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2020年5月22日 (金)

イギリス紀行2019 その29 ~ マンチェスター vol.5:「世界最初のXXX」

 
さて、やって来ました「Science+Industry Museum(科学産業博物館)」。
1969年に開設された「North Western Museum of Science and Industry」を母体に現在の形になったのは1983年というから決して古いモノではない。

10入り口前の歩道に記されたEUの選挙のお知らせ。
これからどうなるんだろうね~。

450 博物館の前の光景。
左側の建物も博物館の一部。元々コレがメインだったのかな?
この辺りだと、どこからでもビーチャム・タワーが見える。30コチラの施設には大きなアイテムを展示していた。
後でまた来る。

40入場無料。

20館内に入っていきなり目に飛び込んでくるのは古式ゆかしい蒸気機関車。50_2「Rocket」号なる世界で最初の旅客用鉄道、「Liverpool and Manchester Railway(リバプール・アンド・マンチェスター鉄道)」を走った蒸気機関車。
また、この路線はこれまた世界で最初に2つの都市を結んだ鉄道路線で、以降世界中がこの路線をお手本とした。
そして、このロケット号、D51(デゴイチしか知らない)どころか、この後に作られたすべての蒸気機関車の仕組みが基本的にコレと同じだっていうんだからスゴイ。
最初から完成していたんだね。
もちろん設計は有名なロバート・スチーブンソン。
フム、スチーブンソンはノーザンバーランドの出身なのか…ニューカッスルの近く。
1930年9月15日、ロケット号がデビューする日、ひと目その動く姿を見ようと黒山の人だかりができたそうだ。
それもそのはず…今の我々は何とも思わないが、この当時の人は、人か馬以外の動力で動くモノを見たことがなかったっていうんだから。
メッチャ盛り上がったらしい。

60鉄道の名称通り、リバプールの港とマンチェスターの工業地帯の間、約50kmを片道4時間半かけて行き来し、旅客の他、原料や製品を流通させた。

70_2「ロケット号」が作られたのは1829年。
おかしいと思わない?
蒸気機関車だってなかった時代、「ロケット」なんて想像すらできない時代でしょう。
それなのに「ロケット号」だなんて。
我々は「ロケット」というとすぐにアポロとかソユーズみたいなヤツを想像するけど、言葉として「rocket」というのは「火矢」とか「打ち上げ花火」という意味があるようだ。
だからこの「ロケット」は空を飛ぶヤツではない。
すると「ロケット花火」というのは「打ち上げ花火花火」ということになるのか。

80リムとフレームが木で出来てる!

90大分前に「SLブーム」なんてのがあったよね。
今でも人気なのかな?
私は全く興味がないんだけど、こういう原始的なモノを間近で見ると何とも言えない迫力と魅力を感じるね。
このシリンダー!
ナンカいいじゃない?

100運転席…イヤ、操縦スペースには席も囲いもなかった。
いくら石炭がすぐそばで燃えているにせよ、またスピードは45km/hしか出せなかったにせよ、風を切って冬のイギリスを走るのは大変だったろうナァ。

110上にロケット号のお披露目が1930年の9月と記したが、それに先立つこと11ヶ月。
マージ―・サイドの「レインヒル」というところで「Rainhill Trial(レインヒル・トライアル)」なる機関車のコンペが開催された。
実は、初めからロケット号がリバプール・マンチェスター線を走ることが決まっていたワケではなく、そのコンペで他の機関車と性能で勝負して競り勝ったんだね。
コンペに出走した機関車は5台。
中には機関車の中に入っている馬がベルトの上を走って動かしているヤツとか、部品が途中でスッ飛んでいるヤツとかで、まさに「チキチキマシン猛レース」状態!
ロケット号と同じスピードを出した機関車もあったが途中で壊れて棄権。
結果、ロケット号が見事勝ち抜き、世界で最初に2都市間を走った蒸気機関車となったとさ。
 
下はそのコンペに時にレールの上に置いて機関車に潰させたコイン。
コラコラ!そんなことしちゃイカンぞ!ナンでそんなことしたんだ?…と思ったら記念だそうです。
いいアイデアだ!
昔コレを総武線の新小岩でやったヤツがいて、こっぴどく叱られていた。私ではありません。120コレはお定まりの記念コイン。
イギリスはコイン鋳造の技術に優れていて、ユーロのコインもイギリスで作っていると聞いたことがある。
そのせいか、何かというとすぐコインを作って記念しちゃう。
金貨の図柄はロケット号。
銀貨の方のオジちゃんはジョージ・スチーブンソン。「鉄道の父」と呼ばれたロバートのお父さん。

