香川京子と『ひめゆりの塔』と沖縄
昔の女優さんは本当に美しい人が多かった。
時代が変わって、言葉も変わり、食べ物の嗜好も変化し、気候すら以前とは異なる環境で育った昨今の若い女優さんと比べてたところで意味のないことかもしれないが、昔の女優は何というか…ただ美しく可愛いだけではなく、品があって高い知性を感じさせてくれる。
そうした雰囲気が女優を「女優然」とさせ、女優を一般市民とは何もかもが異なる「雲の上の人」たらしめていたのだろう。
今みたいにそこらへんで見かけることができるカワイコちゃんなど及びもつかなかったのだ。
もっとも、「映画」というエンターテインメント自体の存在意義が今とは全く違った時代なので比べようもないのだが…。
そんな女優さんたちのなかにあって、私はとりわけ香川京子が好き。
可愛くて、おしとやかで、品があって…。
いわゆる「女の子らしい女の子」とでも言おうか。
香川さんは茨城の行方市のご出身で、デビューする前は「こんな田舎にこんな可愛い娘がいるとは!」と驚かれたらしい。
とか言っても、私は音楽と同じく映画も洋物専門で、熱心に観た日本映画といえば黒澤作品ぐらいなので、日本の女優さんについて多くを語る資格はない。
でも最近、歳を取って昔の日本映画をよく観るようになりましてね。
小津安二郎なんて昔は観ているとイライラして来ちゃってとてもガマンできなかったが、最近はと言うと…いいよね~。
実にいいよ。
古い映画って昔の東京の景色が写っていたりするでしょ?
私にはそれがまたタマらなくうれしいのだ。
さて、香川さん。
初めて意識したのは大学の時に観た『赤ひげ』かな?
店子を3人も殺したという大店のお嬢さんの役。
いわゆる「狂女」。
「あたし…とてもコワイ目に遭ったの…」
愛らしい町娘姿も魅力的だが、声がまたカワイイんだよね。
この加山雄三に接近するシーン!…ココモノすごい長回しで撮っていて、緊張感が生半可じゃない。
それが一変して本性を現した時のこの恐ろしい顔!
もちろんここはカット割りを入れ、メークし直して撮っているんだけど、その迫真の演技がとても印象に残った。
ちなみに山本周五郎の原作はほとんど映画と同じ。
反対か…『赤ひげ診療譚』を読むと黒澤さんが本当に忠実に原作を映画化していることに驚かされる。
私、コレも20回ぐらい観ていて、正確ではないにしろ、だいたい出て来るセリフが頭に入ってるから。
ところが、映画を観た山本さんは「なんだよ、オレの本より映画の方がいいじゃねーか」と言ったとか。
『天国と地獄』の香川さんもヨカッタ。
観たのは『赤ひげ(1965年)』よりもこっちの方が先だったかな?
香川さんも『天国と地獄(1963年)』の方に先に出演されている。
すると、会社役員の奥様を演じた時は32歳…コレはわかる。
上の『赤ひげ』の町娘の時は34歳だったのか!
それであのカワイさ!信じられんな。
誘拐事件に巻き込まれる権藤夫人の役。
「身代金を支払って裸一貫やり直せばいい」と言う奥さん。
「貧乏の経験がないお前が貧乏暮らしに耐えられるワケがない!」と主人に切り返される。
そう、いかにも上流家庭に育った奥様感がでてるんだな。
香川さん、とっても上品だから。
仲代さんが最高にカッコいいんだよね。「戸倉警部」ね。
三船敏郎、三橋達也、伊藤雄之助、藤田進、加藤武、木村功、千秋実、志村喬…この映画に出ていた男優陣は仲代さん以外全員鬼籍に入られたのかな?
イヤ、山崎勉とマグマ大使がご存命だ。
仲代さんは香川さんと同じ歳で今年89歳になるそうだ。
コレも軽く20回は観ているのでほとんどのセリフを覚えている。
『どん底』も何回も観たナァ。
特にオモシロイわけじゃないんだけど…超豪華なキャストなのでその演技を楽しむといったところかしらん?
