバムでもこの曲を収録している。かつてMarshallのデモンストレーターを長いこと務めたGeoff Whitehornが参加しているので、大分前にこのライブ・アルバムをゲットしたのだが、収録時間が30分程度という「アレレ?」状態のアルバムだったな。

Kt_img_5696 イヤイヤ、Mike Oldfieldのことは実はどうでもよくて、肝心なのは本号の中身。
Marshall Blogでもレポートしているが、寺田恵子さんが生誕50周年を迎えるにあたって企画されたカルメン・マキ&OZの曲を歌うコンサートを前にしてのインタビューが掲載されている。
私なんかは完全に同世代なので、ウンウンとうなずきながら拝読させていただきました。

しかも!1ページを覆い尽くすのは私が撮ったステージ写真。やっぱ恵子さんはカッコいい!

さらに本をひっくり返してみると、そこにはその恵子さんのコンサートの広告が!
この恵子さんの写真も私が撮らせていただいたもの。うれしいです!

Kt_img_5694 ところが!10月14日に開催されるこの世紀のコンサート、私行かれないので、みなさん、私の分まで楽しんできてくださいね!

2013年8月 5日 (月)

プログレはうれしい

先日、Marshall BlogでレポートしたSteve Hackettの来日公演。

日本を代表するプログレッシブ・ロックッ雑誌、ストレンジ・デイズ2013年9月号(No.166)にもその模様が掲載されている。

そして、私が撮影した写真がガッツリ使われているので是非見てみてね!好きな表紙はRobert Wyatt。

Sd_img_0472 好きなプログレッシブ・ロック関連の媒体に撮った写真が使われるなんてうれしいにゃ~!

<Marshall Blogの記事はコチラ>
★前編 : Steve Hackett GENESIS Revisited 2013 Japan Tour

★後編 : Steve Hackett GENESIS Revisited 2013 Japan Tour

2013年7月28日 (日)

寺田恵子生誕50周年記念興行『QUEENS BIRTHDAY』

イヤ~、昨日もSHOW-YAはホントに素晴らしかった!
恵子さんの生誕50周年記念興行『QUEENS BIRTHDAY』!
Marshall Blogでも紹介したように、24日には22年ぶりのシングル『V.S. MYSELF』も発売され、いいように盛り上がっちゃった!

これがそのシングル『V.S. MYSELF』。
うれしいことに今まで私が撮ってきたライブ写真がふんだんにちりばめられている。
それに『NAONのYAON』完全収録しているDVDもうれしいね!私を探したりしないでよ!
もちろんSHOW-YA史上最速という新曲『V.S.MYSELF』も出色の出来だ。

Vs_img_9557_2 さて、昨日のコンサート。レポートはMarshall Blogにもちろんゆずんるんだけど、とにかく密度の濃い素晴らしい演奏だった。
やっぱり、最初の音が出た瞬間、ゾワーっと鳥肌がたっちゃうんだよね、この音圧に!

恵子さんもお誕生日コーナーもあって、最高に楽しい内容だった。ここで書けないのが残念!マーブロ待っててね。

Vs_img_5848
そのほかにも企画がテンコ盛りで、次作のジャケットにお客さんの写真を載せちまおう!というのがスゴかった。撮りも撮ったり350人以上!
卒業アルバムじゃあるまいし、こんなにたくさんの方を一度に一枚一枚撮影したのははじめて。イヤ~、人間の顔ってものすごいバリエーションですな。ご協力いただいたお客さま、ありがとうございました。

Vs_img_9123

そして、昨日の様子が今日のスポーツ報知、サンケイスポーツ他に掲載されている。写真は私めが撮ったものでやんす。
自分で撮った写真が新聞に使われるのは初めてではないけど、うれしいなったらうれしいな!恵子さんの記念すべき50回目のお誕生日ということもあいまってそのうれしさも倍増!

Vs_img_9558_2
でも、新聞用の写真って時間の制限があるし、いいのが撮れているかどうかわからないし…結構緊張するのよ。

それではMarshall Blogでのライブ・レポート乞うご期待!

