私の高松 <vol.2>~金毘羅さんへ上るぞ!
四国2日目。
法然寺から琴平町に回る。
「こんぴらさん」ね。
ホテルに荷物を預けて早速金毘羅宮に向かった。
ホテルの人から杖の貸し出しのオファーを受けたが、バカにするない!
まだまだ足腰は達者じゃわい。
ホテルのすぐ先が参道の入り口でとても便利。
ああ、もう足がガクガクだ。
ウソです。左右に立ち並ぶ年季の入った土産屋の風情が何ともタマらんね。こういった手合いのモノが果たして売れるのであろうか?…って、売れるからお店が続いているんでしょうけど。
コリャ「森の石松」だな?
「石松金毘羅代参」っていうヤツ。
「石松金毘羅代参」というのは、『清水次郎長伝』の中の一話で、金毘羅宮に願掛けをした次郎長親分がその宿願を果たし、代理で森の石松を願ほどきに四国に派遣する物語。
ところが、次郎長親分は石松に道中の酒と博打と喧嘩を固く禁止する。
そこから色々とハプニングが起こるワケだね。
今の若い人は知らないだろうけど、我々世代ぐらいの人ならきっと知っている、あの有名な「食いネェ、食いネェ、寿司食いネェ」というヤツは、この金毘羅代参の帰りの船の中でやるんですよ。
あ、参考までに書いておきますが、「森の石松」って、「森」にいるのかと思っていたけど、それは違う。
トトロやジェスロ・タル(←「Jack in the Green」という曲のことです)じゃないんだから。
「森の石松」の「森」は石松の出身地、「遠州森町村」のこと。
『清水次郎長伝』は二代目広沢虎造でどうぞ!
浪曲っていうのは「ひとりミュージカル(正確には『曲師』と呼ばれる三味線を弾く伴奏者と2人)」だからね。
ジッと聴いているととてもいいもんです。 さあ、ガンガン歩くぞ~!観光地でよく見かけるこういうアイドルのグッズって一体誰が買うんだろう?
天地真理とか、私は一度足りとも買ったことも、買ってもらったこともありません。お、もう100段か!
チョロい、チョロい!周囲の様子がコロコロ変わっていくのが楽しいな。
階段を上がるだけじゃ飽きちゃうもんね。備前焼の狛犬だって。こんなの出て来た。
「灯明堂」という釣り灯籠のハウス。
安政5年(1858年)に建てられたモノ。 梁への彫刻等、なかなか手が込んでいる。ハジッコも立派!
使っていた頃はココから入って中の灯籠に火を灯したのだろう。 ナンカ急に階段が険しくなってきたナ。
まだ全然ヘッチャラだぜ!1993年の『男はつらいよ』の第46作『寅次郎の縁談』のロケ地は香川で、金毘羅さんに詣でるシーンが出て来る。
マドンナは2回目の松坂慶子。
もうこの頃の渥美清はガンで著しく体調が悪く、派手な演技が一切できなくなっていたそうだ。
ちなみに笠智衆はもう亡くなっていて、タイトルからクレジットも消えていたが、劇中で「御前さまお元気?」、「元気にしてますよ!」というシーンが2回ぐらい出て来る。
本当はもうこの世にいなかったのだ。
アノね、「寅さん」はチョットやらかしてしまいましてね、近々またこのShige Blogで記事を編みたいと思っています。
時折後ろを振り返るととても気持ちがいい!
子供たちは元気じゃのう。
イヤ、ワタシだってまだまだナンともありません。
時折出て来る展示コーナー。
これが存外に楽しい。
「琴陵宥常大人命(ことおかひろつねうしのみこと)」という金刀比羅宮の元宮司。
江戸時代、「金光院金毘羅大権現(こんこういんこんぴらだいごんげん)」と呼ばれていたのを現在の「金刀比羅宮」という神社名に改めた人。
1886年、紀州沖でイギリスの「ノルマントン号」という船が沈没。
イギリス人の乗組員は船員は助かったものの、日本人が全員水死しまった。
そこでこの琴陵宥常は海上安全を祈願して時の総理大臣であった黒田清隆に直訴して「大日本帝国水難救済会」を創設させたのだそうだ。
金毘羅宮は海の信仰だからね。
だからこんなモノも展示してあった。
昔の全国の海難事故の避難所マップ。 294段目…まだ半分も来ていないのかよ!