130オープ二ング・セレモニーの招待状。
青いカードはVIP様向け。
汽車を飾った旗と同じ色だったのだそうだ。
VIPの中には前回紹介した、時の総理大臣、ウェリントン公爵も含まれていた。
で、リバプール選出のウィリアム・ハスキソンという代議士がウェリントン首相に挨拶しようと汽車から降りた時に反対側から来た汽車に轢かれて片足を切断、そして死亡。
コレが世界で最初の鉄道の事故になったそうだ…って世界で最初に走った汽車の事故なんだからそりゃ当たり前だわな。140『きかんしゃトーマス』にはこのロケット号をモデルにしたキャラクターが出て来るんだってね。
名前は「スチーブンソン」だそうです。11_syephen目を惹く近未来的なオブジェ。

150vLEDディスプレイがたくさんくっついてる。

160イギリスを代表する科学者たち。
ナニせ「世界最初のXXX」が多い国だからね。

180Marshall Blogによく出て来るアラン・チューリングは科学者ではないけれど、コンピューターの基礎を作ったよ。

190そこら中にビンテージ感あふれるマシンが展示してある。
「マンチェスター」というと多くの人はまず「サッカー」が思い浮かぶらしいね。
ロックファンならOasisだのJoy DivisionだのThe Smithだの。
私は全く両方とも興味がなくて、やっぱり「産業革命(Industrial Revolution)」かな。
恐らく高校の世界史の授業で教わったんだろうけど、カケラも記憶にない「産業革命」。
確か人間がやっていた仕事を機械化することで爆発的に工業化が進んだ…とかいうヤツ。
せっかくそのルーツであるマンチェスターへ行ったので少し勉強してみたらコレがメチャクチャ面白い!
ああ、若い頃に何でももっと勉強しておけばヨカッタ!
 
博物館にはその当時の機械がゾロゾロと展示してある。
こういう古いモノってのはいいもんだね。
見て回るだけでも十分に楽しい。
「古いヤツほど古いモノを欲しがるものでござんす」なのだ…今の人たちはこんなの知らないか。

200チョット簡単におさらいしておくと、上に書いた通り、それまで家の中で手作業でやっていた仕事を機械こなすことによって人々は工場で働くことになったんだね。
イギリス人って、割合「とりあえずやってみよう!」とか「コレがダメならこうしてみよう」みたいなチェレンジ精神が旺盛で、この工業化には「世界発の」というたくさんの発明があった。
そもそも原爆だって元はチャーチルだからね。核の開発に関してはアメリカはゼンゼン甘ちゃんでイギリス人の科学者がいなかったら原爆を作ることはできなかった。
確かにイギリス人と仕事をしているとそういう気風を感じる時がある。

11_0r4a0441で、産業革命の背景はと言うと、イギリス派世界中に植民地を持っていたでしょ?
それを使って「三角貿易」という商売をやっていた。
「東インド会社(East India Company)」なんて懐かしいね。
この商売の仕組みは、イギリスからアフリカに武器や雑貨を持って行って、そこで黒人を船に積んでアメリカに運ぶ。
アメリカからは当時ヨーロッパでは貴重品だった砂糖、他にタバコや綿花を運ぶ。
アフリカに銃が行きわたるとイギリスは売るものがなくなり、今度は植民地であるインドから綿織物を買って、それをアフリカに転売して商売を続けたがちっとも儲からなくなってしまった。
そりゃそうだ。
商売の原資となった綿織物をインドから買わなきゃならないワケだから。インドはコレでボロ儲け。
それじゃつまらん!それなら綿織物を自分のところで作ればいいじゃんか!となったんだね。
それではナンでそれがマンチェスターだったか…。
ひとつには奴隷貿易港であったリヴァプールが近かったこと。
もうひとつは、産業革命の前に起こった農業革命という動きで、農作地を負われた農民があぶれていて、労働力が余っていたからなのだそうだ。
ちなみにこの貿易は「太西洋三角貿易」と呼ばれていて、もうひとつ「アジア三角貿易」というイギリス、インド、中国(当時は清)のバージョンがあった。
コレがアヘン戦争、アロー戦争のベースだね。
イギリスってのはホントにヒドイことばっかりして来たんだよ。
イヤ、イギリスだけじゃなく、欧州列強ってのは全くヒドかった。

