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2020年3月 2日 (月)

イギリス紀行2019 その14 ~ スタンリー・キューブリック展 <vol.3>:撮影現場とカメラ

 

続いて「FILMING」のセクション。
キューブリックの映画づくりの片鱗をうかがわせるコーナー。10執務室の再現。

20写真の保管箱。
コレがすごかった…几帳面で。
やっぱりナニかを成し遂げる人は間違いなく人間が几帳面だよね。
私は全くダメだわ、ダラしなくて。

30これらはナニかというと、ロケハンの写真。
キューブリックは制作時間が長いことが有名で、時にはそれが「悪名」だったりしたっていうんだけど、こういうのを見るとそれがよくわかる。
後の回で出て来る『フルメタル・ジャケット』とか『アイズ・ワイド・シャット』なんてスゴいよ。

40コレらは全部ロケハンの資料。

50やっぱりこうしてみると紙焼きの写真ってのはいいね。
もっとも、コレこそが「写真」というモノなんだろうけど…。

60ロケハンっていうのも実に大変な仕事だよね。
ま、私なんか「D_Driveのアー写を屋外で撮れ」とMarshall Recordsに指示されて対応しただけなんだけど、人様の迷惑にならないところで見た目がいいところを探すのは本当にムズカシイ。
そして、太陽の向きを考えなければならないので、何時ごろが最も適切かを調べなければならないし、必要とあれば撮影の許可を得なければならないでしょ。
それだけに、いいのが撮れればうれしいね。

70お、コレは『オレンジ』に出て来るレコード屋だ。
天井のVertigoレーベルのロゴに気付いた時は興奮したもんだ。
この店は、ロンドンはチェルシーのキングス・ロードにあった「Chelsea Drugstore」というお店だった。
キングス・ロードというのはロンドン・パンク・ファッションのメッカ「SEX」というお店があったことで有名。
私も一度だけこの通りを歩いたことがあるが、ゼンゼン普通の通りだった。
すぐ裏に国立陸軍博物館というのがあって、結構オモシロかったナ。
このキングス・ロードの1本北の通りは「フルハム・ロード」。
この名前にピンと来る人は私と同じ世代ぐらいか?
一時期、テレビでこの名前を聞かない日はなかった。
ちなみに渡辺香津美さんの1985年の『MOBO倶楽部』に収録されている「危険がいっぱい」という曲の元のタイトルは「疑惑の銃弾」だったハズ。
そういえばこのフルハム・ロードという名前が出て来る事件の主人公も「一美」さんといった。
90ナゼかウチにあるVertigoのトランプ。
どうしてもらったのかサッパリ記憶がないけど取り敢えず大事にキープしてある。

11_2vt_2コレは『アイズ・ワイド・シャット』だろうね。
アレもロンドンで撮ってる。 80こういうスナップ・ショットもうれしい。
『シャイニング』からの1枚。
仲がよさそうに見えるが、キューブリックとシェリー・デュバルはかなり険悪だったらしい…というより、キューブリックは役作りをさせるためにワザとそうなるように接していたという。

100『2001年』と『バリー・リンドン』から。

110コレは後にスピルバーグが製作した『A.I.』のスケッチ。
以下は展示の解説。
 
キューブリックは早い時期からのコンピューター賞賛者で、コンピューターをテーマにした作品に取り組みたいと思っていた。
そして、1982年にブライアン・オルディスという作家の『Supertoys Last Summer Long』という短編の映画化権を入手したが映画化の計画は実行されなかった。
当時の実写の技術では主人公のロボット少年をうまく描くことができなかったからだ。
そして、1993年にスピルバーグが『ジュラシック・パーク』を発表すると、そこに映画化の可能性を見出す。
キューブリックは『A.I.』の脚本を書き始め、クリス・ベイカーにスケッチや絵コンテの製作を依頼した。
1999年、キューブリックはスピルバーグの方が適任と考え『A.I.』を監督するように頼んだ。
が同年、期せずしてキューブリックが他界すると、スピルバーグは自分のビジョンに基づいて友人に準備させておいた素材を元に『A.I.』を完成させた。
スピルバーグ曰く「キューブリック本人抜きで、自分の感受性のフィルターを通して才能ある人のビジョンを代弁できるかどうかはスリリングな挑戦だった。その友人が間に入ってくれたことを名誉に思うよ。
正直、この作品に関わるのを許されたことを誇りに思っている。でもスタンリー・バージョンの『A.I.』を観ることができればどんなにヨカッタか…。きっとスゴいことをやらかしていたと思うよ」
 
