我が青春のウッドストック <前編>
音楽に興味を持ち始めてからずいぶん時間が経った。
『Music Jacket Gallery』の植村さんには遠く及ばないが、売っちゃ買い、売っちゃ買いしたLPやらCDの数は「万」の単位を下ることはあるまい。
ずいぶん多くの好きなモノと嫌いなモノに出くわした。
そんな中で、とりわけ好きなモノと言えば「ウッドストック」…映画の『ウッドストック』のことだ。
一体何回観たことだろう…正確に数えておけばヨカッタと後悔している。
映画館で観た回数に関しては、簡単には人後に落ちないつもり。
「ぴあ」や「シティロード」をチェックしては東京中の名画座を駆けずり回った。
DVDはおろか、ビデオすらなかった時代だから、映画館に足を運ぶより他に観る方法がなかったのだ。
中学2年生の初めての『ウッドストック』は退屈だった…ひたすら寝た。
その時は『バングラデシュ』とのダブル・フィーチュアだった。
そっちを目当てに映画館に足を向けたのだが存外に退屈で、その時以来一度も観ていない。
今観たらまた違う見方ができてそれなりに楽しいかも知れないが、当時はまだ青かったね。
『バングラデシュ』で子供ながらに記憶に残っているのは、ラヴィ・シャンカールが「演奏中にはドラッグを控えて欲しい」と演奏前にアナウンスしたことと、ジョージ・ハリソンがレオン・ラッセルを紹介した時に、座ったままのレオンに向かって「立てよ、レオン!」と注意したところぐらいかな?
演奏はほとんど記憶に残っていない。
「ロック映画」などというジャンルがあるのか寡聞にして知らないが、当時はこの手の作品がたくさんあって、ソウル系の『Wattstax』や『Fillmore: The Last Days』なんかがよく『Woodstock』と併映されていたように記憶している。
『Wattstax』というのを一度だけ観たけど、ソウル系の音楽に何の興味もない私には苦痛以外のナニモノでもなかったナ…今観ても同じだと思う。
繰り返しになるが、何しろまだビデオもない時代で、海外アーティストが動いている姿を見られることが激レアな時代だったから、このようなフィルムが非常に珍重がられていたことは方々で語られている通り。
当時を振り返ってみると、「ロック」と「歌謡曲」が明確にジャンル分けされていて、ロックは完全にマイノリティだった。
今にしてみると、海外のロック・バンドよりも日本のロック・バンドをテレビで見かけることの方がはるかにレアだったかも知れない。
少なくとも頭脳警察や四人囃子がテレビに映っている姿を見た記憶は全くない。
また矢沢永吉や井上陽水、荒井由美といったいわゆるニューミュージック系の大御所はテレビに出ることをかたくなに拒んでいた。
今とは隔世の感ありだ。
いまだにテレビに出ないのは達郎さんぐらいなもんだもんね。
いつかコンサートで「テレビに出るとオツリが来ちゃうからイヤなんだ」とおっしゃっていた。
「オツリ」というのは、自分の音楽に何の興味もないような人が自分にまとわりついてくること。
有名な『モンタレー・ポップ・フェスティバル』なんかも最初に見たのは九段会館だった。
ホンモノのコンサートさんがらの上映形式でありがたく拝見させてもらった。
これはその時のプログラム。 そういえばビデオが一般化した後年、大晦日かなんかにテレビで『ウッドストック』を放映していたことがあったナ。
ビデオに録画しようにもあの頃は生テープがまだ殺人的に高かった。
さて、この「ウッドストック」が1969年に開催されたということは、考えてみると私が初めてこの映画を観たのは、実際にこのフェスが開催されてからまだ7年ぐらいしか経ってない頃だったんだよね。
それがもう開催から40年以上も経ってしまった。
自分も歳を取るワケだ。
<映画『ウッドストック』のプログラム><同:裏表紙。あるいはこっちが表紙なのかな?>
<同:内容は出演しているミュージシャンの紹介がほとんど。
オリジナルのイラストが間に挿入されていて凝った作りになっている。
残念ながらオリジナルではない。
何回か観に入っているうちにどこかの映画館で見つけて購入した> 閑話休題。
いよいよ思い出してみるに、あの頃はフィルム・コンサートというのが各地で頻繁に催されていて、ローリング・ストーンズのドキュメンタリー映画『Charlie is my Darling』を有楽町のよみうりホールに観に行ったことをハッキリと覚えている。
この時が本邦初公開だった。1978年のこと。
どうしてこのことをハッキリと覚えているかというと、その当日、まれに見る大型台風が東京を直撃し、学校が半ドンになったのだ。
当然帰宅して家でジッとしていなければならないのだが、すでに少ない小遣いをはたいてでチケットを買っているので当然家にいるワケにはいかない。
そこでロック好きの友人達とやや後ろめたい気持ちもありつつ出かけてしまったのだ。
司会は渋谷陽一だった。
我々の仲間はみんなFM NHKの彼の番組を楽しみにしていたのでそれだけで大興奮だった。
その時、渋谷さんがストーンズの映画に先だって「今、一番ホットな新人バンドを紹介します」と上映したフィルム(今でいうMV)が日本デビュー前のチープ・トリックだった。
ものすごくカッコいいと思ったネェ。
数年後、ライブ・レコーディングされた有名な武道館公演にも行った。
話しを戻して…今、Marshallのスタッフとして働いているが、この頃からMarshallに縁があったのかナァ…と感慨にふけることもある。
「ウッドストックのマーシャル」といえば何といってもJimi Hendrix。
あの朝日に浮かぶ1959のフルスタックの壁は荘厳ですらある。
そういえば、最初、「Purple Haze」の邦題が「紫のかすみ」となっていて、お兄さんたちが笑っていた。
私には彼らが笑っているまだ理由がわからなかった。
<映画『ウッドストック』のプログラムより>
Marshall社としてもあの場面に自社の製品が登場していることを誇りに思っているのだ。
それにしても残念なのはあの観客の数。
押しに押しまくった進行がジミの出番を一日遅らせてしまったというのだからスケールがデカイ。
40~50万人いた観客がたったの3万…ま、これだけでも大変な数ではあるが。
出演者中で一番高いギャラを取ったというのに!
