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2020年3月16日 (月)

イギリス紀行2019 その20 ~ スタンリー・キューブリック展 <vol.9>:『バリー・リンドン』

 
今日は『バリー・リンドン』。
他の回でも触れたように、中学2年生の時に初めて観たキューブリック作品。
44年前の封切り時のこと。
私は13歳だったけれど、3時間の長大作をとりあえず飽きないで観た記憶がある。
80しかし、今作られている音楽だとか映画なんかを見回すに、私なんかはつくづくラッキーだったと思うよね。
お金を出して手に入れた音楽をちゃんとしたオーディオ機器で聴く愉しみを知っているし、大きなスクリーンと大音響で映画を鑑賞する興奮もよく知っている。
エンターテイメントにお金をかけても十分に元が取れるゼイタクな時代だった。
『バリー・リンドン』もまだそんな時代に観た一作のひとつなのだ。

それでは展示を見てみましょう! 
ロゴのスケッチ。

100例によって詳細な絵コンテの数々。
前々作の『2001年宇宙の旅』は今から19年前の世界が舞台だったが(!)、キューブリック『バリー・リンドン』で140年前のアイルランドを舞台にして、その完璧な再現を目指した。
迷惑な話ですね~。
90ダニエル・ホドヴィエツキ(Daniel Niklaus Chodowiecki)という18世紀のポーランド生まれのドイツの版画家の著書『Von Berlin nach Danzig Eine Kunstlerfahrt Im Jahre 1773』。
製作総指揮を務めたケン・アダムとキューブックは18世紀の様子について、この本から大いにインスピレーションを得たのだそうだ。
この本はプロデューサーのヤン・ハーランの私物。
なかなかに貫禄のあるルックスだったのでよっぽど貴重なモノかと思ったが、偶然見つけた古本のオークション・サイトで付いていた値段は25ドルだった。

110ココで一旦プチ脱線。
『2001年』の「スリット・スキャン」のようにキューブリックは新しい撮影技術やアイデアを積極的に取り入れてきた。
『バリー・リンドン』の後の『シャイニング』では例の「Steadicam」を使った。
それから、ひとつ前の『オレンジ』で、屋根裏部屋に入れられたアレックスが下の階から聞こえてくる「第九」に苦悶して窓から飛び降りるシーンね。
アレックスが地面に落ちる寸前にほんの数秒カメラが地面を映す。
あのシーンは実際にカメラを落として撮影したそうだ。
それと、コレは脱線の脱線。
その階下で「第九」を大音量で鳴らしているあのスピーカー・キャビネットは、ロゴはハズしてあるがMarshallの製品に見える…ゴールドのビーディングと白いパイピングがそう思わせるのね。
で、早速Marshall本社のベテランの仲良しに写真を送って確認してもらったところ、確証はないが「多分Marshall製だろう」とのこと。
1970年当時はギター・アンプ以外にもものすごく多岐にわたった製品を製造していたのだ。
そのシーンがコレ。
この当時の人はもう工場にいないので話を聞くことはできないが、キューブリックがMarshallの工場にやって来て、ジムやケンに「アーダ、コーダ」と希望の仕様を説明している姿を想像するだけでも楽しいではあるまいか?
ちなみに『オレンジ』は映画史上初のドルビーサウンド作品で、そのほとんどが生録音の音声だ。

11_2cwo そして、『バリー・リンドン』で取り入れた新しいワザは「ローソクの灯りだけで撮影する」技術。
キューブリックは「自然光とローソクの灯り」だけで撮影することを標榜した。
映画では何回もローソクのシーンが出て来るが、そのどれもがとても美しかった。
コレは公開当時もすごく話題になっていたのを覚えている。
こっちは子供だったので、当時は「フ~ン、そんなもんかいな」程度のモノだったけどね。
展示会ではそのシーンをループで上映していた。

