イギリス紀行2019 その8 ~ グッバイ・マイ・ワイフ
家内のイギリス滞在最後の日。
滞在日数は10日と、そう極端に短くはなかったのだが、私の「仕事のお手伝い」ということでMarshallから呼ばれていたため、自由に観光する時間がタップリあったワケではなかった。
4年前に生まれて初めてロンドンを訪れた彼女は、一発でその魅力にヤラれてしまい、今回も寸暇の自由時間を有効に使うため下準備をして臨んだ。
しかし、予定通りにいかないのが旅の常。
それでも大事なポイントは抑えたので(主にパブ)マァ、結果はオーライ。
その「大事なポイント」の内のひとつが今日登場する「St. Paul Cathedral(セント・ポール大聖堂)」。
「え、セント・ポール行ってないの?」と嗤われそうだが、4年前の訪問時には時間切れでスキップしてしまったので、今回はその「リベンジ」ということになった。
前回、時間切れの他にセント・ポールを飛ばしてしまった理由は「LONDON PASS(ロンドン・パス)」だった。
「LONDON PASS」とは、提携している観光ポイントを好きなだけ無料で訪れることができる「観光定期券」のこと。
イギリスの観光施設は国営であれば無料であるところが多いが、それに該当しない有料の施設は押しなべてアキれるほど入場料が高い。
北鎌倉当たりの名刹と比べると本当に「0」が1個違う。
だからすごくお得。
ただし!…コレは以前にも書いたけど、イギリスの史跡系の観光施設は平日はたいてい5時までしか開いていないし、4時20分までに入場しなければならない…なんていうと、持ち時間にかなりの制限が出て来る。
となると、こっちとしては「ナントカしてLONDON PASSの元を取ってやろう!」と、少しでも数多くのポイントを巡ることに没頭してしまう。
で、行ってみたはものの、ナニも見て来なかった!…なんてことになりかねない。
コレじゃモッタイナイ。
でも、「ダイジェスト覚悟」で観光するにはLONDON PASSは大変にお得。
で、そのLONDON PASSの提携先にセント・ポール大聖堂が入っていなかったのですわ!
つまりLONDON PASSを持っていても、見学するには入館料を大枚払わなければならない。
大人ひとりで3,000円ぐらいだからね。デカいよ。2人で6,000円だもん。
それでパスした。
コレがホントのLONDON PASS…ナンチャッテ!
他に、あのウエストミンスターの観覧車「London Eye」とか「マダムタッソー蝋人形館」とか「コート―ルド美術館(←ココの印象派のコレクションはお金を払ってでも見る価値が十分あります)」とかはLONDON PASSを持っていても無料にはならない。
ということで、今回はLONDON PASSの元を取っている時間もないので、単発でセント・ポール大聖堂に専念することにした。
…と思ったらアータ、今はセント・ポール大聖堂もLONDON PASSで入れるんだってよ!なんだよ。
入館料は£20に上がっていた。
今、メッチャ円高ポンド安だよね~。1ポンドが130円近いもんね。
たった20年ぐらい前は250円あたりだったんだぜ。
今はBREXITの関係もあって特にこの傾向が顕著なんだろうけど、ここ20年でポンドの価値が半分になっちゃった。
昔はレスター・スクエアで買って食べたハーゲンダッツのアイスクリーム一玉が700円ぐらいだったからね。
タバコは1,500円ぐらいだった。でもそれのおかげでタバコを止めることができたんだけどね。
下は入り口に置いてあった日本語のリーフレット。
「置いてあった」というのは過去の話だからで、今回はもう見当たらなかった。
実はコレはかなり前に来た時にもらったモノなの。
グズグズと歴史を調べて語ったところで誰もよろこばないだろうから簡単に書くけど、オリジナルは607年に作られたそうですよ…「1607年」じゃないよ。7世紀!
ヴァイキングが焼いて無くなっちゃったんだって。
しょーがねーな、ヴァイキングは!
その後、先代の聖堂が1240年に建てられたが、今度は1666年のロンドン大火で完全消失。
そして、今のセント・ポール大聖堂が1710年に完成した。
1710年っていつごろかと言うと、八代将軍吉宗が「享保の改革」に躍起になっていた頃よ。
同じ年、イギリスでは総選挙があってトーリーが圧勝した…とある。
ゼンゼン違う。
さて、セント・ポール大聖堂に次の危機が訪れたのは第二次世界大戦の時。
イギリスには地震がまったくないのでそっちの心配はない。
「Blitz(ブリッツ=ドイツ語で稲妻の意味)」と呼ばれたシティ地区を狙った1941年のロンドン大空襲でヤバかったが、チャーチルが「ナニがナンでもセント・ポールだけは守れ!」の掛け声の元、市民がみんなで火災から大聖堂を守ったという。
コレらの写真はコンパクト・カメラか携帯のカメラで撮ったモノなの。
え、一眼レフを持って行くのを忘れたのか?って?