そして、仕事だからといってもジミを見ずに帰ってしまった人たち…いまだに臍を噛む思いをしているのではなかろうか?
一時は出演がキャンセルとなったという噂があったようだし、あのジミの演奏は本調子ではないとよく言われているがそんなこたぁ関係ない。
「え、ジミヘン?あ、オレ、ウッドストックで観たよ」…なんて言ってみたいものだ。
ホント、実際のジミのMarshallの音を聞いてみたかったナァ。
熱心なヘンドリックス・フリークぶりで知られるウリ・ジョン・ロート曰く、「とにかくクリーンで美しかった」というジミのマーシャルの音。
ウリは若かりし頃、2度ほどドイツでジミを見たと言っていた。
<映画『ウッドストック』のプログラムより>
ちなみに今はディレクターズ・カットになって、ジミの出番は彼がアナウンスに合わせてマーシャルの影から出てくるところから「Voodoo Chile」が始まるが、劇場版はこの前のジミとは関係のないシーンにギターの音が重なって「来た、来た、来た!」という演出になっていた。
何しろこのあたりのシーンまで延々3時間くらい待ち続けるのだからジミの出番は喜びもひとしおだ。
そして「アメリカ合衆国国歌」…タマらん!
なぜかこのジミのところだけコマ落としになっていて、ジミの動きがザクザクになっている。これもまたカッコよかった。
「Purple Haze」の後、あの美しくももの哀しい「Villanova Junction」にそのまま突入し、映像はフェス終了後のあたり一面ゴミ野原と化した会場のようすに変わる。
このシーンはこれでジミが写っていなくてもまたよし。
不思議なことに「ジミを映せ!」という感情にはならない。
少なくとも私はこれが美しいと思っている。
ただ、あのシーンでいつも思っていたのは、靴をなくした若者が捨て置いてあるスニーカーを拾いサイズを確認するところ。
アレ履いたら中が濡れてて気持ち悪いだろうに…と今でも思ってしまう。
それとあのスイカ。あれは普通食べられないよ。
<40周年を記念してリリースされたDVD。
Greatful Dead他、未発表映像が満載されたが私にとっては「記録」であり、「映画」ではない。
尚、Marshall Blogの「ミュージック・ジャケット・ギャラリー」でおなじみの植村和紀氏はこの40周年記念の6枚組CDの制作に関わっている> あの場に一般の日本人はいたのだろうか?
有名な話しでは故成毛滋さんがいらっしゃったそうで、開催された当時の「ニュー・ミュージック・マガジン(当時)」を紐解くとそのレポートが掲載されている。
かなり面白いので興味のある人にはオススメだ。(『ミュージック・マガジン増刊 スペシャルエディション パート1』に掲載)
どこかの記事で読んだが、夜、暗くなってからひとたびトイレに行くと、明るくなるまで自分の席に帰ることは不可能だったとか…。
何しろ「ものすごい人」で、ウッドストックに在住していたハッピー・トラウム(ボブ・ディランの先輩格にあたる向こうではかなりの有名人)にその様子を尋ねたことがあった。
ハッピーは実際にサブ・ステージへの出演を依頼されていた。
何しろ開催地に住んでいるワケだから、出番に間に合うように「んじゃ、チト行ってくるわ」ってな調子で家を出たらしい。
ところが、道が混んでいて到着が大幅に遅れ、また、人がいっぱいでとうとうステージにたどり着けなかったのだそうだ。
それからどうしたかって?
そのまま家に帰って来ちゃったんだって!!
ちなみにこの人も「あのフェスティバルがこんなに歴史に輝くものになることが予めわかっていたら是が非でもステージに立つべきだった!」と残念かっていた。そりゃそううだ。
話しを元に戻すと、先日亡くなったアルヴィン・リーもマーシャルを使っている。
何しろあの時は ピンスポが当たっている場所以外はステージが真っ暗なので、ハッキリと確認はできはないが、最後にスイカを担いでステージを降りようとしているときにフルスタック、UNIT3(1959の3段積み)の姿が映り込む。
それにしても初めてテン・イヤーズ・アフターを見たときはブッたまげたゼ~。いい気持ちで寝ていたのがいっぺんに飛び起きてしまったんだから!
<映画『ウッドストック』のプログラムより>
マーシャル・プレイヤーということでもうひとつ言えば、ジェフ・ベック・グループが出ていればもっとよかったのにナァ。
確か出演が予定されていたのだが、キャンセルになった。
<映画に収録されていない画像を収録した『ウッドストック・ダイアリー』のレーザー・ディスク。3日分がリリースされたが高くて全部は買えず。
観たかったThe WhoとJanisとSlyが収録されているこの日の分のみを買った> <後編につづく>