Vs_img_9562SHOW-YAの詳しい情報はコチラ⇒SHOW-YA Official Site

(ライブ写真:2013年7月27日 赤坂BLITZにて撮影 新聞記事はスポーツ報知、サンケイスポーツより抜粋)

2013年7月23日 (火)

『カイズ』~クルベラブリンカのセカンド・アルバム

2013年3月15日 初出

久しぶりにレコード会社に勤める仲良しと昼食を摂った。彼は仕事がら新しい音楽メディアに精通しており、いつもいろいろと教えてくれるそっち方面の私の師匠だ。

そして、いつも話題になるのは「CDの終末」に関すること…。私はご覧の通り音楽が大好きで、「人生一度はレコード会社で仕事がしてみたかった」、あるいは「してみたい」…と思っている。ところが、その友達の前でそんなことを口にしようものなら、「絶対やめた方がいい!」と彼はまるで自殺を押しとどめるような勢いでいつも私を諭すのである。

「CDは本当になくなってしまいますよ…」

これが理由だ。もちろんこんなことは今までもあちこちで耳にしてきていることだし、アメリカに行けば本当にCD屋がないことも知っているし、ロンドンもHMVをはじめ、ジャンジャンCD屋が消滅していることも目の当たりにしている。

それでも、「まさか…元祖はエジソンだぜ…」という気持ちが先行してあまり実感がわかないのは、あまりにも自分の人生の深い部分にレコードやらCDが当たり前に入り込んでいるからかもしれない。それとCDというフィジカル・プロダクツの最後の砦がなくなってしまう悲劇を信じたくないという気持ちもあろう。

彼の話しの中でショックを受けたのは、今年中には日本に入ってくるとかいう新手の配信サービス。その配信サービスは4大レーベルと契約していて、月額いくらか払えば、1500万曲の中から好きなだけデジタル・オーディオ・プレイヤーやスマートホンにダウンロードできるという。

コイツのおかげでiTunesも近い将来駆逐されてしまうんだと。そりゃCDもなくなるわ。

ま、好きなようにやってくれればいいけど、音楽ってここまで「どうでもいいモノ」になり下がってしまったんだな~。音楽にはお金は使う必要はありませんよ~!と言っているようなものだ。

今、今年1月に上梓された『誰がJ-POPを救えるか?』って本を読んでいる。もちろん(?)私みたいな音楽変態にJ-POPは死んでも無用のものだが、同書の中では私がマーブロに書いているようなことにも触れていて、加えて世の中の音楽マーケットのしくみが見えてきてなかなかおもしろい。

やっぱ大変そうだからレコード会社はやめておこう。好きなCDを買い続ける一方、外野で音楽業界に対して文句を言っている方がはるかに楽しそうだ…。読後、思うところがあればまたここで論じてみたいと考えている。

私なりの結論としては、フィジカルな商品を買いたくなるような音楽がないからCDが売れない…コレに尽きると思っているし、その本がそう結論付けてくれることを期待している。

さて、前置きが長くなったが、ここからはお金を出して買いたくなるCDの話し…。

クルベラブリンカのセカンド・アルバム『Kaizu』がそれだ。

Kaizu
リフやらソロやら、正統派ロック的な魅力がふんだんに詰め込まれている。特にこのバンドは前作(ライブを除いて)『KRUBERABLINKA』の「太陽」のような鋭利で奇抜なギターリフが素晴らしい。

少し前にマーブロでメロディに対する持論を吐いたが、もっというとギター・リフというのはロックにおいて、ましてやハード・ロックにおいては第一印象もいいところで、ギター・リフさえカッコよければ1曲カッコよく仕上がっちゃうといっても過言ではないでしょ。みんなディープ・パープルもUFOも好きでしょ?それがここにある。

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ロックはギターと野太いボーカルでしょ。いつそれ聴くの?今でしょ?