イヤイヤ、さすがにそれはない。
ライブハウスに置き忘れて帰って来ちゃうことはタマにあっても、持って行くのを忘れることはほとんどない…と言いたいところだが、実際にはないことはない。
実はですね、ココ、堂内の撮影はNGなんですよ。
それを覚えていたので、ワザとホテルにカメラを置いて来たというワケ。
ところが、つい最近…どころか、ナントこの6月から一部の箇所を除いて撮影がOKになったんだって!
だからこうして写真がある。
何だよ、先に言えよな~。
だからコレらは撮影が解禁になって1週間後に撮ったモノなの。
ま、写真を撮りに来ているワケではないのでいいんだけど…。
しかし、この荘厳さはとにかく筆舌しがたいわ。
それぞれの説明については各自ググってください。いくらでも調べられるから。
ココでは国家レベルの大きな儀式が行われることでも有名ですな。
1806年にはネルソン提督の葬儀が執り行われた。
ネルソン提督はトラファルガー海戦でナポレオンをやっつけた人。トラファルガー広場のあの塔の上にいる人…コレね。
ヴィクトリア女王の即位60周年の式典やその4年後の葬儀もココで執り行われた。
ウィンストン・チャーチル、、マーガレット・サッチャーらのお葬式もココ。
どっちかというと、不祝儀の方が多いのかな?
でも、ダイアナ妃とチャールズ皇太子の結婚式はセント・ポールで開かれた。
ところが、エルトン・ジョンが涙を流したダイアナ妃のお葬式はウエストミンスター寺院で執り行われている。
コレは一体どういう基準でキメるんだろうな~。
エリザベス女王は25周年(Silver)、50周年(Gold)、60周年(Diamond)の記念式典をすべてココで開いた。
ウェストミンスター寺院が「王家の菩提寺」で、それに対してセント・ポール大聖堂は「市民の大聖堂」として古くからロンドン市民に親しまれてきた…という違いがあるのだそうだ。
また、セント・ポール大聖堂はイギリスが関わった大きな戦闘の勝利を祝う式典の場とされてきた。
皆さん、戦争大好きだからね~。
ナニせ、エリザベス1世の統治時代の1588年、スペインの無敵艦隊を駆逐してイギリスを世界の一等国にのし上げることになった「アルマダの海戦」に勝利した時の記念式典もセント・ポール大聖堂で開催したのだそうだ。
もちろんパイプオルガンも完備。
初代のドイツ製のオルガンは1694年に設置され、その後何度も更新され、現在のオルガンは2008年のモノだそうだ。
当然ココのオルガニスト(Organista)たるや大変なステイタスなんでしょう。
どこの聖堂に行っても何とも言えない雰囲気が漂う「聖職者席」。
「エドモントンさん」とか「ウィルスデンさん」とか…いわゆるBishopという方々ですな。
どんな見てくれの人がココに座るのかと想像すると興味深い。
きっとアタマは薄目で色白、眼鏡をかけてニコニコしてるんだろうな。
まさか高速道路で「あおり運転」をしそうなルックスではあるまい。
最近、坊主がやってたもんね!アレには驚いたわ。
でも、ものすごく素朴な疑問で恥ずかしいんだけど、キリスト教は「隣人を愛せよ」とか、「右の頬をを叩かれたら左の頬を出しなさい」とか、誠に尊いことを教えているのに、こと宗教だの宗派だのになると平気で戦争までしちゃうでしょ?
この二面性がまったく理解できないんだよな~。
先に触れたように堂内は写真撮影禁止だったんだけどナゼに解禁しかのか…。
コレ気になるでしょ?
「入館料が高いんだから写真ぐらい撮らせろ!」とクレームが多数寄せられたか?
反対にどうして今まで写真撮影が禁止されていたのか?
観光客が写真を撮るのに夢中になってしまい、ジックリと実物を見ることがおろそかになってしまうから…なんだって。
それは大きなお世話でしょうよ!
