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2021年1月27日 (水)

ローリング・ココナッツ・レヴュー・ジャパンの思い出

 
その昔、『ローリング・ココナッツ・レビュー・ジャパン・コンサート1977』というイベントがあったのをご存知であろうか?
先日、Marshall Blogのジミ・ヘンドリックスの記事でリッチー・ヘイヴンスのことを書いていて「そういえば、この人…観たことあるんだよナァ」と、そのイベントのことを思い出した。
1977年だから、44年前のこと。
私がMarshallを生業としてヘヴィメタルやブリティッシュ寄りの世界にいるせいか、今の今までミュージシャンや音楽関係の方とこのイベントについての話をしたことが一度もない。
企画から出演者までいかにもアメリカ然としたイベントだったし、もう周囲には適齢期に70年代の音楽をナマで体験した人がそうは多くなくなってきたからね。
なんか、思い出したらとても懐かしくなってしまって、かろうじて覚えていることをココに記録しておくことを思い立った。
 
まずは、1977年がどんな年だったか…。
総理大臣が三木武夫から福田赳夫に変わった年。
こうして見ると、昔の政治家って年取ってるな~…と思ってこの人たちの1977年当時の年齢を調べてみると、我が先輩の三木さんは70歳、福田さんは72歳だった。
となると、今の政治家より格段に貫禄があるナァ。
今は国会議員の4割が世襲議員だってサ。
同じ血脈ゆえ政治家としての本質が変わらないところへ持って来て世の中がドンドン変わっていくから加速度的に世間の状況が悪くなっている…と思いませんかね?
まずはマスコミの改革が先決だろうけど?

Miki

Photo 青酸コーラ無差別殺人が起こり、ロッキード事件の公判は真っ最中、キャンディーズが解散して、アメリカの大統領がフォードからカーターに交代、マーク・ボランやエルヴィス・プレスリーが死去…それがこの年の出来事。
横田めぐみさんが拉致されたのもこの年だ。
マーク・ボランが交通事故で物故したのを知ったのは新聞の小さな訃報欄だった。
テレビでは報道されなかったんじゃないかしら?
当時は「マーク・ボラン」の名前を知っているのは「ロック」という音楽を楽しんでいる人たちだけで、一般人の間では全く馴染みがなかったハズだ。
私は中学校3年生だったが、実際にクラスでマーク・ボランやT.Rexを知っていたのは私と極々少数のロック好きの連中だけだった。
まだ自分が子供で、ロックが「大人の音楽」だった時代の話。
それにしてもこの鋤田さんの写真はカッコいいな。
実はコレをマネして、あるギタリストのアー写を撮ろうとしたことがあったんだけど、惨敗に終わったわ。Mb_2 まだこの頃は歌謡曲が光り輝いていた。
この年のヒット曲にどんなモノがあったのかを見てみると…。
「勝手にしやがれ」、「北の宿から」、「津軽海峡冬景色」、「失恋レストラン」、「あずさ2号」、「青春時代」、「岸壁の母」等々。
そして「S.O.S.」、「渚のシンドバッド」、「カルメン'77」、「ウォンテッド」とピンクレディー旋風が吹き荒れていたんだね。
演歌系とアイドル系の曲が仲良くヒットチャートに並んでいるというイメージか?
「カルメン」のベースをチャック・レイニーが弾いていたなんてことは大分後になってから知った。
まさかこの38年後の日比谷野音でミーちゃんの写真を撮らせてもらうことになるだなんてこの時は夢にも思わなんだ。120v 驚くべきは、今ココに挙げた曲の数々…ナント!正確ではないにしろ、私は全部歌うことができるのだ。
ナニを威張ってるのかって?
だって、私は歌謡曲に夢中になったことなんて人生でただの一度もないのよ。
真理ちゃんにも、百恵ちゃんにも、聖子ちゃんにも興味がなかった。
今でも歌番組は知り合いが出る時以外はまず見ることがない。
歌謡曲で買ったレコードといえば、せいぜい「帰って来たヨッパライ」とモップスの「月光仮面」ぐらいだ。(「黒ネコのタンゴ」も買ったかも知れない)
映画で「音楽」に目覚めたてからというもの、大学に入ったチョット後ぐらいまではズ~っとロック一辺倒。
そんな私でも「門前の小僧」でコレらの曲を歌うことができるってスゴイことだと思わない?
私がスゴイんじゃ全くなくて、曲がスゴイということ。
コレこそが歌謡曲の存在感であり、当時の曲のクォリティの高さを如実に表していることに他ならない。
今?
ないない、テレビから流れて来るような曲でフル・コーラス歌えるようなモノはただのひとつもない。
「♪いつで~もスマイルし~ようね」みたいにCMで使われているパートを知っている曲はある。
NijiUの振り付けはすこぶる可愛いと思うけど、ナニを歌っているのかは皆目見当がつかない。
歳のせいか、音楽のせいか…多分、年齢のせいだろう。
演っている人の性別を問わず、も~歌声と歌い方とメロディが鳥肌が立つぐらいツライの。
70年代のロックで育った御仁は恐らく同じことを感じているのではあるまいか?
 