『Kaizu』があるんだから!とにかくこのアルバムにはそうしたロックの魅力が満載しているのだ。一聴して自分たちが目指すべき音楽を心から愛し、丁寧に自分たちの音楽を作っていることがわかる。気持ちいいですよ、こういう作品は。

で、加えて歌詞がまた実にスリリングなのだ。

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あのね、ちょっと前にある音楽評論家がボブ・ディランの歌詞のことを書いていたんですよ。その方は、しばらく海外にいて少々歌詞の英語がストレートに頭に入ってくるようになったんだって。

そして、ボブ・ディランを聴いて驚いたというのだ。「連中(英語圏の人たち)はこれを聴いてストレートに歌詞を理解していたのか!」とショックを受けた。

コレ、めちゃくちゃわかるんですよ。いつも書いているようにビートルズの魅力のひとつはメロディと同時に味わう歌詞にあると思うし、エルトン・ジョンもしかり。おそらくキング・クリムゾンやピンク・フロイドの音楽を歌詞カードや辞書なしに耳と頭で味わえたら、その世界はケタ違いに奥が深くなると思うよね。ザッパなんかなおさらだ。

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こういうのはいくら後で歌詞を調べて意味を取っても魅力が半減してしまう。メロディと同時に歌詞の意味が理解できてそれを口ずさめないと味わったことにならないんですよ。

じゃ、お前はどうなんだ?って?ダメダメ、ようやくビートルズがようやくストレートにキャッチできるようになってきた程度。でもね、私はそうしてビートルズを人生で2回楽しんでいるんですよ。

それにクルベラブリンカがあるからね。「いったいこの歌詞はどういう展開になるのか?」…ハード・ロックでこんなことを期待させるバンドはまずないでしょう。
これはレトリックの問題もさることながら、あの言葉がCazさんの声で、そしてあの歌い回しで並べられるから耳に入ってくるんだろうけど。

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昔からハード・ロックは、演奏のカッコよさと歌詞のバカバカしさのギャップがいつも問題になっていたと思うんね。英語で歌っちゃ意味ないし、卑怯な感じがするし(箱根駅伝にエチオピア人を出すみたいナ…)、歌詞を重視すれば歌謡曲になっちゃうし…いつもこのジレンマにミュージシャンたちは悩まされ続けてきたのではなかろうか?そうした問題を忘れさせてくれる曲と歌詞のバランスがクルベラブリンカの曲にある。

だいたい1曲目の「宇宙は滾れ」って、「は」はスゴイ。ここ普通の感覚では「は」は持ってこない。「は」に「れ」ですからね。これ英語だと「Universe must boil」かな?ホラ、つまらなくなっちゃった!イヤ、英語にはならないでしょうな。こういう感覚がおもしろい。

ふざけているように思われるかもしれないが、今は忙しくてそう時間はかけられないが、文章を書いていて助詞ひとつに悩むことって結構ある。「が」にするか「は」にするか…みたいな。でもそんな悩みは読者には一切通じないのが普通だ。しかし、こうして歌の一部に組み込まれたが最後、たった一文字が曲の雰囲気を変えてしまわないとも限らない。だから音楽はおもしろい。

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どの曲も出来がよく、1曲ずつ紹介しているとキリがないので、その作業は割愛するがひとつだけ…。

最後の「野ばら達へ」 。バラード。これおもしろい。ちょっとコード進行をコピーしてみたんだけど、なんというか、どうもシックリこない。「アレ?こっち行っちゃうの?」みたいな…。久しぶりにこんな作業したからかな?

コード譜を全部載せたいところだけど、怒られちゃうかもしれないからダイジェストで…。

曲中に出てくるイントロのBm/Db7|D/D#dimのこのディミニッシュがタマらん。いつかCazさんがメタルはディミニッシュよ!みたいなことをおっしゃっていたが、それとは意味が違う「パッシング・ディミニッシュ」という手法。ただ滑らかに次のコードに進むために使うだけなんだけど、こうした曲にでてくるとギクっとする。