他にも理由があって、あまりに沢山の人が写真ばかり撮っているとお互いに邪魔になる…ま、コレはわかる。
そして、一応教会なので神様に敬意を示すためにガチャガチャやらない…コレが一番納得できる。
で結局、どんなに撮影を禁止してもコソコソと写真を撮るヤツが後を絶たないので、「エエイ、もういいや!メンドくせぇ!好きに撮ったらいいやんけ!」と開き直ったらしいんだよ。
どこへ行っても私は写真を撮るのと同時に実物をシッカリと見るように努めているけど、写真ってのは「記憶の記録」なんですよ。
どういうことかというと、子供の写真やビデオなんかがいい例なんだけど、結局最終的にハッキリと覚えていることって、後に写真やビデオで見ていることなんだよね。
他のことは忘れちゃう。
でも、写真を撮った時のことはよく覚えているものなんですよ。
だから周囲に迷惑がかからない限りはルールを守って可能な限り多くの写真を撮っておいた方がいい。しかもデジカメになってフィルム代がかからないんだから。
仕事で行っているので、ライブの写真も多数含まれているけど、今回の3週間の滞在で家内と2人で約16,000枚の写真を撮った。
それでも「あ~!面倒がらずにアレを撮っておけばヨカッタ!」と臍を噛む思いをすることが少なくないのよ。
最深部の祭壇。
やっぱりスゴイ重みですな。
あ~、やっぱりチャンとしたカメラを持ってくればヨカッタ…。
次回はLONDON PASSを買って私がリベンジだな。
一番奥に展示してあったのは第二次世界大戦で犠牲になった英米の方々の名簿。
その名簿の台には「このチャペルは第二次世界大戦中犠牲になった英米の方々、特に名簿にあるアメリカ人兵士を追悼するものである。
この石板は、1958年11月26日、リチャード・ミルハウス・ニクソン、アメリカ合衆国副大統領を迎えてHer Majesty Queen Elizabeth II世が除幕した」
コレは対ドイツ、ヨーロッパ戦線での戦死者を対象としているだろうけど、第二次世界大戦がらみということになると、日本が「鬼畜米英(しかも最初は鬼畜英米だった)」とやったように、向こうにしてみれば我々は敵国民ですからね。こうしたモノに出くわすとすごく複雑な気持ちになるんだよね。
今回はヒザを悪くしていたのでトライしなかっけど、無料でドームのてっぺんまで上がることができる。
エレベーターはなし。すべて人力。
もう最後の方になってくると人1人がやっと通れるぐらいの狭いらせん階段で、渋滞してるわ、ヒザは笑っちゃうわでエライ騒ぎとなる。
でも、一番上まで上がると…
この絶景!
まだ高層ビルが少ないね。
無理もない…コレは15年近く前に撮った写真なのです。
テムズ川方面はテート・モダンとグローブ座を眼下に見下ろすよ。
あの荘厳な聖堂の屋根はこうなってる。
案外安普請だな。
ヒザが良くなったらまた上がって来よう!
今度は地下。
「Crypt(クリプト)」と呼ばれる納骨スペース。
多分、地下はまだ写真NGなんじゃないかな?
床に墓石が敷き詰められていてその上を歩くんだけど、コレは失礼に当たらないらしい。
『シンドラーのリスト』でユダヤ人の墓石を矯正収容所内の石ダタミの代わりにするシーンがあったでしょ?
我々なんかはあんなのを見るとものすごくイヤな気分になるけど、どうなんだろう?
イギリス人は平気なのかな?
田舎町の古い教会の墓所なんかもそう。墓石が地面に埋まっているのをよく見かける。
王家はウエストミンスター寺院に納骨されるようだけど、ココはそれとは異なり、例えばフローレンス・ナイチンゲール。
それからトーマス・エドワード・ロレンス…つまり「アラビアのロレンス」ね。
アレクサンダー・フレミングはペニシリンを発見したイギリスの細菌学者。当然ノーベル賞ゲッター。
箱根の「彫刻の森」でおなじみのヘンリー・ムーア等々、王家以外の偉人とされる人たちが眠っている。
その傍らにはセントポール大聖堂の歴史を綴った展示が施されている。
昔はこんなのなかった。
この展示でこんなのを見つけた。
1501年、ヘンリー七世の息子でヘンリー八世のお兄さんであるアーサー王子とキャサリン・オブ・アラゴンの結婚式もココで挙げている。
そして、この翌年の1502年、17歳の若さでアーサー王子は亡くなってしまう。
キャサリンは16歳で未亡人となり、アーサーの弟のヘンリーと結婚することになるんだな。
それが「ヘンリー八世の六人の妻」の不幸のはじまり。
興味のある人はコチラをどうぞ ↓ ↓ ↓
【イギリス-ロック名所めぐり】vol.34~ヘンリー八世と六人の妻 <その2:アラゴンのキャサリン>
ゴメンね、コレ、なかなか続きを書く時間がなくて!