1957年、香川さんが26歳の時の初の黒澤作品。
も~、どうしようもなく汚い長屋が舞台にあって、可憐な一輪の花のような「かよ」という若い娘を演じる。
山田五十鈴とか中村鴈治郎の存在感がスゴクてね。
山田さんが香川さんをイジめるんだよ~。
黒澤作品においては山田さんも『蜘蛛巣城』ではレディ・マクベス、『用心棒』では河津清三郎演じる女郎屋の楼主・清兵衛のおカミさんでスゴイ演技をしているからね。
この『どん底』もヨカッタ。
対する香川さんもクライマックスで爆発的な演技を見せてくれる。
なつかしいでしょ、左卜全。
卜全さんはオペラ歌手でもあるんだよね。
『七人の侍』をはじめ『醜聞』、『白痴』、『生きる』、『生き物の記録』、『赤ひげ』、そしてこの『どん底』と、7本もの黒澤作品に登場する。
私が子供の頃は「老人と子供のポルカ」が大ヒットしてしょっちゅうテレビに出てたけどな。
この『どん底』ではすごくいい役を演じている。
スゴイ個性だよね。
間違いなく「替えがきかない役者」の代表のひとりでしょう。
この撮影の時、左さんは63歳。
ナンダよ、今の私とそう変わらないじゃん。
そして、『悪い奴ほどよく眠る』。
私はコレ、1回しか観たことがなくてあんまりピンと来ないんだよな。ただ、ファースト・シーンで香川さんがお嫁さんの姿がすごく印象に残っている。
足が不自由なんだね。
確かそれをクローズ・アップするんじゃなかったかしらん?
この後、香川さんはズッと経って『まぁだだよ』に出演された。
確か香川さんは最も多くの黒澤作品に出演した女優さんなんじゃなかったかな?
一度も黒澤さんに怒られたことがなかったんだって。
キャワイイからだよ。
それと『東京物語』。
チョットしか出てこないけど存在感はシッカリ出してる。
疲れてブッ倒れちゃった東山千栄子扮するお母さんに娘の香川さんが団扇をあおいであげるシーンなんかとても板についていた。
老夫婦が熱海へ行くシーンがあるでしょう?
隣の部屋の団体さんがドンチャン騒ぎをして、麻雀を初めてしまい老夫婦はうるさくて眠れない。
アレを見ると本当にゾっとしちゃうんだけど、私なんかどちらかと言うとあの団体さんの世代なんだよね。
昔の社員旅行ってまさにあんな感じだった。
私はアレがイヤで、イヤで…。香川さんは大女優、原節子と共演できたのがすごくうれしかったのだそうだ。
ああ、原さんもいいナァ。
息子未亡人の役でね。すごく優しくて…それを原さんが演じるもんだからタマらない。
「ううん、私、お父さんのそばにズッといたいの」
「あ~、それはイカンな」
コレは何だったっけ『晩春』か?
小津作品はレギュラーの役者さんたちの配役があまりにもダイナミックでオモシロイ。
同じ人が平気で親になったり、兄弟になったり…。
東野英治郎が笠智衆の恩師なんて配役もあったでしょ?
で、杉村春子が東野さんの娘だったりして。
さすがにムリがあるでしょうにッ?
コレは『秋刀魚の味』か?
嫁に行かない娘に対する親の心配な気持ち、親が心配でお嫁に行けない娘の気持ち…こんな今の若い人にわかるワケないわな。
昔は若くてもこういう映画を観ていたワケよ。
社会がそうなっていたからね。
古い?…いいえ、今の世の中が間違いなく狂っているだけです。
つい先日「戦争の記憶と記録を語り継ぐ映画祭」というイベントがあることをパンタさんのフェイスブックへの投稿で知って予約を入れた。
会場は新橋の「内幸町ホール」。
ソーシャル・ディスタンス・スタイルでの開催。
席数が半分であったことと、出遅れて予約したこともあって取れた席は前から2列目の一番端っこだった。催しは1953年の今井正監督作品、『ひめゆりの塔』。
イベントのタイトル通り、戦争のことを少しでも学びたかったのと、ここのところ沖縄の戦争関連の本を読んでいたこと、さらに主演の香川さんのトーク・ショーがあるということで行かない手はなかったのであります。会場の廊下のイス。
フィルム・リールがいくつも置いてあった。「黒い所で見づらいが見える」とか「見えない」と書いた付箋が貼ってある。
こんなんでいいのッ?