上に書いた通り、キューブリックは製作に長い時間をかけるため、その間に主人公が大きくなってしまうのを避けようとロボットに演じさせようというアイデアまであったという。
ん~、でも私は『A.I.』ってどうもピンと来なかったな。
なんか辛気臭くて観ていて感情移入できなかった。
それよりも昨日紹介したキューブリックによるホロコーストものを観てみたかった。

11_0r4a0315撮影の計画表や予定表の数々。

120コレなんかは1957年の『Paths to Glory(突撃)』の工程表だからね。
よく残してるな~。
そういえばカーク・ダグラスが最近亡くなったね。
失礼ながらご存命とは知らなかった。

130コレは『2001年』。

140撮影機材の展示も興味深かった。
160v_2コレは1955年の『Killer's Kiss(非情の罠)』で使われた「Eyemo Camera(アイモ・カメラ)」。
アイモは1925年に発売され、それこそ1955年前後まで劇場用やテレビ放映用のニュース映画の撮影で世界的に使用されたそうだ。170『博士の異常な愛情』撮影中のスナップ。

180v『フルメタル・ジャケット』の後半。
クドイようだけど、コレがロンドンだっていうんだからね。190レンズもゴロゴロ。
レポートの第1回目に書いたようにキューブリックはプロのフォトグラファーだったからね。
当然、撮影技術にも長けていた。
コレはヒッチコックの本で読んだんだけど、あんまり監督が撮影の技術に詳しいと撮影監督がイヤがるそうで…。
ヒッチコックも撮影技術のノウハウを持っていて、アレコレ細かく撮影の指示をして「ハイハイ、ずいぶんと撮影に詳しい監督さんだね~」と煙たがられたらしい。

20050mmのハイスピード・レンズ。
元々は月を撮影するためのNASAのハッセルブラッドの6x6用に開発されたモノ。
カール・ツァイス製でF値は0.7!
キューブリックは『バリー・リンドン』のあのローソク明かりのシーンで使用した。
この辺りの話は後の回の『バリー・リンドン』コーナーでもう少し詳しくやるけど、当時はこの撮影がモノスゴク話題になってね~。
そんなことを思い出しながら舐めるように見入り、かつ、いつも使っているキャノンの5Dで夢中になって展示アイテムを撮影していた。
すると…230「スミマセン」と若い中国人の男性が英語で私に話しかけて来た。
ナニかと思ったら…以下はその男性とのやり取り。
「あの~、プロのフォトグラファーの方でいらっしゃいますか?」
「あ、ん~、ま~、コレで食べているワケではないですけど、お金を頂戴して撮影することも多いです」
「コチラの方ですか?」
「イエイエ、東京から来てるんですよ」
「エエエエ~!」
ナゼかものすごく驚いている。英語がウマいからかな?
「あの~、このレンズの展示…一体ナニがスゴイんですか?よかったら解説してもらえませんか?」
「エエエエ~!」とは言わずに対応してあげることにした。
ま、私はカメラ・マニアでは全くないので、ステージ写真を撮る時に必要な基本的な知識しか持ち合わせていないので、絞りとシャッター速度の関係とレンズの規格と『バリー・リンドン』の撮影について簡単に説明して差し上げた。
英語でカメラの話をする機会はあまりないので、こっちとしてはとてもいい英語の勉強の機会になった。
私の説明で納得してくれたらしく、ものすごく丁寧にお礼を述べてうれしそうにしていた。
あの人、武漢から来たっていってたかな?…ウソウソ。

220撮影フィルムの編集テーブル。240v実際に『フルメタル・ジャケット』の撮影に使用されたモノ。

250コレはわかるでしょう?
『2001年』の宇宙ステーションのシーンのセット。
このデカさ!
高さ12m。
こんなモノ作ってりゃ、そりゃ金がかかるわな~。
製作したのはイギリスの「ヴィッカース・アームストロング」という会社。
機関銃やら戦車やら軍艦やらのメーカー。
当時の金額で750,000ドル(当時の固定相場制の360円/$で2.7億円)かけて作られた。