この曲のメインのキーはBmなんだけど、部分的にサブドミナントがダイアトニック・コードのEmではなくEになるもんだから曲がメジャーに聴こえてしまったりする。

また、これは特殊でもなんでもないんだけど、ドミナントのGb7を強調することでドラマチック度をアップさせている。

そしてさらにギターソロで転調。これがまた実に自然に聴こえる。よくできていますな~。カッコいいわ~。

クレジット見てみると作詞も作曲もCazさん。訊いてみると、ピアノで作った曲だとか…。やっぱ違うんだよね、ギタリストが作る曲と…。

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CDに使われている写真は昨年10月に東京キネマ倶楽部で私が撮影したもの。かくも素敵にレイアウトしてくだすったことにこの場をお借りして心から感謝申し上げます。

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…とそんな順風満帆のクルベラブリンカなのだが、悲しい知らせが届いた。音楽性の相違を理由にキーボードの岡田英之が脱退した。

ジャケットのスリーブの表4に使われている写真を撮る時、岡田さんにモデルになってもらいずいぶん手伝ってもらった。

誠に残念なことだが、双方のますますの活躍を祈念すりばかりである。

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そして、クルベラブリンカは新しいキーボード・プレイヤー、片岡祥典を迎えて活動している。

その布陣で3月20日、クルベラブリンカが目黒の鹿鳴館に登場する。普段は関西を中心に活動しているバンドなので東京圏のメタル、ハードロック・ファンの皆さんはお見逃しなきよう!

クルベラブリンカの詳しい情報はコチラ⇒KRUBERABLINKA facebook

こういう良質なCDがリリースされる限り、日本人の良識をもってすればこの国からCDが消え失せるということはないであろう…と信じたい。
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嗚呼HMV

2013年1月16日 初出

年が明けて最初のシゲ・ブログ。終わったかと思ってたら大間違い!マーシャル・ブログのサポート・ブログとして続けていきますのでよろしくお願いします。

で、年が明けて最初の話題が湿っぽくて申しワケありません。今、ちょうどニュースでやってたもんだから矢も楯もタマらずポストしてしまった。

英HMVが経営破綻。

理由は配信によるフィジカル・プロダクツの販売不振だという。この問題の根っこは配信ではないとマーブロにも書いてきたが、実にイヤな気分だ。

HMVについてはマーブロの『イギリス-ロック名所めぐり』でやろうと思っておたのでここでは詳しくは触れない。ちょっとだけ…。

ここはロンドンの繁華街のひとつ、オックスフォード・ストリート。左のFoot Lockerという靴屋はかつてHMVの第1号店だった。左下のブルー・プラークがそれを表している。詳しくは後日マーブロで。

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名盤『Relaxin' at IWAKI ALIOS』の宣伝ポスターを持つ広規の後ろに見えるのが現在のオックスフォード・ストリートのHMV。これもなくなってしまうのか…。

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それにしても本当にこのままCDというものがなくなってしまうのだろうか…。みんなでよ~く考えた方がいいと思うけど…。

 

 

北のエレキガール、Tomokoカレンダー撮影

2012年12月19日 初出

Tomokoという北海道出身のベンチャーズ弾きがいる。北のエレキガールTomoko。キャリアも長く、ノーキー・エドワーズとの共演も果たした実力派ギタリストだ。

で、あるツテで2013年のカレンダーの撮影をご依頼いただいた。

とても楽しい撮影だった。

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私が担当させて頂いたのは2か月分と表4。

Tomokoさんにはもうキチッとしたイメージがあって、それに近づけていくというような進行だったので実に撮影もスムースに進んだ。

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ステージ・ライトと格闘しながら刹那刹那を切り取るライブ写真の撮影も最高にエキサイティングだけど、こうしてひとつの目標に向かってジワジワと作り上げていく作業も実に面白いものだ。

どんなことでも何かを作り上げていくということは実にやりがいのあることだ。
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Tomokoの詳しい情報はコチラ⇒tomoko 北のエレキガール

桑名正博さんのこと

2012年10月27日初出

ある年の大みそかの晩、突然携帯電話がなった。原田喧太からだった。

「道がわからないんでちょっと案内してくれない?」

ふたつ返事で指定された浅草のすし屋通りの日本そば屋へ赴いた。2階の座敷には喧ちゃんはもちろんのこと、桑名さん、後藤次利さんたちがそばをたぐっていた。これが桑名さんとのはじめての出会いだった。彼らは浅草ロック座で開かれた「ニュー・イヤー・ロック・フェスティバル」に出演するところだったのだ。