日本はこうしたフィルムの管理体制が絶望的に整っていないからね。
実際、このフィルムも盛大にノイズが画面に乗っていた。
膨大な経費をかけてフィルムを保存しているアメリカの映画なんか1930年代の映画でもノイズひとつ入ってないもんね。ココで映写機用のリールに巻替えをしていたワケ。
映画会社から借りたフィルム・リールを映写用のリールに引っ越しするワケ。場内に設置された2台の映写機。 カラカラカラカラカラと映写機が回る音の中で映画を観たのは小学生の時以来か?
近所の公園での映画上映会ね。
しかし、実にうまく映写機のリレーをするもんだナァ。
こんなこと今まで考えたことなかったけど、どういう仕組みになっているんだろう。
調べてみると、リールが終わる3分前と10秒前に画面に印が出て来るのだそうだ。
映写技師はそれを確認すると、少しの間同じ個所を2台映写機で同時に写し、次の映写機にリレーするんだって。
終戦直前、アメリカ軍の侵攻により南へ南へと追い詰められていく軍とそれに看護婦として追従した「ひめゆり学徒隊」の姿を描いた作品。
作品はDVDになっているので、詳しいことを知りたければ実際に映画を観てチョーダイ。
終戦から8年後、アメリカ軍の占領が終わってすぐに制作されたがあまりに暗い内容であったため、東映の首脳部は制作に難色を示した。
ところが、公開してみると映画は大ヒットを記録し、倒産の危機にあった東映を救ったという。
1953年度「キネマ旬報ベスト・テン」第7位。
第1位になった『にごりえ』も今井正の監督作品。『東京物語』は第2位。
黒澤年表的には『生きる』と『七人の侍』の間に位置する。
だからこの映画の主演の津島恵子は小津さんの『お茶漬けの味』、今井正の『ひめゆりの塔』、黒澤明の『七人の侍』という順番でキャリアを重ねたことになる。
その間にも他に4本の作品に出演しているからね~、昔の映画の盛況ぶりが窺えるというものだ。
この映画、タイトルの最後に火薬屋のクレジットが入っているんだけど、ホント、火薬の使用量がハンパじゃないのよ。
大泉の東映撮影所内のオープン・セットでその盛大な爆破/爆撃シーンを撮ったそうだ。
私も一度だけその撮影所に行ったことがあるんだけど、あんなところでドッカンドッカンやっていたなんて信じられない。
もっとも当時の大泉なんて田舎も田舎で何にもなかったんでしょうけど。
何しろ小田急線沿線の成城が「江戸時代の舞台設定の撮影がセットなしで撮れるところ」だったんだから。
この火薬量、いかにアメリカ軍の爆撃がスゴかったかということなんだけど、実際は全くこんなモノではなかったということだ。
ちなみにアメリカ軍の姿は、ほんのチョット軍艦が映るだけでガマ(自然の洞穴)に隠れた軍人や住民に投降を呼びかける声以外は全く出てこない。
物語の設定は夏なんだけど、実際に撮影した時期は冬でとても寒かったそうだ。
そのままセリフを言うと白い息が写ってしまうので、氷を口に含んで口内の温度を下げてからセリフを言った。
しかも、水浴びのシーンまで出て来る。
コレも当然寒いさ中のロケで、場所は千葉の佐原だったそうだ。
佐原といえば、伊能忠敬の生地ね。
空襲がなかったので、今でも古い町並みが残っているステキな町だ。
出演しているのは俳優座の役者さんたちばかりで、映画出身の俳優は香川さんと津島さんと関千恵子の3人。
風邪をひかなかったのはこと3人だけだったという。
「映画出身者は鍛えられているわね~!」と談笑したそうだ。香川さんは、1953年の「五社協定」の前にフリーとなっていたので、映画会社にとらわれず色々な作品に出演する権利を持っていた。
「五社協定」というのは、松竹、東宝、大映、新東宝、東映の間で結ばれた「俳優は自分が契約した映画会社の作品にしか出演できない」という協定。
また、この協定により映画会社間で監督や俳優の引き抜きや貸し出しができなくなった。
そんな権利を持っていたので香川さんは映画会社の枠を飛び越えて数々の大監督に作品に出演することができた。
撮影時、今井監督は演技について全くナニも言わなかった。
そんなだから香川さんはラスト・シーンを演じるに当たって家でずいぶん練習したそうだ(どんなシーンかはネタばれになるのでココには書かない)。
逃げ回ってばかりいる設定なのでとても撮影中はいつも緊張していたという香川さん。
その通り重厚な作りで、見ている方も緊張を強いられるが、男性陣は怒鳴っているシーンが多く、半分ぐらいのセリフが正確に聞き取れなかった。
できれば字幕を入れて欲しかったナァ。以上がトーク・ショウ香川さんが語られた内容。
聞き手は共同通信の方。
2014年の同じ方とのインタビューで香川さんは「戦争がまた近づいているようでイヤだ」とおっしゃっていたそうだ。
今年89歳になられる香川さんは終戦時13歳。
それでも茨城で勤労奉仕をさせられたそうだ。
松の木の根っこを掘り出すのが任務。
燃料が枯渇していた日本は、松の木の根から採れる油を燃料代わりにしていたそうだ。
そんなんでアメリカに勝てるワケねーだろ!