270ヴェルナー・フォン・ブラウンというドイツのロケット科学者の技術情報を元にウィリー・レイというSF作家が描写したモノを実際に作ってしまった。

260コレだもん、『カプリコン・1』じゃないけど、アポロ11号の月面着陸のシーンはキューブリックがスタジオで撮ったってのもうなずける。
イヤ、どちらかというと、そうであって欲しかったりもする。
上で紹介した撮影機材はNASAから借用したモノもあって、そんなことからもこのウワサが流れたらし。
月面着陸か…。
あの時はもうスゴイ騒ぎだった。
万博のアメリカ館で「月の石」が公開されてね。
今では上野の科学博物館で「月のハナクソ」として公開されているけど、誰も興味を示さないんじゃないかしら…小さすぎて。
万博か…いい時代だったね。
携帯もインターネットもなくて。

280コレはその模型。

290

300

310「スター・ゲイト」のシーンで映画史上初めて使用された「スリット・スキャン」の図説。
後に『未知との遭遇』や『スタートレック』、『ブレードランナー』で特殊効果の手腕を見せたダグラス・トランブルのアイデア。
カメラと被写体の間に細長いスリットの入った板を入れてカメラを動かしながら撮影する…と言われても私はわからなかったけど、よく被写体がビヨ~ンと伸びたりする映像はこのテクニックによるもの。
今ではデジタル技術で瞬時にしてその効果が得ることができるが、『2001年』の製作当時はあの「スター・ゲイト」のシーンの撮影だけで半年を要したという。
何でもこの映画、全体で612のショットがあって、そのうちの1/3の205ショットが特殊効果のシーンなのだそうだ。

320下の写真みたいなヤツね。
「Jupiter and the Infinite」のシーン。
あのあたりの音楽…イヤ大抵の人には「音楽」には聞こえないかも知れないけど、アレはハンガリーの作曲家ジェルジュ・リゲティの現代音楽曲なんだね。
「レクイエム」という合唱曲から「アトモスフェール」という曲につながる。
リゲティはいい。
とてもしょっちゅう聴けたシロモノではないが、つまらんロックを聴いているより格段にスリリングでパワフルで刺激的だ。そして、コワイ。
ところがキューブリックはリゲティに黙ってこれらの曲を勝手に映画使っちゃったらしい。
もひとつ。
キューブリックは元々この映画の音楽をアレックス・ノースという『スパルタカス』を担当した人に依頼した。
ノースは苦心に苦心を重ねてオリジナル・スコアを書き上げたのだが、キューブリックは結果的にそのスコアを全部ボツにして、アタリで使っていたシュトラウスやらリゲティの既製曲を映像に当てはめた。
アレックス・ノースがこのことを知ったのがプレミアの時だったというからスゴイ。
ところが、そのオリジナル・スコアを読んだ映画音楽の大家でノースの友人だったジェリー・ゴールドスミスはキューブリックへの怒りをあらわにし、「キューブリックが選んだアレらの音楽のせいであの映画が台無しになった」と発言したそうだ。
そして、ノースの死後、ゴールドスミスは自らが棒を振って、そのオリジナル・スコアを録音したんだて。
聴いてみたい。
でもさ、みなさんあの映画の最初に使われるリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」って知ってるでしょ。
♪ドンガンドンガンドンガンドンガン…ってやるヤツ。
みんなあのファンファーレのパートは知ってるよね?
この曲って、キューブリックがこの映画で使って有名になったんだって!
あのファンファーレの後のパートって聴いたことがある人っている?
確認したことはないけど、ほとんどいないんじゃないかしら?
実はね、メチャクチャいいのよ。
『ティル・オイレンシュピーゲル』とか『アルプス交響曲』とか『英雄の生涯』とか、R.シュトラウスの曲ってやたらと大ゲサでしょ?
コレもそんな感じで非常に魅力的な曲なのです。
シュトラウスというとナチに協力した作曲家として知られているけど、奥さんがユダヤ人だったので仕方がなかったとか、色んな話があるみたいだね。
330一方…コレは以前Marshall Blogに書いたことがあるんだけど、最後の方の「Jupiter and the Infinite」のシーンはPink Floydの「Echoes」と完全にシンクロしているっていうんだよね。
で、実際に私も滅多に聴かない『Meddle』を引っ張り出して来てDVDとCDをせーのでスタートさせてそのシンクロ具合を確認したことがあった。
コレ、ホントにピッタリなの。
四人囃子が映画のこのシーンをバックに演奏するところを観てみたかったナァ。Medそれと、そのスリット・スキャンのシーンね。
アレを見ると立花隆の『宇宙からの帰還』という本を思い出す。
アポロ11号の乗員(他の宇宙飛行士も同じだったかな?)たちは宇宙に出た後、眠っている間にギュイ~ンって光がアタマの中を突き抜ける夢を見たんだ、っていうワケ。
イヤ、夢かどうかも確かではないらしく、とにかく3人が全く同じ経験をしたらしい。
こうなると火の鳥の出番って感じがするね。
でも、あのシーンはこの体験を連想させるんだな。Tt2…と、音楽のことを書いたけど、チャンと音楽のコーナーもあった。
キューブリックが音楽のことをどういう風に考えていたか。
以下、展示会の解説より…