ま、ザっとこんなところなんだけど、もうひとつ「セントポール大聖堂と言えば!」がある。
それは映画『メリー・ポピンズ』。
もうMarshall Blogで何回もやってるけどサ。
下はいつのリバイバル公開だか知らないけど、テアトル東京で上映したんだね。
テアトル東京は銀座一丁目にあったシネラマで上映できる巨大な映画館で、地下にはテアトル銀座という中型の映画館が入っていた。
初めてテアトル東京に入ったのは昭和49年、スティーブ・マックイーンの『パピヨン』の公開時だった。
その翌年、豪雨の日に『七人の侍』を父と一緒に観に行ったのをよく覚えている。超満員だった。
『メリーポピンズ』のセント・ポール大聖堂といえばこのシーン。
数多くの名曲が収められているこの名作の中で最もいい曲だと思う。
「Feed the Bird」という曲。
いい曲だと思わない?
歌ってるのがジュリー・アンドリュースだからね~。それを割り引いても素晴らしい曲だ。
このハトのおバアさんがいるのが、この正面玄関。
場所は変わってソーホーの「プリンス・エドワード劇場」。
何年か前、私はここで舞台の『メリー・ポピンズ』を観た。
何しろ半額チケットだったもんで、まぁ、ステージから遠いのなんのって!
下の矢印の辺り…要するに一番後で観た。
もちろんメリーポピンズの顔なんて皆目見当もつきはしなかったが、名曲の数々に大満足!
コレはその時のプログラム。
確かそう安くはなかったけど、ま、コレも記念と思い出だから!
こういうモノにこそお金をつかわないと。
色々入っていてうれしかった。
そして、先日のイギリス行きの飛行機の中で途中まで観た『メリー・ポピンズ・リターンズ』。
メリー・ポピンズを演じたエミリー・ブラントがチョット強面だけどステキだったと別の記事に書いた。
その中で「(Underneath the) Lovely London Sky」という曲がすごくいい…と書いたけど、ナンノナンノ!
オリジナルサウンドトラックを聴き込んでいるウチにエミリー・ブラントに声が最高に魅力的であることに気がついた。
ホントに歌っているのかな?吹き替えか?
特に「The Royal Doulton Music Hall」と「A Cover is not the Book」という2曲が果てしなくチャーミングで、最近は毎日何回もコレを聴いて悦に浸っている。
特に後者はオモシロい。
チョット書かせてね。
「チャリング・クロスに住んでいる本の虫(bookworm)のグーテンバーグおじさん」が本の読み方を教えてくれる歌。
尺取り虫って英語で「inchworm(インチ虫)」って言うんだけど、向こうも「本の虫」という表現があるんだネェ。
そして、グーテンバーグおじさんがチャリング・クロスに住んでいる理由がある。
チャリング・クロスは東京で言うと神保町。つまり古本の町なのです。おじさんの「本の虫」ぶりがコレでわかるいうワケ。
私もチャリング・クロス大好き。
タイトルは「表紙は本じゃない」ということから「表紙だけじゃ本の内容はわかりませんよ!」という意味。
「本は手に取って開いてれば思わぬ発見があるよ。行間を読みほどけばその本への第一印象が変わりますよ!」とおじさんが教えてくれる。
本ってそういうものですよ。
だから電磁書籍はダメなんだよ。アレは本ではないから。
「book」、「look」、「crook」という韻がすごく楽しいし、その「行間」を表す「between the lines」と歌うエミリーの声がこの上なく魅力的なのだ。
この「lines」の1拍を聴きたいがために何度も曲を聴いているです。
しかし、人の心を捉えるメロディってのは「半音」をいかにうまく使っているかどうか?ということに尽きるね。
偉大な作曲家は絶対にコレを意識していると思うし、今のバンドの形態をしている連中が演っている音楽はこの部分が完全に欠落しているので、全く心に響くことがない。
あの最近ヒットした酸っぱいヤツなんかもそう。
ロンドンのシンボル、やっぱりどんなところから見てもその威容に圧倒される。
念願のセント・ポール大聖堂の見学も終わって向かったのは「Natural History Museum(大英自然史博物館)」。
2日続けてのサウス・ケンジントンだ。
そうそう、数日前にロンドンに住むイギリス人から聞いたんだけど、サウスケンジントンのジミー・ペイジの家ね、本人がまだ住んでるんだってよ!