下の写真は他の講演会の時のモノ。
今回もこんなお姿だった。
お母さんが大柄だったという香川さんは、映画の中で見るよりも背が高くシャキっとしていて若々しく、とても来年「卒寿」になる方のようには見えない。
おだやかで品のある話し方や声は権藤夫人そのものだった。
コレはその共同通信の方がトーク・ショウで紹介した香川さんの著書。
今は入手がなかなかムズカシイらしい。
でも、私は持ってるのよ。
だから持って行った。終演後、このイベントの主催者にお願いして香川さんにサインをして頂いた。
私のあたらしい宝物。
戦争の記憶と記録を語り継ぐ映画祭の詳しい情報はコチラ⇒昭和文化アーカイブス
さて、終戦記念日にちなんで少し沖縄のことを書いておく。
まずはひとこと…我々は沖縄県のことをナニも知らない。
特に先の大戦で沖縄の人たちが日本政府から見捨てられ、どんなにヒドイ目に遭い、今でも基地問題で苦しんでいて、政府がズッとほったらかしにしていることを知るべきだ。
時々Marshall Blogで紹介している岩波の「ジュニア新書」。
内容は全然ジュニア向けではないから大人が読んでも大丈夫。
小難しい文章が苦手な私なんかこれぐらいがちょうどいい。
この『戦争と沖縄』は沖縄の苦難の歴史をとてもわかりやすく説明している。
沖縄は元々は違う国だったからね。
薩摩藩なんかも実にヒドイことをしているんよ。
同じく岩波ジュニア新書から。
コレはドンズバでひめゆり学徒隊の方の体験記。
現実は映画の何十倍も何百倍も悲惨だったことがわかる。
映画には一切出てこなかったけど血と膿みと悪臭と蛆虫のオンパレードよ。
こういう本こそ、学校で生徒の読ませりゃいいんだよ。
自分と同世代の子供たちがどんな目に遭ったかを知れば少しは政治にも興味を持つようになるんじゃないの?
ま、政府は戦争と英語を教えたがらないからナァ。
コレは最近読んだ吉村先生の戦記物の短編集で、沖縄を舞台にした作品が3編収録されている。
ひとつは「太陽を見たい」という1編。
映画『ひめゆりの塔』の中である女子学生が「太陽だ!お日様が出て来た!」と叫ぶと、泊めてもらった民家からみんなが喜んで表に飛び出してくるシーンがある。
で、キャベツの玉でバレーボールをやるのね…破滅前のほんの一瞬の楽しい時間よ。
そのシーンの直前までは豪雨の中を行軍する場面が続いていたので、雨がようやく止んだことで女学生たちは喜んでいるのかと思っていた。
この小説を読んで私の解釈が間違っていたことを知った。
「敵前逃亡」というのは潜伏している同胞に降伏するよう説得する任務を米軍から負わされた捕虜の少年兵の話。
少年は解放されて友軍の元に戻りまた共に戦うことを決心するが…。
ヒドイ話よ。
もうひとつは宇垣纏(まとめ)という8月15日の玉音放送の後に沖縄沖のアメリカ軍艦に特攻した海軍中将の話。
もうひとつ吉村先生の沖縄戦もの。
14~16歳の少年兵で部隊を構成した「鉄血勤皇隊」の少年の話。
生まれた時からお国のために殉ずることしか教わって来なかった15歳の比嘉少年が入隊して戦地で見たものは…。
悲惨すぎる。とにかく沖縄は気の毒だ。
アメリカだけでなく、日本政府が何を沖縄にしたのかを知っておくべき。
しかし…こんなんでこの先この国は一体どうなって行くんだろうね。