11_0r4a0372 キューブリック曰く、「音楽というモノは観客を身構えさせ、自分が強調したいポイントを強化する最も効果的な手段のひとつだ。
音楽を適切に使うこと、あるいは使わないことは映画作家が自由に取り扱うことができる偉大な武器なんだよ」
キューブリックの時代考証の正確さは有名で、キューブリックは1962年から1968年のアメリカのビルボードのヒット曲を自分で採点し、Nancy Sinatraの「These Boots Were Made for Walking」やSam the Shamの「Wooly Bully」、Trashmenの「Surfin Bird」などを『フルメタル・ジャケット』に採用した」
最近では映画につける音楽ではクエインティン・タランティーノなんかもよく注目されているが、「時代考証の正確さ」という観点とは別に、キューブリックはこういう仕事がメッチャ上手でスマートだよね。
『アイズ・ワイド・シャット』なんかも「Baby Did a Bad Bad Thing」や「When I Fall in Love」が出て来たかと思うとショスタコーヴィチの「ジャズ組曲」の「ワルツ」が効果的に使われたりする。
何せカッコいい。
時代考証の話が続く。
 
「にもかかわらず、『バリー・リンドン』では舞台の半世紀も後に作られた1928年のシューベルトの曲が使われた。
このことはスペインの映画監督にこう説明している。
"手に入れることができる18世紀の音楽のレコード全てを聴く必要があったのかも知れない。しかし、18世紀の音楽には悲劇的な愛のテーマを持った曲がないということがすぐにわかったんだ"」
このエピソードはどうも有名らしく、他の本でも見かける。
そして、キューブリックはココで触れているシューベルトの曲をベタ褒めしている。
私は中学2年生の時に『バリー・リンドン』をロードショウ公開で観ていて、さほど映画に感銘を受けたワケでもないのにナゼかサウンドトラックのミュージック・テープを買ったんだよね。
13歳の子供がですよ!

2bl_1 実はコレの1年前に『スティング』を観て感動してサントラ・カセットを御茶ノ水の駅前にあった小さなレコード屋で買った。
「キミがこんなの聴くの?」と店員さんから訊かれたのを覚えている。
だから「マーヴィン・ハムリッシュ」だけでなく、「スコット・ジョプリン」の名前を12歳の時から知っていた。
私の音楽遍歴のスタートは映画音楽だったのです。ロックにノメリ込む前はこういうモノに夢中になっていた。
Bl_2 なので、「三つ子の魂百まで」…『バリー・リンドン』に使われている曲はだいたいわかっているつもりだったんだけど、100歳まではとてももたなかった。
このシューベルトの曲がどんなヤツかわからなかった。
執拗に出て来るあのメイン・テーマはヘンデルだし…(近々Marshall Blogでヘンデルとジミヘンの特集やります)。
そこでこのシューベルトの曲を調べてみた。
曲は「ピアノ三重奏曲 ホ短調 作品100」ということまではすぐにわかった。
でもそのピアノ三重奏曲か?
シューベルトのピアノ三重奏曲って4つあるらしんだけど、作品番号が付いているのは第一番と第二番だけ。
それじゃ第一番か第二番だ。
ところが、キーがおかしい。
第一番はDb、つまり「変ロ長調」。第二番は「変ホ長調」だからEb。しかも両方とも長調なのね。
おかしいな、キューブリックは短調の曲を使っているハズ…悩んでいても仕方ないので、「作品100」の第二番を第一楽章から聴いてみた。
そしたら、出て来た!それは第二楽章だったのです。
あのメロディ!
音楽ってのはスゴいもんだよ。即座にバリーの放蕩で財産を食いつぶされて行く惨めなマリサ・ベレンソンの顔が瞬時にして浮かび上がったもんね。
もうチョット続く…。
 