興味のある人はコチラ ↓ ↓ ↓
【イギリス - ロック名所めぐり vol.12】 South Kensington(サウス・ケンジントン)を往く
V&Aと並んでヴィクトリア女王がロンドン万博の利益で建てた博物館のひとつ。
この格好は!…日本からの修学旅行生だよ。
ロンドンへ修学旅行って!
親はどれだけ金がかかるんじゃい?!…と思って調べてみると、そういう学校って結構あったわ。
ロンドンだのパリだの。
上野の国立博物館のグレードを何段階もアップしたような展示。
子供ダマシのところがひとつもない。
今回はホントに待ち合わせの場所に浸かっただけで展示はほとんど見なかった。
そして、クジラの下で5歳のお友達と無事再会を果たしたのであった。
この後、天気もヨカッタのでそのまま歩いてハイド・パーク方面へ。
この辺りもステキなのよ。
写真の真ん中に見えてきているのは…
ロイヤル・アルバート・ホール。
この「アルバート」は当然ヴィクトリア女王のダンナ、「アルバート公」のこと。
ロイヤル・アルバート・ホールと向かい合うロケーションでハイド・パークの入り口に立っているモニュメントは「Albert Memorial」と呼ばれるアルバート公の記念碑。
アルバート公に先立たれたヴィクトリア女王が1872年に立った記念碑。
本当に仲がヨカッタんだね~。
そこで登場するのがこの映画、『ヴィクトリア女王 世紀の愛(The Young Victoria)』。
ヴィクトリアとアルバートが結婚するまでの半生が描かれている…完全に期待ハズれでした。
しかし!
ヴィクトリア女王を演じた女優さんが実によくて…そうでなきゃ観ていられんぞ!
と思って、チェックすると…ああ~、やっぱり!
途中で気がついたんだけど、上に挙げた『メリー・ポピンズ・リターンズ』でメリー・ポピンズを演じたエミリー・ブラントなのでした!
この後、ハイド・パークからラッセルスクエアのホテルに帰って、食事を済ませて家内を送りにヒースローに向かった。
今回3回目のヒースロー。
こうして羽田からひとりでヒースローにやって来たのが9日前。
アッという間におしまい。
もう1週間前のMarshall Liveやカムデンがもう昔のことのよう!
グッバイ・マイ・ワイフ!
気を付けて帰ってよ~。
2人とも大好きなロンドンやブレッチリ―、また一緒に来ましょう!
バイバ~イ!ひとりになった私はまずオックスフォード・ストリートのPRIMARKで買い物をするために「トッテナム・コートロード」へ向かった。
考えてみると、この駅を利用したのはことの時が初めてかも知れない。
少なくとも改装してからは初めてのことだ。
こんなにカラフルな装飾がしてあるとは知らなんだ。
地上へ出る。
コレで7時ぐらいかな?
この駅舎がある場所にはかつて中国人がやっていた大きなフィッシュ&チップス屋があって、その奥にLondon Astoriaがあった。
このバンド、「Freebird」演奏中。
その横でオジサン、爆睡!
別の日には「Hotel California」をインストで演奏していた。
ここ、昔Virgin Mega Storeだったんだよね。
『This is Spinal Tap』のDVDはココで買ったように記憶している。
地下はSound Controlというドデカイ楽器屋だった。
み~んな無くなっちゃった。
今ではPRIMARK。
ま、PRIMARK好きなんだけど…。
もう洗濯するのが面倒で、下着を買いに来たのはいいんだけど、土曜日ということもあってかスゴイ混みようだった。
レジがいくつもあるのに2台ぐらいしか動かさねえんだよ。
コレ、日本だったら避難ゴーゴーだよ。
それでも、こっちの人って文句すら言わないどころか、イヤな顔ひとつしないんだよね。
私なんかも~イライラしちゃって!
どれぐらい待ったかな?
軽く30分は待たされたよ。
「そうなのよ、オレとしたことがヘマしちまって!」…何の店だ?
「ヘマ」なんて縁起でもない!
ブラブラとチャリング・クロス・ロードを歩いてホテルへ向かう。
グーテンバーグおじさんには会わなかった。
ココ、かつてはUFOクラブがあったとこなんだよ。
Pink Floyd、後にSoft Machineがレギュラーで出ていたライブハウスね。
ホテルの部屋に戻ったのはいいんだけど…寂しい。
この寂寥感はナンなんだ?
今朝まで家内がココにいたのに…今日からひとりぼっちだよ。
信じられないぐらいサビしい~!
こんなに寂しくなっちゃって、明日からの私はひとりで大丈夫なのだろうか…。
明朝、住み慣れたプレジデント・ホテルに別れを告げてもっと安い宿に引っ越すのだ。