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はじめてお会いする桑名さんは、そのままテレビから出てきたような感じで、「よろしく!」ととても気さくに接してくれた。

それからというもの、喧ちゃんと共演するライブにマーシャル・ブログの取材でよくお邪魔させていただいた。

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私は残念ながらファニー・カンパニーには間に合わなかった世代だが、元来桑名さんの声が好きで、ライブに行けば行くほど、男が聴いてもウットリするようなその美しい歌にハマった。

曲がいいのは当然だが、桑名さんは声だけで聴く者ををトコトン酔わすことができる究極のシンガーだった。

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基本的にマーシャルの人ではなかったが、愛用のB.C. Richで奏でる音数の少ないギターも素晴らしかった。ストン、ストンと選び抜かれた音で構成された味のあるフレーズをアーシーなリズムの中に散りばめて歌い上げていくスタイルが実にいい感じなのだ。

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喧ちゃんの結婚式で披露してくれた1曲も感動的だった。原田家の餅つき大会でもよくご一緒させていただいた。

桑名さんは自分が掲載されているマーシャル・ブログの記事を読んでおいでで、ある時取材でコンサーtお会場に行き、楽屋に挨拶にお邪魔すると私に向かってこう言ってくれた。

「ジブン…エエ写真撮るナァ~。使わせてもろてもええか?」

「桑名正博」が私にそう言ってくれたのである。超一流の著名なカメラマンに撮られ慣れている「桑名正博」がですゾ!うれしかった。コレは本当にうれしかった!

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2011年7月22日、喧ちゃんのお父様、原田芳雄さんの告別式に参列させていただ日、晩にも桑名さんにお会いした。その晩は森さん(森園勝敏)や大二さん(岡井大二)のライブがあって私は告別式の後、原宿のクロコダイルに取材にお邪魔していた。楽屋で森さんとおしゃべりをしていると、桑名さんが楽屋に入って見えて森さんに悲痛の声をもらした。

「告別式の後、ジョー(ジョー山中氏)のところへ行ったんや。芳雄さんやろ(正確には桑名さんが原田さんのことをどう呼んでいらしたかは記憶していない)、ジョーやろ…もうホンマ、こんなんタマランよ!」

それからちょうど1年後、桑名さんが病床に伏してしまった。この不幸なニュースを聴いた時、まっ先に桑名さんがクロコダイルの楽屋で話していらしたことを思い出して軽いめまいを覚えた。でも、必ず桑名さんは復活されると思っていた。

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私は桑名さんの音楽には「ブルース」を感じた。それは関西の人だけが持っている一種独特の感覚で、東京の人には絶対に出せないオーラのようなものが漂っていた。それは「●●ブルース」というタイトルが付いているとかいないとか、曲が3コードでできているとかいないとか、そんな形式的なものではなく、魂が「ブルース」という意味だ。しかも、桑名さんはこの「ブルース」という言葉を平気で「ロック」という言葉に置き換えてしまうことができるアーティストだった。または、ロックがブルースでできているということを証明する音楽の神の使者だったのかもしれない。つまり本物のロック・アーティストだったのである。

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そして桑名さんを失ってしまった今、我々や日本のロック界はとてつもなく大きな音楽的財産を失ってしまったことを悲しみ、そして深刻にとらえてしかるべきであろう。

もうあの歌声をナマで聴くことができないなんて不幸以外の何物でもない。もっともっと聴いておくべきだった。

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桑名さん、素晴らしい音楽を本当にありがとうございました。安らかにお眠りください。

桑名さんと少しでもお近づきになれたことを誇りに思います。

そして、そんなスゴイ機会を作ってくれた原田喧太さんに心から御礼申し上げ、桑名さん一家の一員としてますますのご活躍をお祈り申し上げます。
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(一部敬称略)