話はさらに逸れるけど、今朝のワイドショーに出て来た「うっせぇわ」っていうのはいいね。
Adoとかいう高校生のシンガーだそうで。
椎名林檎ちゃんってこんな感じなんじゃないの?
声と歌い方とメロディと「がんばれ!」と歌わない歌詞が私には「ロック」に聞こえた。
いつもMarshall Blogに書いているように、今の感性と昔のロックのテイストをウマい具合にミックスさせた好例ではなかろうか?
心配なのは、こうして何かひとつ当たると粗製乱造のコピー作が雨後のタケノコのように出て来ちゃうんことなんだよね。
するとまたオモシロくなくなっちゃう。
でも、いい加減「がんばれソング」に飽きて来たということの証かも知らんな。
コロナのせいで、いくら発破をかけても、もうそんなにはガンバれなくなっていることを表しているのかも知れない。
 
さて、当時ロックといえばはまだまだ洋楽が主流(だったと思う)で、この年のロックの話題作といえばEaglesの『Hotel California』、Steely Danの『Aja』、Fleetwood Macの『Rumours』、Queenの『News to the World』、Sex Pistolsの『Never Mind the Bolocks』、The Clashの『White Riot』が挙げられだろう。
こうしてみると、もうこの頃はパンクが出て来て、「商業ロック」化がすごい勢いで進んでいたんだナァ。
やっぱりロックが「ロック」だったのはザッパが『One Size Fits All』を発表した1975年あたりまでだな…コレが私の持論。

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今でこそクラシックだ、ジャズだ、民族音楽だって騒いているけど、この頃はも~、ロックが好きで、好きで…。
寝ても覚めてもロックだった。
とにかく色んなモノを聴きたくて、お小遣いや父の仕事の手伝いで得たお金は100%レコードか楽器に費やしていた。
前の年にRainbowの初来日を観て感動して(ほとんど音の大きさに驚いただけ)、1977年は外タレのコンサート開眼の年にもなった。
AerosmithやKISSの初来日、ブライアン・フェリー、Ian Gillan Band、Eric Clapton、Santana等。
後楽園ホールで観たロイ・ブキャナンは行っておいてヨカッタ。
ロイ・ブキャナンとリック・ダンコとLittle Featは私の「三大行っておいてよかったコンサート」なのだ。
2軍が『Ra』のレコ発で来日したユートピア、Nazareth、Blue Oyster Cultかな?
3軍がKing Crimsonの初来日、フランク・マリノ、Van Halenの初来日かGeneis。
Deep PurpleもBBAも観ていない。
生まれるのが5年遅かった…。
でも、こういうことを考えると、つくづく東京に生まれ育ってラッキーだったと思うわ。
ロンドンだったら尚ヨカッタんだけどね。120r4a0535 私にとっての1977年はこんなところ。
つまりロックづくし。
そんな年の4月8日から10日の3日間にわたって開催されたのが『ローリング・ココナツ・レビュー・ジャパン・コンサート1977』だった。
このイベントはクジラやイルカを守るアメリカの環境保護団体の企画で、日本ではじめてのベネフィット・コンサートになったのだそうだ。
 