11_0r4a0440真空管なんかもそうなんだけど、こういう前時代的なモノっていうのはいいね。
「洗練されたデザイン」の近代的なモノもカッコいいっちゃカッコいいけど、この重厚なルックスにはどう逆立ちしてもかなうまい。
210100年にもわたって栄華を誇ったマンチェスターの綿工業は1945年には廃れてしまう。
それと同じころに世界で最初にマンチェスターに出現したのがファイバーグラス。
コレはそのファイバーグラスを生産する機械。
この繊維がコンコルドの先っちょに使われたのだそうだ。

11_0r4a0447こういう小物もゴロゴロ展示されている。
コレは1870年ごろにジョン・ベンジャミン・ダンサーという人が発明した「ダンサー分光器」というモノ。
真鍮製の筒の真ん中についてついているモノはプリズムで、燃えている物体をコレで除くとその物体の組成がわかるらしい。

220この細長い紙きれは「ビーヴァース・リプソン・ストリップス」という。
何でもコレがX線解析の計算を簡単にしたのだとか。
コレを使って大きな成果を上げたのがフランシス・クリック、ジェイムズ・ワトソン、ロザリンド・フランクリンという人たち。
ナニをしたかというと、DNAの「二重らせん構造」を発見したんだと…コレで?
このことによってワトソンとクリックは1962年にノーベル生理学医学賞を獲得した。230コレは温度計。1820年ごろのモノ。
ジョン・ドルトンという物理学者の特注で作られた。
この人は先天性の色覚異常で、自分でそのことを発見したことにより、「先天性色盲」のことを英語で時として「Daltonism(ドルトニズム)」と言うそうだ。
それぐらい巧妙な学者だったらしい。

240v繊維のコーナー。
さすがにココは充実していた。
紡績だの、機織りだのなんてことは全く興味がなかったけど、この博物館を見てスッカリこのあたりのことに染まってしまった…繊維だけに。

250そもそも「紡績」なんて言葉すらついぞ口にしたことがないじゃん?
ま、繊維に関係している言葉であることはわかっているけど、正確な意味なんて知る必要もなかった。
コレ、受験をする人は世界史と日本史で学ぶんだろうけど…私は勉強していませんから知らなんだ。
「紡績」とは糸を紡ぐこと…コレはわかる。
でも「紡ぐ」ってどういうことだ?となる。
そこで、Shige Blog式にやるとココで出て来るのが黒澤明。
シェイクスピアの『マクベス』を原作にした1957年の『蜘蛛巣城』。

Kj 三船敏郎扮する鷲津武時と千秋実演ずる三木義明が合戦の帰り(だったかな?)、道に迷って森の中で出くわすのが小さな庵。
その中を覗き込むと薄気味悪い婆さんがクルクルと輪っかを回している。
『マクベス』で言えば「きれいは穢い、穢いはきれい」の3人の魔女だ。
この婆さんが実は妖怪で、武時が「いずれ一番大きな城の主となる」ことを予言する。
それを聞いた悪妻の浅茅が武時をたきつけ、次々と悪事に手を染め、やがては身を滅ぼす。
浅茅、つまりレディ・マクベスを演ずる山田五十鈴がいいんだわ~。
 
この妖怪の婆さんが庵の中で何をしているのかというと…糸を紡いでいるんだね。
つまり、糸を作っているところ。
このシーン、黒澤さんの仕事にしては、リアリティにかけていることになる。
どこが変かというと、まず左手に糸の原材料である綿を持っていない。
したがって、綿を撚って(よって)いない。
結果的に、糸が作られていない。
きっとこの婆さんは「妖怪の仮の姿」だから黒澤さんはワザとこうしたのであろう。
…とカッコつけて思ってみたけど、コレは絹糸か?

