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2013年9月 5日 (木)

我が青春のウッドストック <前編>

音楽に興味を持ち始めてからずいぶん時間が経った。

「Music Jacket Gallery」の植村さんには遠く及ばないが、売っちゃ買い、売っちゃ買いしたLPやらCDの数は「万」を下ることはない。
その間にずいぶん色々と好きなものキライなものに出くわした。双方枚挙にいとまがない。

そんな中で、とりわけ好きなものと言ったら「ウッドストック」…映画の『ウッドストック』のことだ。

一体何回観たことだろう。カウントしておけばよかった…。
映画館で観た回数に関しては、そう簡単に人後に落ちないつもりだ。「ぴあ」や「シティロード」をチェックしては東京中の名画座を駆けずり回った。DVDはおろか、ビデオすらなかった時代だから映画館に足を運ぶより他、観る方法がなかったのだ。

初めての『ウッドストック』は退屈だった…。ひたすら寝た。
その時は「バングラデシュ」とのダブル・フィーチュアだった。中学校2年生だったかな?
ビートルズこそロックだと思っていた頃だったので当然「バングラデシュ」を目当てに映画館に出かけた。
ところが、こちらの方も存外に退屈で、その証拠にこの時以来、一度も観ていない。ま、今観たらそうでもないんだろうけど…当時はまだ青かったから…。

子供ながら記憶に残っているのは、Ravi Shankarが「演奏中にはドラッグを控えて欲しい」と演奏前にアナウンスしたことと、George HarrisonがLeon Russellを紹介した時に、座ったままのLeonに向かって「立てよ、レオン」と注意したとこぐらいかな。演奏はほとんど記憶に残っていない。

「ロック映画」などというジャンルがあるのかわからないが、当時はこの手の作品がたくさんあって、ソウル系の『Wattstax』や『Fillmore: The Last Days』なんかがよく『Woodstock』と併映されていたように記憶している。

しつこいようだが、何しろまだビデオもない時代で、テレビで海外アーティストの映像が見られることが激レアな時代だったから、このようなフィルムが非常に重宝がられていたことは方々で語られている通り。
もっとも当時を振り返ってみると、「ロック」と「歌謡曲」というか軽音楽のジャンルが明確に分けられていて、いわゆる「日本のロック・バンド」をテレビで見ることの方が海外ロック・アーティストを見ることよりはるかにレアだったかも知れない。
それに矢沢永吉や井上陽水、荒井由美といったいわゆるニューミュージック系の大御所はテレビに出ることをかたくなに拒んでいた。今とは隔世の感ありだ。いまだにテレビに出ないのは達郎さんぐらいでしょ?

有名な「モンタレー・ポップ・フェスティバル」なんかも最初に見たのは九段会館だった。コンサート形式でありがたく拝見させてもらった。これはその時のプログラム。
Ws_img_1041 そういえばビデオが一般化した後年、大晦日かなんかにテレビで『ウッドストック』を放映していたことがあった。ビデオに録画しようにもあの頃は生テープがまだ殺人的に高かったっけ。

この「ウッドストック」が1969年に開催されたということは、ロックの試験があれば頻出問題になることは間違いないくらいの常識となっているけれども、考えてみると初めてこの映画を観たのは実際に開催されてからまだ10年も経ってない頃だったんだよね。
それがもう開催から40年以上も経った。自分も歳を取るワケだ。

<映画『ウッドストック』のプログラム>

Ws_img_1010<同:裏表紙。あるいはこっちが表紙かな?>

Ws_img_1011 <同:内容は出演しているミュージシャンの紹介がほとんど。オリジナルのイラストが間に挿入されておりなかなか凝った作りになっている。残念ながらオリジナルではない。何回か観に入っているうちにどこかの映画館で見つけて購入した。いつも取り扱われていたワケではないように記憶している>

Ws_img_1012 閑話休題。いよいよ思い出してみるに、あの頃はフィルム・コンサートというのが各地で頻繁に催されていて、ローリング・ストーンズのドキュメンタリー映画『Charlie is my Darling』を有楽町のよみうりホールに観に行ったことをハッキリと覚えている。この時が本邦初公開だった。1978年ぐらい?
どうしてこのことをハッキリと覚えているかというと、その当日、まれに見る大型台風が東京を直撃し、学校が半ドンになったのだ。当然家に帰って、家でジッとしていなければならないのだが、すでに少ない小遣いをはたいてでチケットを買っている。当然家にいるワケにはいかない。そこでロック好きの友人達とやや後ろめたい気持ちもありつつ出かけてしまったのだ。
司会は渋谷陽一だった。我々の仲間はみんなFM NHKの彼の番組を楽しみにしていたのでそれだけで大興奮だった。
その時、渋谷さんがストーンズの映画に先だって「今、一番ホットな新人バンドを紹介します」と上映したフィルム(今でいうPV)が日本デビュー前のCheap Trickだった。ものすごくカッコよかった。数年後、ライブ・レコーディングされた有名な武道館公演にも当然行った。

話しは戻って…今、英Marshallのスタッフとして働いているが、この頃からMarshallに縁があったのかナァ…と感慨にふけることもある。
「ウッドストックのマーシャル」といえば何といってもJimi Hendrix。あの朝日に浮かぶ1959のフルスタックの壁は荘厳ですらある。
そういえば、最初、「Purple Haze」の邦題が「紫のかすみ」となっていて、お兄さんたちが笑っていた。私には彼らが笑っているまだ理由がわからなかった。

