« sources~『一刀両断』&『つむぐ』リリース記念ライブ<後編> | メイン | 私の高松 <vol.2>~金毘羅さんへ上るぞ! »

2022年8月19日 (金)

私の高松 <vol.1>~うどんを食べに行こう!

 
「そしたら四国へうどんでも食べに行く?」
 
チョット前の話で恐縮だけど、高松へ行って来た…ホントにうどんを食べるために。
この頃はまだ「Go To トラベル」をやっていた一方、私が貯めている全日空のマイレージの大規模な失効が目前に控えていたので、ムザムザ無駄にするよりはよかろう…と、家内のひと言に端を発した企画だった。
2020年12月のこと。
私は以前、2度ほど高松を訪れたことがあった。
最初は中学の修学旅行の時だから1976年のこと。
もう1回はMarshallの仕事で行ったのだが、それも2004年か2005年のことだったので、もうずいぶん時間が経った。
どうせ行くなら…と、朝一番の飛行機で高松に向かい、空港でレンタカーを借りて四国の旅が始まった。10せっかくなので朝からうどん。
私も御多分に漏れず麺類が大好物でしてね。
そばもうどんも大好き。
うどんに関して言えば、「東京で一番おいしいうどん」と呼び声がかかる水天宮近くのうどん屋に通っている。
しからば本場讃岐はいかがなのもの?
「うどん県」だからしてどこへ入ってもヒドイ間違いはなかろうが、一応ガイドブックに目を通して評判のよかった街中のお店に入ってみた。
朝っぱらから結構お客さんが入っていたナァ。
ラーメンはゴメンだけど、朝食にそばやうどんってうれしいのよね。20おいしいね。
麺もダシもおいしい。
そして、格段に安い。
ところが…ココはカウンターの前に設置してある熱湯が入った大きな水槽にうどんを入れ、グバグバと自分で湯がいて食べるシステムだったんだけど…とにかくヌルい。
ダシもヌルめだったのが残念だった。
身体に悪いことは百も承知しているが、私は鍋焼きうどんとかみそ煮込みうどんの類を取り皿を使わず鍋からダイレクトで食べるタイプなので、麺類の場合、その温度がチョットでも低いのはどうにもガマンがならないのだ。30天気もよく、1回目目のうどんを食べた後はまず「栗林公園」へ。40な~んともココは美しいところですな~。
50「栗林公園」は国が特別名勝に指定している文化財庭園の中で、最大の広さを持つ…と言われているのだそうよ。
高松藩主松平家の別邸として、歴代の藩主が手を加えて300年近く前に完成したのだそうだ。
本当にどこをどう切り取っても惚れ惚れするほど美しい。70私は冒頭に書いたように、その修学旅行の時にココに来たことがあった。
その時はオモシロくも何ともなかった。
そりゃ13、14歳の子供にこんな庭園を味わえったって土台ムリな話だわ!
60コレがその初めて来た時の写真。
赤丸内が私。
黄色い線で囲ったオジサンね…教頭先生かなんかだったんだけど、この人に関して最近驚くべきことを知った。75下は私の音楽と社会の先生、故中村とうようさんの『地球のでこぼこ(話の特集刊)』というエッセイ集。
氏は御存じの通り、今の『ミュージック・マガジン』の創始者で、1970年の1月から毎月2ページほどのエッセイを同誌に連載していらした。
それを1冊にまとめ、「とうようズ・バラード」と「とうようズ・ブルース」と2巻にわたって刊行した。
話題は音楽のことから政治のことまで。
コレがどうしようもなくオモシロイ。
正当と思われるモノごとの見方や考え方をとてもわかりやすく、かつオモシロおかしく、しかし厳しい筆致で説明してくれる。
驚くのは50年前に書かれた政治に関する文章の内容がソックリそのまま現在の政治に当てはめることができることだ。
50年の間、政治家も民衆も全く進歩していなければ改善もされていないことがよくわかって笑える。
それどころか、社会情勢は今の方が断然悪い。
先日SNSで紹介した「Obscurantism(オブスキュランティズム)」というヤツだ。
 