それにしても、綿をネジネジして引っ張ると糸になるんですってね~。
恥ずかしながら私はコレを知らなかった。
この輪っかをクルクルする作業は、毛糸を丸めるように、糸がはじめからあって、輪っかを回すことによってそれを糸巻に巻き付けているのかと思っていたのだ。
ちなみに「紡績」は綿から糸を作ること。
一方、「製糸」は蚕の繭から糸をつくることね。Mfさて、テキスタイル関連の展示室に入る。

260何時間かに1回、紡績教室が開講される。

270ね、お姉さんがお客さんに渡しているのは「綿」。
イギリスの人の衣料は、綿素材が作られる前はほとんどウールで、他の素材と言えば麻ぐらいだった。
下着まで身に付けるモノは全部純毛。
さっき出て来た三角貿易で、アフリカにこのウールを売れば話は簡単だったんだけど、さすがに全く売れなかった…それでインドから綿織物を買うことになったんだね。
ところで、いくらイギリスの緯度が高いと言っても夏は気温が高くなるからね。
夏場に毛織物じゃいくら通気性がよくてもモ~暑くて暑くて大変だったらしい。
オマケに向こうの人は日本人と違って滅多に風呂に入らなかったので、その体臭たるや凄まじかった。
だからフランスあたりでは香水が発達したりもしたんだろうけどね…ということは、やっぱり向こうの人も臭いことを自覚していたということだね。
そこへ行くと日本人はスゴイよ。
江戸の町人なんて一日4、5回風呂に入ることも珍しくなかったっていうんだから。

280実際に紡績機を稼働させて係のオジさんがそのようすを説明してくれる。
もう機械が回り出したら「ギョインギョイン」っというノイズで英語なんかナニも聞き取れん!
もちろん電気で動かしているワケだが、昔は蒸気だったんだね。
0r4a0463蒸気機関というのはトマス・ニューコメンというイギリス人の発明家が産業革命より前に発明していた。
蒸気機関は、ストーブの上のヤカンのフタのような「上下の動き」の仕事は得意だったが、「回転」系の仕事ができなかったんだけど、それを克服したのがジェイムス・ワットだったんだね。今の£50札のオジさん。
この辺りが産業革命を実現させた文字通りの「原動力」となった。
最初に出て来たロケット号も蒸気の力を借りた機関車に原材料と製品を載せてセッセとマンチェスターとリヴァプールの間を行き来していたワケだ。

11_tails_2 ワットの発明により、紡績の仕事が飛躍的に効率化された。
蒸気の前は動力に何を使っていたと思う?
「水」ね。
水車を使って動力を確保していた。
水の前は「人力」。

0r4a0481その人力の時代にものすごい発明があった。
それは、前回の記事のパブのところに掲載した写真に出ている。
「機織り機のパーツかなんか」という説明を添えたが、アータ…コレってとんでもないモノだった!
げに知らないというのは恐ろしい。
最も機織りのことなんか「鶴の恩返し」じゃあるまいし、知ってるワケがないさね。
11_img_0270下のヤツがナニかおわかりになりますか?
コレは「飛び杼(とびひ)」と言って、英語では「Flying Shuttle(フライング・シャトル)」と言う。
繊維というモノはタテの糸とヨコの糸を格子状にして編まれているでしょ?
手順としては上下にタテの糸を別々に張っておいて、その間を縫うようにしてヨコ糸を通す。
そのヨコ糸を通す作業が厄介で、糸が引っ掛かったりしてメンドクサイ上に、大きな布地を作る時などは2人がかりでこの作業をやらなければならなかった。
そして、ジョン・ケイという人が発明したのがこの「飛び杼」。
「ジョン・ケイ」なんて言うと「Steppen Wolf」を思い出しちゃうけど、この「飛び杼」が文字通り「ワイルド」な発明だったワケ。
この船のような形をした木片にヨコ糸のボビンを入れておいてピューっと上下のタテ糸の間に放り込む。
するとヨコ糸は飛び杼の勢いと重みで瞬時にして反対側に到達するというワケ。
ま、知らない人はこの説明でわかるワケないと思うけど、とにかく当時は想像を絶する大発明で、飛び杼の出現によって作業の速度が4倍になったという。
何がしかの動力を使わないでそれだけの成果を出したんだからスゴイ。
そこで「しめた!コイツでひと山当ててやれ!」と思ったのが当のジョン・ケイ。
瞬く間に飛び杼は普及したが、ジョン・ケイの商売はうまくいかなかった。
あまりにも大きな進歩を実現させてしまったため、たくさんの織り工が仕事を失ってしまい、大きな反感を買ってしまったのだ。
そして、晩年は不遇な暮らしを送ったという。
しかし、この飛び杼の発明は産業革命の一端を担ったと言われているそうだ。
あ~、偶然とはいえ見ておいてヨカッタ。
博物館にもあったんだろうけどね。