どうりで足がヘッチャラだと思ったわ。
チョット疲れた頃になると現れる展示コーナー。
階段を上っていて飽きさせないように設計されているのか?
コレは「掃海殉職者顕彰碑」というもの。
第二次世界大戦中、瀬戸内海や日本近海にはなだ67,000個に及ぶ機雷が浮いていて、日本周辺の海路をことごとく塞いでいた。
アメリカ軍の置き逃げよ。
「それじゃ困る」ということで昭和27年から約6年の長きにわたってその機雷の始末に従事していた旧海軍関係者の人たちがいた。
そのウチの79名が殉職。
その方たちを称え顕彰したのがこの碑。 コレは上とは別に世界の掃海作業で活躍した「はやせ」の錨。365段目にある「大門」。
吉原みたいだな。
お土産屋が立ち並ぶのはココまで。
ハイ、後ろはどんなかな?
おお~、高くなってきた!大門を抜けると勾配が緩くなって景色が一変する。おお!それっぽくなってきたぞ!「桜馬場」という石畳のエリア。
こうした寄進額を表示した石碑を「奉納石柱」というらしい。
こうしてズラリと並んでいるんだけど、寄付額は「壹百萬圓」、すなわち「1,000,000円」!
なんの、なんの!…「3,000,000万円」行ってみよう!寄進額の思い切りの良さとは別にこの辺りはとても雰囲気がよくて歩いていて気持ちが良い。また階段。
ドンドン行くぜ!青銅の鳥居をくぐって階段を上ると…ちょっとした広場になって色んなモノが展示してある。
まず目についたのはコレ。
「もーれつア太郎」に出て来そうなこの犬は「こんぴら狗」というそうだ。
どんな犬か?…高札の解説を読んでみよう。 皆さんも読んでみて!
フムフム…って、サッパリわからんわ!
前半の文章は完全に複雑骨折をしている悪文。
いわゆる「フリー文章」…コレでよくOKが出たな。
一度たりとも読む人のことを考ていない文章と言えよう。
私だったらこう書くよ。
「江戸時代、庶民はみなとても篤い信仰心を持っていました。
そして、伊勢神宮や富士山にお参りすることを望んでいましたが、それは庶民の夢で一生に一度行けるかどうかの一大イベントだったのです。
ナゼなら、費用がかかるばかりではなく、昔は交通機関などありませんから遠方へ出かける長い期間仕事を休まなければなりません。
そんなことはできるハズもなく、庶民は代わりに『講』というシステムを考え出しました。
コレは、講のメンバーでお金を出し合って旅費を作り、みんなで選んだ代表者に現地へ行ってもらい、出資者たちの分まで代理でお参りをしてもらうシステムです。
このシステムは「伊勢講」、「富士講」などとして日本国中に伝播し、大変な発達を遂げました。
一方、代理のお参りを犬に託した人もいました。
この『金毘羅参り』がその対象のひとつです。
初穂料と道中の食費を入れた袋に『こんぴら狗』と書いて犬の首に括り付け、犬は街道を行く旅人から旅人に引き渡されて見事金毘羅宮までたどりつくのです。
しかし、飼い犬の願い事はひとつしか叶いませんでした。
ナゼかというと、犬は参道の階段785段を上り、本堂でお詣りするワケですが、口にするのは「ワン」だけだったからです。
おあとがよろしいようで…」
ナゼかアフリカ象の像が…。
金刀比羅宮のある山が「象頭山」と呼ばれていることからのようだ。
山の形が象に似ているんだって。そういえば昔、『脱走山脈(Hannibal Brooks)』という象を脱走する映画があったな。
主演はオリバー・リードとマイケル・J・ポラード。
『バックトゥザフューチャー』のマーティを演じたマイケル・J・フォックスっているでしょう?
この人はマイケル・J・ポラードの大ファンだったので、自分の芸名も「マイケル・J」にしたんだよ。
ポラードは『俺たちに明日はない』でボニーとクライドの子分を演った人。
いい役者だった。
ナンダナンダ?