Rainbowだ、Aerosmithだと騒いでいた子供のいちロック・ファンが、ナゼそうした音楽とはおおよそ関係のないイベントに行ったのかというと、クラスメイトの安藤くんの誘いがあったからだった。
安藤くんも映画好きだったことから仲良くなったのだが、当時は彼の方がゼンゼン進んでいて、岡林信康やボブ・ディランを教えてくれたのも、数寄屋橋のハンターに初めて連れて行ってくれたのも彼だった。
その後、彼はストーンズ→パンク、私はハードロック→プログレと進路を変え、音楽の趣味での接点はなくなったが、今でも過去を懐かしんで連絡をすることがタマにあって、Marshall GALAは2回とも観に来てくれた。
その安藤くんがこのイベントを見つけて、「ウッドストックのミュージシャンが何人か出るから一緒に行かない?」と誘ってくれたのだ。
Marshall BlogやこのShige Blogに何度も書いている通り、映画『ウッドストック』はビデオ前夜の世代にとっては動くミュージシャンが観れる超貴重なマテリアルだった。
他にもモンタレー・ポップやバングラデシュなんかもあったが、さすがマーティン・スコセッシが編集に噛んでいたせいか、映画としても見応えがあり、中学2年から3年にかけて本当に何回も安藤くんと映画館に観に行っていたのだ。
そのウッドストックのステージに立ったミュージシャンならゼヒ本物を見てみたい!と思いその誘いに応じた。
Photo_2このイベントに参画した方のウェブサイトを読むと、開催まで準備の時間が少なく、主催者側は大変な労苦を味わったらしい。
こういう興行自体に不慣れだったこともあったろう。
広告もロクに打てなかったそうだ。
それでも3日間で4回開催したコンサートには延べ15,000人以上が集まり、当時としては上々の結果だった、
しかし、興行としては大赤字だったそうだ。
もう1回書くけど、こうした音楽がまだ一般大衆に受け入れられる前のイベントですからね。
 
このイルカのロゴがなつかしい!
残念ながら、そして断捨離ができない私にしては珍しくこの時のアイテムを全く手元に残していない。以下、関連の写真はすべてインターネットから拝借させて頂いた。
10来日したのは、ジャクソン・ブラウン、カントリー・ジョー・マクドナルド、ジョン・セバスチャン、J.D.サウザー、フレッド・ニール、ウォーレン・ジヴォン、テリー・リード、ワディ・ワクテル、エリック・アンダースン、デヴィッド・リンドレー、スタッフ等。
日本からは泉谷しげる、岡林信康、イルカ、久保田麻琴と夕焼け楽団、細野晴臣、憂歌団、南佳孝、小坂忠等。
ナニがスゴイって下の出演者リスト…手書きだよ。
ワードプロセッサーなんてモノが出現する何年も前のことだから。
「プレイガイドおよび全国輸入レコード店にて発売中!」なんて懐かしいフレーズだナァ。13v私が行ったのは初日。
ウッドストックに出演したジョン・セバスチャンとリッチー・ヘイヴンスが出ていたから。
本当はカントリー・ジョー・マクドナルドも観てみたかったんだけど、お小遣いでは賄えなかったせいか1日分だけチケットを買った。
金曜日だったのか…。
チケット代は3,000円。
この年、大卒の初任給が92,000円、ラーメン260円、コーヒー280円。銭湯120円、国鉄の初乗りが60円だって。
大卒の初任給の額を使って換算すると、この時の3,000円は今6,800円。
安い!
今だから思うんだろうけど、この内容で6,800円は安すぎる!
と言うより、今のコンサートのチケットの値段は立派すぎるのか?
この辺りはヘタなことを言えん。
話題を変えて…コーヒーって昔は高かったんだよね。
今でいうコーヒー・ショップみたいなモノがなかったので、長時間居座る喫茶店の場所代ってことだったんだろうな。
大化けしたのはラーメンだよね。
言葉は悪いけど、昔は貧乏人の食べ物の代表だった。
「給料日前だから今晩はラーメンか…」ってのがサラリーマンの月末の定番フレーズだったからね。
ウチは職人だったので関係なかったけど。
それが今ではミシュランだもんな~。
30会場は車の展示会をよく開催していた「晴海国際貿易センター」というところ。
当時は「晴海ドーム」って呼んでいたような気がするな。
といっても、後にも先にも行ったのはコレっきりのことだった。
どっから乗ったのかは忘れたけど、行きはバスを使った。
今はオリンピックの選手村になってるのかな?
20会場が開くのを待った記憶がないところをみると、ごく普通に開演に間に合うように会場に着いたのだろう。
武道館に行く時の、あの九段下を上っていくような興奮は全くなかったような気がするな。
とにかく中がメチャクチャ広くて、すごく暗かったのを覚えている。
イズが無くて、完全に体育館状態。
ナニか敷くものを持って行ったのかな?
結構寒かったような記憶がある。40