11_2img_0270他にも綿を加工して紡績工程に送る機械他…

290どれもがピッカピカの状態で保存されている…というか、現役で使えるんだと思う。

310機織り機もスゴイ迫力。

360v編み込みパターンのパンチカード。
原始的だ~。
しかし、18世紀には世界の最新鋭だったんだから。

370こうした工業化によって家でやっていた仕事は工場へと移動し、規模が拡大するにつれて人手が必要となった結果、子供たちも工場に駆り出されるようになった。

380もちろんこうした工場で働かなければならないのは貧しい家の子で、口減らしの意味もあって、貧乏な家庭が9~10歳の子供を工場に売ってしまうことも珍しくなかった。
「あゝ野麦峠」とおんなじよ。
イギリスの場合、その仲介をしたのが教会の牧師だったっていうんだから驚く。
オイオイ、吉原に出入りしている女衒じゃねーんだぞ!…と言いたくもなるが、恐らくコレも理屈としては「人助け」の慈悲の心によるところだったんだろうな。
気の毒なのは子供たち。
学校にも行かせてもらえず、わずかな食料と10時間以上の労働で皆健康を害してしまった。
しかも…
400当然、工場の中は大量の機械が発するケタ違いの騒音が充満していた。
それで工員たちはみんな難聴になってしまったそうだ。
下のサキソフォンみたいなヤツは「Brass ear trumpet」と名付けられたアコースティック補聴器。
そんな騒音環境だからとなりの人がしゃべっていることすら聞こえないため、白い部分を耳に入れて、ラッパの部分で集音して使う。
聴診器みたいなモノだから、ただでさえヤカマシイところでこんなモノを使えば耳が余計に悪くなるにキマってる。
320騒音だけでなく、場内は綿ボコリが嵐のように吹きすさんでいて、容赦なく従業員の肺を攻撃した。
セキやぜん息に苦しめられた従業員たちへの治療は怪しい薬だけ。
下はその薬が入っていたビン。
いかにもチープでいい加減そうな薬が入っていそうなルックスだ。330ランカシャー地方の綿工業の従事者の半分以上は女性だった。
下のウールのショールはその女性労働者が通勤時に身に付けていたモノ。
寒かったんろうな~。
当時はまだ「女性は家にいるもの」という時代であったが、女性たちは働きたがった。
そして、家族はそのお母さんの稼ぎを大いに頼りにしていたのだそうだ。340v1870年頃の子供用の木靴。
この木靴を所有していたのは子供でもその親でもなく、子供が通う学校だった。
当時のマンチェスターは子供に靴を買ってやるほどの経済的余裕がなく、学校が貸し出していたのだ。
工場の賃金は低い上に、操業が安定していなかった。
原材料の綿の入荷が滞ったり、売り上げが減って在庫がダブつくとすぐに工場は操業を停止し、従業員たちは職場を失った。
当然、給料をもらうアテもなく、食べ物を買うのが精一杯で、子供に靴を買ってやることが出来なかったのだ。

350v次のコーナーへと進む。
ジョセフ・ホイットワースという19世紀の技術者の工作機。
この人は「BSW(British Standard Whitworth)」という世界初のネジの規格を作ったのだそうです。

410ホイットワースは銃やら大砲やら兵器の開発でもよく知られているそうだ。
アラ~、この人、ストックポートの出身だわ。10ccと同じ。

420最初の方に書いた通り、「世界最初のXXX」というと、もうイギリスの独壇場だわな。
エジンバラの博物館に行っても、スコットランド出身者による「世界最初」自慢ばっかりよ。
ココはチョットしたコンピューター・コーナー。

430ハイ、さっそく出ました。
「1948年、マンチェスターは世界最初の近代コンピューターの開発競争で優勝しました」
また「世界最初」。
展示は「Baby」とアダ名されたその優勝したコンピューターのレプリカ。
実際の「Baby」のパーツ使われているそうだ。
460この真空管で「モダン」ですからね。
いい時代です。
「Baby」には500本の真空管が使われていた。440日本では「ウイリアムス管」と呼ばれる真空管。
正式には開発者の名前を採って「Williams-Kiburn Tube」という。真空管というよりブラウン管なのか…。
コレは「Baby」のメモリーの回路に使われたそう。

450別棟に移動する。
科学博物館にありがちな「体験コーナー」。

470子供たちが喜ぶところね。

480ギアの力を使って車を持ち上げてみよう!…みたいな。
私は座ってここのWi-Fiを利用してメールのチェック+休憩。
博物館見学はまだ続く。

500<つづく>
 
(2019年6月15日 イギリス マンチェスターにて撮影)