120コレがそのシーンを撮影したカメラ。
展示会の解説をそのまま引くと…

140vこのミッチェルBNC(Blimped Noiseless Camera=防音カバー付きノイズレスカメラ)は1940~1970年代中盤までの映画撮影に使用された標準的な機材だった。
このカメラは『バリー・リンドン』でローソクの灯りで撮影するためのツァイス製の超開放値レンズf0.7が搭載できるように改造が施されている
150この究極のレンズはNASAが宇宙空間を撮影するための6x6のハッセルブラッド用に製作された。
キューブリックは自分のミッチェルBNC 35mmカメラで使用できるようにCinema Products Inc.にレンズの改造を依頼。
まず、アイリスシャッターを取り外し、正確なピントが送れるように新たに焦点装置を取り付けた。
そのままだと50mmの画角しか得られないので、36mmの広角になるようなワイド・アングル・アダプターが取り付けられた
170後年、ミロス・フォアマンが『アマデウス』の撮影のために、このレンズの拝借をお願いしたが、キューブリックは断ったんだって。
ケチ…。
フォアマンは「キューブリックは自分の機材をとても大事にする人なので当然のことだ」と言ったそうだが、コレは完全にイヤミでしょう。
一方、伊丹十三にはOKだったんだって。
というのは、伊丹とは弁護士が同じという間柄だったかららしい。

160vコレは今から45年も前の話だからね。
今では微細な明かりでもきれいな画像が撮れるまでに撮影技術は進歩したが、当時は大変だった。
ナニが大変かと言うと、乏しい照明で明るい画像を撮ることはもちろん困難を伴ったが、ピントを送るのが非常に難しかった。
f値が0.7だとかなり明るい画像を得ることはできるだろうが、被写界深度が極端に浅くなってしまって、ほんの数センチ前後にズレているだけの被写体に同じピントを送ることが出来なくなる。
確かに『バリー・リンドン』のローソクの灯りのシーンは、ピントを送っている前の方はまだいいんだけど、後の方はかなりボケボケだね。
「ワザとそういう風に撮った」と言われればそれまでだけど。
しからば、その反対の話。
黒澤明はパンフォーカスの画像が好みで、画面の隅々までピントが合っていないと気が済まなかった。
そう撮るにはどうすればいいか…。
『バリー・リンドン』の反対でf値を上げてやればいい。
f値を上げてやればやるほど被写界深度が深くなって画面の奥の方までピントが合うようになってくれる。
ところが、そうしてf値を上げれば上げるほど画像が暗くなってしまって撮影が出来なくなってしまう。
またまた、どうするか?
ジャンジャン照明をたいて明るくしてやればいい。
コレは香川京子がインタビューで語っていたんだけど、『天国と地獄』は室内のシーンが多く、ただでさえ暗いため、パンフォーカスで撮るために尋常ではない量の照明がたかれたのだそう。
照明をたけば当然熱を発するので、権藤さんのリビング・ルームは灼熱地獄だったらしい。
そして、役者さんはみんなその照明で目を傷めてしまったという。
役者さんも大変だ。Tj_2かつて叶順子という女優がいた。
「ミス資生堂」にも選ばれたことがある美人女優で、私は市川崑の『鍵』という映画で最近知った。
お気の毒にこの方、そうした強烈な照明の現場でスッカリ目をやられてしまい、目の縁に異常を覚え眼科に行ったところ、このまま仕事をし続けていたら間違いなく失明してしまうと診断され、人気絶頂の時に引退してしまった。
それほどスゴイ明かりだったということよ。Kj 実際に撮影に使用されたローソク。
キューブリックはローソクの灯りだけで撮影して18世紀の雰囲気を再現しようとした。
その際、この3本芯のローソクを特注した。
通常の1本芯より炎が大きい3本芯のローソクで少しでも明るさを稼ごうと思ったワケ。日本流に言うと「百目ローソク」ってヤツか。
130
物語の舞台はアイルランドだが、ロケは広範囲にわたった。
『博士の異常な愛情』でも美術監督を務めたケン・アダムスのロケハンの記録。
『バリー・リンドン』ではセットを使用せずに歴史的な建物や場所で撮影が行われた。
はじめキューブリックはハートフォードシャーの自宅から近い場所にセットを作ろうとしていたが、すぐに計画が変更され、ロケ場所はポツダム、ベルリンに飛んだ。
アイルランドで撮影された室内とドイツで撮影された外観が組み合わされることもあった。180例えばアイルランドの「ケルズ修道院」。
バリーがイングランド軍に入隊したシーン。190アイルランドのウィックロー州にある「パワーコート・ハウス」。
コレはリンドン卿が心臓発作を起こすシーンかな?
外観にはドイツのポツダムの建物が組み合わされた。
撮影の数か月後にこの建物は火事に遭い、修復はされたものの元の美しさを取り戻すことはできなかったという。