後は自分の記憶を基に「ミュージックマガジン」増刊号の助けを借りて書き進める。

15b私が行った初日の出演は次の通り。
写真は当日のパフォーマンスとは何の関係もありません。
 
①ボブ・イングラム&ドルフィン・プロジェクト
②エストレラ
----誰?
この2つはカケラも覚えていない。こんなにキレイに忘れるモノかしらん?というぐらい記憶にない。
 
③オデッタ
----アコギ1本でゴスペル調の音楽を披露。
ギターのヘッドに焚いたお香を付けていて、客席の中ほどにいた私の所までその匂いが漂って来た。
すごく強烈なニオイだったのを覚えている。
歌の途中で手を打つパートがあって、オデッタが誘っているワケでもないのにそれに合わせて手を打っている人たちがいた。
それがオデッタが叩く手のタイミングにピッタリと合わさればいいんだけど、それがてんでバラバラで、「手を叩くのはやめてください」とも言えなかったのだろう、オデッタがものすごく不快な顔をしていたのを私は見逃さなかった。
この時の演奏を今でこそ聴いてみたかったナ。
私、この時まだ14歳だったからね。Odetta  
④エリック・アンダーソン
----なんかピアノを弾いていたような気もするんだけど。
エリック・アンダーソンは当時売り出し中だったのかな?
音楽はおおよそ私のタイプではなかったんだけど、よく音楽雑誌で見かけていたので観ることができて得な気になったんじゃなかったっけかな?
ドカンと盛り上がる曲があってステージ前まで走り寄った子供がいた。
それは私です。
今思い出しても恥ずかしい。
自慢じゃないが、エリック・アンダーソンの音楽を聴いたのはこの時が最後で、それ以降一度も聴いていない。Ea  
⑤リッチー・ヘイヴンス
----「ウッドストックのリッチー・ヘイヴンス!」と紹介されて登場したのをよく覚えている。
カッコよかった。
「Freedom」をなかなか演らなかった印象があるんだけどどうだったんだろう?
「Handsome Johnny」や「Here Comes the Sun」を演ったのは覚えている。
フェイクがものすごくて、途中まで「Here Comes the Sun」を演っていることがわからなかった。
この人も見ておいて自慢できるアーティストのひとりだな。
 
先日ジミ・ヘンドリックスのロンドンのアパートに遊びに行っていることも知ってうれしかった。
その記事はコチラ⇒【イギリス-ロック名所めぐり】vol. 62 ~ジミ・ヘンドリックスのロンドン <vol.5>