こんなモノも出て来た!コレは高さ6mもあるホンモノの大型船のプロペラ。いわゆるスクリュー。寄進者は今治造船株式会社。
金毘羅宮は「海の神様」だし、「金毘羅さんも弊社もうまく回っていきますように」…との願いがこめられているそうだ。
案外軽いな…。
ま、こんなスゴイものを寄進されるのだから、よもや首が回らなくなるようなことはあるまい。神馬(しんめ)もいらした。
「月琴号(げっきんごう)」という。
神様がお乗りになる馬ですからね、エライんだぜ。丸山応挙の絵で知られる「表書院」。
時間の関係でスキップした。628段目にある旭社。
大分来たぞ!
この提灯のロゴ。
丸に金かと思っていたらチョイと違う。
コレは御社紋(ごしゃもん)という神社の紋で「まるこん」と呼ばれているのだそうだ。
文字自体は「金」で、隷書体(れいしょたい)フォントで表したものだそうだ。本宮までの最後の難関。
最後がコレかよ~。あと133段だって。
ハイハイ、登りますよ。 登った~!コレが本宮。
ココも実は2回目の訪問なのだ。
コレが47年前に初めて来た時。
赤丸が私。
当時は集合写真を撮る時はなるべくいいポジションに収まるように努めていた。
黄色は「瞽女研究」の大家、石塚義一郎先生。
詳しくは<vol.1>を見てね!御本宮の御祭神は、農業・殖産・医薬・海上守護の神、「大物主神(おおものぬしのかみ)」と、讃岐の国に流された「崇徳天皇(すとくてんのう)」を合わせ祀っている。 イヤ~、785段、さすがに疲れたわ~。でも絶景!
本宮のとなりの絵馬堂…なんて聞いた風なことを言っておりますが、この「絵馬堂」という名前がわからなかったので、金比羅宮に電話をして教えてもらいました。
メチャクチャ親切なご対応をして頂きました。
海関係のモノがビッシリと飾られている。さて、今回は本宮より先の「奥社」へも上がることにした。
ココまで785段、奥社までは1368段というからあと583段…イケるのか? つべこべ言わず階段を上がる。
本当はもうシンドイのよ、ツラいのよ。お、途中で白峰神社に遭遇。 「白峰」の名がつけばそれはもう崇徳天皇。
すなわち「崇徳院」。 「崇徳院」といえば古典落語の人気演目で、私はこの噺や「芝浜」を十八番としていた三代目桂三木助の名演で覚えた。 百人一首の歌がテーマになっている噺。
「川の流れが速くて水が二手に分かれてしまうけど、また後に一緒になるんだよ」というロマンチックなラブ短歌。
こんな甘ったるい歌を詠むワリに…
生前の恨みが募って崇徳院は死後恐ろしい怨霊になった。
そして、さまざま災厄をもたらし、100年ごとに開催する「式年祭」の前後には国を揺るがす大きな動乱を引き起こすとして、歴代の天皇陛下をビビらせていた。そして幕末期、孝明天皇は崇徳天皇が奥羽越列藩同盟の味方をすることのないように、京都に白峰社(後の白峰神宮)を建立して祀った。
もし、この神社が建てられることなく、崇徳天皇の怨霊が会津や彰義隊の味方をして岩倉&薩長の偽の官軍を駆逐していたら今の日本はもっといい国になっていたかも知れない…と考えると大変興味深い。
ちなみにこの白峰神宮は蹴鞠の宗家の飛鳥井家の地所に建立されていることから、「まりの神様」として、現在ではサッカー他「スポーツの守護神」としてにぎわっているらしい。 そして、崇徳天皇のお墓は今日の祇園にあって、今でも月命日の21日には月次祭というモノを開いて鎮魂しているそうだ。さて、奥社はまだかいな…。
もうね、ダメなの。
引き返すワケにもいかないので、観念して階段を登り続けたけどサ…もうシンドかったわ。
ハッキリ言って遠慮しておけばヨカッタよ。なんて後悔していたらナントカ到着!
1368段上りきったゼ~!
コレが「奥社」こと「厳魂神社(いずたまじんじゃ)」。眼下に広がる絶景!
ああ、この景色を見たら疲れナンカいっぺんに吹き飛…ばないっつーの。
もうクタクタだよ。そして、無事に下山して夜ユックリ温泉に浸かったとさ…。
そういえば、この日はうどんを食べなかったナ。
と思ったら…夕食の茶碗蒸しにうどんが入ってやがんの。
コレはヤメてくれ!
美味しくない。
<つづく>