200コレはイギリスのドーセットの「イタリアン・ガーデンズ」。
レドモンド・バリーがリンドン夫人に初めて会うシーンで使われた。

210メイクとヘアの研究。
色々と試してみた写真。
カツラも様々なモノが作られ、バリーを演じたライアン・オニールの分だけで15個用意されたそう。
毛はホンモノの人間の毛で、離俗するために頭を丸めたイタリアの少女たちの断髪を使用した。
下のアイパッチを付けたオジちゃんね、「シュヴァリエ・ド・バリバリ―」…この役名に驚いたわ。
バリーの役は最初ロバート・レッドフォードが候補にキマっていて、キューブリックは実際に出演交渉もしたが、『素晴らしきヒコーキ野郎』に行っちゃったんだって。
アレも封切り時に映画館で観たけど私はオモシロいと思わなかったな。

11_20r4a0569 実際に撮影で使用された衣装。
この作品はアカデミー衣装デザイン賞を獲得している。

230衣装でも徹頭徹尾18世紀が再現が追求された。
「それっぽいモノ」をデザインして作るのではなく、イギリスで手に入る限りの実物の18世紀の衣装を買いあさり研究に当たったのだ。
当時の人たちは現代の人よりすごく小さかった。
実際にイギリスの郊外で見つける200年ぐらい前の建物なんかは入り口がメッチャ小さいからね。
ま、寒さを防ぐために小さめに作られていたということもあるかも知れないけど。

240買い込んできたホンモノの18世紀の洋服を自前の工場に持ち込んで、分解して、型紙を作り、役者さんが撮影で着れるようなサイズに型紙を引き直して、新しく衣装を作ったのだそうだ。
要するに18世紀の衣装のサイズを大きくしたということか。250v恐らく昔の人は背の高さだけでなく、骨格も違っていたでしょう。
そんな体形に合わせてデザインされた服は現代には着づらいにキマってるでしょう。
ということで、自由な演技ができるように、撮影前の段階でその衣装を身に付けて運動して身体に慣らしたのだそうだ。

260音楽については、この連載の3回目に書いたようにシューベルトの「ピアノ三重奏曲」を除いてはこの時代に造られた音楽が使用されているとされているけど、モーツァルトなんてこれよりズッと前だわね。
ヘンデルもシューベルトより前じゃなかったっけ?
ま、いいか…。
キューブリックはチーフタンズにホンモノの古楽器を使わせて録音しようとまでしたらしい。
 
この映画、初めて映画館で観た時にほぼほぼ飽きなかったと書いた。
DVDの時代になって、通してではないにしろ何回か観ているんだけど、イギリスに頻繁に行くようになってから圧倒的にオモシロくなったね。
ところが、キューブリックは自信満々だったにもかかわらず、興行的にはガックシだったらしい。

11_blst次はいよいよ本編の最終回。
<番外編>もあるでよ。
最後に登場する作品はナ~ンだ?
 
<つづく>

(敬称略)