そのとうようさんのエッセイ集の1973年の1月の回に「瞽女(ごぜ)」についての記述があった。
一応書いておくと、「瞽女」というのは新潟を中心に北陸地方を転々として三味線を弾いて唄って歩いた盲目の女芸人のこと。
時には芸以外のことを強いられることもあった。
近世までは全国に存在していたらしい。
で、当時とうようさんはフォーク・ソングの同好会のようなモノを主宰していて、そこに石川さんという人が毎回熱心に顔を出していた。
チョットその部分を引用すると…「(その石川さんが)うちの学校の文芸部の雑誌におもしろい記事が出ているから、と持ってきてくれた。
明治大学付属中野学園の文芸部の機関誌で、石塚義一郎というこの学校の先生が『越後高田瞽女物語』というのを寄稿しておられる。いま読んでもなかなか立派な内容で、この先生、かなりのゴゼ研究家と見える」と、とうようさん。
コレを読んでブッたまげたよね。
ナンとならば、上の写真の黄色い線で囲ったオジさんがこの「石塚義一郎」先生なのだ。
つまりこの石川さんという人は私の先輩ということになる。
石塚先生は歴史の先生でね、中学から同校に通った私は中高と2回この先生に教わったが、両方とも教科書を終わらせることができなかった。
とにかくとても話好きな人で、落語や文芸など、教科書と全く関係のない話題で毎回授業の1/3の時間を費やしていた。
当然子供たちはそんな話に興味などあるワケがなく、いつも先生はひとりでしゃべって、ひとりで笑っていた。
生徒の時は何とも思わなかったが、学費を払う方の立場になって考えてみると、コレは一種の詐欺ではないかね?
だって授業料を聴取しておきながらやることをやり切っていないんだゼ。
でもね、当時の先生の年齢に近づいた(あるいは上か?)今になってみると、あの時、落語の話とかをチャンと聞いておけばヨカッタような気もする。
しかし、生徒だった時分は興味のない話に毎回実にイライラさせられたものだった。
話をし出した時に「ハイ、じゃチョット手を降ろしてごらん」とおっしゃる時は話が長くなるサインで「またかよ~!」と大変ウンザリしたものだった。
ある時、突然「奢侈(しゃし)」という言葉を黒板に書かれたことがあった。
恐らく吉宗の「享保の改革」かなんかの授業だったのだろう。
昔の学校の先生はみんなチョークで字を書くのが上手だったが、石塚先生は特に達筆でね、私は「奢侈」という言葉をこの時覚えた…なんてこともあった。
ん~、それにしてもこの『越後高田瞽女物語』っての読んでみたい!
もう、先生はお亡くなりになっているだろうナァ。
修学旅行に引率した中学2年生のボウズが今年還暦になるんだから!0r4a0260 とにかく園内はどこもかしこも美しい。80植わっている木々がまたいちいち素晴らしいと来てる。90と言いたいところなんだけど…この時12月でめっぽう風が強く…

93もうこんな格好だったのよ!
ピュ~~とカメラを持つ手も凍り付く寒風が吹きすさんで居ても立ってもいられなかった!95vそれでもひと通りユックリ見て歩いた。100こんなハート型の植木もあった。105やっぱり美しいとしか言いようがなかった…けど寒くて鼻水が垂れたわ。110_2それとコイがスゴイのよ!
こんな寒いのに水に浸かって気の毒に…。120近寄るとウジャウジャ集まって来たわ「冷たい!助けてくれ~!」って。130さぁ、冷えた身体を温めようということで2回目のうどん。
釜揚げうどん専門店ということで期待大。
釜揚げうどん、好きなのよ!140ココもいい加減混んでたナァ。
出て来たのは見紛うことなき「釜揚げうどん」。
2005年に来た時、空港のうどん屋で釜揚げうどんをオーダーすると、「スンマへン!釜揚げは今でけまへんのや。えろう時間がかかってまいよる。
でも、湯だめならすぐできまっせ!」と言う。
飛行機の時間もあったのでその「湯だめうどん」を頼んでみた。
出て来たモノは下の写真に限りなく近い、私から見れば完全に「釜揚げうどん」だった。
この時初めて知った。
お湯に入ったうどんを付け汁に浸して食べるモノをすべて「釜揚げうどん」と呼ぶのかと思ったら、釜で茹で揚げたうどんをそのままお湯に浸して提供するのが「釜揚げうどん」なんだとか…。
一方、茹でて一旦お湯を切ったものを再び熱湯に入れて温め直して食べるうどんを「湯だめうどん」というって言うらしい。
全く知らなかったわ。
 