キューブリックは俳優たちの感情を揺さぶるためにも音楽を使用した。
『ロリータ』では「Irma la Douce」をかけてジェイムス・メイスンの目に涙を浮かばせたし、『ウエストサイド物語』でシェリー・ウインターズにおなじことをさせた。
ん~、ココは謎。
調べてみると「Irma la Douce」ってビリー・ワイルダーの『あなただけ今晩は』のことなんだよね。
ビリー・ワイルダーは大好きだけど、子供の頃に一度観ただけで映画自体は全く覚えていない。
でも、淀川長治の映画解説のラジオ番組のテーマ・ソングとしてこの曲が使われていたおかげで、曲はよ~く知ってる。
作曲はアンドレ・プレヴィンなんだよね。
プレヴィンって去年亡くなったのね?ご存命だとは知らなかった。
この人、シェーンベルグと卓球をやって圧勝したことがあるとか…。
また、ラフマニノフの生ピアノを聴いたこともあるとか…。
で、もしキューブリックが言うところの「Irma la Douce」がプレヴィンのこの曲だとしたら、ナンでジェイムス・メイスンが涙を流すのがサッパリわからない。
破天荒に明るくて賑やかな曲なのよ!
シェリー・ウインタースの「ウエストサイド」はわからなくもない。
小学校4年生の時に父が『ポセイドン・アベンチャー』を観せに錦糸町の江東リッツに連れて行ってくれたの。
それで、「あんなに太ったオバさんがよく映画に出れるな」と不思議に思っていたんだけど、「あの役をやりたくてワザと太ったんだよ」と父から聞かされた時はビックリしたわ。
その時シェリー・ウインタースの名前を覚えた。
 
ゴメンなさい!
こんなところでエラく長くなってしまった。
やっぱり「映画と音楽」となると思い出が多すぎて!

展示のこのコーナーはオモシロかった。
キューブリックがいかに音楽をうまく使ったか…ということを実際の画面を見せて解説してくれていたんだけど、字幕が消えるのが早すぎるんじゃ!

340「映画と音楽」…オモシロいね。
今は映画も音楽もピリっとしたモノがないけれど、昭和20~30年代は毎週撮り上がって来る映画につける音楽で作曲家たちはテンテコ舞いしていたっていう。
武満徹なんかもずいぶんゴーストをやったらしい。
そんなことがこの本に書かれていてオモシロかった。
師匠の早坂文雄が忙しすぎて、武満さんは『七人の侍』に結構スコアを提供したらしい。
勝四郎と志乃のロマンスのシーンの音楽は武満さんの作品だとか…。Ttひとつ疑問があって、さっきのリゲティとかペンデレツキとか、こうした現代音楽のネタをキューブリックはどうやって探していたのだろう?
あんなのを普段から聴いていたのかしら?
私も興味があってノーノとか、グレツキとか、グヴァイドゥーリアとかシュトックハウゼンとかのCDを買って来て聴いてはみるけど、1回しか聴かないよね。イヤ「聴けない」と言った方が正しいか?
「あ、こういうヤツね」と確認してCDが1枚終わるのをガマンしてる。
あ、ヘンリク・グレツキは結構イケます。そうは言ってもペンデレツキもモノによっては全然大丈夫。
少なくとも出がらし感満載のロックや単調なヒップホップより全然楽しめる。
やっぱり映画のイメージが出来上がると片っ端からレコードを聴いたり、専門家に相談して勉強するんだろうね。
私はバルトーク全集を聴いていて「弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽」の第二楽章を聴いた時ブッたまげたんだけど、本当に熱心にクラシック音楽を聴いている人々にとっては、まさに我々で言うところの『イージー・ライダー』や『スクール・オブ・ロック』、あるいは最近では『ボヘラ』みたいなモノなんでしょうね。
ああ、もっとチャンと音楽の勉強がしたい!350次回からは各作品の展示の紹介だよ。

<つづく>