<映画『ウッドストック』のプログラムより>

Ws_img_1017_2 Marshall社としても。あの場面に自社の製品が登場していることを誇りに思っているのだ。
それにしても残念なのはあの観客の数。押しに押しまくった進行がJimiの出番を一日遅らせてしまったのだからスケールがデカイ。
40~50万人いた観客がたったの3万。ま、これだけでも大変な数ではあるが…。
出演者中で一番高いギャラを取ったというのに!そして、仕事だからといってもジミを見ずに帰ってしまった人たち…いまだに臍を噛んでいるのではなかろうか?一時は出演がキャンセルとなったという噂があったようだし、あのジミの演奏は本調子ではないとよく言われているが、そんなこたぁ関係ない。
だって「え、ジミヘン?あ、オレ、ウッドストックで観たよ」…なんて言ってみたいものだ。

ホント、実際のジミのMarshallの音を聞いてみたかったナァ。熱心なヘンドリックス・フリークぶりで知られるウリ・ジョン・ロート曰く、「とにかくクリーンで美しかった」というジミのマーシャルの音。
Marshallのクリーンにはファンが多い。ウリは若かりし頃、2度ほどドイツでジミを見たと言っていた。

<映画『ウッドストック』のプログラムより>

Ws_img_1016_2 ちなみに今はディレクターズ・カットになって、ジミの出番は彼がアナウンスに合わせてマーシャルの影から出てくるところから「Voodoo Chile」が始まりが、劇場版はこの前のジミとは関係のないシーンにギターの音が重なって「来た、来た、来た!」という演出になっていた。
何しろここあたりのシーンまで延々3時間くらい待ち続けるのだからジミの出番は喜びもひとしおだ。
そして「アメリカ合衆国国歌」…タマらん!なぜかこのジミのところだけコマ落としになっていて、ジミの動きがザクザクになっている。これもまたカッコよかった。
「Purple Haze」の後、あの美しくももの哀しい「Villanova Junction」にそのまま突入し、映像はフェス終了後のあたり一面ゴミ野原と化した会場のようすに変わる。
ここはこれでジミが写ってなくてもまたよし。不思議なことに「ジミを映せ!」という感情にはならない。少なくとも私はこれが美しいと思っている。
ただ、あのシーンでいつも思っていたのは、靴をなくした若者が捨て置いてあるスニーカーを拾いサイズを確認するところ。アレ履いたら中が濡れてて気持ち悪いだろうに…と今でも思ってしまう。それとあのスイカ。あれは食べれな。あのふたり、よっぽど空腹だったんだろう。

<40周年を記念してリリースされたDVD。Greatful Dead他、未発表映像が満載されたが私にとっては「記録」であり、「映画」ではない。
尚、Marshall Blogの「ミュージック・ジャケット・ギャラリー」でおなじみの植村和紀氏はこの40周年記念の6枚組CDの制作に関わっている>

Ws_img_1002 あの場に日本人はいたのだろうか?
有名な話しでは故成毛滋さんがいらっしゃったそうで、開催された当時の「ニュー・ミュージック・マガジン(当時)」を紐解くとそのレポートが掲載されている。かなり面白いので興味のある人にはオススメだ。(『ミュージック・マガジン増刊 スペシャルエディション パート1』に掲載)
どこかの記事で読んだが、夜、暗くなってからひとたびトイレに行くと、明るくなるまで自分の席に帰ることは不可能だったとか…。

何しろ「ものすごい人」だったとかで、ウッドストックに在住していた私の知人のフォーク・ミュージシャン(ボブ・ディランの先輩格にあたるかなり有名な人)にその様子を尋ねたことがあった。その人は実際にサブ・ステージへの出演を依頼されていた。
何しろウッドストックに住んでいるワケだから、出番に間に合うように「んじゃ、チト行ってくるわ」ってな調子で家を出たらしい。
ところが、道が混んでいて到着が大幅に遅れ、また、人がいっぱいでとうとうステージにたどり着けなかったそうだ。
それからどうしたかって?そのまま家に帰って来ちゃったんだって!!ちなみにこの人もあのフェスティバルがこんなに歴史に輝くものになることが予めわかっていたら是が非でもステージに立つべきだった!と残念かっていた。そりゃそううだ。

 話しを元に戻すと、先日亡くなったアルヴィン・リーもマーシャルを使っている。何しろあの時は ピンスポが当たっている場所以外は真っ暗なステージなので演奏中にハッキリと確認できるワケではないが、最後にスイカを担いでステージを降りようとしているときにフルスタック、UNIT3(1959の3段積み)の姿が確認できる。
それにしても初めてテン・イヤーズ・アフターを見たときはブッたまげたゼ~。いい気持ちで寝ていたのがいっぺんに飛び起きてしまったんだから!

<映画『ウッドストック』のプログラムより>

Ws_img_1013 マーシャル・プレイヤーということでもうひとつ言えば、ジェフ・ベック・グループが出ていればもっとよかったのにナァ。

<映画に収録されていない画像を収録した『ウッドストック・ダイアリー』のレーザー・ディスク。3日分がリリースされたが高くて全部は買えず。観たかったThe WhoとJanisとSlyが収録されているこの日の分のみを買った>

Ws_img_1029 <後編につづく>