で、このお店の釜揚げうどん、ごく普通だった。150古い街並みを観に行こう…ということで高速道路に乗って東かがわ市という所まで足を伸ばしてみた。160ん~、「古い街並み」ということではそれほど大したことなかったな。
170でもコレは壮観だった。
こんな赤い壁の建物を初めて見た。
この「赤」は魔除けだそうだ。
牛が見たら突っ込んで来るぞ。
180
「かめびし屋」という江戸時代からの製法を連綿と受け継いでいるつくり醤油屋。
200中を見たかったんだけど、ちょうどお休みの日で残念ながら閉っていた。190馬の繋ぎとめておくための環。
イギリスの田舎に行くと同じようなモノを見かける。
220vこの東かがわ市というのは手袋の生産が盛んなところで、ナント全国シェアの90%だって!
鯖江のメガネと同じだね。210この日泊ったホテル。225高台にあって眺望はバッチリ!240ロビーにはこんなモノが飾ってあった。
1998年の第24期棋王戦の第1局、羽生善治棋王と佐藤康光名人がこのホテルで対局した。260コレは投了のようす。
115手で羽生棋王の勝ち。
将棋指しには大変興味があるが将棋自体には興味がない。
250コレは父の形見の私の座右の書。
3回読んだ。
「真剣師」というのはお金を賭けて将棋を指す仕事ね。O6_2昼間あの眺望だったので、さぞかし部屋からの夜景が美しかろうと思っていたら期待通り。
ところが!
隙間風が遠慮なく吹き込んで来て寒いのなんのって!
さすがにガマンができず、押し入れの中に余っていた布団をすべて引っ張り出して窓枠を目止めして寝たわ。Img_0069翌朝は早く起きて「法然寺(ほうねんじ)」という古刹を見に行った。
前の晩に高松松平家の菩提寺ということを知り、さぞかし立派な寺に違いないとニラんだのだ。270浄土宗の宗祖である法然が作ったとされる阿弥陀如来立像が本尊だという。280鎌倉時代、讃岐に流された法然が立ち寄って「生福寺」を建立。
水戸光圀のお兄さんで初代高松藩主となった松平頼重が江戸時代初期にその「生福寺」を現在の場所に移転させ名を「法然寺」と改めた。290なるほど立派なお寺だわ。
階段の上には「文殊楼」と呼ばれる楼閣がある。300v 名前の通り「文殊菩薩」と「普賢菩薩」を祀っているのかと思うとさにあらず。
梵天さまと…310その仲間の帝釈天さまが祀られている。
コレが帝釈天か…。
テッキリ笠智衆のイメージだったがゼンゼン違うじゃん?
どっちかというと萩生田か?
右手に握っているのは密教の法具で「金剛杵(こんごうしょ)」というのだそうだ。
煩悩を打ち砕き、邪魔外道を退く武器とされている。
320その奥にある「来迎堂(らいごうどう)」というお堂。350般若台という名前の墓所の入り口。
ここに高松松平家の墓があるのだそうだ。
「松平」ってスゴイでしょ。
会津やら福井やら、いたる所に「松平氏」。
ベトナムの「グエン」さんじゃあるまいし、ナンでこんなに「松平」?
と思っていたら、紀州、尾張、水戸以外の徳川関係者はみんな「松平」なのだそうで…。
他に報奨として松平姓が下賜されることもあったが、元の家名の方が格上の場合もあり、そういう時は大変に迷惑だった、なんてこともあったそうだ。
ところで、ベトナム人の苗字の70~80%が「グエンさん」なんだよ。
ウソだと思ったら、コンビニの従業員が付けている名札にグエンさんという名前を見つけたら「ベトナムの方ですか?」って訊いてみな?
私はもう何回もやっているんだけど、的中率は完全に100%だよ。
人の好さそうなグエンさんだったら「日本はどうですか?」と尋ねてみたりもしている。
「水道の水が飲めてとてもありがたいです」とにこやかに答えてくれた男性のグエンさんがとても印象に残っている。0r4a1633裏の墓所に回ると「無縫塔」と呼ばれる墓石の先端が丸まっているお坊さんのお墓がズラリ。
いかにこのお寺の歴史が長いかを示している。360ああ、いい景色だナァ。
四国の山はポッコリしていてオモシロいね。
330隣りには阿弥陀如来像、釈迦如来坐像、弥勒菩薩像を本尊とする「三仏堂」というこれまた立派なお堂。380それと並んだこのお堂が御本堂なのだそうだ。
ココに法然さん自作の阿弥陀如来像が鎮座ましましている。
400国指定の史跡だからね。
来てヨカッタ!
390v<つづく>