そういえば、『ウッドストック』を観ていて、リッチー・ヘイヴンスの上の歯が全くないことに気が付いて教えてくれたのも安藤くんだった。
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⑥岡林信康
----岡林さんも目玉の一人だった。
コレは安藤くんが思い出させてくれたんだけど、岡林さんがステージに現れると、客席の女性が大声で「岡林帰れ!」とヤジが飛び、本当に岡林さんがステージを降りてしまった。
あの女性は岡林さんに何の恨みがあったのだろうか?
私は「オイオイ、ナンだよ!余計なことを言うな!」と思ったよね。
その後また登場して「チューリップのアップリケ」なんかを歌ってくれた。
私は岡林さんが好きで、その後コンサートにひとりで出かけたりもした。
ズッと後になって、東京駅の新幹線の改札でお見かけしたが「ファンなんです!」と気軽に近寄ることができないような厳しいオーラが出ていたっけ。
学校を卒業してサラリーマンになって、カラオケをやらされるのが大きな苦痛のひとつだったが、そんなときはよく「山谷ブルース」を歌わせて頂いた。
今では山谷のドヤは外人バックパッカー御用達の旅館街になっている。8 場内はずっと真っ暗だった。
ケツは痛くなるし、とにかくおなかが空いちゃってね~。
今ならサマソニみたいに会場の外にズラーっとケバブやらピタ屋が並ぶんとこだけど、ケバブなんてない時代だから。
あっても焼きそばにタコ焼きか…?
ところがそんなモノを売る店らしきものは全くなかった。
それでも何か食べるモノを売ってはいないかと目を凝らして会場内をさまようと、パンを並べている店があった。
助かった!と思ったんだけど、それが玄米パンみたいな健康食品の類で、こっちはまだ子供だからそんなモノ食べたくないワケ。
最後までガマンしたわ。
あんなにひもじい思いをしたのも珍しい。
下の写真を見るとベンチらしきものが置いてあるね。
私の時はなかったような気がするんだけどな~。
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⑦泉谷しげる&ストリート・ファイティング・メン
----この日、唯一のロックロックしたパフォーマンスで会場は大盛り上がり。
たくさんのお客さんが立ち上がってステージ前に詰めかけ身体を動かしていた。
今にして思うと、アレ寒かったんじゃないかね?
ソロ・デビューしてからそれほど時間が経っていなかったCharさんが白い帽子に白いスーツといういで立ちで、メッチャかっこよかったな。
トリルしながらアームダウンする技法をこの時初めて知った。
 
⑧ジョン・セバスチャン
----2人目のウッドストック・アーティスト。
でも「I Had a Dream」は演らなかった。
多分「Younger Generation」も演らなかった。
でも「Welcome Back」を演ったのは覚えている。
今聴くとLovin' Spoonfulってすごくヨカッタりするんだよな。
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⑨ローリング・ココナッツ・レヴュー・バンド
----このイベントのためのユニット。
ナント、フレッド・ニールが出ていたらしい。
見事に何も覚えていない。
もう多分帰りのことが心配になっていたか、あるいは観ないで帰って来ちゃったのかも知れない。
ああ、ナマで「Everybody's Talkin'」を聴きたかったな…イヤ、聴いたのかも知れない。
それで最後は「Goodnight Irene」を演ったらしい。
聴きたかったな~…イヤ、聴いたのかも知れない。
 
帰りが大変だった。
終演は10時過ぎだったのだろう、もうバスが終わってしまっていて、クタクタの身体で銀座まで歩いたのがかなりシンドかった。
ずいぶん大勢の人が歩いていたのできっと最後までいたんだろうな。
ということは「Everybody's Talkin'」も「Goodnight Irene」もチャンと聴いた…ということで。
 
とてもいい思い出になった。
私は大学に入ると…言い換えると80年代に入ると「ベストヒットUSA」に出て来るような「産業ロック」に「ロック」を感じることができず、ほどなくしてジャズに転向してしまった。
それ以来プライベートで聴く音楽の中心がロックではなくなりずいぶん長い時間が経った。
今は一生懸命クラシックを聴いているところで、モノによってはコレが滅法オモシロイ。
でも、聴き方はロックなんだよな。
「ロックっぽくてカッコいい」という超邪道な聴き方で楽しんでいるのだ。
 
私も音楽に夢中になり出して45年が経った。
これまでいくら使ったかナァ。
そうして自分のリスナー人生を振り返ってみるに、やっぱりロックを聞き出した頃が一番楽しかった。
ジャズも「モダン」以降は「フリー」に至るまでほとんど聴き漁り、今でも楽しんではいるが、「音楽に対する興奮」ということを考えると、あのロックを聞き出した70年代のそれには到底及ばない。
私も残りの人生もせいぜい25年ほどか?
生きている間にあの興奮を味わうことはもうないだろう。
しかし、我がリスナー人生に悔いなし!
思い返してみると、そんな人生にあって『ローリング・ココナッツ』はひとつのビッグ・イベントだった。
誘ってくれた安藤くんに改めてお礼を言いたい。
  
数年前にこのイベントの演奏を収録したCDボックスセットが出たんだってネェ。
もう全部を聴く根気も気力もないけど、自分が行った日の音源は聴いてみたい気もするな。
イヤ、「思い出」は美しいまま取っておくことにする。

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